
第九話 「紅天」
藪重と按針は、石堂に忠誠を誓うつもりで大坂城に到着するが、敵対的な歓迎を受ける。木山は按針を脅し、石堂はすぐに藪重の申し出を断った。鞠子は、幼なじみの落葉の方と10年以上ぶりに再会するが、鞠子が反抗的な態度を取ったため、歓談はすぐに終わる。虎永は鞠子に、虎永の女官たちを江戸まで護送するよう命じていたのだ。それは、石堂らに対する公然の挑戦であった。

これは、もっとも信頼している家臣の命と引き換えるだけの策略だったということを意味しているわけだが、この第9話にも驚くべき“駆け引き”が待っている。
オープニングは鞠子がなぜキリシタンになったのか?14年前のそのエピソードが語られる。父・明智仁斎の謀反によってお家断絶となった一族のなかでただ一人、生かされている鞠子。隙あらば死のうとする彼女にカトリックの宣教師のマルティン・アルヴィト(トミー・バストウ)が、生きるよすがとして十字架を与えたことがきっかけだったことがわかる。

虎永から、石堂に囚われている虎永の妻たちと生まれたばかりの息子を江戸へと連れ戻すことを命じられたのだ。

鞠子は石堂に、虎永の命で妻たちを連れ明日、大坂を発つと言う。囚われていないのならいつ出立してもいいだろうということなのだが、石堂が人質の解放を許すはずがない。鞠子の息子まで動員して説得しようとするが彼女は頑なに拒み、実際、翌日の朝、妻たちを連れて出発しようとする。

白装束の鞠子の最期を見届けようと集まった人たちだったが、間一髪、石堂が許可状をもって現れ明朝、出立の許可が下りる。しかし、これもフェイク。夜、ニンジャが放たれ鞠子たちは蔵に逃げ込むことになってしまう!
今回のサブタイトル「紅天」は“将軍”の地位を狙う虎永が時間をかけて創り上げた好機だと書いたが、鞠子にとっても紅天だったのかもしれない。「お父様はこのときのために私を生かした」と言っているからだ。

この裏切り行為!とはいえ、彼が腹黒く見えないのは藪重の持ち味。これまでいい意味でシンプルな性格であることを演じる浅野が体現してきたので、そういうイヤな気分にはならないからおもしろい。彼が最後のエピソードでどうなるのか、気になってしまうのだ。

この2人の関係性は本シリーズでは唯一と言っていいラブストーリー。言葉を通じて理解し合えたところももちろんあるが、女性である前にひとりの人間として鞠子と接する按針の、その価値観が彼らを結びつかせたと思うのだ。実際、鞠子は君主から大任を命じられる存在であり、先の先まで見通せる聡明さをもっている。当時の女性のなかではスペシャルだったに違いない。今回のエピソードでは肝の据わり方も男顔負けだということが伝わってきて、ある意味、近代の女性像になっていると思う。

ここで、ジェームズ・クラベルがこの原作を書くときにキャラクターのモデルにしたと言われている、インスパイアされた戦国時代の実在の人物について記しておこう。
吉井虎永=徳川家康、ジョン・ブラックソーン=三浦按針、戸田鞠子=細川ガラシャ、石堂和成=石田三成、落葉の方=淀殿はすでにご存じだろう。そのほかの人物について、クラベルによる名言はないものの、樫木藪重(原作では柏木矢部という名前のキャラクターで登場)は徳川家康の家臣で江戸幕府の老中を務めた本多正信、虎永の腹心で鞠子の義父・戸田広松は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の家臣だった細川藤孝、五大老の一人でキリシタン大名の木山右近定長は豊臣秀吉の家臣のキリシタン大名・小西行長、杉山如水は豊臣時代の五大老の一人・前田利家、大野晴信はやはり豊臣の家臣で同じようにハンセン病を患っていたと言われる大谷吉継、宣教師のアルヴィトは少年の時に日本に来て実際に通詞でもあったジョアン・ロドリゲスと言われている。

クラベルがいかに綿密に日本の歴史を調べたかが伝わって来るが、この小説のアイデアが浮かんだきっかけは娘の教科書に書かれていた一文。「1600年、イギリス人が日本に渡り、侍になった」を目にし好奇心を刺激されたからだという。クラベルは戦時中、シンガポールで日本軍の捕虜になった経験があるが、それでも強烈な親日家だったことでも知られている。
さてさて、エピソードもあと1本。9話のラストは「いや、あと1話で終われるの⁉」というくらいの怒涛の展開。どうピリオドを打つのか期待しかない!
さてさて、エピソードもあと1本。9話のラストは「いや、あと1話で終われるの⁉」というくらいの怒涛の展開。どうピリオドを打つのか期待しかない!
