情報がなければ発想できない。

私の根本にある考え方です。

しかし、
情報を集めることができたとしても、
出す技術=アウトプットができなければ、
その情報は、使えないことと同じになります。

情報が使えなければ、情報がないことと同じです。

では、上手にアウトプットするにはどのようにすれば良いのでしょうか?

一つの例え話をしましょう。

あなたが本を買いに大きな書店に行ったとします。
そして、この書店には、大概の本が置いてあるとします。

あなたは探している本を見つけるまで、
必要以上に時間をかけることなく
最短時間で見つけることができました。


それはなぜでしょうか?


 
これはクイズではなく、どちらかというと常識的な質問です。
 
本が迷わず見つかる理由。

それは、解かり易く分類されているからです。

小説、マンガ、スポーツ、受験、ビジネス、政治・・・・

該当するカテゴリーにきちんと分類されているため、
探すことが楽で、最短時間で見つけることができます。

情報も同じです。

情報をインプットするときに、
アウトプットすることを前提に分類しておけば
引き出すのが楽になり、時間も削減されます。

どうでしょう、難しくないでしょ。

 
では、分類はどうすべきか?
ここにも重要なノウハウがありますが、
ちょっと自分自身で考えてみて下さい。

また、次に重要なのが、
少し加工した状態で情報をインプットしておくことです。
ここでは簡単に説明しておきます。

情報を“米”として、例え話をしましょう。

米を米のままインプットするのではなく、
ご飯やカレーライスのように調理した状態で情報を蓄える方法です。

少し加工された状態で入れておくと、
いざ情報を使う(調理する)時に
非常に短時間で使えるようになるのです。

さらに、ご飯やカレーライスを 
「米を使った料理」 という分類で入れておくと
非常に短時間で探し出すことができます。

このなんでもないような、当たり前過ぎるような方法で、
見違えるように発想力・考える力は向上していくのです。



「会社は、何をするところですか?」

学生は、よく「仕事をするところ」と答えます。

次に
「その仕事は何ですか」と聞いてみると、
例えば、営業なら
「外回りをして注文を取ってくること」、
経理なら
「伝票を起こしたり数値の入力をすること」等と答えます。

まだ就職前の学生や新入社員は、
仕事や会社というと、上記のような実務面しか頭に浮かばないようです。
しかし、実際に会社という組織の一員としての仕事は、
こういった日々の業務を行うだけでしょうか?


会社という組織をサッカーや野球等スポーツのチームに例えると、
メンバーにはそれぞれ異なるポジションが与えられています。

一人が欠けても試合はできないし、
サッカーでいうFWがただシュートするだけ、
キーパーはボールを受けるだけの仕事をしていたら
勝つどころか試合にもなりません。

会社の組織はそう単純ではありませんが、
全体が活発に運営できるか、
組織のチームワークが取れているかが重要な点では、
チームと同じといえるでしょう。

選手一人一人の技量や頑張りが勝負を左右しますし、
全員のチームワークが良くなければいけません。

そして、
作戦を練った監督からの指示を選手が受け取り、
チームとして作戦が遂行できることが重要です。

このサッカーや野球でいうポジションが、
新入社員でも会社に入るとすぐに与えられます。

このポジションのことを職務といいますが、
会社は社員の日々の職務と実務の両方に対して
給料という対価を支払うことになるのです。

組織の一員となって久しい私たちにとっては当たり前のことですが、
こういった説明ひとつで、
学生や新入社員の仕事や会社に対する意識は変わるようです。

プラウドでは如何でしょうか?


