メルボルン ベビーシッター&子育て奮闘記

メルボルン ベビーシッター&子育て奮闘記

オーストラリア メルボルンにて、2009年2月生まれの娘ローズと、2013年8月生まれの息子ディー君の子育てに励む日々。

メルボルンでベビーシッターサービスを提供しています。

子供が大好き!そして、
ママがリラックスして幸せになることが、子供の幸せへの近道ドキドキとの思いから、


オーストラリアメルボルンにて、ベビーシッターサービスを提供させていただいています。

Early Childhood Educator(保育士) の資格、First Aidの資格有です。

現在、昼間および夜間、柔軟なスケジュールでお受けできますビックリマーク
ご自宅へ伺うことも、もしくは 我が家(Elsternwick)でのお預かりも可能です。 


※現在の状況はこちらです。

ベビーシッター関連の記事は、こちらからどうぞ音譜


忙しい毎日のなかでも、自分を含め、
がんばるママたちの幸せのためにできることを日々模索中音譜

どうぞよろしくお願いしますニコニコ

あっという間に日々が過ぎていきます。

今回の娘の入院は長く、4週間経っても退院できませんでした。

 

娘は治療を完全拒否しているので、

精神科医のmental health orderをもとに、強制治療を行っています。

本人、また親であるわたしの意思や希望に反しても、必要とされる治療を強制的に行うことができ、

わたしが退院させますと言って家に連れ帰ることもできません。

 

基本的に、手足拘束したり、鎮静剤を打って自由を奪ったりという、一見して人権侵害にも思えるような治療を行う場合に、

命を守るため、また、病院が訴えられないために、この命令があります。

 

これは4週間ごとに見直す必要があるため、4週間目にtribunal meetingという会議がありました。

これは日本語でどう訳すのかわからないのですが、

弁護士、病院外部の医者、その他の専門家が同席して、この強制治療が正しく行われているか、

延長する必要が本当にあるかを話し合います。

セカンドオピニオンとして外部の専門家が入るという感じですね。

 

入院中も、コードグレー(警備員が出動して強制的に拘束措置などを行うこと)のたびに、親と第三機関に報告が必要で、

毎日毎日、何度も電話がかかってきます。

 

オーストラリアは、日本の精神科よりも、人権侵害について敏感なのかなという気がします。

とくに子供の拒食症の治療については、family treatmentが絶対的に良いという考えなので、

日本のように何か月も入院させることはまずありません。

ただ、娘のように、家でまったく何も食べられない子は、家に帰ってもまたすぐ病院に戻り、

娘のように何十回、時には100回超えの入院を繰り返す場合もあります。

 

日本の治療方針と大きく違うところが多く、日本語で情報を集めていたわたしは、

苛立ったり、失望したりすることも多くあります。

でも逆に、こちらでは入院中、親の面会は一切制限なく、むしろ奨励されています。

日本では1週間に1回などと決められている場合があると読みました。

親と子供のつながりを本当に大切にしていると感じます。

 

何が正解かわかりませんが、わたしは自分にできることを全力でするしかありません。

 

娘が病気になってから、本当にたくさんの話し合い、会議、公的な手続きなどがあり、

元夫は仕事が忙しいとノータッチなので、わたしが、オーストラリアの仕組みなど何もわからないまま、

一人ですべてこなしてきました。

また、娘が拒否しているカウンセラーとの面談も、毎週かかさず、わたしが代わりに受けてきました。

 

そんな中ふと、自分の英語力が数年前よりかなり伸びているのではないかと気づきました

 

日常会話は問題ないとしても、医療や法的なミーティングはこれまで未経験の分野でしたが、

分からないことは調べ、質問して、どんな情報も取りこぼすことのないように話し合いに参加してきました。

また、これまで、英語で電話で話すことがあまり好きでなかったわたしですが、

そんなこと言ってられず、2時間の電話のミーティングも平気でこなせるようになりました。

 

もし娘が良くなって、わたしが仕事に復帰できるようになったら、

これまで避けていた電話対応の多い仕事もできそう!と思います照れ

 

