「真実のスキル」について、

 千円札を拾うな!を書いたワイキューブの安田社長は、


「自分独自の経営理論、自分独自の教育論、そして人生論。
 それを追求することにより、

 どんな場面でも正しく判断できる自分軸を作り上げなくてはならない」


と表現し、スキルの判断軸については「年収」を例に挙げています。


確かに、数字で表現されると、とてもわかりやすいし、すんなり理解できます。


しかし、営業職以外の職種の人はどのような基準で
「スキル」を考えればよいのでしょうか?


また、1千万円の年収を貰った事が無い人に

1千万円に値する「スキル」や「業務負荷」は想像出来ないでしょう。


いわゆる「人事畑」「経理畑」と呼ばれる方や公務員など、
「年収」を基準にスキルを考えづらい方はたくさんおられると思います。


30代を迎えてからのキャリアの描き方について、
「年収」というお金以外の価値観、
基準で考えていくには、どうしたら良いのでしょうか・・・


私は、意思決定するための「判断力」と

より高い志を具体化させる為の「想像力」だと思います。

本当のスキルがあるかどうかは、「物事の判断基準」で考えることができます。


人には、その人の性格や生きてきた道などから導きだされた判断基準があります。

いわゆる「ものさし」みたいなものです。


それは個性であり、真似出来るものではありません。


そしてその判断で、

会社の業績を上げることが出来る人と、出来ない人がいるのです。


その判断は必ずしも利益に直結するとは限りません。


すぐに利益に結びつかなくても、
長い目で見たときに会社の業績を上げることになるような場合もあります。


真のスキルがある人間とは、

このような判断が出来る人のことだと思うのです。


ここでいう業績とは売上や利益ではなく、会社への貢献を指します。


営業職でなくても業績を上げることは十分可能なのです。


また、仕事が出来る人は、人並み外れた想像力があります。


人はよく「人事の仕事はこういうものだ」「経理とはこんな仕事だ」と、
仕事内容を自分で勝手に想像し、その仕事をこなそうとします。


自分で描いた想像図以上の仕事が出来るようになることはありません。

イメージ出来ないものに人間はなれないのです。


逆に、最初の想像レベルが非常識に高ければ、

当然仕事のレベルも高くなります。


「経営もブランディングも営業もできる人事担当者」を想像している人は、
一般的な人事担当者にはないスキルがつくでしょう。


ゼネラリストを目指せといっているわけではありません。


スペシャリストを極めると、スペシャリストを超え、
営業職とか人事担当者といった職種は全く関係ない域に入るのです。


私は、どのような部署でも「私の仕事」が出来ると思います。


そうなるためには、自分で枠を決め付けない想像力が必要です。

自分にしかない判断基準と、非常識なほどの想像力があれば、
真似されないスキルが必ず身につきます。


今から何をイメージしよう?


仕事には無限のフィールドがあります。


明日の自分のために・・・




今日から何をしよう?


強豪国から良い評価を得た「日本代表」上川主審の記事がありました。


「日本は一番戦っていなかった」上川主審らが辛口評価


2試合で笛を吹いた上川徹主審(43)と広嶋禎数副審(44)。

世界レベルの戦いを直接目にする2人は、日本代表について

「(出場チームで)一番、戦っていなかった」と辛口に評価した。

上川主審は

「強いチームは汗をかいている」ときっぱり。

日本は、地道にボールを追い掛ける泥臭い部分が欠けていると、映った。


広嶋副審は

「相手ボールにプレスをかけることをさぼったら、

 幾ら技術のある選手がいても勝てない」と指摘した。

技術面では、ボールを奪い取ろうとする場面で、

体格で劣る日本はどうしても反則が多くなる。


上川主審は

「Jリーグの試合でしっかり、反則を指摘していきたい」と

改めて強く思ったといい、

「そうすることで、

 選手には反則なしでボールを奪う技術をさらに磨いて欲しい」

と話した。

4年前の日韓大会にも出場した上川主審は

今回、世界のサッカーは、プレーのスピード化が進んでいると実感した。

「無駄な動きがなくなり、先を考えたプレーをしている。

 強いチームはトラップひとつでも次に連動している」と上川主審。

日本代表が2人の視点から学ぶべき点は数多い。


●なんとなく思っていた事を上川さんが裏付けてくれました。

 やっぱり、そうだよなあ・・・って思ってしまいます。



ジーコジャパンのドイツW杯での「敗因」は、なんだったのか?