大和證券のCMで、

紳士と子供が話していたものがあります。

『紳士が「このお金の2割を貯金しなさい」と言ったら子供は断った。

「このお金の8割で生活してみたら」
 と紳士が提案をしたら子供は受け入れた』


(多少の言葉の違いはありますのでご了承を)


といったような会話がされています。

これは非常に面白い会話だと思って観ていました。


野球でも選手に低目の球に手を出させないために、
ダメコーチは「低めに手を出すな」と指導をし、
名コーチは「高目を打っていけ」と指示をするという有名な話があります。


同じことを伝えたいにもかかわらず、

言い方一つで相手の受け取り方が大きく変わるといった

大変分かりやすい事例でしょう。


人は寝ている時間を除いて、

起きている時間の80%は人と関わって生きていると言われています。

そこで、発生してくるのがコミュニケーションです。

会社では部下と上司の間に
毎日たくさんのコミュニケーションが起こります。

少なからず、人は環境に影響を受ける動物なので、
上司のコミュニケーションのとり方一つで部下のやる気が変わり、

ある意味、部下のコミュニケーションのとり方一つで
上司のやる気も変わるとも言えるでしょう。


人はコミュニケーションのとり方一つで、
人を好きになったり嫌いになったりもしてしまうのです。


私は以前から「言葉は魔力」と言っていますが、
この道具を使い間違えると凶器になり、上手に使うと武器にもなります。


皆さんは画面の中でホンジャマイカの通称石くんが

「まいうー」

と言っただけで、その食べ物がおいしそうに
見えてしまった経験はありませんか?

では、もし、私がテレビに出て「まいうー」と言ったら果たして
食べているものがおいしそうに見えるでしょうか?


そうです。もうお分かりになった方もいると思いますが、
何を言ったかも重要ですが、

「誰が、どう言ったか」の方が実は重要なのです。


人の伝達力の90%近くは、
その人のパーソナリティーから派生する姿勢や態度、
心構え、声の質やトーンで影響されるのです。


皆さんは影響力のある人間になって言葉を発していますか?



さて、ドイツ戦、最高の試合を見せてくれた後に

少し気の抜けたマルタ戦を見せてくれた日本代表ですが、

これらはどれもそれほど驚くようなことではないでしょう。


加茂監督の昔から、出てきてスペースを与えてくれる欧州強豪に対してはいい試合を見せられても、

引いて守ってくる相手には苦戦するのが日本の特徴でした。

さらには、何と言っても現代表は「家族」なのであって、

家族は、ドイツ戦のように自然にモチベーションの上がる「危機」には強いが、

マルタ戦のような「平時」にはピリッとしなくなってしまう。

これも以前から見られたことですね・・・


ドイツ戦のままオーストラリア戦を迎えるより、

マルタ戦を経験しておくことで、チーム全体がふたたび「危機」を感じ取ってくれているほうが、

W杯に向けてはよかったと言えると思います。


この「家族」の最大の目標だったW杯に直面しているわけですから、

だいじょうぶ!マルタ戦のようにピリッとしない試合は本大会ではないはずです。

たぶん・・・

きっと・・・


頼むよ~ホント!