娘の介護も、病院の付き添いも、毎日頑張っています。

本当に、だれも褒めてくれないし、感謝もされませんが、ふと自分の成長を感じることができました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

私自身のメンタルがかなり落ちていて、

朝なかなか起き上がれない(とはいえ7時には起きないといけませんが)、

毎日疲れ切って、笑顔をつくることも難しい。。。

お友達からのメッセージにも返信できず(皆さんごめんなさいえーん)、

 

できることなら逃げてしまいたい、と思うことも多々あります。

 

こんな状況だからこそ、頑張っている自分をすこし認めてあげて、

すこし自分を大切にしなければ、娘と共倒れになってしまうかも、、、と思います。

何とか気分を上げることを探して、自分を奮い立たせなければキラキラ

 

そう思って、すこしだけ一人でカフェ時間。

ほんの30分だけだけど、ホッと一息つけました。

 

久しぶりにブログも書けて、ひとつでも前向きなことができたかなニコニコ

今日もがんばります。

 

 

 

 

 

 

先日、ブログにも書いた「舞い降りてきた本」ですが、

「拒食症と過食症 困惑するアリスたち」

(著者:山登 敬之氏)

という本です。
そこに、わたしが最近感じていたことが、本当にうまく表現されていました。

いつどこで買ったのかもらったのか記憶にない、突然見つけた本ですが、
そこにこんな表現がありました。

”病気(拒食症)は、少女たちや親たちにこう告げているのだ。
「いままでのやり方では、この先きつくなってきますよ。そろそろなにか新しい方法を見つけなくては」
かくして、拒食症の回復過程は、その「新しい方法」を探す試行錯誤の道のりに重なってくる。

それはなにも病気に限らず、子どもが思春期を経て大人になるときにだれもが通るあの道のことなのではないか。
拒食症が治るということは、思春期を生きることと同義である。

病気という非日常的な経験が、その道筋をはっきりと照らし出しているだけだ。”

”拒食症の少女たちは、病気にならなければその道を通れなかったということなのではないか。
いろいろな事情から思春期を上手に通り過ぎることができず、その手前で、あるいはそのただなかで立ち尽くす子供たちがいる。
彼らのうちのある者は、自らの成長のために病気を必要とするのである。”

”子供の精神科領域の病気には、子どもの成長のプロセスを修正したり促進したりする機能があると私は思っている。”

 

(以上「拒食症と過食症 困惑するアリスたち」より引用)

 

専門家が難しいことを述べている、と言ったらそうなのですが、

でも、この部分はわたしにとってすごく響きました。

 

前回書いたブログにもつながるのですが、

娘の拒食症は、思春期を迎えた娘が、これまでの生き方ではもう無理です!と悲鳴を上げて、

母親であるわたしに、必死に助けを求めているのではないかと思うようになりました。

 

そんな辛い思いをさせてしまった自分の子育てを、後悔してもしきれませんが、

でも、わたしも、最大限頑張っていました。

ただ、自分のことを後回しにして、その不満を心にためながら子育てをしてきたため、

それを、そのまま、娘が真似してしまったのでしょう。

 

どんなに辛くても、弱音も愚痴もはかず、ただただ、優しく完璧な娘としてわたしを支えてくれていました。

でも、そんな自己犠牲の精神で、そのまま大人になれるわけがありません。

もしなったとしたら、自分の欲しいものも好きなものもわからない、幸せさえわからない、

人の顔色を窺い、人から評価されることだけが喜びの、自己肯定感の低い大人になってしまったでしょう。

 

それ、まさしくわたしです。

ブログでも時々顔をだしていた、自己肯定感の異常に低い、人からの評価がないと何の価値も感じれない、

自分を愛することがすごく難しい困った大人です。

 

情けないことに、わたしは、娘に自分と同じ道を進ませようとしていました。

 

でも、娘はここで、爆発してくれました。

わたしはママの言いなりにはならない、と、立ち上がってくれました。

 

ただ、その方法が、その時の娘にとって一番コントロールしやすかった、

「食べない」ということだったのでしょう。

 