私は次の2点に集約されると思う。


●チーム・マネジメント能力の問題     ●自他の戦力を見誤っていた問題


さかのぼれば、

2003コンフェデ杯終了後の「ジーコ監督評価」において、

ジーコ監督のチーム・マネージメント能力に問題があるのでは?

「監督を交代することが望ましいのではないか?」という声が、ちらほらと聞こえてきた。


またその後のドイツW杯1次予選オマーン戦(2004年2月)前には、

「東アジア選手権後のジーコ監督評価」においても、その評価は変わらない、と考えていた。


日本代表監督に就任以前のジーコのプロ監督としてのキャリアは非常に浅い。


ほぼ監督未経験者と言っていいだろう。


さらには、専門教育を受けてきたわけでもない。


サッカーの代表監督が、

どのようにしてチームを作り、運営し、試合のための、大会のための準備をし、

モチベーション・コントロールをしなくてはいけないのか?

「さかつく」どころではないのに・・・

「やったことがない」のだ。


日本代表をつぶさに見ていけば、未経験者のジーコ監督の

その「チーム・マネジメント」の能力が低いことは、誰にも解ることだっただろう。


これまでもたびたび指摘されてきたが、緊張の極度に高まるW杯本大会で、

最悪の形で出てしまったのだ。


それがもっとも大きな敗因だ、と言わざるを得ない。


かつてこれが、非常に悪い形で出たのがアジア1次予選初戦のオマーン戦であったと思う。


ロスタイムに久保の足元に偶然転がったボールでゴールができたものの、

ほぼ引き分けに近いほど苦しんだ、その試合の苦戦の原因を、当時私は次のよう思っていた。



①コンディション調整の失敗


②選手のコンディションを軽視した、強引な選手起用


③コンディションを軽視せざるを得ない、薄い選手層


④戦術を浸透させることではなく、選手間の話し合いに依存する強化法


⑤モチベーション・コントロールの失敗


いかがだろうか、

まるで「今回のW杯の敗北の原因を、見た後に書いている」ようだと思われないだろうか・・・


これらにより、

1次予選初戦のオマーン戦や次のシンガポール戦に苦戦をしたのだが、

これらの失敗をした監督が反省し、改善しようとしない限り、

この失敗が再現する可能性が高いことは容易に想像がついてしまう・・・


まさに、今回はその「ジーコ監督のチーム・マネジメント能力の低さ」が、

改善されず、噴出し「敗北」をしてしまったのだ。



①コンディション調整の失敗


ジーコ監督率いるチームの、

フィジカルコンディション作りの能力はこれまでも疑問が投げかけられてきた。


オマーン戦の、合宿でコンディションを作ったはずの国内組選手が動けなかったこともそうだし、

シンガポール戦での「サウナでの暑熱馴化」による後半の完全なガス欠も忘れられない。


それのみならず、

ドイツW杯ではなんと「W杯は7試合を戦う計算で体を準備した」という。

現実的ではないだろう・・・

ドイツに渡ってからも2部練習を行い、疲労が蓄積していたという・・・


初戦のオーストラリア戦では、ご存知のとおりピッチ上は非常な暑さに見舞われた。


これまでの大会では、日本は暑さに強く、終盤走れている日本が勝利をもぎ取ることがままあった。


しかし、

この試合では、日本選手の足が止まってしまっていた。


それが終盤に多くのシュートを浴び、逆転される一因になったことは間違いないだろう。


【オーストラリア代表MFのクリナの発言】

日本とオーストラリアの違いは何だったか? フィットネスだよ。

フィジカルじゃなくて、フィットネス。

僕たちは3週間完璧に準備してきたから、最後まで走れた。

それに対して、日本はバテバテだったね。


その他の試合でも、中田英選手の求めた「RUN!RUN!RUN!」は実現できなかった。

日本のよさを出すパスサッカーには、全員が動くことが不可欠である。

大会全体の日本の不調は、「コンディション調整の失敗」に多くの原因がある。

それは、「チーム・ジーコ」の責任であることは論を待たないだろう。



②選手のコンディションを軽視した強引な選手起用


ジーコ監督は、オマーン戦でも、ドイツW杯でも、風邪を引き39度の熱があったという、

ある選手を先発させている。


私にはまったく理解できないことだ。


試合を見ればだれにも一目瞭然、熱があれば動けなく、

その持てる技術を決定的な局面で発揮することはできない。


あたりまえのことだ。


また、長い怪我から回復したばかりで試合勘がいまひとつの選手、

所属チームで1シーズンあまり試合に出ていない選手などの強行起用も、

どちらの試合でも共通することだ。


これは

「ジーコ監督が選手の中に『序列』を決めているから起こること」だとは、

この4年で私たちにもよく理解されてきたことである。


ジーコ監督は「熱のある『クラッキ(名手)』のほうが、

平熱の普通の選手よりも上だ」という信念を持っているのだろう。


私はそれを全面的には否定しない。


この4年でその信念が日本を勝たせてきたこともあると思う。

しかし

緊張が極端に高まり、敵のレベルも上がり、敵もこちらをしっかりと研究してくるこのW杯では、

それは発揮できなかった。


コンディション調整の失敗のみならず、動けるわけがない選手をも強引に投入する。

それでは日本らしいパスサッカーができるわけがないではないか。



③コンディションを軽視せざるをえない薄い選手層


④戦術を浸透させることではなく、選手間の話し合いに依存する強化法


「薄い」と言うのは正確ではないだろう。


しかし、

では仮に熱のある俊輔を外すとして、そこに誰を入れるか想像がつくだろうか?