ドイツ戦は、直前の話し合いの成果が十分に出て、

前半のように押し込められた時間にはFWも下がって

全体を低い位置でコンパクトにして我慢でき、

プレスが利きだしたらラインを上げて積極的に奪いに行く、

そういう使い分けができていましたね。

前半はアジアカップ仕様、

途中からはそこに中田英や高原の要求していたプレス主導~シンプルな速攻仕様を織り交ぜた、

というところでしょうか・・・


これはドイツのような「出てきてくれる」敵に対しては実に有効でした。


そして特筆すべきは、このような「プレッシングからのショートカウンター」戦術においては、

中田英選手の特徴である

「すばやく的確なアプローチ」「力強い1vs1のディフェンス」「視野の広さと大きな展開」が

非常によく活きていたことです。


そしてそれを引き出すヤナギをはじめとする選手たちの動き出しのよさ。

私や中田英が、常々代表に「やってほしかった」「やるべきだと思っていた」サッカーが

そこに出現していました。


このサッカーができればオーストラリアやクロアチアには十分対抗できるでしょう。



ところがマルタ戦です。

マルタは先制されても出てこない、5バックで引いてスペースを消し、

入ってきたら集中して体を張って止める、攻められ続けてもあわてない、あせらない、という、

トルシェの言う「守備の文化」が息づいているような敵でした。

「勝って景気をつける」という目的のために選ばれたのでしょうが、

「日本と対戦することに恐怖を感じていた」と監督の言・・・こういうチーム相手に大勝するのは難しい。


その上、ドイツとの激闘の結果、精神的にややバーンアウトした選手たち。

グループリーグにピークを持っていくためにかけている負荷による、

フィジカルコンディションの低下、などなどが拍車をかけました。


ヒデは「走らないと勝てない」と言っていたようで、確かにその通りなのですが、

私は「無理もない」と思ってしまいますね。


この試合ではヒデの「走れよ!」というメッセージの乗ったパスが目に付きましたね。

味方選手が動き出していなくても、その前方へ、前方へのパススピードの速い、力強いパス。

あるいは、FWの足元につけるビシッとしたクサビのパス。

どちらもロジカルで、勝つためにはよい選択肢なのですが、

チーム全体となんともフィットしていない感を受けました。


さらには、有限実行というか、最も動き出しが早く、走り回っていたのも中田英でした。

しかし、この試合ではこう言っちゃなんですが、それは逆効果の部分もあり、

中田がトップスピードで引いた敵の中に入っていっても、トラップがどうしても浮いてしまい、

奪われることのほうが多かったですね。

ペナルティエリア付近で「なにか」を起こす力は小野や中村、

選ばれていませんが松井あたりのほうが上だと思います。


ジーコ監督もそう思ったのはわかりませんが、後半から4バックになり小野投入、

しかも中田英を上げるのではなく、小野がオフェンシブに・・・


この3バックから4バックへのシフトチェンジは、アジア予選などでは効果を上げてきたわけですが、

ここではうまく行きませんでしたね。

さらに玉田に代え小笠原(大黒のワントップ)、福西に代えて稲本(ヒデよりも高い位置にいましたね)、

そして大黒に代えて巻のワントップと、日本は完全に「選手に試合を経験させる」モードへ。


ただ、ドイツ戦までで出来た「レギュラー組の話し合い」には彼らは入っていないわけで、

また国内で行われたキリンカップの試合には中田英や中村は出ていなく、

コンビネーションがまだまだ。


フレッシュな選手を投入するほど攻撃がこう着状態に陥るという、

やや残念な結果となりました。


まあ、後半の選手交代も「1点をもぎ取って来い!」というよりは、

「試合勘を取り戻して来い」だったことは確かですし、

ここで出来上がった4-5-1も「オプションを充実」ではなくて、

「使うべき選手を投入していたらそうなった」だけでしょうから、

ここでできていなくても取り立てて問題視するには当たらないでしょう。


点を取りたいときのオプションは他で充実しているはずです

(そういえば中村選手はFKをあまり見せていませんでしたね・・・笑)。



個人的に少しだけ気になるのは、

