ナグです。
個人的にいろいろあって
続きの更新が遅くなりました。
マインドとスピリチュアルの解毒②
考察と所見 トム・ケニオン
4匹目の虎 – The Fourth Tiger
私の観点では、スピリチュアルマインドの浄化で時折役割を果たす別の局面があります。そしてそれは、ナディの精妙な系統です。
西洋では、ヒンドゥー教や仏教のヨガをしている人以外にはほとんど知られていませんが、ナディの系統は肉体の主なチャクラ全てへ接続されています。
活性化されたとき、あらゆる類の普通ではない効果をもたらすことができます。
2年前、私はネパールのカトマンズにいて、ポワの伝授を経験しました。ポワとは、意識的に死を通り抜けることを実践者が訓練し、来世の状況をいくらか決めるチベットの瞑想技術です。
伝授者は、チベットで何年も隠者として過ごしてきたポワのチベット人指導者でした。
彼は一言も英語を話さず、私もほんの少しのチベット語しか知りませんでした。僧侶の友達が通訳を務めてくれました。
私はポワの師の言っていることが友達に訳されるまでわからなかったにもかかわらず、師が古代の聖句を暗誦をしている時に、自分の中で強烈なる精妙なエネルギーの動流を感じられました。
伝授の終わり頃、ある時点で、全チャクラを通じてナディの回路網へ、澄んだ白い光が明らかに注入されるのを感じました。
伝授が終わったあと、これはパワフルな伝授で肉体的浄化を経験するかもしれないと、師の最後の教えを友は訳してくれました。
私は伝授を終え、工程を思い出せるよう再び瞑想するためにホテルの部屋に戻りました。師の最後の言葉を忘れて、シャワーを浴びベッドに入りました。
真夜中、死にそうなくらい具合が悪くて起きました。ナディを通ずる輝く光の流れどころか、自分の中に泥沼状態の液体エネルギーのような暗いヘドロを感じました。むかつきと激しい頭痛がしました。
多分インフルエンザウイルスにやられたか、食中毒だと思いました。
不調は約8時間続いて、その後穏やかにおさまっていきました。
その時ようやく、私は師の別れの言葉を思い出しました。
これは典型的な ポワの師と系譜により私へチャネルされた輝きの強烈さによってもたらされた、スピリチュアルマインドの浄化の反応(または解毒)です。
私は別の強烈な霊的遭遇で、似たような浄化の反応をしたことがあります。なので、この奇妙な事件は合点がいきました。
ポワの師が古代の聖句を読んでいるとき、はじめに彼は自分の一部分である霊的血統の存在を呼び出しました。エネルギーの軌道は勢いとスピリチュアルな力を持ち、彼は私にそれを注ぎました。
この主観的な経験は、自分のナディに輝きを注入しました。私は非常に大きい光の感覚にあふれていました。
聖句がポワの実際の手法の指南にうつったとき、私の内なる光はチベット仏教徒にとって宝の山である光の形態、明るく白い光に変わりました。
明るく白い光が現れたとき、それはある人が純意識(菩提心、ボーディチッタ)に入っていったという(チベット仏教の伝統において)決定的な兆候です。
この光を経験することで、至福の状態へと入っていきました。
この至福の状態にいる間私は、肉体的浄化が起こるかもしれないという師の最後の言葉を、ちっとも気に留めてませんでした。
伝授の数時間後眠りから覚めたとき、私のナディは輝いていませんでした。
それは未消化のネガティブなもの、未解決の葛藤、障害物や穢れであるヘドロで満ちていました。
私は、首まで自分のうんこにどっぷりでした。
暗喩を使って、たびたび似たようなプロセスは描写されてきました。
意識の水はかき回され、下のぬかるみは水面まではね上げられました。
スピリチュアルマインドの解毒をすること
– Dealing With Psycho-spiritual Detoxification
スピリチュアルマインドの浄化を扱うときに使う基本理念は、一つの実用主義です。
