遺骨収集の件に関する望月課長との話の内容
新年度に入り、遺骨収集に関する件は
その後どうなっているか、
望月課長に電話で話しを伺いました。
4月8日から16日にかけて
厚労省は2名の職員を
グアム島戦没者遺骨収集帰還協議、
及びハワイご遺骨受領と協議で派遣。
望月課長との電話連絡では
今回、グアム現地政府機関(歴史保存局)と打ち合わせをし、
グアム島アガットに5年前に埋め戻した2柱のご遺骨のみならず、
電波探知機などを使い、広範囲を調査する事を合意。
今年度内に必ず実行をする事を双方で確認との事。
できれば、本年度中に行いたいと話されていました。
今度は期待してもよさそうな印象です。
尚、外事室は4月以降、事業課と事業推進課とに分かれ、
望月さんは室長から事業課長に昇格。
職員も6名増えたとの事でした。

その後どうなっているか、
望月課長に電話で話しを伺いました。
4月8日から16日にかけて
厚労省は2名の職員を
グアム島戦没者遺骨収集帰還協議、
及びハワイご遺骨受領と協議で派遣。
望月課長との電話連絡では
今回、グアム現地政府機関(歴史保存局)と打ち合わせをし、
グアム島アガットに5年前に埋め戻した2柱のご遺骨のみならず、
電波探知機などを使い、広範囲を調査する事を合意。
今年度内に必ず実行をする事を双方で確認との事。
できれば、本年度中に行いたいと話されていました。
今度は期待してもよさそうな印象です。
尚、外事室は4月以降、事業課と事業推進課とに分かれ、
望月さんは室長から事業課長に昇格。
職員も6名増えたとの事でした。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて春彼岸参拝
3月22日(日)千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて
恒例になりました〔春の彼岸参拝〕を執り行いました。
お陰様で今年も天候にも恵まれて
初めて参加の方も沢山いらっしゃいました。
開式の辞 仁後晃義(グアム島で戦死された兵士のお孫さん)