同じポジションの選手としては小笠原がいる。


彼も非常によい、日本を代表するMFであることは疑いないが、

初戦オーストラリア戦、3-5-2の一人のトップ下に彼が入って戦うことを、私は想像できない。


実際はそうせざるを得ないだろうが、

そうすると、これまでの合宿での話し合いで作られた約束事は継承されず、

かなり戻ったところから始めなくてはならないだろう・・・


これは選手層というよりも、

④の「戦術を浸透させることではなく、選手間の話し合いに依存する強化法」によるものだ。


話し合いで決まった約束事のうち、サブの選手にまで浸透しているものは少ない。


練習でもレギュラーとサブは明確に区別され、話し合いにも入らなかったようだ・・・


そうなると、他の選手を出したときに、

茂庭のように

「DFラインの上げ下げとか、どうしていいのか分からなかった」という選手が出てしまうのだ。


チーム作りに4年をかけていながら、現状では「誰が出ても大丈夫」とは言えない状態だったのだ。


駒野にしても、オーストラリア戦の小野にしても、

ブラジル戦で途中から投入された中田浩二選手にしてもそうだろう。


小野や中田浩は、ずいぶんと自分の位置取りに苦慮していたように見えた。


この強化法は、

「途中で投入される選手は、周りと合わせた経験が少ない」ということにつながる。


それは当然のことだ。


途中投入選手は「レギュラー組」で練習していないのだから・・・

レベルの高い試合ではそこが問題になった。


強化の開始時点ではレギュラー同士での話し合いに手一杯で、

それができると今度は、話し合いの約束事を理解している選手が限定され、選手を代え難くなる。


「誰が出てもある程度は機能するように戦術が浸透し、コンディションしだいで起用する」ということは、

まったくできなかったのだろう。


ジーコ監督の中の「序列」以外にも、

コンディションを軽視して選手を出さざるを得ない理由があったわけだ。

そしてそれが、試合内容の低調さにつながっていく。


関連して、この大会で残念だったのが、途中投入選手があまり機能しなかったことである。


「リードされたときに投入して1点を奪いにいく選手(ジョーカー)」と、

「リードしたときに投入して、逃げ切るための選手(クローザー)」。


どちらのケースも想定して、必要な選手の選定を済ませ(それもできれば複数のタイプ)、

親善試合の同じようなケースで投入して効果を試しておく。


それが大会へ臨むチーム・マネジメントとして当然必要なことだろう・・・


ジーコ監督はジョーカーとしては、

アジア最終予選で途中投入し得点を挙げた大黒を主として考えていたようだ。


もう一つは、試合途中での3バックか4バックへの変更だろう。


確かにこれまで、何度か機能してきたやりかたではある。

ただ、この大会ではどちらもあまり機能しなかった。


大黒の調子もあるが、

最近の合宿でレギュラーチームと大黒がどこまであわせることができていたのか、疑問が残る。


より深刻な問題は「クローザー」のほうだろう。


オーストラリア戦では1点リードの局面での小野の投入により、

攻めるのか、守るのかがあいまいになり、敗れた。


ただしこれは、守備的な選手を入れてのいわゆる「守備固め」をするべきだった、ということではない。


もちろんそうしてもいいが、それだけではない。

試合終盤を締めるやり方がいろいろあるのは、ワールドカップドイツ大会を見ていればわかるだろう。


オーストラリア戦を例に取れば、

あの試合終盤に「今野」をボランチの位置に入れれば効果は劇的だっただろう。


あるいは、

フレッシュなFWや走れるMFを入れて「ロングボールの出どころつぶし」「前線でのボールキープ」を行うか。


巻はまさにそれにうってつけの人材だったのだが・・・。


準々決勝でブラジル代表に1点リードしたフランスは、MFとFWを3人入れ替えた。

2002年のロシア戦ではゴン中山が投入され、最前線でプレッシャーをかけまくった。

別に特筆すべき采配というわけではない。


セオリーなのだ。


ジーコ監督は、「ジョーカー」としては大黒に信頼を寄せていたようだが、

「クローザー」のほうは充実させようという考え方自体を持っていなかったように見える。


それは哲学なのかもしれないが、

この大会ではそこがクローズアップされ、結果につながってしまった。


途中投入について、もっと多岐に考え、準備しておくことが必要だったと言えるだろう。



⑤モチベーション・コントロールの失敗


すでに各所で明らかにされつつあるが、このチームは本当に「戦う集団」になっていたのかどうか?

