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2020年 春彼岸参拝 千鳥ヶ淵戦没者墓苑

3月22日  桜満開のなか

 

千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて

 

〔グアム島で亡くなられた英霊の春の彼岸参拝〕を

 

とり行いました。

 

総勢約25名の方が参列してくださいました。

 

 

開式の辞 

内藤寿美子 副理事長

 


黙祷

 

 

 

松本平太郎 理事長  挨拶

 

新型コロナウイルスの蔓延によって、日本国内だけでなく

 

 世界の多くの国々で外出が制限されるなど、重苦しい

 

自粛ムードがいま、地球規模で 広がりを見せています。

 

そうした中においても、先の大戦で犠牲となられた 英霊の方々の

 

「言葉では言い表せない 艱難辛苦 まさに地獄」の様を思い、

 

当初は私一人でも参拝を、との思いでありましたが、

 

本日は 心ある皆様方の ご出席を賜り、

 

ここに 戦後75年の 節目の参拝を、満開の桜のもとで 

 

挙行できます事を、深く 感謝申し上げる次第です。 

 

誠にありがとうございます。

 

さて、私は昨年、3回にわたって 英霊が眠る グアムの戦跡を

 

お訪ねし、うち1回は 厚労省と日本戦没者遺骨収集推進協会から

 

依頼を受けて 7月5日から16日まで 現地に滞在し、政府機関や

 

マスコミ訪問 等々との協議、調査・探索にあたりました。

 

この期間中、団長一行と共に 連日ジャングルに分け入り、

 

当時の資料に基づいて 現在の地形と照らし合わせながら、

 

GPSも使ってお骨の眠る場所を 懸命に探りました。

 

更に、近隣の住民の方々の お宅の門や戸をたたき、ときには 

 

番犬に吠えられ 追われるといった、いわば 命がけとも言える 

 

状況下で 情報の収集に努めましたが、ともに 現地入りした

 

厚生労働省の担当職員のお顔が そうした現場に 

 

一度も見られなかったことは 誠に遺憾であり、

 

ご遺骨の 帰還事業に対する政府関係者の 情熱や 使命感の有無

 

という点で 疑念を抱かざるを得ない思いにもかられました。

 

10年前に アガットの 水道工事現場で発見されたご遺骨と、

 

非情にも埋め戻され、3年前にようやく掘り起こされた 

 

3柱のご遺骨も合わせて 日本にお連れしました。

 

しかし、そのご遺骨は 飛行機の 貨物室に 収められ、

 

空港での ご遺族の出迎えもないという 実に哀しく 寂しい

 

 ご帰国とも なってしまいました。

 

アメリカでは 戦没者のご遺骨が発見されると、

 

直ちに『DNA鑑定』をして、「英雄」として 

 

大切に国にお迎えして セレモニーの後、家族のもとに帰ります。

 

それに比べて 日本においては、

 

国の為に 命を捧げた 戦没者に対する 

 

尊宗の思いは 薄いと言わざるを得ず、

 

『戦没者の遺骨収集の推進に関する10年間の時限立法』が

 

成立して既に4年が経過したいま、焦りの思いは強まるばかりです。

 

未だ 一万九千 余柱の ご遺骨が グアムに取り残されており、

 

帰国したご遺骨は僅か 五百 余柱、2.5パーセントです。

 

 皆様方のお力添えが 大変重要であります。

 

あの悲惨な戦いを 絶対に風化させず、

 

次世代にしっかり繋げていくことが

 

我々NPO法人の 強い理念と使命であり、今後も変わらぬ

 

ご支援を 賜りますよう切にお願い申し上げます。

 

最後になりますが、英霊の皆様のご冥福と、ご参列の皆様方の 

 

ご多幸、ご健勝を心からお祈り申し上げ、挨拶とさせていただきます。

 

2020年 3月22日

NPO法人ピースリング・オブ・グアム・ジャパン 

理事長  松本平太郎

 

 

顧問 土屋 正忠 元総務副大臣 挨拶

 