理事長挨拶

本日は、大変ご多忙の中、大勢の皆様方のご臨席を賜り、
ここに「春の彼岸参拝」を
執り行うことができますことを、心より深く感謝申し上げます。
思えば、戦没者の方々は、過酷な時代に生まれ、
逃れられない時代の中で、国の運命を背負され、
かけがえのない人生を、国に捧げられました。
実に240万人もの方々が外地で亡くなられ、
そのご遺骨は未だ127万柱しか帰ってきていません。
とり分けグアム島においては、後方支援が全くないなかで、
絶対国防圏として島の死守を命ぜられ、
圧倒的な戦力を持つ米軍の爆撃、艦砲射撃によって、
ほとんどの守備兵士が、命を落とされました。
そして、戦後70年を迎えた今に至ってもなお、
僅か数%のご遺骨しか、日本に帰還しておらず、
1万8千数百余名もの方々のご遺骨が、
悲惨なお姿のまま現地に眠っておられます。
歴代の総理大臣や、衆参両院議長、厚生労働大臣は、
武道館や千鳥ヶ淵墓苑での戦没者慰霊祭において、
「ご遺骨は、一日も早く日本にお連れする」と述べていますが、
実際には、折角見つかったご遺骨ですら帰還できないという
痛恨の事態が起きています。
それは5年前に、グアム島の激戦地跡の
水道工事現場から見つかったご遺骨を
収集することなく、土中に埋め戻してしまった愚行です。
国家の命により、我々子孫のために、命を捧げた英霊に対して、
あまりにもひどい仕打ちではありませんか。
先日は、顧問の土屋正忠代議士が、遺族でもあり、
自民党戦没者遺骨帰還特命委員会委員長を務めておられる
水落敏栄参議院議員に、わたくしたちを引き合わせていただき、
このことを詳しく説明し、早期の収集と帰還を懸命にお願いしてくださいました。
お蔭様で、水落敏栄委員長は厚生労働省の望月文明外事室長に、
『遺族の心情を大切に、対応してください』とお話して下さり、
わたしたちにとって、それは実に有りがたく、力強い応援となりました。
土屋代議士は、さらに多くの方々が集まった講演においても、
ご遺骨が帰還していない現状と、私たちの自費での活動を取り上げ
「現政権は、ご遺骨の帰還は、必ずやります」と述べて下さいました。
これは私たちのまさに悲願であり、
土屋代議士の尽きぬお心遣いに、私は目頭が熱くなるのを感じました。
また顧問の高市早苗総務大臣も、自民党政務調査会長当時から、
懸命に議員立法の制定に尽力して下さっていて、
今国会では何とか成立できる事を祈っているところです。
我々遺族も多くが70歳の半ばを越えています。
ご遺骨の帰還を急がねばなりません。
去る3月3日、厚労省での未帰還遺骨情報説明会で、
NPO太平洋戦死館の専務理事をしておられる
大瀧久治さんという方にお会いしました。
お父上が、西部ニューギニアで、
栄養失調とマラリアのために34歳で戦病死され、
戦後は、ご家族と大変ご苦労なさった、
大瀧さんの父を想う痛恨の涙の詩を、
ここで朗読させていただきます。
父の言霊
英霊などと呼ばないでください
私達は靖国神社などにはおりません
私達は海の底に、あるいは森の中に今も眠っています
故国に帰ることを待ち望みながら
あの戦争から60余年が過ぎました
故国は復興し、繁栄しているそうですね
でも、忘れないでください
置き去りにされた、私たち兵士のことを
たった一枚の赤紙で、徴兵され
はるか遠い、南の戦地に連れて行かれて
敵の銃弾にたおれ、あるいは一発の弾丸を撃つこともなく
飢餓と病苦に喘ぎながら、死んでいった私たちのことを
私たちは、今も待ちわびています
故国に帰る日を
どうか、忘れないでください
置き去りにされた、私たち兵士のことを
最後になりますが、これからも皆様方のご支援、
お知恵を頂きながら、会員の力を結集して、
より一層強く国に働きかけ、
全てのご遺骨を日本にお連れして弔い、
そして先の過酷な大戦を風化させず、永久平和を願い、
次世代につなげていく所存です。
御霊のご冥福と、ご参列の皆様方のご健勝とご多幸を、
心よりお祈り申し上げ、挨拶とさせて頂きます。
尚、活動報告は別紙添付させていただきました。
平成27年3月22日
NPO法人ピースリング・オブ・グアム・ジャパン
理事長 松本平太郎
顧問挨拶(土屋正忠衆議院議員 地方出張のため 秘書の土屋ゆう子様)

千鳥ヶ淵戦没者墓苑理事 古賀英松様ご挨拶

献奏 尺八演奏 門傳良男師 お弟子さん 椰子の実・埴生の宿

合唱 尺八演奏 門傳良男師 お弟子さん ふるさと
仁後雅子理事指揮・挨拶






閉式の辞 内藤寿美子監事

最後に懇親、報告会を行いました。
4名の献身的な学生さん達のボランティア活動の話に
一同感動し、また色々なご意見が沢山頂け
意義のある有意義な懇親会でした。
来年もぜひ沢山の方々のご参加を
心からお待ちしています。

恒例になりました〔春の彼岸参拝〕を執り行いました。
お陰様で今年も天候にも恵まれて
初めて参加の方も沢山いらっしゃいました。
開式の辞 仁後晃義(グアム島で戦死された兵士のお孫さん)