そして、なんでも完璧に、人より優れた結果を出してきた娘にとって、

この拒食症も、完璧にやりとげようと思っているのかもしれません。

もしこれが競争なら、きっと、水さえ飲まない娘の徹底ぶりは、上位に入るのでしょう。

 

そして、この地獄からどうやったら抜け出せるのか、

わたしも娘もわからないまま、専門家のアドバイスも何も効果がないまま、

ずっと苦しんでもがいている状態ですが、

 

でも、この辛い日々の中、

「娘の成長のために、未来の幸せのために、この病が必要だった」という考えは、

かすかな光と救いを与えてくれます。

 

いつか、一緒にこのトンネルを抜け出る日が来ることを夢見て、

娘と一緒に、闘っていこうと思います。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

秋休みに入り、息子にも楽しい時間を過ごさせてあげたいと奮闘しています。

娘は入院中で、付き添いのために一人にする時間も増えますが、

お友達にも協力してもらって、なんとかスクールホリデーを乗り切ります。

 

今週末娘が退院できるかもしれないので、

どれくらい家で過ごせるか分かりませんが、親子3人でまた近場に出かけられたらいいなと思います。

 

そして、今年の目標は、娘も一緒に日本に一時帰国すること。

わたしの両親は娘と5年以上会っていません。(コロナもあったので、、、)

なんとか体調を安定させて、1週間でも良いので、日本に帰れたら良いなと夢見ています。

 

 

・・・闇に飲まれそうになることも何度もあるけれど、

わたしがくじけるわけにはいきません。

前を向いて、一歩一歩、歩いていきます。

 

 

こんなことを書いて、批判を浴びるだろうなとも思うのですが、

毎日のようにいろんなことを考え、夜も眠れなくて涙が出てきてしまうので、

ここに吐き出してみようと思います。

 

わたしはベビーシッターとして、また保育士として、

本当にたくさんのお子さんたちと接してきました。

この10年間以上で、シッターとして伺ったご家庭はゆうに100を超え、

本当に、色々なお子さんを見てきました。

 

また、継続して伺っているお宅も多く、5年以上連続してお子様の成長を見守っているご家庭も、

10家族以上あります。

 

でも、批判を覚悟で、言ってしまいます。

我が子たち、そして特に娘は、これまで見てきたどんなお子さんよりも、自立していて、育てやすく、我儘も言わず、

本当に、いわゆる「いい子」だったのです。

他のお子さんを見ながら、

「うちの子はこんなわがまま言ったことない」

「うちの子はこんなこと余裕で一人でできる」

「うちの子はこんなことで、こんな癇癪をおこしたりしない」など、

もう何につけても、心の中で、自分の子供を誇らしく思っていました。

 

どこへ行っても、「行儀がよくて、本当に良い子」と重宝がられ、

学校の成績も良く、お友達の親御さんにも先生にも絶賛され、わたしは鼻が高い日々でした。

 

たくさんのお子さんを見てきているからこそ、今になってやっと、子供がどういうものかを年々深く理解してきているのですが、

ふつうの「子供」と比べ、娘がどれだけ異質だったのか、

そしていわゆる「いい子」「できた子」「優秀な子」と呼ぶべき存在が、どれだけ危ういもなのかを、

娘が精神を病んでしまってはじめて、実感しています。

 

わたしの仕事は、子供のお世話をすることです。

でも、その仕事に行くために、ずっと我が子のことはほったらかしでした。

例えば朝、小学生高学年のお子さんを起こして学校の準備をさせ、学校に連れていくというお仕事をするために、

わたしは早朝に留守にするので、

そのお子さんよりも年下の小学4年生だった我が娘は、一人で起き、弟を起こし、着替えて、自分と弟の朝食を準備し、

荷物を確認して、弟の手を引いて、学校まで歩いて通っていたのです。

 