はじめに、その人の「うんこ」が掘りおこされるとき、適切な状況に上げる材料を投入するならば、役に立つと思います。材料と感覚を扱うのは難しいですが、究極的には抑圧された思い出、感情や毒素を体や精神から浄化するのは良いことです。
ここでのはじめの論点では、心地よい場所へ集中しました。そしてそれは、違う人のための違うものです。
いくつか例外があるものの一般的に言って、浄化反応が変容の触媒を通して起きるならば、その反応はやがて自己解決するでしょう。
ここで私が言っているのは、反応はその経過をたどっている時、ひとりでに激しさを減じていくだろうということです。
スピリチュアルマインドの浄化を扱う芸術は、内容を変えたりもっと都合の良いものにしようとせずに、感覚と経験をただあるがままにする方法を見つけることにあります。
カトマンズで(パワフルなポワの伝授の結果として)強烈な浄化反応に見舞われたとき、自分がうんこのようだと感じることを、私はただあるがままによしとしなくてはなりませんでした。
そして、ベッドから抜け出るエネルギーがなくて、ボダナート(訳者注:用語解説)がチベット仏教徒に最も神聖な場所のひとつであっても、予定の飛行機の前、最後に一度ボダナートを訪れられない、ということも良しとしなくてはなりませんでした。
その通りに、強烈な吐き気の約8時間と全身のうんこ祭りの約4時間後、全てのことはひとりでに治まっていきました。
浄化反応(解毒)特有の経過をたどることを可能にする方法を見つけられたら、最も効率的な方法で対処することができるようになるでしょう。
医療的考察 – Medical Considerations
通常はスピリチュアルマインドの浄化に対処しているとき、あらゆる不快な身体感覚を西洋医学的な病気から切り離すことが重要だと考えています。
この理由は、浄化反応が実際に医学的問題をまねながら起こる身体的要素であることです。
浄化反応は通常激痛を伴いません。
ですから、肉体的苦痛があったとして、それが医学的な問題なのかどうか自分で判断するなら、命に関わります。
もし痛みが強烈で絶え間なければ、医学的処置を受けることをおすすめします。
諺どおり、備えあれば憂いなしです。スピリチュアルマインドの浄化反応に基づいた医療援助を探すときは、慎重になることをおすすめします。
もし体温計で測って高熱(華氏103度(訳者注:39.4℃)かそれ以上)があるならば、自分で判断しないで医者にかかりましょう。
ナディを通じて精妙なエネルギーが動いたとき、非常に高い熱を出すことが時々あるため、私はこう言っています。
ヨガ修行者が心霊熱と呼ぶことから、汗ばんだり発汗したりすらできます。
この種の熱は浄化反応の結果ですが、一般には体温が上がることはないです。
あったとしても、華氏103度訳者注:39.4℃)超えることはまれです。
もし内部器官に痛みや苦しみを伴った吐き気を感じたなら、病気になりつつあるのかもしれないし、そうじゃないかもしれません。(もう一度体温計で測って)熱による兆候が伴うなら、実際にウィルスか感染症にかかっているのかもしれません。
しかし、熱がないのなら、ただの強い浄化の可能性があります。
もし嘔吐と熱が両方あるなら、確実に医師の手当てを受けましょう。
まとめ – Summary
一般にスピリチュアルマインドの解毒、または浄化反応に直面させられたとき、考慮すべき最も大切なことの一つは、たとえ異常でも普通のこととして受け入れることだと思います。
浄化反応を処理するときに常識を使ってください。
医療的な状況を自分で扱わず、それがひとりでに治まるまで経験とただ共にある道を見つけてください。
強い浄化反応の支配下にいるとき、自分の肉体と精神系統はネガティブなものを浄化しようと努力しているのだと理解してください。
肉体は、各領域に生来の叡智と知性を持っています。それを信じましょう。
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