理事長挨拶

本日は、大変ご多忙の中、大勢の皆様方のご臨席を賜り、
ここに「春の彼岸参拝」を
執り行うことができますことを、心より深く感謝申し上げます。
思えば、戦没者の方々は、過酷な時代に生まれ、
逃れられない時代の中で、国の運命を背負され、
かけがえのない人生を、国に捧げられました。
実に240万人もの方々が外地で亡くなられ、
そのご遺骨は未だ127万柱しか帰ってきていません。
とり分けグアム島においては、後方支援が全くないなかで、
絶対国防圏として島の死守を命ぜられ、
圧倒的な戦力を持つ米軍の爆撃、艦砲射撃によって、
ほとんどの守備兵士が、命を落とされました。
そして、戦後70年を迎えた今に至ってもなお、
僅か数%のご遺骨しか、日本に帰還しておらず、
1万8千数百余名もの方々のご遺骨が、
悲惨なお姿のまま現地に眠っておられます。
歴代の総理大臣や、衆参両院議長、厚生労働大臣は、
武道館や千鳥ヶ淵墓苑での戦没者慰霊祭において、
「ご遺骨は、一日も早く日本にお連れする」と述べていますが、
実際には、折角見つかったご遺骨ですら帰還できないという
痛恨の事態が起きています。
それは5年前に、グアム島の激戦地跡の
水道工事現場から見つかったご遺骨を
収集することなく、土中に埋め戻してしまった愚行です。
国家の命により、我々子孫のために、命を捧げた英霊に対して、
あまりにもひどい仕打ちではありませんか。
先日は、顧問の土屋正忠代議士が、遺族でもあり、
自民党戦没者遺骨帰還特命委員会委員長を務めておられる
水落敏栄参議院議員に、わたくしたちを引き合わせていただき、
このことを詳しく説明し、早期の収集と帰還を懸命にお願いしてくださいました。
お蔭様で、水落敏栄委員長は厚生労働省の望月文明外事室長に、
『遺族の心情を大切に、対応してください』とお話して下さり、
わたしたちにとって、それは実に有りがたく、力強い応援となりました。
土屋代議士は、さらに多くの方々が集まった講演においても、
ご遺骨が帰還していない現状と、私たちの自費での活動を取り上げ
「現政権は、ご遺骨の帰還は、必ずやります」と述べて下さいました。
これは私たちのまさに悲願であり、
土屋代議士の尽きぬお心遣いに、私は目頭が熱くなるのを感じました。
また顧問の高市早苗総務大臣も、自民党政務調査会長当時から、
懸命に議員立法の制定に尽力して下さっていて、
今国会では何とか成立できる事を祈っているところです。
我々遺族も多くが70歳の半ばを越えています。
ご遺骨の帰還を急がねばなりません。
去る3月3日、厚労省での未帰還遺骨情報説明会で、
NPO太平洋戦死館の専務理事をしておられる
大瀧久治さんという方にお会いしました。
お父上が、西部ニューギニアで、
栄養失調とマラリアのために34歳で戦病死され、
戦後は、ご家族と大変ご苦労なさった、
大瀧さんの父を想う痛恨の涙の詩を、
ここで朗読させていただきます。
父の言霊
英霊などと呼ばないでください
私達は靖国神社などにはおりません
私達は海の底に、あるいは森の中に今も眠っています
故国に帰ることを待ち望みながら
あの戦争から60余年が過ぎました
故国は復興し、繁栄しているそうですね
でも、忘れないでください
置き去りにされた、私たち兵士のことを
たった一枚の赤紙で、徴兵され
はるか遠い、南の戦地に連れて行かれて
敵の銃弾にたおれ、あるいは一発の弾丸を撃つこともなく
飢餓と病苦に喘ぎながら、死んでいった私たちのことを
私たちは、今も待ちわびています
故国に帰る日を
どうか、忘れないでください
置き去りにされた、私たち兵士のことを
最後になりますが、これからも皆様方のご支援、
お知恵を頂きながら、会員の力を結集して、
より一層強く国に働きかけ、
全てのご遺骨を日本にお連れして弔い、
そして先の過酷な大戦を風化させず、永久平和を願い、
次世代につなげていく所存です。
御霊のご冥福と、ご参列の皆様方のご健勝とご多幸を、
心よりお祈り申し上げ、挨拶とさせて頂きます。
尚、活動報告は別紙添付させていただきました。
平成27年3月22日
NPO法人ピースリング・オブ・グアム・ジャパン
理事長 松本平太郎
顧問挨拶(土屋正忠衆議院議員 地方出張のため 秘書の土屋ゆう子様)

千鳥ヶ淵戦没者墓苑理事 古賀英松様ご挨拶

献奏 尺八演奏 門傳良男師 お弟子さん 椰子の実・埴生の宿

合唱 尺八演奏 門傳良男師 お弟子さん ふるさと
仁後雅子理事指揮・挨拶






閉式の辞 内藤寿美子監事

最後に懇親、報告会を行いました。
4名の献身的な学生さん達のボランティア活動の話に
一同感動し、また色々なご意見が沢山頂け
意義のある有意義な懇親会でした。
来年もぜひ沢山の方々のご参加を
心からお待ちしています。