 

千鳥ヶ淵戦没者墓苑  塚田 章 常務理事 挨拶

 

 

2019年度 活動報告 

 

 

ふるさと 合唱

仁後雅子 監事

 

 

献花

 

献奏

 

 

閉式の辞

松本誠 副理事長 

 

 

 

今年度 春彼岸参拝のお知らせ

今年度の春彼岸参拝のお知らせです。

 

千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて

 

国に命を捧げられた

 

グアム島英霊の春彼岸参拝を執り行います。


先の大戦を風化させず


若い人達に平和を繋いでいけますよう


沢山の方のご参加をお待ちしております。

 

 

日時:令和2年3月22日(日)

    11時~12時

 

場所:千鳥ヶ淵戦没者墓苑

マリアナ諸島現地調査の第2次派遣とご遺骨受領

令和元年 マリアナ諸島現地調査の

第2次派遣、ご遺骨受領のため

松本理事長が、調査派遣団の一員として、

グアム島に7月5日から16日まで

12日間遺骨調査に行く。

終日、周辺の個人宅に伺い、情報を探り、

ジャングル探索をした。

 

1日目   

ピースリング・オブ・グアム高木会長のオフィスで

お世話になる方に協力のお願いをする。             

 

2日目    

GPSを使用し、A交差点付近を探索。

 

3日目    

チャモロ強制疎開地での慰霊祭に出席。       

神父が旧日本軍の蛮行を盛んに発言。

未だ戦争が完全に終わっていないと痛感する。

現地ピースリング・オブ・グアムの

仲間も出席していた。

 

午後、調査。 

旧日本軍と疑わしき洞窟を発見。

歴史博物館に行く。

 

4日目  

ジーゴの南太平洋戦没者慰霊公苑

事務局長 青木氏 表敬訪問。 

 

歴史保存局 表敬訪問。

考古学者達とミーティング。 

DNA鑑定を行い、

家族のもとに遺骨が戻らなければ、

目的は半分しか達成されない事を共有した。

 

学校訪問。

先生方から情報を聞くも、手掛かりなし。

                 

警察署 署長 表敬訪問。    

ニミッツヒル洞窟の不明遺骨の

捜査の引継ぎが全くなされていなく一同驚く。 

自身の任期中に事件性があるか調査するが、

個人ではなく、総領事館か

歴史保存局を通して

遺骨盗難の件を警察署に

届け出てほしいといわれた。

後日、疑わしき者を尋問したと

日本戦没者遺骨収集推進協会より

知らせがあった。

 

5日目    

数年前に、洞窟で見つかったご遺骨が

盗難にあった事件の書類が、

厚労省事業第一係から

日本戦没者遺骨収集推進協会に渡り、

更にグアム関係者に渡った

報告書類を見たところ、

文字が極小のため読めない、

何の為の書類か全く理解できない。

この遺骨盗難事件を、

厚労省はグアム警察署に正式に届けておらず、

現警察署長も、この事件を知らなかった。

これも何か意図があるのか。

 

地元民2人と懇談。

A氏は、N地区に600~1000人の遺体が

埋められているとの話をされた。

 

B氏は、30年程前から慰霊塔の下に

3000柱埋まっているという話にまつわる

様々な噂を立てられ、

本人も困っていると話していた。

         

6日目

ミュージアム局長と関係者とミーティング。

 

総領事館 表敬訪問。

領事館に保管されているご遺骨に拝礼。

 

7日目   

大雨。

2班に分かれる。

1班は、遺骨収容に向かう。

R洞窟で1柱と、頭のないご遺骨と、

もう1人分のすねを収容。

 

2班は、総領事館訪問。

ご遺骨を洗い、骨箱に収める。      

                           

8日目     

タロフォフォのメイヤー 表敬訪問。         

戦没者の情報を訪ねるが、全くない。

ゴルフ場周辺を調査。

F氏宅で、F氏7歳の時に見た戦時中の

驚くべき証言を聞く。

日本軍に家族3名が首を切られ、

妹は生き埋めにされた。

母はその現場を見ていた。

旧日本軍の蛮行、涙あふれる。

心から申し訳ないと、謝罪。

日本兵が首つり自殺したという

場所に行き、拝礼。

 

