豊田有恒:思い出話 | DVD放浪記

豊田有恒:思い出話

日本のSF、TVアニメ分野の草創期から活躍してきた豊田有恒が11月28日死去との報が流れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼のキャリアについては、『あなたもSF作家になれるわけではない』とか『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』などに詳しく述べられているけれど、かつて「SFマガジン」に掲載された“覆面座談会” で作品を酷評されたことへの恨みつらみを後のちまで引きずる結果となってしまったのは残念なことだった(もっとも、けなされたのは彼ばかりでなく、結局早川書房から日本作家の大半が離れていく大事件に発展し、編集長だった福島正実も職を辞することになった)。

 

◆ 日本SFむかしばなし

“SF” の新定義

 

 

 早川書房と東宝映画が共催したSFコンテストは、SF怪獣映画の題材を探すという東宝側の意向から始まった試みだが、小松左京、半村良、筒井康隆、光瀬龍、眉村卓、平井和正など、多くの受賞者を輩出した。ぼくも、それら英才の末席に名を連ねることになる。ぼくの作品『時間砲』(のちに『時間砲計画』として単行本化)は、文学的な才能が欠如していたため、単なるストーリーのアイデアの羅列でしかなかった。選考委員のほとんどが入選に難色を示したなかで、『ゴジラ』で有名なプロデューサー田中友幸が、映像化の要素があると認めて、強力に推してくれたと聞いている。

 

『あなたもSF作家になれるわけではない』

 

 

 

 

 

そのときのデビュー仲間の平井和正は、講談社のSF漫画の原作募集でチャンスをつかみ、桑田次郎(絵)とのコンビで「少年マガジン」誌上で「エイトマン」の連載を始める。するとこれが大ヒットしてたちまちTVアニメ化の運びとなり、豊田にシナリオ制作への協力依頼が持ち込まれる。

 

当時、一般のシナリオライターにはSFの勘どころがつかめず、原稿作りのルールをマスターしたあとの豊田は即戦力となっていった。「エイトマン」「鉄腕アトム」「鉄人28号」と肩を並べる人気アニメ番組となり、2年目も放映決定となったのだが、そのタイミングで桑田次郎が拳銃不法所持で逮捕され、番組は1年で打ち切りとなってしまった。

 

そのとき手を差し伸べてくれたのが手塚治虫だった。彼は超多忙なスケジュールのなかにあっても、ライバル番組のチェックを欠かしていなかったのだ。豊田は「鉄腕アトム」の制作チームに加わることになる。

 
以後のあれこれ、特に「宇宙戦艦ヤマト」(彼は、1990年代以前のテレビ版、劇場版すべて10回のシリーズのSF設定を担当した)については彼の本などを参照いただきたい。

 

 

 

ただ、以前にも別項で取り上げたことのある「ワープ」というカタカナ英語を大規模に拡散してしまった点についての釈明だけは見ておこう。(^^;

 

カタカナ英語の発音問題

 

……アメリカSFでは、ワープのほか、リープ(leap)、ジャンプ(jump)などの表現も使われている。初期の翻訳SFでは、跳躍航法と訳されていた。映像では、『スタートレック』や『スター・ウォーズ』において、ワープは、すっかりおなじみになっている。 

 ところが、このワープ、のちに身内から、思いがけない批判にさらされることになる。同じSF作家クラブ仲間で、漫画、アニメ評論家の小野耕世から、あれはワープと読むのではなく、ウォープと発音すべきだと、クレイムがついた。ぼくも、一時はアメリカSFの翻訳で食べていたから、それくらいの英語は判るつもりだが、これまでの翻訳SFでは、ワープとなっていたし、『スタートレック』でも、ワープとなっている。今さら、ヤマトの設定案だけウォープに変えるわけにもいくまい。文句を言うなら、誰が最初か知らないが、ワープを定着させた翻訳家に言ってほしいものだ。

 

『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』

 

 

彼は、ハヤカワ・SF・シリーズでポール・アンダースンの作品数点を訳出しているから、英語はお手のものなのだろう。けれど、事実確認についてはやや甘さもみられる。“ソープ・オペラ” の由来などは辞書をあたればすぐに裏トリできそうなものなのに……(>_<)

 

誤解の起源?

 

 

豊田の執筆活動は小説以外にもひろがり、1978年には『韓国の挑戦』が出版された。当時大学生だった私の仲間内では、タイトルを最初聞いて「“韓国朝鮮” って何よ?」と吹き出す向きが続出したものだった。(^^;

 

 

 

以後、韓国ウォッチャーとして彼は数々の本を手がけ、近年でもなかなか刺激的なタイトルの本を出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼はまた原発啓蒙活動にも熱心だったが、『日本の原発技術が世界を変える』が2010年12月に刊行されたのはもう皮肉なめぐりあわせというしかないだろう。この本は今のところ電子書籍化されていないようだ。

 

 

 

 

彼の小説はほとんど読んでいないけれど、私の興味・関心の視界をそこここでよぎってゆく流れ星のような存在であった。

 

合掌