娘が摂食障害を通して送ってきたSOS | メルボルン ベビーシッター&子育て奮闘記

メルボルン ベビーシッター&子育て奮闘記

オーストラリア メルボルンにて、2009年2月生まれの娘ローズと、2013年8月生まれの息子ディー君の子育てに励む日々。

メルボルンでベビーシッターサービスを提供しています。

こんなことを書いて、批判を浴びるだろうなとも思うのですが、

毎日のようにいろんなことを考え、夜も眠れなくて涙が出てきてしまうので、

ここに吐き出してみようと思います。

 

わたしはベビーシッターとして、また保育士として、

本当にたくさんのお子さんたちと接してきました。

この10年間以上で、シッターとして伺ったご家庭はゆうに100を超え、

本当に、色々なお子さんを見てきました。

 

また、継続して伺っているお宅も多く、5年以上連続してお子様の成長を見守っているご家庭も、

10家族以上あります。

 

でも、批判を覚悟で、言ってしまいます。

我が子たち、そして特に娘は、これまで見てきたどんなお子さんよりも、自立していて、育てやすく、我儘も言わず、

本当に、いわゆる「いい子」だったのです。

他のお子さんを見ながら、

「うちの子はこんなわがまま言ったことない」

「うちの子はこんなこと余裕で一人でできる」

「うちの子はこんなことで、こんな癇癪をおこしたりしない」など、

もう何につけても、心の中で、自分の子供を誇らしく思っていました。

 

どこへ行っても、「行儀がよくて、本当に良い子」と重宝がられ、

学校の成績も良く、お友達の親御さんにも先生にも絶賛され、わたしは鼻が高い日々でした。

 

たくさんのお子さんを見てきているからこそ、今になってやっと、子供がどういうものかを年々深く理解してきているのですが、

ふつうの「子供」と比べ、娘がどれだけ異質だったのか、

そしていわゆる「いい子」「できた子」「優秀な子」と呼ぶべき存在が、どれだけ危ういもなのかを、

娘が精神を病んでしまってはじめて、実感しています。

 

わたしの仕事は、子供のお世話をすることです。

でも、その仕事に行くために、ずっと我が子のことはほったらかしでした。

例えば朝、小学生高学年のお子さんを起こして学校の準備をさせ、学校に連れていくというお仕事をするために、

わたしは早朝に留守にするので、

そのお子さんよりも年下の小学4年生だった我が娘は、一人で起き、弟を起こし、着替えて、自分と弟の朝食を準備し、

荷物を確認して、弟の手を引いて、学校まで歩いて通っていたのです。

 

スクールホリデー中もわたしは忙しく、シッターするお子さんたちを公園だプールだイベントだと、

いろんな楽しい所へ連れていっている間、

我が子たちは家で留守番で、娘はわたしに言われたようにきちんと算数のドリルなどをして、

弟の面倒を見て、時にはわたしは昼食を準備する時間もなくお金だけ置いている状態で、

小学生の娘が、幼い弟の手を引いて、近くのマクドナルドなどに行って、

一杯買いすぎて小さな手で持てなくて、アイスを買ったのに落としてしまったとか、

今考えると、涙が出てしまうような健気なことを、文句も言わずに、いつもしてくれていました。

 

夫は3年の無職期間があり、その間も「勉強している」という名目で子供の世話はほとんどしてくれなかったので、

私は家計のために働くしかなく、とくにその間、まだ娘は小学校低学年~中学年だったのに、

私はしっかりした娘に頼り切っていました。

娘が高学年になったらロックダウンとなり、わたしはその間もシッターの仕事は継続していたので、

娘は自分のホームスクールはもちろん自分でやり、弟の分もしっかり手伝ってくれました。

 

今、その頃の娘と同じ、もしくはそれより年上のお子さんをシッターとしてお世話していて、

「これが、普通の子供なのか!」と驚愕してしまうことさえあります。

心の中で「これくらいできるよね??え、できないの?〇歳って、こんなんだったの!?」と、

決して顔にも言葉にも出しませんが、ショックを受けることもあります。

 

それは、自分がどれだけ大きすぎる期待を娘にかけていたのか、

どれだけのことを課していたのか、そのショックです。

 

娘がどれだけ我慢して、

そして、どれだけ寂しい思いをしていたのか。。。

母親に甘えられず、褒められたいがゆえに期待には完璧に応えて、

本当に、たったの一度さえ、我儘を言ったこともありません。

 

そんな娘が、13歳になり、思春期を迎えて、一気に、今の状態になってしまいました。

 

いろんな本を読みますが、本当に典型的な、ダメな母親と、我慢しすぎていた娘の図です。

よい子でいようと必死に頑張ってきた娘が、もうこれ以上は無理だ!となってしまったのでしょう。

 

母親として、情けなくて、申し訳なくて、ふとしたときに涙がこぼれます。

本当に、10年前に戻って子育てをやり直したい!と何度も思います。。。

 

でも、もう遅いのです。娘はこうやって病気になり、人生に絶望してしまっています。

 

ただ、ここで、こうやって爆発してくれて良かった、とも思います。

病気にならずにこれ以上頑張りすぎていたら、もう、どこかでぽっきり折れてしまったかもしれません。

こんな形でSOSを出すことさえせず、ある日突然、自死する子供も少なくありません。

 

まだ、せめて、こうやってSOSを出してくれてよかった。

まだ、わたしにはチャンスがある。

そう思っています。

 

そして、わたしのこの失敗を、他の人にも知ってもらいたいと思います。

 

きっと他にもたくさんいる、我儘も癇癪もまったくない、聞き分けの良い、本当に良い子たち、、、

親も学校も、この子なら大丈夫、とスルーしてしまう。

結局、すこし問題のある子の方に手をかけ、関心はそちらに行ってしまう。

そして、「良い子」は、寂しさを感じながら、それでも褒めてもらいたい、自分を愛してほしいと思い、

そのためには、完璧に言うことを聞いて良い子でいるしかない。

 

でも、永遠とそうすることは不可能で、とくに思春期に入ると、家庭からより大きな世界に放りだされ、

ずっと親の期待する良い子でいるわけにはいかなくなって、

自分の存在意義を確認するため、そして大人になるために、

こんな苦しい思いをしないといけなくなる。。。

 

もちろん、良い子のまま、心の病も経験せず大人になる人もいるでしょう。

でもきっと人生のどこかで、心が折れてしまうような気がします。

 

だから、わたしは今、こうやって娘がSOSを送ってくれたことに感謝して、

これまでの自分の子育てを反省して、

娘への接し方と思いを根本から変えていかないといけないと思っています。

 

それから、もうすぐ11歳になる弟君にも、

今あまりの忙しさに、一人で何でもさせてしまい、一人で留守番させてばかりですが、

すこし立ち止まって、ケアしてあげることも必要だと考えています。

 

 

シッターとして、いろんなお子さんと接して、本来の子供とはどんなものかを知ることができて

良かったと思います。

自分の子供だけを見て、自分の知りうる狭い世界の期待を押し付けることの危うさを

しっかり認識して、まだ続く息子の子育ての中で、気を付けていこうと思います。

 

そして、娘に対しては、許してもらうことさえ期待などせず、ただ、私自分が変わるしかないと思っています。

ローズ、本当に、本当にごめんなさい。