スクールホリデー中もわたしは忙しく、シッターするお子さんたちを公園だプールだイベントだと、

いろんな楽しい所へ連れていっている間、

我が子たちは家で留守番で、娘はわたしに言われたようにきちんと算数のドリルなどをして、

弟の面倒を見て、時にはわたしは昼食を準備する時間もなくお金だけ置いている状態で、

小学生の娘が、幼い弟の手を引いて、近くのマクドナルドなどに行って、

一杯買いすぎて小さな手で持てなくて、アイスを買ったのに落としてしまったとか、

今考えると、涙が出てしまうような健気なことを、文句も言わずに、いつもしてくれていました。

 

夫は3年の無職期間があり、その間も「勉強している」という名目で子供の世話はほとんどしてくれなかったので、

私は家計のために働くしかなく、とくにその間、まだ娘は小学校低学年~中学年だったのに、

私はしっかりした娘に頼り切っていました。

娘が高学年になったらロックダウンとなり、わたしはその間もシッターの仕事は継続していたので、

娘は自分のホームスクールはもちろん自分でやり、弟の分もしっかり手伝ってくれました。

 

今、その頃の娘と同じ、もしくはそれより年上のお子さんをシッターとしてお世話していて、

「これが、普通の子供なのか!」と驚愕してしまうことさえあります。

心の中で「これくらいできるよね??え、できないの?〇歳って、こんなんだったの!?」と、

決して顔にも言葉にも出しませんが、ショックを受けることもあります。

 

それは、自分がどれだけ大きすぎる期待を娘にかけていたのか、

どれだけのことを課していたのか、そのショックです。

 

娘がどれだけ我慢して、

そして、どれだけ寂しい思いをしていたのか。。。

母親に甘えられず、褒められたいがゆえに期待には完璧に応えて、

本当に、たったの一度さえ、我儘を言ったこともありません。

 

そんな娘が、13歳になり、思春期を迎えて、一気に、今の状態になってしまいました。

 

いろんな本を読みますが、本当に典型的な、ダメな母親と、我慢しすぎていた娘の図です。

よい子でいようと必死に頑張ってきた娘が、もうこれ以上は無理だ!となってしまったのでしょう。

 

母親として、情けなくて、申し訳なくて、ふとしたときに涙がこぼれます。

本当に、10年前に戻って子育てをやり直したい!と何度も思います。。。

 

でも、もう遅いのです。娘はこうやって病気になり、人生に絶望してしまっています。

 

ただ、ここで、こうやって爆発してくれて良かった、とも思います。

病気にならずにこれ以上頑張りすぎていたら、もう、どこかでぽっきり折れてしまったかもしれません。

こんな形でSOSを出すことさえせず、ある日突然、自死する子供も少なくありません。

 

まだ、せめて、こうやってSOSを出してくれてよかった。

まだ、わたしにはチャンスがある。

そう思っています。

 

そして、わたしのこの失敗を、他の人にも知ってもらいたいと思います。

 

きっと他にもたくさんいる、我儘も癇癪もまったくない、聞き分けの良い、本当に良い子たち、、、

親も学校も、この子なら大丈夫、とスルーしてしまう。

結局、すこし問題のある子の方に手をかけ、関心はそちらに行ってしまう。

そして、「良い子」は、寂しさを感じながら、それでも褒めてもらいたい、自分を愛してほしいと思い、

そのためには、完璧に言うことを聞いて良い子でいるしかない。

 

でも、永遠とそうすることは不可能で、とくに思春期に入ると、家庭からより大きな世界に放りだされ、

ずっと親の期待する良い子でいるわけにはいかなくなって、

自分の存在意義を確認するため、そして大人になるために、

こんな苦しい思いをしないといけなくなる。。。

 

もちろん、良い子のまま、心の病も経験せず大人になる人もいるでしょう。

でもきっと人生のどこかで、心が折れてしまうような気がします。

 

だから、わたしは今、こうやって娘がSOSを送ってくれたことに感謝して、

これまでの自分の子育てを反省して、

娘への接し方と思いを根本から変えていかないといけないと思っています。

 