9日目              

旧日本軍飛行場跡地調査。       

64柱埋められた可能性がある場所を探索。

現地老人より幼少時、ゴルフ場内に

大量の日本兵の遺体を見たと証言。

 

10日目   

日本人会主催 3か所の慰霊塔・

慰霊碑清掃と、慰霊に参加。

 

日本軍キャンプ跡地調査。               

聞いた話として、

戦時中、米軍が投降を呼びかけたら

女性2名が洞窟から出てきたが、

日本兵が洞窟内から射殺したので、

洞窟を爆破したと証言。

その後、洞窟の爆破が常套化する。

 

11日目  

ポスト社訪問             

前回に続き、遺骨の情報を得るための

広告の打ち合わせ。

インタビューを受ける。

記者は、遺骨収容数が

とても少ないことに驚いていた。

なぜならば、毎年大勢の日本人が

グアムに訪れているから、

収容は終了していると思っていたと語る。

その後、写真撮影。

 

デイリーニュース社 訪問

記者から、細かく熱心な質問あり。

日本の家族(遺族)のもとに、

戦時中グアムから手紙が届いたかと問われ、

1通届き、内容は、ドストエフスキーと

夏目漱石全集が岩波文庫から

発売されるので、買い置きしてほしい。

と頼むとともに、

家族と知人、友人によろしく。

とも書かれており、

生きて帰還する希望と、

生きて帰る事ができないかもしれないという

2つの思いが手紙に表れている。

それらの本は、アガットの

日米の兵士とチャモロの犠牲者の

冥福を祈る慰霊碑の中に収めている。

と、松本理事長は答えた。

                           

ナショナルパークサービス 表敬訪問。              

ご遺骨が埋められているといわれる場所を

GPSで探索して、

何としても早くご遺骨を収容したい。

それには航空写真が重要。

ナショナルパークサービスは、

我々と遺骨の収容を共有すると話された。

 

考古学者J氏宅 訪問。    

    

考古学者D氏 訪問。

アガット水道工事現場での

ご遺骨収容のお礼を言う。

2010年に9柱、

2016年には埋め戻されたご遺骨を3柱、

2003年マタバンビーチで4柱収容してくれた。

ジーゴの慰霊塔下に埋葬したとされるご遺骨が、

掘り起こしたら、ほぼなかったことに対して、

心配されていた。

 

12日目 

総領事館でご遺骨を受領し、帰国の途へ。       

ご遺骨は、機内の荷物室。

申し訳なく思う。   

成田空港にて厚労省職員にご遺骨を渡す。

 

 

翌日の7月17日水曜日、

厚労省において、

ご遺骨の引き渡し式があり出席。

(家族、遺族、収集団、厚労省の役人)

 

デイリーニュース社と

ポスト社に

インタビュー記事と写真が大きく掲載させた。         

東京都慰霊堂 参拝

11月20日 

昨年武蔵野市遺族会に入会した

 

松本理事長は、

 

武蔵野遺族会の方々と

 

東京都慰霊堂(東京大空襲でのご遺骨を埋葬)を訪問、参拝した。

 

 

マリアナ諸島 戦没者 ご遺骨引き渡し式

2019年11月22日

千鳥ヶ淵戦没者墓苑で執り行われた

マリアナ諸島戦没者ご遺骨引き渡し式

に松本理事長が出席。

 

昨日までの日差しの暖かい秋日和から一転、

真冬を思わせる寒さ、しかも横なぐりの強い雨のなか、

関係者出席のもと、厳粛に執り行われた。

 

将来の夢や希望を打ち砕かれた若い兵士、

愛する子供や親を置いてきた兵士達の

無念の涙雨と推察した。

 

英霊のご冥福を心の底から祈り献花、

参拝を終えた。