ドイツ戦をオーストラリアとクロアチアに「見せてしまった」ことです。


「日本相手には出て行くとやられる」・・・もし彼らがそう思って、

マルタのようなやり方を取ってくると、マルタよりもカウンター時がはるかに鋭いですから、

少し困ったことになりますね。


ただ、クロアチアは自らを強者と自認してくるでしょうし、

「日本から勝ち点3を取らなくては」という状況にあるはずですから、

出てきてくれるものと思います。


そうなればドイツ戦の再現ができるでしょう。


オーストラリアは激しいフィジカルコンタクトを高い位置からかけてくるチームですね。

2002年の韓国を思い出しました(笑)。

ただあの時にくらべると、韓国人選手の持っていた凄いスタミナはないでしょうから、

後半に日本がポゼッションを回復し、細かいパス回しをしていけば、

大男DFの足元を突いていけるでしょう。


両チームともセットプレーから得点しようとするでしょうが、

コンフェデの時のギリシャも

「日本は小さいから高さで勝てば簡単だ」とばかりそこばかり狙って来て、

かえって対処がしやすかったですね。


どちらの試合も、ドイツ戦の再現になれば十二分に勝機があるし、

マルタ戦のような試合振りになったら危険でしょう。

その最大のポイントはメンタル面と、コンディション、

そして「敵が出てくるか、否か」。


敵に関すること以外は、こちらで完全にしておくことができるものですから、

これまで自分たちがやってきたことを信じて、しっかりと準備をして臨みたいですね。


さあ、いよいよ開幕です。

寝不足の1ヶ月が始まります・・・



試合から10日程、経っていますので、細かい得点経過は抜きという事で・・・


まあ、一般的な見方からすればレーマンやっちゃったね・・・にまず印象が集約されてしまうのでしょうが、

そこから後半31分までのアーセナルの戦いは実に見事でした。


FKの落ちきらないところをドンピシャで合わせたキャンベルのヘディングはスーパーでしたし、

この試合に限って言えば、ロナウジーニョをはるかにしのぐ輝きを見せ、

バルサDF陣を一人できりきり舞いさせたアンリの働きは素晴らしいものでした。


しかし、この試合の本当の功労者であり、

同時に戦犯にもなったのはアーセナルの守備組織であったと思います。


この試合では、1人少ないアーセナルが先制したために、

その後は見たくなくてもアーセナルの守り方を観察せざるを得ない時間帯が多くなってしまいました。


見ているととにかく約束事がはっきりしていて、サイドでキープされた時以外は、

DFラインの前でボールを持たれても決してPA内には下がらず、

時には裏への飛び出しを完全に無視する時もあるなど、

徹底して最終ラインにデコボコを作らず、

前へのアタックでボールを奪おうという姿勢で終始一貫、意思統一が為されていました。


バルサはアーセナルに比べると高さで劣るだけに、

ジュリやエトオがサイドでボールを受けて起点になる動きを見せていたのですが、

アーセナルがどこぞの代表とは違って常にSBのスペースを埋めていたので

自由なボールを上げられずに最後まで苦労する羽目になってしまいました。


しかし、後半16分にラーションが入ってバルサが4-2-3-1になるとアーセナルの守備が混乱し始め、

同点の場面では左に飛び出したエトオに最終ラインの位置を無視してついて行くかどうかを

エブエが一瞬躊躇してしまい、

エブエはオフサイドを主張して手を上げたもののむなしく失点と、

ラーションの意表をつくスルー気味のパスを誉めるべきなのでしょうが、

一度ひびが入ると一気に崩れてしまうアーセナルの守備組織のもろさを感じざるを得ませんでした。


とは言え、

攻撃力では欧州最強のバルサを後半31分まで封じ込めたアーセナルの守りは立派だったし、

それだけにレーマンの退場は残念で仕方が無いといった気持ちで一杯です。


これからいよいよW杯に突入しますが、

開催国のプレッシャーを受けて代表の正GKに指名されたレーマンが

大会までに立ち直れるかどうかがとても心配です。


とりあえず、誰が見ても今年のバルサは欧州最強でした。

最強が必ずしも最高の結果を残すわけではないこの世界で、

ちゃんと結果を出せたのは選手も監督も偉大と言うほかありません。



本当におめでとう!