オマーン戦の時から指摘しているように、

ジーコ監督の「チーム内にヒエラルキーを作る」「一部選手に重過ぎる信頼を置く」というやり方は、

チームのモチベーション・コントロールにとっては下策である。


サブが腐る、ということだけではなく、

レギュラーに固定された選手たちも「下手なことをして外されるのは馬鹿」だと感じ、

チャレンジしなくなってしまう。


チーム内部のことは、われわれサポーターにはうかがい知れないことであるので、

あまりここを声高に責めても仕方がないことではあり、

これからまた各種報道でそれが明らかにされることを待つしかない。


現在明らかにされているところでは、

中田英選手の発案による決起集会、そこでの寄せ書きには16人分の署名しかなかったと言う。


チーム内の亀裂を想像させるエピソードだ。


私は基本的には中田英選手が好きなのだが、

この問題に関しては「中田が正しく、他が間違っている」というつもりはない。


やはり中田は言い方がきつすぎるし、

他の選手にしても「なぜ同じ選手にここまで言われなければならないのか」と感じることもあっただろう。

かといって中田が悪いと言うわけでもない。


この問題はジーコ監督の「一部選手に重過ぎる信頼を置く」ことから発生しているからだ。


また、

中田選手を重用するならば、彼が他の選手に溶け込みやすいように、

チームのメンタル環境を用意しておくこともできた。


思い起こせば2002年には、松田選手や森岡選手など、

中田に対してものを言える選手も多くいたうえに、

トルシェ監督は直前にゴン中山選手や秋田選手を呼んでいる。


当時は「ベンチの盛り上げ要員など不要」と言われたが、

この大会を見ると「盛り上げ要員」などではなく、チームのメンタルの重心として、

まさに彼らが必要だったのだ、と理解されるのではないか。


ジーコジャパンで言えば、

予選の途中でまとめ役を買って出ていたのは年長の藤田や三浦アツだったと伝え聞く。


彼らは所属チームでの調子もあるが、結局本大会の23人には選ばれなかった。


ジーコ監督は、そういう「チームのメンタル的な側面」を理解、重視して選手選考を行ったようには見えない。


妙に年齢の近い、タイプの近い選手が集まってしまった。


結果として、チームは一つにならず、

あの一人倒れ涙する中田英選手の姿、

そこに宮本しか歩み寄らないチームの姿に繋がって行く(ように見える)。


私は、ジーコ監督の「選手にヒエラルキーをつくり『家族』としていくチーム・マネジメント」にも、

いいところがあると思ってきた。


選手が「そこまで信頼してくれるのなら」と力を発揮したり、

「家族としてのまとまり」が、危機に際してモチベーションをあげる役割を果たし、

それが試合終盤での粘り、ロスタイムのゴールなどに繋がっている可能性もあると思ってきた。


アジアカップをとれたのはそのためだと思ってきた。


しかし、

残念ながらこの大会ではそれは発揮されなかった。


この大会でのジーコ監督のモチベーション・コントロールは失敗した、と言うしかない。

それが敗因の中で、どれだけのウェイトを占めるかはわからない。


ただ、ドイツW杯のほかの試合を見ていると、選手の「闘う姿勢」において、

