STRUGGLE(ストラッグル)とは


「困難に向かう」


「一生懸命になる」


などの意味合いの英語です。


ロゴのダイヤモンドには一人一人が自分を磨き、

輝ける場にしたいという気持ちを込めました。


キックボクシングを通じ、

一人一人が、

それぞれの目的に応じて楽しく頑張ることができる、
そんな空間を目指しています。

Struggle to ”be shine”


鈴木秀明

http://www.struggle06.com/gym.php



プラウドの統括部 大須田君のお友達がキックボクシングのジムを開きました。

出来立てのジムは、想像以上にキレイで社員皆が「にわかボクサー」に変身です。


今晩は、7~8人ぐらい行くようので、皆の華麗?なステップをUPしましょう!



■2004年5月4日 週刊サッカーマガジン5/18号(973)コーチングイズマイライフより①

また、代表の監督をやりたいかって?

思ってやれることじゃない。

クロアチア、ボスニアからオファーはあったがやりたくはなかった。

日本?もしもの話は好きじゃない。

現実にそういう話があるわけじゃないし、他の人がやっているときに、そういう話は好きじゃない。

(中略)選ばれれば誇りに思うだろうが、クラブの監督の方が好きだし、

(日本代表監督が)素晴らしいことでも自分になにができるかということも重要。

違う国の代表監督をやるのは簡単じゃない。

通訳を通してサッカー的なことは伝えることができるが、

細かいコミュニケーションをとることができない。


■2004年5月4日 週刊サッカーマガジン5/18号(973)コーチングイズマイライフより②

監督を辞めたいと思ったこともある。

うまくいかなかったとき、がっかりしたときなど、よく考える。

クラブとのかかわり合い、選手とのかかわり合いで問題が生まれることもある。

大変なシチュエーションに陥ることもある。

選手が動かなかったり、やる気を見せなかったり。

でも2、3日考えて、別の仕事をしようかと思っても、

これ以上いい仕事はない、ということでまた始まる。


■2004年5月4日 週刊サッカーマガジン5/18号(973)コーチングイズマイライフより③

私の人生にサッカーは欠かせない、

だから昨日も試合(チャンピオンズリーグ準決勝)を見ていたし、サッカーを選んだ。

人生において結婚もしたし、子供もできた。

数学の教師になる道もあったが、サッカーがあって、今がある。

友人にはサッカーはサッカー、プライベートはプライベートと分けている人もいるけど、

私にとってはプライベートもサッカー。

お金ができて家内と旅行に行っても、結局サッカーを見に行ってしまう。

でもそれが私の選んだ人生だし、

いい人生だと思っている。



ある意味、本当のサッカー馬鹿で、愛すべき賢者だと思います。

「オシムの言葉」は売れているようですが、電車で読むとヤバイです。

オシムの日本代表監督就任を祈念します。



川淵キャプテンは辞任すべきである・・・


ジーコと共に臨んだ日本代表のドイツW杯は失敗に終わった。


川淵キャプテンは、責任を取って辞任すべきである。


「キャプテンは、代表の仕事だけを見ているわけではない。

 代表の成績で会長が辞任するという悪しき前例は作らない」


という理屈は一見もっともだが、今回は、まったくあてはまらないと思う。


なぜならば、

4年前ジーコ監督に決定する際、川淵キャプテンは独断でそれを決定しているからだ。


すでにきちんとある組織的手続きを踏まずに、独断で決定したからには、

その責任も一人で負うのが当然と言うべきだろう。


これまでの日本代表史上で、最高レベルの能力、経験を持った選手たちでの、

2得点7失点、2敗1分けという結果はあきらかな「失敗」である。


その原因は主にジーコ監督の能力にあり、

彼を独断で監督に据えた川淵キャプテンの責任は、

免れるものではないと思うのだ。


