徳川慶喜公が「よしのぶ」と名乗ったはずは無いという事(はしだて談義21) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

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<本記事を引用された場合、その旨を御連絡頂けると有り難いです。>

※事実に基づくフィクションです。


毛利家の奇跡!後編http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10646016274.html の続き。1箇月半振りの歴史談義です。

舞台は回旋橋http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10628526426.html 付近の茶屋にて。

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E「さっきは毛利家が倒幕に大きく寄与して関ヶ原以来の『二百数十年の雪辱』を晴らしたという話でした。そこで思い出したのですが、相手の十五代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が、実は『よしひさ』と名乗っていたという話は本当ですか?」


H「おそらく本当です。息子で跡を継いだ七男の慶久も『よしひさ』と読め、親子で同じ読みというのは無いだろう・・・という反論もあります。但し、慶喜自身のローマ字での署名や当時の英字新聞での表記は"Yoshihisa"です。」


E「そうですか。それにしても、親子で同じ読みで混乱しなかったのですか?」


H「父の慶喜は『けいき』様、息子の慶久は『けいきゅう』様と呼ばせていました。ですから、この点で混乱はありません。『けいき』という読みは御存じですよね?」


E「もちろんですよ!大河ドラマ『徳川慶喜』(1998年)でも、大原麗子さんのナレーションでは常に『けいきさん』となっていました。」


H「大原麗子さんが昨年亡くなられたのは残念ですが、結構昔になるのですね。」


E「本当に残念な事ですね。・・・では、慶喜は人生の大半が『けいきさん』だったと。」


H「生前はそうだったみたいですので、『よしのぶ』の読みは死後の事なのでしょうね。

そして実は、"Yoshihisa"の署名の話を聞く以前でも『よしのぶ』はないだろうな・・・とは思っていたのですよ。」


E「え、それはどういう事で。」


H「室町将軍6代目に足利義教(あしかがよしのり)という人物が居た事は御存じですよね?」


E「くじ引きで勝って(※発言そのまま)将軍に就いたので『くじ引き将軍』と揶揄された人ですね。」


H「そうです。『義教』の諱(いみな)は還俗する際に朝廷から貰ったものなのですが、実は一度チェンジしているのです。」

※諱につきましては、歴史用語の基礎第2回http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10584394617.html などを御参考に。


E「将軍後継者とはいえ、朝廷から貰った名前をチェンジするとは何と不遜な!

余程縁起の悪い名前だったのですか?」


H「そうなのです。それが義宣(よしのぶ)という名前です。」


E「なんと、『よしのぶ』ですか!」


H「義教は”よしのぶ”が『世を忍ぶ』に通じて縁起が悪いという事で新天皇(後花園天皇)になってから『義教』という名にしたのです。」


E「昔はこういった縁起を気にするもの。それでは、少なくとも慶喜自身が『よしのぶ』と名乗った様な気はしないですね。」


H「そして、事実は『よしひさ』のち『けいき』だったという訳です。」