あけましておめでとうございます。
思えば随分と更新をサボってしまいました。
恐縮です・・・m(__)m
今年も宜しくお願いします。(^-^)・・・
さて・・・
一万人にひとりの逸材は、
一万人にひとりしか必要とされない。
もし二人いたら、
五千人にひとりの逸材になってしまうから、
という話ではありません。
そもそも、逸材とは何なのだろう。
100メートルを9秒台で走れる人とか・・・
世の中を変えてしまうような発明家だとか・・・
作る曲が次々にヒットする作曲家だとか・・・
そんな類だろうか。
辞書には、こう書かれている。
逸材とは・・・
「人並み以上に優れた才能。その人物」であると。
???
そして、同義語として・・・
天才・不世出・神童などが挙げられている。
人並み以上を不世出と呼ぶのは、
ちょっと大げさすぎないだろうか・・・(^_^;)・・・
いつも思うのだが、
辞書というものには一貫性がない。
矛盾する内容を
そのまま違うページに載せていたりするし、
そもそも、
肝心要のところが辞書には書かれていない。
「親友」を辞書で引くと、
「特に親しい友だち」と書かれている。
「そのぐらい解るわい!」
そんなことは、誰でも解っているのだ。
どのくらい親しければ親友なのか、
辞書を引く人は、それを知りたいのである。
ちなみに・・・
「不世出」を辞書で引くと・・・
「滅多に世に出ないほど優れていること」と書かれている。
それが、人並み以上と同義語だというのだから、
やはり、大事なことは自分の頭で考えるしかない・・・(^_^;)
十年にひとりの逸材という表現もあるように・・・
やはり、逸材とは
「発生率が少ない+優れている」人材のことだと思う。
何らかの優れた才能を持っていて、
その才能を持っている人の割合が少ないこと。
それが、逸材の条件なのだ。
では、どのくらい少なければ逸材と呼べるのだろう。
百人にひとりか。
一万人にひとりか。
私が思うに・・・
結局は、
そのどちらも逸材なのではないだろうか・・・
百人には百人の・・・
一万人には一万人にひとりの逸材がいる。
例えば・・・
陸上競技には、
100メートル競走、200メートル競走、400メートル競走と、
距離によって競技が異なる。
さらには・・・
800メートル、5000メートル、一万メートルという競技もある。
では、何のために、こんなにも細かく、
競技を分ける必要があるのだろうか???
それは・・・
それぞれに勝者が異なるからだ。
100メートルの勝者が、
200メートルで勝つことはあっても、
全てのレースに勝つことはあり得ない。
それぞれの距離に、それぞれの逸材がいるのだ。
他にも、不思議な分け方をしている競技がある。
たとえば走り幅跳びと、三段跳び。
一歩で跳ぶ距離で競うか、
三歩での距離を競うかの違いであるが・・・
なぜ?二段跳びは無いのだろう。
さらに・・・
走り高跳びに対しては、棒高跳びがあるのに・・・
走り幅跳びに対して、棒幅跳びは無い。
二段跳びや、棒幅跳び、30メートル競走があったなら・・・
きっと、そこにも逸材は存在したはずだ。
競技の種類に関しては、
きっと歴史的な背景があるのだろう。
だから・・・
なぜこのような競技がないのかということを考えても、
そこには意味など無いのかもしれない。
大事なことは、
もしもそういう競技があれば、
そこには新たなスペシャリスト、
逸材が存在したであろうという事だ。
分ければ・・・そこにはスペシャリストが存在する。
その分野では・・・逸材と呼ばれる人たちが。
では・・・
一万人にひとりの逸材とは何か???
それは、
一万人というフィールドにおいての逸材。
そういう意味ではないのか・・・
一万人集まることによって、初めて発動する才能。
5000メートルという競技でだけ
跳びぬけて才能を発揮する選手と同じように。
世界が、もし百人の村だったら、
野球が上手い人よりも
怪力の持ち主のほうが、逸材と呼ばれるに違いない。
百人の村では、
野球の才能はあまり役には立たないからだ。
全ての才能は、
その能力が必要な人数になったときに顕在化する。
一万人にひとりの才能も、
一万人になったときに初めて開花する。
社会から必要とされることによって・・・
個性は、才能へと変化するのである。