専横で行ったその決定の責任をとる手段はただ一つ、

辞任でしかありえないと思うのだが・・・どうだろう。


重要なのは、技術委員会があげていたフランス系の監督のリストをくつがえし、

「そこにないジーコ」を加えるように命じた、という部分だ。



ちょっと考えれば誰にでもわかることだが、

リストアップされたフランス系監督と、ジーコとではその哲学、志向するサッカーがまったく違う。


フランス系監督は、個人で差こそあれ、基本的には組織だったサッカーを志向している。


これに対し、

ジーコ監督に決定後は、川淵キャプテンは、ことあるごとに、

「戦術で縛らない、自由なサッカーをすべきだ」と発言している。


それは、

ジーコ路線を川淵キャプテンが強力に推進しているということに他ならない。


これは何を意味するのか?


技術委員会のリストアップしたフランス系監督候補を川淵キャプテンが「否定し」「覆し」、

キャプテンの考える条件にそって

「そこにはなかった」「それらとは方向性の違う」ジーコを選んだ、ということである。


これを独断と言わなくて何と言えばいいのだろう・・・


それなりに分析され、立案された方針と違う方向に、

【キャプテンのひと言】ですべてが変わってしまったのだ。


その成果であるドイツW杯の結果が、「惨敗→失敗」である。


責任は誰にあるのか?明白でしょう・・・



さらに許せないのが、

この「ドイツW杯の総括のための記者会見」において、

ほぼ意図的に(と私は推測せざるをえない・・・)

「ドイツW杯の失敗」から目をそらさせるために、

次の監督候補としてのオシム氏をリークする、というそのやり方である。


スポーツ紙全般の論調は明らかに「次へ」、「今後は」、にシフトしている。


どんな仕事でも、「評価され」、「問題を反省し」、「改善され」、PDCAを廻していくものだろう、

つらくとも、総括~分析・検証を経てこそ、失敗を踏み越えられるのではないだろうか?


目先を逸らして、批判を避ける為に「モラルを無視する川渕氏」に

私たちが愛する「日本のサッカー」や「日本代表」を委ねていいのだろうか???



そして今更ながらに、

選手の「個」の能力の低さということが、発言されているが、それはおかしい。


「個」の能力が十分に高く、トルコにも勝てたはずであるから、

これからは戦術にしばられずに自由を、というのが

ジーコ監督擁立時の考え方だったのではないのか?


私たちから言えば、

「個」の能力が(少なくともブラジルに比べて)足りないのは、最初からわかりきったことであり、

であるからこそ、戦術や組織だったサッカーが必要だと言ってきたのだ。

それをあえて捨て去った上で、

さらにまた「個」の能力が低いと口にするとは、何という欺瞞だろう・・・

4年前は、見込み違いでしたというのだろうか?


選手自身が失敗を恐れずに思い切ってトライする初めての大会だったが、

残念ながら成果には表れなかった。


当然分かっていたことだが、組織だけで勝ち切るのは限界があって、

個の力を高めた上での組織力が、W杯を勝ち抜くためには絶対に必要不可欠なものであると、

明確な形で見せ付けられた大会だったと思う。


もちろん組織だけで勝ちきるのにはどこかに限界があるのだろうが、

ジーコジャパンは、多くの点で、大会32カ国のチームの中でも組織力が低いほうだろう。

それはそうだ、

戦術であえてしばらない、選手の組み合わせが変わって急造4バックになっても、

戦術練習もしないでブラジル戦に臨むチームなのだから・・・


そのチームの限界は

「真剣勝負に組織を整備せずに裸で当たるのは間違っている」という

ごく当たり前の結論を示しただけだ。


「個の力を高めた上での組織力」が必要という言葉自体にはまったく賛成である。


「A代表」という考え方自体が、そういうものだからだ。


しかし、

「個」の力を高めるのは代表監督の仕事ではない。

だいたいジーコ監督が「個」の力を伸ばした選手などいるだろうか?

