古代日本では「今では考えられない」様な名前の姫たちが居た(歴史エピソード第11回) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

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本日1回目の更新です!


『・・・今でも奈良が「首都」?』http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10679701312.html 以来の「歴史エピソード」です。


(1)「岩」の様に「丈夫に」という願いが込められていたのでしょうか?

最初の姫様は之媛命いわのひめのみこと)」。

記紀16代目仁徳天皇の皇后で、とても嫉妬深い方だったと伝えられています。

他の妾がなかなか天皇に寄り付けなかったそうですが、仁徳天皇自体が伝説的人物に近い存在であるためにどれだけ本当の事なのかは分かりません。


磐之媛の父親は大臣(おおおみ)の葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)。朝鮮半島の記録にも名が有り、実在性が高い人物と言われています。

皇族出身で無いのに皇后になっているのは不思議と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、襲津彦の父は武内宿禰(たけうちのすくね)。伝説上の人物としては有名な皇族大臣で、その子の襲津彦も途中までは皇族だった事になります。そのため、磐之媛も皇族出身として扱われたのでしょう。


(2)「いわ」の後では「いし」が可愛く思えて参ります!

姫皇女(いしひめのひめみこ)という姫様も実在しました。

記紀28代宣化天皇の皇女で29代欽明天皇の皇后、かつ30代敏達天皇の母であるという、皇室近親婚の典型の様なお方でした。

本質的な事ではありませんが、28・29・30代と揃い踏みしているのが面白いです。

※古代皇室の近親婚につきましては、あすか・よしの談義(第8話)http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10556779962.html もぜひ御参照下さい。


(3)昆虫に因んだ名前というのも、今ではなかなか考えられないでしょう!

次の姫様は媛(はえひめ)。

夫は記紀21代の雄略天皇に殺されたので即位出来なかった市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)で、記紀23代顕宗天皇・24代仁賢天皇の母。葛城蟻臣の娘です。

葛城氏の当時の権勢が窺われますが、それよりも父が「アリ」で娘が「ハエ」というのが「人間離れ」している様に思えてなりません!


(4)そして極めつけは・・・

最後の姫様は堅塩媛(きたしひめ)。大臣蘇我稲目(馬子の父)の娘で、33代推古天皇・31代用明天皇(聖徳太子の父)の母に当たる人物です。

※堅塩媛も、あすか・よしの談義(第8話)http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10556779962.html に登場しています。

この姫様は欽明天皇の

さすがに蘇我氏でも、当時は皇族出身が条件だった「皇后の座」には手が届かなかった様ですね。


そして何よりも、この堅塩(きたし)という読みにつきましては不自然さが付き纏います。

なぜ「かた」と読まないのか・・・という訳ですが、一説によれば「きたなし(汚なし)」の意味だとか。


「堅い姫様」でも「汚い姫様」でもこれは凄い!

これこそ、今では到底考えられない命名です。