日本代表は負けていると感じられてならない(これは個人的な感想であるが)。


ブラジルに試合で負けるのは、ある意味仕方がないことだ。


しかし、

最後まで全力を尽くして喰らいついていった、からだを張って、魂の限り闘った。

はたしてブラジル戦は、そういう負けだっただろうか?


そういう姿が、ドイツW杯という本番の舞台で見られなかったこと。

それが日本中にこれほどの脱力を起こしている理由なのではないか、と思う。


残念だ。


残念で仕方がない。



次期日本代表監督に就任が内定しているイビチャ・オシム氏(65)が5日、

J1千葉の飛騨古川合宿を離れ、千葉県内の自宅に帰宅した。


午前練習には姿を現さず、

昼食時に宿舎で選手1人1人の名前を呼んで全員と握手。


3年半指揮を執った千葉に事実上の別れを告げた。


感傷的なスピーチはなかったが、1人1人に声をかけた。


選手会長のMF坂本には英語で「これからも全力を尽くせ」。


FW巻には「チャオ」。


照れもあったのだろうが、

3年半の付き合いから短い言葉で十分に気持ちは伝わった。


 千葉の選手と初対面した03年の韓国合宿でも、訓示を拒否し、

無言で机を2回ノックして回る“幸運の儀式”をしただけで終わった。


今度は握手。

「スキンシップですね。うれしい。3年半戦った仲間だからかな」。

MF佐藤勇は言った。


 6日の千葉の練習試合(甲府戦)も視察予定だが、立場は変わる。


MF坂本は「もう代表監督。僕らも切り替えないと」。


FW巻は「指導してもらうチャンスはまだある」。


MF阿部は「監督がいなくなって弱くなるわけにはいかない」が全員の気持ちだ。


オシム監督と千葉が、新たなスタートを切る。

こういうのに弱いんだよねえ・・・


オシムには、昨朝・今朝観た様な、地力に根ざしたチームを創って欲しいと思います。




う~ん、辞めちゃうんじゃないかなあ・・・と、ブラジル戦の後の佇まいに漠然と感じていましたが・・・


残念 残念 残念  と~っても残念。


オシムさんも残念に思っているでしょう。


さて、ブラジルの敗戦は、会社の皆が「エッ」と思ったようで、


「サッカーは名前でやるんじゃないの!」と言ってやりました。


当日の朝4時から観ていた人に、フランスの勝利は必然で、一目瞭然だったでしょう。


・なぜ?1トップで臨んだのか?


・中盤を増やしたのであれば、なぜジダンにマンマークをつけなかったのか?


・フランスの大きなCBに対しては、ロビーニョ+αの2トップが有効であったろう・・・


・失点場面でブラジルDFの意思不統一→アンリが、どフリー???


まるでジーコジャパンのようでした・・・


●采配はクールに・・・ ピッチではファイトを!  まだ代表ショックが・・・ふ~



錦糸町から歩いて10分チョイ。


押上げからなら5分ぐらいかな・・・


真新しいジムに伺いました。



先ずは、

タイロープ(縄跳び)~ストレッチ。


構えを習って、ジャブ~ワンツー。


乗ってきたぞ~。


いよいよリングに上がって、ミット打ち&交代でサンドバッグ。


残念ながら時間が押して、キックは次回に持ち越しました。


最後は、ストレッチ&腹筋で締めて、イザ!ビール!!!