それはあくまでも育成と、各クラブにおける日々の練習で行うことであって、

代表監督はその上での「組織力」を高めることが重要な仕事なのだ。

その点において、ジーコ監督の能力が高いとは言えなかったことは論を待たないだろう・・・


3戦終了から今日までの間に燻っていた「なぜ?」「どうして?」を整理するにあたって

「解っていたはずの結論」は、

「ジーコは偉大な選手だったが、偉大な監督ではない」という事だ。


 もう一度言うが、ドイツW杯における「失敗」は、

 残念ながら、

 ジーコ監督の能力の低さによる部分が非常に大きいと言わざるをえない。


ジーコジャパンの組織上の問題点として目立つだけでも、


「敵が研究して、しっかりプレスをかけてくるとパス回しからの攻撃ができない」

(オーストラリア戦)


「DFラインの規律が選手任せなため、ラインが押し上げられず、引いた守備になってしまう」

(アジアカップ、オーストラリア戦、ブラジル戦)


「DFラインが下がり、前線でのプレスも未整備なため、ロングボール攻撃に弱い」

(オーストラリア戦)


「前線からDFラインまでの距離が伸びきってしまうため、中盤のカバーする範囲が広くなり、疲弊する」

(ドイツ3戦とも)


「DFラインが下がり、中盤ので役割分担が不明確なため、バイタルエリアが空き、利用されてしまう」

(オーストラリア戦、ブラジル戦・・・特にミドルシュートのシーン)


などなどが、ドイツ大会はるか以前より指摘されてきたジーコジャパンの組織上の問題点である。


これらは

すべて本番たるワールドカップでも改善されず、そこを突かれ敗北をしているのだ。


「個の力を高めた上での組織力が、(W杯を)勝ち抜くためには絶対に必要不可欠なものである」

であるならば、

この監督に任せてはならなかっただろう・・・


その失敗は、ジーコ体制を強力に推し進め、

反対意見を圧殺してきた川淵キャプテンが責任を負うべきであるのは当然ではないだろうか?


このほかにもジーコ監督には、

サブの充実や次世代をつなぐなどを含めたチーム・マネジメントの問題、

非常に重要な初戦に臨むゲームプランの欠如という問題、

選手を戦う集団にするモチベーション・コントロールの問題、

コンディションを重視して選考、起用を行えない問題、

そしていわゆる「采配」、選手交代の問題などがあり、

それらもすべてこの大会で露呈し、日本の敗戦の要因として列挙できる。



ブラジル戦直後の川淵キャプテンの談話~


「みなさんの期待に応えられず、僕も残念だ。

 ジーコと何分か話したけど、ジーコは自分が教えられることは全て伝えたと言っていた。」


その通りだろう。


ジーコは教えられることはすべて教えたのだろう。


しかし、

監督としての専門教育を受けておらず、

監督としての経験も非常に浅いジーコ監督が教えられることは、

非常に限られていたということなのだ。


または、

「口で言うだけで(本番で)選手に実践させることができなかった」のだ。


教育者なら「教えたけど理解してもらえなかった」ですむが、サッカーの監督は違う。


「教える」事が大事なのではなく、選手を動かして「結果を出す」ことがミッションなのだ。

プロフェッショナルというものは、そういうことではないのか???


ジーコ監督はそれに失敗した。


それはしかたがない・・・監督初心者なのだから。


最大の問題、責任は、

そのような「監督未経験者」を、自分の好みにより、日本代表監督に据えた人物にあるはずだ。



もちろん、川淵キャプテンだ。


彼は今回の失敗の責任を取って辞任すべきである。



今更、オシム監督を登用したからといって、その責は逃れられないだろう。



川淵キャプテンの日本サッカーに対する貢献は非常に大きいと思う。

その部分は素直に認めるし、尊敬する。


だからこそ、

これ以上、自分の晩節を汚すのは止められたら如何ですか?と思うのだ。


W杯が進むにつれ、

熱戦の多くが「サッカー愛」というか「ナショナリズム」みたいな気持ちを刺激する。


日本代表は、メキシコのように戦えたはず・・・



せめて、オシムがその「腕」を思い切り揮えるようにしたいと望みます。






昔、アディダスのCMでモハメッド・アリが言っていたコピーです。

 