それから、もうすぐ11歳になる弟君にも、

今あまりの忙しさに、一人で何でもさせてしまい、一人で留守番させてばかりですが、

すこし立ち止まって、ケアしてあげることも必要だと考えています。

 

 

シッターとして、いろんなお子さんと接して、本来の子供とはどんなものかを知ることができて

良かったと思います。

自分の子供だけを見て、自分の知りうる狭い世界の期待を押し付けることの危うさを

しっかり認識して、まだ続く息子の子育ての中で、気を付けていこうと思います。

 

そして、娘に対しては、許してもらうことさえ期待などせず、ただ、私自分が変わるしかないと思っています。

ローズ、本当に、本当にごめんなさい。

 

 

 

 

前回の弱音ブログですが、たくさんのお友達が心配して連絡してくれ、

まさかブログをよんでくれているとは思わなかった人や、

もう長年会えていなかったお友達からも連絡が来て、

私は本当に周りに支えられているなあと実感しました。

 

また、同じ病のお子さんを持つお母さんや、病の経験者、闘病中の方など、

ブログを通して色々な人との繋がりもできて、本当に心強く思います。

 

孤独な看病に心が折れそうになることもありますが、一人じゃないんだと思えて、

救われる気持ちです。

 

自分から、なかなか助けを求めたり、何かをお願いしたりできる性格でないので、

ますます殻に閉じこもっていましたが、

今回こうやって弱音を吐いたとき、お友達から、何かできることがあれば言って!と声をかけてもらい、

プレゼントを届けてくれたり、優しいメッセージを送ってくれたり、

わたしのことを気にかけてくれる人達がこんなにいるんだと思い、勇気づけられました。

皆さん、本当にありがとうございます。

 

世界中のあちこちからメッセージをもらい、

色々な情報も得ることができて、

やっぱり、インターネットってすごい!と今更ながら感動しました。

 

自分でも恥ずかしくなるような愚痴&弱音でしたが、受け止めてもらえてうれしかったです。

皆さんありがとうございました。

 

ーーー今はまた娘は入院中で、わたしは病院に通う毎日です。

娘は治療で疲れ果て、その合間は昼間もほとんど眠っています。

娘が寝ている間、わたしは何時間も病室で横に座り、

待ち時間にスマホで色々な情報やブログをめぐっていたのですが、

最近は本を読むことが多くなりました。

 

もともと私は読書が大好きで、暇さえあれば図書館に通っていたのですが、

娘が病気になってから、そんな気力も時間もなく、自分のことは何もできませんでした。

でも実は娘の入院中は手持無沙汰な待ち時間も多く、そんな時間に本を読むことができるとわかりました。

 

昨年、わたしのブログを読んで日本に住むお友達が連絡をくれ、拒食症に関する本を送ってくれました。

また先日は、メルボルンのお友達が、心が癒される素敵な本を届けてくれました。

どちらも、今のわたしに必要な本でした。

わたしのことを思ってくれたこと、そして実際にそれを届けてくれたこと、

本当に感謝の気持でいっぱいです。

 

海外暮らしで、日本語の本は本当に貴重ですラブラブ

どちらの本も、いただいたその日に完読しました。

 

また、時間があれば本の紹介もできたらと思います。

昔からの趣味の読書ですが、必要な本が、必要なタイミングでわたしの元にめぐってくるなと感じています。

 

・・・そんな今日、来週車を点検に出さないといけないので、トランクや物入を掃除していると、

助手席の前の物入の奥の方から、見たことも、いつ手にいれたかもまったく記憶にない、

拒食症に関する本が出てきたのです。

 

日本語の本ということは、日本で買ったのでしょうか。。。でも、まったく記憶にありません。

日本で買ったのなら、コロナ前、娘がこんな病気になるずっと前に買っているはずです。

でも、その頃は拒食症に興味も関心もなかったし、昔のわたしが選ぶような本ではありません。

 

もし娘の発病後に買っているのなら、知りたくてたまらない情報だから、買ってすぐに読んでいるはずです。

日本の本はなかなか手に入らないし、入手して記憶にないということはまずないのですが。。。

 

