ふと、昔のブログ記事をたどっていて、
11年前の記事を見つけました。
娘は小さい頃から、本当に「良い子」でした。
予防接種でも全く泣かず、翌日腕が痛いのも隠して、イヤイヤ期もほとんどなく、
成長しても、お友達にも優しく、親や先生の言うことをきちんと完璧に聞き、
本当に育てやすかった娘。
小さな頃から、どれだけ我慢してきたんだろう
わたし自身が、我慢は美徳、みたいな価値観で、小さい頃から周りの期待に沿い、常に良い子でいようと努力してきました。
だから、当然のようにそれを娘に期待していたのかもしれません。
そして今、娘のこれまでのすべての不満や我慢が爆発しているのでしょう、、、
・・・わたしは結局、なんとか「良い子」のまま、育ちました。
でも、厳しかった親に対する不満はずっと心に溜めたままで、大人になってから、親とは疎遠気味です。
国際結婚をして、親から遠く離れた外国に住むことにしたのが、わたしのささやかな抵抗だったのかもしれません。
その分、自分の娘とは、仲良しの母娘でいたいとずっと思っていました。
でも、娘がわたしのように我慢を重ね、不満を心の中に溜め続けたままでは、それは叶わなかったでしょう。
今は、「だれも私の好きなようにさせてくれない。」「わたしの思いを尊重してくれない!」
と毎日叫んでいます。。。
今の彼女の希望は、食べたくない、生きたくない、死にたい、、、なので、
尊重するわけにはいかないのです。
でも今、こうやって彼女が爆発したことは、
長い目で見れば、より良い母娘になるチャンスとなるのかもしれません。
そう思わないと、日々頑張れないのが本音ですが。。。
シッターをしていても、完璧すぎる「良い子」がたまにいます。
でも、その危うさ、今になってわかります。
すこしはわがまま言ったって、言うこときかなくたって、
自分の気持を表現できて、時には癇癪をおこしてうまくガス抜きできるほうが、
子供にとって良いのかもしれません。
わが息子君は、嫌なことはやらないし、同じことを何回いわせるの?というほど人の話を聞いていませんが、
自分の好きなことはわかっているし、
わたしが最低限言い聞かせてること(人を傷つけない、など)はちゃんと守れています。
勉強が嫌いでゲームばかりでも、
(娘と違い)お手伝いなんて全くしてくれなくても、
もう、元気でいてくれれば充分だと思えるようになりました。
今回、娘が精神を病んでしまったことで、
わたしがこれまでの子育てで目指していたものも、夢も、期待も、
すべてがガラガラと音をたてて崩れてしまいました。
成績優秀、運動もできて、スクールキャプテンをして、
お友達にも恵まれて、
そんな娘を自慢に思い、安心しきっていたわたし。
きっと青春を謳歌し、良い大学に行って、良い仕事について、優しい旦那様を見つけて、
可愛い孫を見せてくれるんだと、勝手に思い込んでいました。
どれもが、わたしの自分勝手な期待でした
そして、そう気づけたことは、良かったと思っています。
レールから外れることを恐れていたわたしが、
「学校なんて行かなくていい。勉強なんてしなくていい。」と言える親になるとは、
夢にも思いませんでした
わたし自身も、今回のことをきっかけに、「良い子」を卒業できるかもしれません。
何のために生きているのか。。。わたし自身も何度も考えたことはありましたが、
周りから期待される「良い子」でさえいればよいと思い、
本当に自分に向き合うことを避けてきたような気がします。
今、わたし自身も、どう生きるべきなのか、娘をどう導いてあげればよいのか、
見つめ直すきっかけをもらえたと思います。
・・・辛い日々にすこしでも意味と意義を見つけながら、
1日1日、前に進んでいきたいと思います。