日本代表が、ドイツW杯に向けて出発しましたね。


発表から実にいろいろと選手選考について喧しいですが、

ここでひとつ、基準となるジーコ監督の選考基準について考えてみましょう。


ジーコジャパンで最も重要なのは、「貢献度」だと一般に言われています。


ジーコ監督自身もそう明言していますね。

ただ私は、その前にもう一つ重要な基準があると思っています。


それは、うまい言葉ではいえないのですが、「才能」「クオリティ」というようなものです。

かつての超名選手であったジーコ監督が、その「目」で選んだ、

「この選手には才能がある」「この選手は試合を決めるクオリティを持っている」ということ。

それが、実はすべてに優先しているのではないか、と思います。


コンディションのよい普通の選手よりも、コンディションが悪くても才能がある選手を・・・


ジーコ監督がそう考えているとすると、これまでのさまざまな選考基準、ふるまいにも納得がいきます。


というか、理解が進みます。


ジーコ監督の中の「序列」も、それによってまずは決まっているのでしょう。

「今日本のベストとなるメンバーを」というのはそういうことなのだと思います。


時としてジーコ監督は、「才能」「クオリティ」を重視することで、

それまで所属リーグで試合に出場せず、勘を鈍らせているような選手や、

熱があって動けない選手も優先的に起用したりします。

それが悪い方に出たのが1次予選緒戦オマーン戦でした。


同時に、才能があると「見込んだ」選手に対しては非常に強い信頼を寄せ、

結果が出なくても我慢して使い続けたりします。

それを「意気」に感じた選手が「これほどに信頼してくれるのだから」と、

いつもは出せないレベルのチカラを発揮したりする。

それがアジアカップ優勝の一つの力になった(可能性がある)のは、

このやり方の良い点だったと言えるでしょう。


私の記憶が確かなら(ちょっとソースが見当たらなくなってしまったのですが)、

昔ジーコ監督は、怪我でいくらかブランクがあった中村選手に対し、

「彼は試合を必要としている」と、試合に優先的に起用し、その復調に手を貸したことがありましたね。


これも言うまでもなく、「その時点」でのコンディションよりも

「才能」=クオリティを優先していることから来るものであり、

「才能で決められた序列の上位に来る選手」には、代表戦をリハビリに使うような、

そのような扱いも「あり」だということなのでしょう。


そういうわけで、今年に入ってからのテストマッチは、

私にはあまり「選考」の役に立っているとは思えませんでした。


それよりも、久保、小野といった、

「才能」により見込まれた「序列上位」の選手たちの「リハビリ」に使われていたのだと考えると、

この半年間のマネジメントが非常にしっくりと来ます。


そのかいがあって、と考えるべきか、所属クラブのスタッフの努力を褒めるべきかわかりませんが、

小野はここに来てずいぶんと復調してきたようですね。

もちろん、リハビリだけではなく、彼らを組み込んだ上での連携をなるべく構築しておく、

という側面もあります。


(ブルガリア戦、スコットランド戦も、小野と玉田、遠藤のための試合だった、と考えると、

 しっくり来るのではないでしょうか。)


このやり方を是とするか、非とするかは、意見が分かれるところでしょう。

2002年にも、長期にわたって怪我で動けなかったベッカムが選ばれ、メンバーとして出ていますし、

1994年大会でも、大会中に負傷したバレージが、期間中に回復し、

決勝戦に出場したということもありました。


一部の選手に関しては、コンディションよりもクオリティを、という考えが正しいことも、時としてある。

しかし同時に、

1次予選緒戦オマーン戦のように、コンディションを重視しないマネジメントがマイナスに働くことも多い。

どちらが正しいかは、ポリシーによるのでしょう

(もちろん2分法ではなく、どんな監督もその両者の間でバランスをとって考えるのだと思いますが-

 トルシェ監督@2002年大会も、最初は復帰直後の森岡を先発させていましたしね)。


ジーコ監督は、そうとうな「クオリティ」「貢献度」重視派ですね。

それはもうわかっていることで、変わらないこと。

メンバーの発表は、1、2名を除いてほとんど予測はつきましたね。

怪我上がりの選手を入れることは、ギャンブルの部分は出てしまうかもしれませんが、

そういう監督なのだから、それもそれで、一つの方法なのだ、と思います。


一応、私の予想メンバーでした。


GK: 川口、楢崎、土肥

CB: 宮本、中沢、田中誠、坪井
SB: 三都主、加地、中田浩、駒野

DMF: 福西、小野、稲本、   *遠藤
OMF: 中村、小笠原、中田ヒデ  *松井

FW: 久保、高原、大黒、柳沢  *玉田・巻


最後の枠を、遠藤、松井、玉田のうちの二人、だと思ったんですがね・・・

(出来れば松井と若手を入れて2010に繋げたかったですね・・・)