「不可能」とは、

自分の力で世界を切り拓く事を放棄した、

臆病者の言葉だ。


 

「不可能」とは、

現状に甘んじるための言い訳にしかすぎない。


 

「不可能」とは、

事実ですらなく、単なる先入観だ。


 

「不可能」とは、

誰かに決め付けられる事ではない。


 

「不可能」とは、可能性だ。


 

「不可能」なんて、ありえない・・・



可能性に満ちた「日本代表」が少しの「何か」でどん底に落ちてしまった・・・

しかし、

大事なのはつまずいた時に

自力で起ちあがるか、他人のせいにするかだ。



負けてしまった。


ブラジルに負けてしまったというより、「W杯」に負けてしまった。


目標の16強進出はならなかった。

残念だ。


この選手層なら、16強にいけるはず・・・

それどころか、

この大会で非常に魅力的なサッカーを見せてくれるはず、と思っていた。

それがならなかった。

残念だ。


それはともかく、関係者のみなさんにはほんとうにお疲れさまといいたい。

今はまだ敗戦の悔しさでまんじりともできないかもしれないが、とにかく体を休めて欲しい。

ホームであれアウェーであれ、家庭から離れての1ヶ月に及ぶ合宿生活、

それも日本中からの期待というプレッシャーにさらされたそれは、ものすごいストレスだ。

選手は炎天下の2試合を含む3つの戦いをこなし、

スタッフもおそらく不眠不休に近いサポートをしてきたことと思う。

とにかくお疲れさま、そしてゆっくり休んでください。



ブラジル戦の立ち上がりはいい感じだった。


昨年のコンフェデ杯の後半から顕在化した、

「下がり過ぎないで我慢するDFラインと、その前方でじっくりと網を張るMF」

というカタチができていた。


4バック4ボランチに近いような守備の形で、

しかも敵にボールが入ればすばやくチェックに行き自由にさせない。

特に稲本と中田ヒデの「プレミアセンターハーフコンビ」は強力で、何度もボールを奪っていた。


もちろん敵はブラジルだし、こちらのセンターバックは久しぶりに組むコンビ。

何度かペナルティエリア内に進入されるチャンスもあったが、

そこは「いつものように神憑った(?)」川口が素晴らしいセーブを見せる。

このまま推移すれば敵はあせり始めるだろう・・・

日本のチャンスも出てくるに違いない、と思えた。

その時は・・・


実際、コンパクトな布陣で奪えば、敵はラインを上げてきているので広大なスペースがあり、

稲本、ヒデ、小笠原、中村と、誰が持っても決定的なラストパスが出そうな面子でもあり、

また運動量豊富な玉田、巻というFWでもあり、決定期はいくつか作れた。

そして、稲本→三都主→玉田という華麗な得点!

ここまでは素晴らしい、16強の座がその先に朧に見えるような気がした瞬間だった。

その時は・・・



ブラジルは、真ん中を地上戦で突破するのが無理と悟ると、

とりあえずその外をおおきくパスを回し始めた。


そうしてDFラインを広げておいてクロス、

ファーの選手が落としたところを真ん中のロナウドが得点してしまう。

この

「クロスをファーの選手が落として真ん中で(あるいは逆サイドで)シュート」

というのはセオリーだ。

トルシェ前監督もセットプレーでよく使っていたし、欧州のリーグ戦でもよく見る。

マークがずれやすく、ボールウォッチャーになりやすいのだ。

急造コンビ、統率役がいないことを見抜かれていたのだろうか?