イイ感じです。



http://blog.struggle06.com/?month=200606


■2005年10月16日 UNITED フクアリオープン特別号「サッカーは宗教、スタジアムは教会だ」より1


日本は裕福な国だし、逆に貧しい国もある。


しかし、環境の違いはあっても、スタジアムに来れば自分が大声を出して熱狂できるものがある。


特に、近代サッカーというものは自分の生活の次に大事な要素になりつつある。 


だからこそ監督やスタッフ、スポンサー、そして観客と、


チームにかかわっている人間が一体にならなければならない。


そういう意味で私にとってはサッカーが宗教であり、スタジアムが教会なのかもしれない。


世界中に有名な教会があって人々がそこに集まるけれど、


その数よりも有名なスタジアムのほうが知られているんじゃないだろうか。



■2005年10月16日 UNITED フクアリオープン特別号「サッカーは宗教、スタジアムは教会だ」より2


サポーターの皆さんに分かってほしいのは、


サッカーというのは人生と同じであって、


必ずしも自分の思った方向に物事が動くとはかぎらない。


勝つこともあれば負けることもあるのだ。


勝ちだけを望むサポーターであってほしくない。


このフクアリで、ジェフの新しい文化が生まれることを期待している。






■2005年9月6日 週刊サッカーマガジン1043(9/20)号 「逆転 名将が語るメンタリティ」より1


でも実際に選手が何かを学ぶなら、


勝ったときより負けたとき、敗北から学ぶことが本当に大きい。


勝つことからは学べないことがある。


ここ何試合かいい試合をしていたが、負けから学ぶことがある。



■2005年9月6日 週刊サッカーマガジン1043(9/20)号 「逆転 名将が語るメンタリティ」より2


ジェフの監督になって3年目だが、それまで中位で甘んじてきたチーム。


それなら下で降格争いをしたり、2部に落ちていた方が、


自分たちがやるべきだという気持ちになっていたかもしれない。


ちょっとしたことで満足してしまうというメンタリティーがある。


中間順位で上でもなく、下でもなく、穏やかな人生で、それにはまっている選手が多い。


この市原という町もそうです。


6位で上に行こうとしていて、ナビスコでも準決勝に進んでいるのに観客は3000人。


チームも環境も、この町にJリーグのチームがあることで満足している。


それじゃ意味がない。


私はそれじゃ満足できない。


何を成し遂げるかが大事で、チームの挑戦が大事なんです。


だれか有名な選手がいるとか、そういうことではなく、


成し遂げようという勇気を選手も、町の人も持たないと。


何度もチャンスがあるのに、そこで誰かがやろうとする、


お金を投入するとか、何かをやらないと成し遂げられない。


ただ周りは、選手はプレミアをもらっていい車に乗って満足していたり、


私は個人的に何かを成し遂げたいと奮闘しているが、ついてくる環境が周りにない。



■2005年9月6日 週刊サッカーマガジン1043(9/20)号 「逆転 名将が語るメンタリティ」より3


人間というのは本質的に一般階級から抜け出したい、


上に行きたい、という気持ちがある。


それを実現しかけているのだから、その分もっとやってやろうという気持ちがあって当然だ。


それがいまいる立場を「逆転」することでもある。


試合に負けた後、ロッカーに戻ると、みんな帰る準備をしていて、


誰も言い合ったり、負けたことに対して話し合う人間がいない。


結局監督が言うしかない。


誰かがミスした人間に文句を言うとか、そういうことがまったくない。


オレは負けたときは寝られないし、買い物に行ったりなんかできない!


オレはこのチームを一つ上に上げるためにやっている、


それをやっている選手がついてこなければしょうがない。



■2005年9月6日 週刊サッカーマガジン1043(9/20)号 「逆転 名将が語るメンタリティ」より4


メンタリティーというものは、勝った、負けたで、落ちたり上がっていくようじゃダメ。


自分がずっと暮らしていく、毎日戦っていく中で、いつも持ち続けていなければいけない。