誰を選出しても、クオリティにおいて日本を代表する選手たちであることは間違いがありません。


決まってしまえば、泣いても笑っても後1ヶ月。

良い国内キャンプが出来たようです。


覚悟を決めて、残り2週間良い強化をして、世界を驚かして欲しいですね。


オシム監督のサッカーを描写する時によく使われる「走るサッカー」という部分についてです。


この場合の「走る」は当然、ボールのないところでもチーム全員が「走る」ということですから、

いわゆる「オフ・ザ・ボールの動き」ということになります。


「コミュニケーション・ゲーム」としてのサッカーを愛する私は、

この「オフ・ザ・ボールの動き」の整備された、

あるいは豊富なサッカーも、同じように好きなのです。


それはなぜでしょうか。


コミュニケーション・ゲームとしてのサッカーにおける「メッセージ」は、

一般には「ボールホルダーからパスの受け手へ」というものだと考えられているでしょう。


パスを出す選手のアイデア、技術と言ったものがそこでは中心になる。

昔よく言われた「使う側と使われる側」という言葉も、

そのメッセージの流れを重視していることによって出てくるものだと思われます。


しかし、いいオフ・ザ・ボールの動きがあると、それも強烈な「メッセージ」だと私には思えるのです。


「ここへ出してくれ!」「ここのスペースを空けるから、そこを使ってくれ!」・・・

観戦している私にも、そういうメッセージが届きます。


フォローやサポートの動きも、

「俺がここにいるから、お前は安心して上がってくれ!」というメッセージのように見えてくる。

それはとても語彙の豊富な、発話者の多いコミュニケーション・ゲームを見ていると思えるのです。

そしてそこに「全員参加ゲーム」としての美しさ、楽しさを私は見ます。


対して、オフ・ザ・ボールの動きの少ない、パスが足元、足元につながるサッカーでは、

回りの選手がボール・ホルダーの次のプレイを「待って」しまうことがあります。

これは私にはどうにも「単線」のコミュニケーション、

一人一人がスピーチをするのだけど、あまり「対話」のないそれに見えてしまうのです。


そこに優れたテクニックがあっても、

ボールをもらってから一人一人が「さあ、何をしようか」というようなサッカーだと、

私は退屈に感じてしまいます。


もちろん、上記二つの類例は極端に書いたものであって、

どちらもそれぞれの要素を含んでいるのは当然です。


オフ・ザ・ボールの動きも、ボール・ホルダーのオン・ザ・ボールのテクニックを信頼できないと

思いきりのいいそれにならないし、

テクニックの優れたミッドフィールダーも、

受け手のオフ・ザ・ボールの動きがなければキラーパスを通すことはできません。


どちらか一方だけのサッカーというものは存在しないし、

そのどちらも重要であることは論を待たないでしょう。


先日スポーツバーで友人と一緒に、Jリーグ第9節、エスパルスVSレッズの試合を観戦しました。

個人技に優れる浦和に対して、清水エスパルスはコンパクトに組織的に守り、

そこからの攻撃も決してタテ一辺倒ではなく、

フォローに来た同僚にショートパスをつないで前に出て行こうとします。

むしろロングボールの少なさに、

一緒に観戦した友人が「そこは大きくクリヤーだろう!」と叫ぶほどでした(笑)。


それは昨シーズンのはじめごろ、

長谷川健太監督が就任して早くから見せていたサッカーの発展形であり、

今年の元旦の天皇杯決勝で見せていたそれの、より向上した姿でした。


ちょっと「いい内容」のサッカーで、私や一緒に観戦した友人が多く好むサッカーでもありました。

浦和もよい反撃を展開し、ジャッジが荒れたのが残念でしたが、

けっこういい試合を見たな、という気分にさせてくれるものでした。


この清水のサッカーも、中盤の選手のオン・ザ・ボールのスキルがなかなかに高いことによって、

当初意図していたことがカタチになってきたと言えます。

テクニックのある選手が、労をいとわずに走り回るから、

周囲の選手と協力していいサッカーを展開していける。

こういうサッカーがJでもさらに結果を出せると、

バラエティに富んだリーグになって行けそうで楽しみですね。


現時点での課題はもちろん、

このような「全員発話のコミュニケーション」は選手の消耗、疲労が激しいこと。


ただ、このサッカーの場合は「一人一人が上手く休むこと」とかよりも、

全員で試合をこなしていくうちに、味方の時間帯を大事に、長くすること、

どうしても来る、敵の時間帯に集中を高めることなどを学んでいく方がよいのではないかと、

個人的には思います。


この日の試合は清水が勝ち、天皇杯からの成長ぶりを見せましたが、

内容的には紙一重と言えるものでした。


どちらのサッカー観が上でも下でもない。

どちらにも長所もあれば、欠点もある。


さまざまなサッカー観があり、いろいろなサッカーファンがいて、

いろいろなサッカーがあるからサッカーは面白い。


私は最近つくづくそう思います。


なにしろ、世界で一番たくさんプレイされているスポーツですもんね。


さあ、今日もサッカーの「幅」を楽しもう!