第2回 グアム島遺骨関連調査
グアム島における日本人戦没者の御遺骨の約95%以上が
現在もなお、地中に埋もれたまま放置されている現状に
一日も早く一柱でも多く御遺骨を日本に帰還させるべく、
御遺骨の所在情報につながる遺留品調査を行いました。

2回目の調査になり、今回はグアム島アサン地区で、
遺骨の所在情報に繋がる遺留品の調査を2日間行いました。
事前調査に基づき、グアム島内アサン地区のジャングル内を踏査しました。
実際に、ジャングル内に入って御遺骨所在地点と思われる箇所を踏査して、
遺留品や遺骨の有無を調査をして、後で現場特定ができるよう、
現場写真撮影とGPSデータの取得・記録等を行いました。
米国立公文書館資料の精査による
遺骨所在可能性地点の絞り込みは完了しており、
また遺族からの情報提供も頂きました。
昨年5月~今年1月、現地NGOの方々、
その他協力団体とメール等を通じ、
手配、打ち合わせを済ませて
現地の所有者からの入域許可を取得し、
関係法令に関する情報収集と現地行政側の意向確認、
調査の許可取得等を行った上で、2月27日グアムへ渡航。
グアム島内アサン地区の国有地
(将来、国立公園の予定地として、
ナショナルパークレンジャーの管理下にある。)
における調査活動を2月28日及び3月1日 に実施しました。
2月28日の参加者は、日本からの参加者12名、現地ボランティア4名、
考古学者1名、同行のナショナルパークレンジャー2名。
3月1日の参加者は、日本からの参加者10名、現地ボランティア8名、
考古学者1名、同行のナショナルパークレンジャー1名。
当NPOの参加は5名でした。
第二次大戦から70年を経る今まで、
本格的な遺留品調査が行われていない地域であり、
今回の調査に関する許可(現地NGOにおいて取得)では、
発掘は認められず、
地表にある遺留品の確認が認められているに留まった。
その条件下で、砲弾、小銃弾の薬莢、破壊された野砲、
航空機の翼を利用した塹壕跡、
エンジンなど多数の遺留物を認めることができ、
集団埋葬地の可能性がある地点も2カ所特定することができました





現在もなお、地中に埋もれたまま放置されている現状に
一日も早く一柱でも多く御遺骨を日本に帰還させるべく、
御遺骨の所在情報につながる遺留品調査を行いました。

2回目の調査になり、今回はグアム島アサン地区で、
遺骨の所在情報に繋がる遺留品の調査を2日間行いました。
事前調査に基づき、グアム島内アサン地区のジャングル内を踏査しました。
実際に、ジャングル内に入って御遺骨所在地点と思われる箇所を踏査して、
遺留品や遺骨の有無を調査をして、後で現場特定ができるよう、
現場写真撮影とGPSデータの取得・記録等を行いました。
米国立公文書館資料の精査による
遺骨所在可能性地点の絞り込みは完了しており、
また遺族からの情報提供も頂きました。
昨年5月~今年1月、現地NGOの方々、
その他協力団体とメール等を通じ、
手配、打ち合わせを済ませて
現地の所有者からの入域許可を取得し、
関係法令に関する情報収集と現地行政側の意向確認、
調査の許可取得等を行った上で、2月27日グアムへ渡航。
グアム島内アサン地区の国有地
(将来、国立公園の予定地として、
ナショナルパークレンジャーの管理下にある。)
における調査活動を2月28日及び3月1日 に実施しました。
2月28日の参加者は、日本からの参加者12名、現地ボランティア4名、
考古学者1名、同行のナショナルパークレンジャー2名。
3月1日の参加者は、日本からの参加者10名、現地ボランティア8名、
考古学者1名、同行のナショナルパークレンジャー1名。
当NPOの参加は5名でした。
第二次大戦から70年を経る今まで、
本格的な遺留品調査が行われていない地域であり、
今回の調査に関する許可(現地NGOにおいて取得)では、
発掘は認められず、
地表にある遺留品の確認が認められているに留まった。
その条件下で、砲弾、小銃弾の薬莢、破壊された野砲、
航空機の翼を利用した塹壕跡、
エンジンなど多数の遺留物を認めることができ、
集団埋葬地の可能性がある地点も2カ所特定することができました