ここでブラジルの特徴について少し触れておくと、

「誰も難しいことをしない」ということが上げられると思う(ロナウジーニョは別)。

誰もボールをこねず、

パスはほとんどダイレクトか1タッチ、

それもパスを受けやすいところに移動してきた選手にパッと渡すだけ。

ドリブルの時も必ず2人目の選手がそばを走るため、詰められればそちらにわたせばよい。

ロングボールも、すぐそばにフォローの選手が来るために、ダイレクトで彼に落とすだけ。


これらをするための、

ほんのちょっとの「献身」「ボールを持っていないときの動き」が、

ブラジル選手は抜群にうまかった。


「走るサッカー」というイメージから程遠い彼らも、

ボールが移動するたびに5メートル、時には1メートルでも、スッ、スッ、と移動するのだ。

これによって、パスコースが複数できて、その間をパスを通していけるのだ。


実際、シニアにあたる私たちのサッカーでもうまい奴は、チョット動いてアングル(角度)を創る。

それを実際に見事にやっていたのがこの日のブラジルだったと言えると思う。

ひるがえって後半の日本選手は、

ボールを持ってからどこに出そうか考え、

その間は回りの選手もあまり動き出さないサッカーになってしまっていた。

それがあの多数のパスミスにつながっているのだと思う。



後半から、ブラジルはDFラインをわざと下げてしまった。

そして、

もしかすると日本をおびき寄せていたのかも、と思えるほどに

日本が攻撃している時に日本陣内にスペースを作らせ、そこをスピーディーに突いてくる。

これはピンチが増えそうだと思った矢先、次のゴールが決まってしまう。

ジュニーニョが中盤でボールを持ち、ミドルシュート。

この大会で何度も見たあのカタチだ。

バイタルエリアでは絶対にフリーで持たせたらいけないのだが・・・寄せもフッと間が空いてしまった。

一瞬の気の緩みが、日本を絶望の渕へ落とし込んでしまう。

このブラジルから、あと3点とって勝利?・・・気持ちが折れてしまったのかもしれない・・・


この時、ジーコ監督は「もっと攻めないと」と思ったのだろうか?

小笠原選手に代えて中田浩二選手を投入、中田英を一列前にあげ、中村と並べトップ下とする。

しかしこれは私には怖かった。

前半のソリッドさを演出していた「プレミアセンターハーフコンビ」の一角を崩していいのだろうか?

しかも、

このカタチで練習した、あるいは試合したことがこの大会に入りほとんどないのに?