ビジネスでも経営でもサッカーでも、
スキルアップするためには訓練が必要である。

では具体的に、
どのような訓練をすれば大幅なスキルアップが望めるのだろうか?

ビジネスという分野では、
スキルアップに欠かせない重要なポイントがいくつか存在する。

今回はその中のひとつ、
「考える力」について取り上げてみたい。

現代のビジネスマンそして経営者に最も欠けているもの、
それが考える力だと思う。

これからの激動の時代を生き抜いていくためには、
考える力は必要不可欠なのだ。

こういう言い方をすると、
頭のいい人間しか生き残っていけないように感じるかもしれないが、
私の言う「考える力」は学歴や記憶力とはまったく違うものである。


まず、「考える」という行為について考えてみたい。

考えるという行為がまったくできない人はいない。
つまり、誰でも考える力は持っているということだ。

にもかかわらず、
その結果に大きな差がついてしまうのはなぜか?

ほとんどの人は、
その差は生まれ持った頭の良さや、記憶力の差だと勘違いしている。
だが、
頭がいいといわれている高学歴の官僚や政治家といえども、
「お前ら真剣に考えているのか!」と
怒鳴りたくなるシーンはたくさんあるはずだ。

なぜか?

それは、
世に言われている頭の良さと「考える力」が別物だからだ。

「考える」という行為はひとつの言葉でまとめられているが、
その定義は人によってまったく違う。

「考えてみろ」と言われて、考えるという行為をする場合、
ちょっと1~2分考えただけで「考えた」と定義する人もいれば、
1時間くらい真剣に考える人もいる。
さらには
1年2年と答えが出るまで考え続けても、
まだ考えが足りないと感じる人もいるだろう。

「考える」という行動ほど、人によって定義に差があるものはない。
そのうえ
数値化できないので目にも見えない。

だが、
ビジネスという分野で最も大きな差を生み出しているのが
この「考える」という行為なのである。

にもかかわらず、ほとんどのビジネスマンや経営者は
「考える」という行為をまったくといいほど行っていない。

たとえば、新聞を読む、ビジネス書を読む、講演を聴くというような
学習の場において、彼らは考えているのだろうか?

いや、ほとんどの人は考えていない。

ただ単に、知識やノウハウを記憶しているだけである。

歴史の勉強は何のためにするのかといえば、
過去に起こった出来事を未来に活かすためである。
年表や事実だけを記憶したところで何の価値もない。

なぜ起こったのか?どうすれば防げたのか?
どうすれば未来に生かせるのか?

それを考えることにこそ、歴史を学ぶ価値がある。

ビジネスも同じである。

毎朝何紙も新聞を読んで、
ありとあらゆる情報を集めたとしても
それだけでは意味がない。

大事なのは、
集めた知識を頭の中で整理し、
未来に役立つ形に加工して、アウトプットすることである。

電卓は1+1=と入力すれば2と出てくるから価値がある。

1+1=1+1と出てくるような電卓を欲しがる人はいないはずだ。

情報も頭の中を素通りさせてしまうと
何の価値も生み出さないということだ。

考えることが、日々の価値を高めていくのだと思う。


考えるのが苦手という人は多い。


だが、はじめから思考が停止している人間などこの世にはいない。


「何も考えずに行動している」と言われているような人でも、
まったく考えていないというわけではない。


本人なりに精一杯考えて行動しているのである。



では、よく考えていると言われる人と、
まったく考えていないと言われる人の違いはどこにあるのだろうか?