お友達にもらったのでしょうか、、でも、もらった本はすべて覚えているし、もらったら嬉しくてすぐに読みます。

どうして車の中、それも、もう何年も見ていない説明書の束の下に、ぱっと見ではわからない奥底に、

そんなところにこんな本があるのでしょうか。

 

車に乗せたお友達がそっと入れておいてくれた??とか、いろいろ考えるのですが、

本当にまったくわかりません。

 

記憶にないけれど、過去の自分からのプレゼントなのか、本当に、何か不思議な力でわたしの前に現れたのか、、、

 

また、偶然にも、こんな風に小さな出来事が人生に大きな影響を及ぼすことがある、というのが、

今週お友達にいただいて読んだ本の趣旨だったのですあせる

 

何がどんなことのきっかけになるか分からない。アンテナを張って、いろんな興味をもって生活をしていれば、

知らないうちにそれが運命の分かれ道になっているかもしれない、

そんな本を読んだあとに、それこそ運命のように、今の自分にとても必要で役立つ情報がどこからともなく現れて、

なんだか不思議な気持ちです。

 

ーーーちょっと前は、正直なところ、自分は孤独で、不運で、人生は不公平だと思っていました。

お友達の幸せそうなホリデーや日常の写真や、元気そうな娘さんの写真などを、

Facebookやインスタグラムなどで見るのも辛かったです。

娘から、最低な母親だ、すべてママのせいだと言われるたびに、

わたしがいなくなったほうがいいのかな、わたしがいなくなっても誰も悲しまないかな、なんて考えていました。

 

お友達に会う時間もなく、相談したいと思っても、聞いてもらうにも暗すぎる話ばかりで躊躇して、

どんどん殻に閉じこもっていた気がします。

 

でも、自分がすこし心を開けば、その隙間からこんな風にいろんな助けが流れ込んでくるんだな、と実感しました。

連絡くださった皆さんだけでなく、ふとわたしのことを考えてくれた皆さんからも、

プラスのパワーをもらった気がします。

 

運命は、自分次第ですね。

いろんなことが回りまわって、最終的にはきっとうまくいくはず、

そう思えるようになり、すこし前向きになれました。

 

本当に、ありがとうございました飛び出すハート

(ごめんなさい、めちゃくちゃ暗いです。

摂食障害、拒食症に関心のない方はスルーしてください!)

 

 

娘はこれまで、25回ほどの入院を繰り返していますが、

どれだけ入院しても、病状はまったく良くなりませんでした。

病院でできるのは、死なないように鼻からチューブで栄養を流し込むことのみ。

本人に食べる気がゼロなので、それ以上はお医者さんも、何もできません。

 

摂食障害の体験談をあちこちで読んでも、

入院中はがんばって食べた、病院食は完食していた、など、

わたしからしたら夢のような話で、

入院中もまったく何も食べないという患者の話はほとんど聞きません。

 

入院中、食事は1日6回出てきますが、良くて泣き叫び、時には看護師に暴力をふるったりもして、

娘は絶対に、一口も食べません。水さえ飲みません。

結局、その食事は下げられ、

3人の警備員と2人のナースが来て、娘の手足をベッドに縛り付け、鼻から胃までチューブを入れます。

(このチューブも、自分で抜いてしまうので、他の患者のように入れたままにはできません。毎回、手足を縛ってから、新しく挿入しなくてはなりません。。。)

そしてカロリーの高い液体食を流しいれるのですが、娘の喚き声が病院中に響き渡ります。

 

なるべく音を遮断するように、娘の食事時は病棟の入り口のドアも閉められますが

それでも階下まで聞こえます。

本当に、他の患者の方々にすみませんと肩身が狭い思いです。

 

終わっても、胃に食べ物を入れられたという恐怖と自己嫌悪で娘は獣のように泣きわめき、

そのあと2時間程度、拘束を解くことはできません。

自分を傷つけたり、病院から脱走しようとしたりするのは日常茶飯事、

なので、本人と周りの安全のため、ある程度落ち着くまで拘束は解けないのです。

そして食事時間を含めると、1回の食事で2、3時間近くは手足をベッドに縛られている状態です。

それが1日4回ですから、約10時間以上縛られています。

時には、鎮静剤を注射しなくては拘束を解けないこともあります。

 