はたして、

中田浩二はどこにポジショニングしていいか、

あるいは奪ったボールをどこに出していいかわからずにいるようだった。


無理もないと思う・・・


そしてやはり中盤がルーズになって、ロナウジーニョ→ジウベルトでゴール。


もう日本は総攻撃に出るしか仕方がない。


15分巻に代えて高原投入、高原が痛んで大黒投入、

しかし、

時間が経つごとに点を取れる気配が薄れていく。


前半のようには敵がスペースを与えてくれない。


敵の前でボールを動かすだけなのだが、ボールホルダー以外が動かなくなっていく。


途中投入の大黒が動き出すのだが、ボールホルダーとタイミングが合わない。


ブラジルが動かなくなり、

ただパスを回すだけになる(これをオーストラリア戦でやれていたら)。


そして最後は、ロナウドが反転してシュート。


川口の神通力も、20本のシュートは防ぎきれなかった。


振り返ってみて、今更ながらに悔しい。


もう、ただひたすらに悔しい。


今の日本代表にとって、今回のW杯は、こんな結果ではなかったはず・・・



選手たちは真ん中で倒れた。


ヒデが倒れていた。


まだ立ち上がらない。


今日も、最後まであきらめずに誰よりも走っていたのは君だったよ。


もしかすると、これでヒデは代表引退をしないかもしれないな、と思った。


彼にとっても、これが何度目かの始まりになるのじゃないか。


なって欲しい。





これから、もちろんジーコ監督を含めたこの4年間の検証がなされるだろう。


さまざまな切り口からのそれがあることだろうと思うが、

私がひとつ大きく気になっているのは、

ジーコ監督の「功罪」のうちの「功」の部分があったとして、

その恩恵を受けられた選手が非常に少ないということだ。


自主性の開花でもいい、攻撃力のアップでもいい、勝者のメンタリティでもいい。

そのどれであれ、これまでの4年間で中心として起用してきた選手は非常に少なく、

彼らにしか伝授されていないものが、今後受け継がれていく可能性は少ない。

しかも、

この大会に若手も連れてきていない。(これだけは納得出来ない。)


次代へ受け継ぐものが非常に、非常に少ない。


そこが問題だと思う。


そして、

そういう状態であるならば、この大会で求められるものは「結果」だけであったはずだ。

結果を出す為に、総てを納得し、気持ちの折り合いをつけて、代表を批判せず応援したのだ。


果たして結果は、2敗1分け、2得点7失点、グループ最下位・・・ということに終わった。


これが「黄金世代」の結実かと思うと、さびしすぎる。


これは「敗戦」だろう。


そして我々に残されたものは、焼け焦げた大地だけ。


しかし、しかし大地はある。


大地は残っているのだ。


我々には、

この10年でたくましさを増したJリーグをはじめとする日本サッカーの土台がある。


我々がサッカーを始めた頃(35年前)と見比べて、格段の進歩を遂げている。



サッカーは終わらない。



次期日本代表監督ならびに協会関係者の「誇り」に期待します。


夕方になっても、溜息がでます。


この悔しさを一人でも多くの日本人に刻み込んで欲しい。


冷静な分析は、まだ出来ません。


ただひたすら悔しい・・・


ただ、ただひたすらに悔しい・・・


同じピッチの上でコテンパンにやられて・・・


初戦の8分間のツケを払い続けた「日本代表」・・・


今は、つかの間の休息と悔しさを噛み締めて、「誇り」を取り戻せ!




トヨタのCMですが、ミスチルの音楽をバックに心の琴線に触れるものがあります。


このコピー、いい感じじゃないですか?


http://web-cache.stream.ne.jp/www11/tobira/8/main.html


最新は横峰さくらバージョンです。





明朝のブラジル戦。


日本の「誇り」を満たしてくれる事を願います。


http://www.nakata.net/jp/hidesmail/hml277.htm


ヒデは解ってくれているみたい・・・



心がざわついてしまいます・・・



毎日、スポーツ新聞に目を通していますが、ちょっと違和感があります。


起きてしまったミスは仕方が無いし、


「頼むぞ!いけるぞ!」みたいな論調から、戦犯探しの論調・・・になる・・・


どうなんでしょ??


4年後の事は、このW杯が終わってからでいいし、


終わった試合の反省も協会が考えると信じています。


だから、今こそ応援するだけではないでしょうか・・・


あの1974年・・・

12時頃だったと思う・・・

東京12chで、初めて観たW杯に日本代表が出場してる。

ベッケンバウアーとクライフがしのぎを削った同じドイツで・・・

日本代表が戦っている。


ボールは丸い!


どちらに転がるかは自分たち次第。


日本代表が@120%の力を出し切れば、

きっと誇らしい気持ちになれると思う。


Be Proud!




伝わるはずが、伝わらない・・・


電子メールの洪水・・・1日に600通。


100通はスパム。


400通が出退勤の報告。


50通の日報。


50通の業務連絡。


その他、メールマガジンがポツポツと・・・


CC、BCC、重要、超重要・・・



文字、計算、電話・・・

文明の歯車となる技術は使える者と使えない者の間に格差を生んできた。


あるときは人々の意思疎通を損ない、

あるときは膨大な情報の奔流で、

行き過ぎた競争も、もたらす。


人々の生活を豊かにし、

新たな文明の土台になるはずのネットは、まだ霧の中にある。