その答えは、思考が停止する瞬間にある。



たとえば、何か行動を起こすときに、
「どうすればうまくいくのか」ということを考えない人はいない。


だが、答えが出ないままに「とりあえず」行動を起こしてしまうのが、
一般的に「何も考えていない」と言われる人たちである。



だが現実的に世の中を見渡してみると、このような人種は滅多にいないことが解かる。


どんなに考えが浅いと言われるような人でも、
どうすればうまくいくのかという「自分なりの答え」をもって
行動を起こしているものである。


にもかかわらず、何も考えていないのに等しい結果しか出せない人が大半だということだ・・・


 

実は、答えが無いままに行動を起こしている人は全体の一割にも満たない。


ほとんどの人は自分なりの答えを持って行動しているのである。


だが残念なことに、その内90%以上の人たちは
「とりあえず」の行動と大して変わらない結果しか出せていない。



その原因は、

日本人の大半がある好ましくない習慣を身に付けていることにあると思うのだ。


小中学校を通して知らず知らずのうちに身に付けてしまった習慣。


それは、答えをひとつ考えると思考が停止してしまう習慣である。



私が小学生の時にはクラスに40人以上の生徒がいた。


教師はできるだけたくさんの生徒に答えさせるために、
一人にひとつずつの質問しかしない。

生徒の側もそのルールがよく分かっている。
その結果、
自分が指名されたときの答えをひとつだけ用意しておく習慣が身についてしまうのだ。


「好きな季節は?」「春」  「行きたい国は?」「イタリア」
「知っている鳥の名前は?」「すずめ」といった具合である・・・
 

 

実は考えるという行為に決まった着地点は存在しない。


ビジネスにおけるほとんどの事柄に決まった答えなど存在しないからだ。



正しい答えを求めるのではなく、
数多くの答えを求めることがビジネスにおいては重要である。


はじめに思いついた答えがベストである可能性はかなり低いからだ。


ひとつの答えが見つかったとしても、さらに良い答えを求めて考え続ける。


そしてもう答えが出なくなったら・・・さらに考え続けるのだ!


もうこれ以上思いつかない、というその先にこそ、本当の答えは存在することが多い。



私は自社の社員に対して、一人の人間に同じ質問を連発することにしている。


「○○君はどういう答えですか?」

「他にはどんな答えが考えられますか?」
「他には?」と5~6回は続ける。



まるでイジメのようだが、
こうでもしないと身についた習慣は、なかなか自分では変えられないと思うのだ。



「思考が停止する瞬間。」


それは、自分の意思ではなく習慣が作り上げているものである。



私は36年間のサッカー生活から、考え続ける習慣を身につけたのだ。

刹那ごとに変わる状況にあわせてポジションを細かく変動させる・・・

相手のFWの位置、ボールの位置、ゴールの位置、味方の位置、各々との距離、

自分達のレベル、相手のレベル・・・・・





そのことを強く意識したとき、人間の脳は再び動き出すのだ。

あなたは、どう思いますか?



クラマーさんは日本サッカーの父と言われ、
釜本・杉山を育て、五輪銅メダル獲得の最功労者です。

クラマーさんは数々の言葉を残しています。

(1)タイムアップの笛は、次の試合へのキックオフの笛である。

(2)サッカーの上達に近道はない。不断の努力だけである。

(3)ボールコントロールは次の部屋に入る鍵だ。
   この鍵さえあれば、サッカーというゲームはなんでもできる。

(4)ボールをもっと可愛がれ。ボールを嫌えばボールも君を嫌う。
   ボールになじみ、ボールから自由になれ。

(5)ガールハントをし、酒を飲み、煙草も吸いながら一流のプレーヤーに
   なろうと思ってもそれは不可能だ。サッカーは心の教育の場である。

(6)せっかくここまで盛り上がったサッカーだ。
   これを栄えさせるか、廃れさせるかは君たちの肩にかかっている。

(7)君は今、たいへんなことをやろうとしている。たいへんなことだから、
   素晴らしいのだ。素晴らしいことをする人間が、くじけてはいけない。

(8)背を向けて去るな。みんな必要な人間なのだ。

(9)試合で勝った者には、友達が集まってくる。新しい友達もできる。
   本当に友人が必要なのは、敗れたときであり敗れたほうである。
   私は、敗れた者を訪れよう。

(10)コックが多すぎると、スープがまずくなる。


○仕事上でも活かせる内容でしょう。