前までチューブ食も6回だったのですが、もう人間の尊厳がゼロの状態になるので、

数か月前から4回に減らされ、1回分の量を増やすことになりました。

それでも、食事以外の時間というのはほとんどなく、

娘は眠るか叫ぶしかしないまま、シャワーも浴びず、歯も磨かず

(1か月以上の入院でも、1度も歯も磨かずでした。。。)

本当に、魂が抜けた廃人のような状態で、入院生活を送ります。

 

でも、生命の危機なので、病院は、本人の人権や訴えを無視して、治療することができます。

でも、精神科医が下すmental health orderは4週間経つと見直さなくてはならず、

弁護士や裁判所を交えたミーティングが行われるため、病院としてはいつも、ギリギリその前に娘を退院させたい感じです。

ある程度入院して、今日明日死ぬかもしれないという状態を脱すると、病院側は強制治療はできません。

食事はおろか、どんな治療もカウンセリングももちろん一切拒否なので、

良くなりたいと思っていない患者に、手足を縛って無理やり治療をすることはできなくなります。

 

そうやって、家に帰された娘に、何とか水と食べ物を取らせ、毎週検診にも連れていって、

何とか死なさないように日々看病するのは、わたしの仕事です。

(もちろん父親のことは完全拒否、だれも替わることはできません。)

1日も休むことはできません。

 

娘がどんなに入院を嫌がっているかがわかるし、本当に、病院では目を覆いたくなるような状況なので、

できる限り家に置いておきたいのです。

家にいれば、すこしなら、出かけたり、映画をみたり、勉強したり、人間らしい時間を持てます。

病院にいる間は廃人のようですが、家では、楽しいと思える瞬間もあるのです。

でも、水さえ飲まずに人間が生きられるのは、限度があります。

なので、無理やり水分と食べ物を詰め込まないといけないのです。。。

 

でも、毎日毎食何時間もかけても、全力で抵抗する15歳に無理やり水と食べ物を口から流しこむには限界があり、

少しずつ娘の体重は減り、しばらくたつと、娘はまた生命の危機に陥ります。

 

そうすると、娘がどんなに嫌がろうと、入院させないと親のネグレクト扱いとなるので、

大暴れする娘を病院の緊急病棟に連れて行かなくてはなりません。

(私はチャイルドプロテクションからも監視されています。)

 

車で連れて行こうものなら、運転するわたしにつかみかかるし、走る車から飛び降りたこともあるので、

救急車を呼ぶしかありません。そして、救急隊員も手に負えないため、

いつも警察を呼んで、手足を拘束してもらい、やっと救急車にのせます。

そして、約1日救急病棟で待ったあと、またいつもの特別個室に入れられます。

他の患者に超悪影響なので、1年ほど前から、他の摂食障害の患者から引き離されるようになりました。

そして、だいたい2週間~4週間程度の入院で、また死なない程度の体重にもどります。

 

それの繰り返しです。この約2年間、ひたすらその繰り返しです。

 

娘が病院にいる間も、わたしは毎日病院に通っています。ドクターとのミーティングも毎日のようにありますし、

何より、拒食症病棟で一番の厄介者である娘を、病院に任せて見舞わないなんて、

親として無責任すぎるというプレッシャーを感じます。。。

毎食後ナースから電話があり、「今日は何時に来ますか?」と聞かれます。

娘は、病院にいる間誰とも口を利きませんが、唯一わたしとはたまーに話をするので、

なるべく長い時間いてあげたいと、毎日通います。

 

父親のことは一切拒否なので、すべてわたしの仕事です。

 

そして、娘が家にいる間は、本当に、1分も、心の休まることはありません。

一食終わると、もう次の食事のことを考え、わたしが恐怖で胃が痛くなります。

毎日腕を切りつけて、死にたいと叫び続け、

昨日は、あまりにも深く切ったので血が止まらず、検診時にナースにみてもらいました。

 

包丁もハサミもすべて娘から隠していても、なぜか傷が増えていき、

昨日、やっと、2年前に自分で買ったという剃刀の刃を机の奥に隠していたと白状しましたが、

それを取り上げても、まだ他にも隠してあるに違いありません。

 

仕事も、ほとんどできません。

せっかく楽しんでいたチャイルドケアでの仕事も、もう2年間できていません。

シッターに関しては、わたしの空きに柔軟に合わせてくださるお客様に感謝です。。。

でも、思うように働くこともできず、シングルマザーとして、生活はカツカツで、

わたしは自分の時間も皆無です。

 

 

ーーーこんな重度の患者、他にもいるんでしょうか。

どんな体験談や経験者の話を聞いても、本当に、娘ほどひどい話を聞いたことがありません。

 

経験者の話はためになることもありますが、

「無理やり食べさせると信頼関係が崩れるから良くない」とか、

「本人が良くなりたいと思うまで待たないといけない」と言われても、

無理やり食べさせないと死んでしまう子相手に、どうしたらよいのでしょうか。。。

 

拒食、自傷や暴力などは、精神障害や発達障害のお子さんにも見られ、

休む暇なく看病している親御さんの様子をテレビで見たこともあります。

殴られて傷だらけになりながら、何を言っても聞かない子供の世話を懸命にする親御さんの姿を見て、

自分だけじゃない、と思おうとします。

 

でも、私には、まだ覚悟がないんです。

 

障害のあるお子さんを授かった親御さんは、きっと葛藤を経て、知識も得て、その看病の日々を覚悟して、

まわりのサポートも準備して、取り組んでこられたと思います。

 

でも、わたしの娘は、2年前まで、なんの問題もなく(見え)、優しくて、賢くて、人が羨む優等生だったんです。

何なら家の手伝いもしてくれて、弟の面倒もよく見てくれて、わたしは安心しきり、

もう子育てはほぼ終わったとさえ思っていたんです。

 

こんな日々がやってくるなんて、考えてもいなかったんです。

その、落差の激しさも、すごく辛いです。。。

 

離乳食よりももっと薄い食事を、殴られながら、全身で押さえつけて、

スプーンで一口づつ何時間もかけてたべさせないといけないなんて、

毎日獣のように泣き叫び、近所からの苦情も絶えず、

ただ、飲食という日常の行為のためにわたしのすべての時間と労力が割かれるなんて、

 

それがもうずっとずっと続くなんて、そんな覚悟、できていないんです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

こんな弱気な愚痴ブログで、申し訳ないです。

でも、本当に、娘ほど重度の拒食症の体験談がどこにも見つからず、

もし、同じように、入院しても何をしても水さえ飲めない、自分から一切食事を取れない、

もう1年以上、たったの一口も物を一切食べられない、

そんな状態の方がいらっしゃれば、

少なくとも、一人じゃないと思える気がして、、、

現状をシェアしてみようと思いました。

 

わたしが今まで見聞きした情報だと、娘と同じような病状の患者は、たいてい死に至っているのです。

自殺だったり、心不全だったり。。。

回復された方は、病状が、娘ほど酷くなかった方ばかりなんです。。。

(だから辛くなかったとは全く思っていません。比べるようなことではないことも分かっています。

誰にとっても、辛すぎる病気です。。。)

 

ここから、本当に良くなれるのか。自分で口を開けて物を食べられるようになるのか。

将来普通の生活が送れるようになるのか、、、

今、藁にもすがるような思いで、インターネットや本やいろんなサポートグループを見聞きしていますが、

わたしからも、一度現状を正直に発信してみようと思いました。

 

本当に、こんな愚痴を聞かせてしまい申し訳ありません。

でも、わたし、結構、限界かもしれないです泣

誰か助けて、、、毎日、心の中でそう叫んでいます。

 

インターネットの力を借りて、こうやって発信することで、何かの情報に、何かのサポートに、つながるといいな、、、