講演 「性根のある人間に」(4)

 

7月27日(月)

 

大学卒には絶対できないような貢献を目指す

 

息子を大学へやっても、息子が死んだら、すべて消えてしまいます。物事はこういう風に、根本的に考えねばなりません。それではどうしたらよいかということは簡単には言えません。最後の決はどたん場まで待って決めるべきで、簡単に弾丸を打ってしまってはいけない。冷静に形勢を観望すべきでしょう。

 

長男に農家を継がせたいと思ったら、中学校で農業クラブを作り、夏休みに一週間ほど篤農家巡りをさせるとよいでしょう。そして費用は農協半分、本人半分負担とする。農村の中学校長は入学試験のことばかり考えていないで、いかにして農業を継ぐ人をつくるかを考えるべきです。また農協の方からも働きかけて、経済的協力を惜しむべきではありません。学校で肥桶など担がせるから、生徒は農業が嫌いになるのです。

 

富山県福岡町の石田康信君は、小学校の担任の宮本みづ子先生の指導によって、“やまびこ学校”程度のことをやった子でありますが、それ以後毎年一回私はこの子と会っており、この子がいよいよ中学を卒業する時に、将来の進路について相談を受けました。私の一言で、この子の運命が決まってしまうわけであります。

 

農業をやりなさいと勧めました。その理由は、1.村で二番目の土地持ちである。2.一人息子である。老夫婦で二町八反を耕作していたら、将来はどうなるか、という二点からでありましたが、新しい農業に志を立てて努力したら、大学へ行かなくても地方では一応存在を知られる一かどの人物になれることを信じたからであります。

 

人間は自分の存在を認められるということは大切なことであります。それに世の中の為に何らかの貢献をするということであります。掃くほど多い大学卒に絶対できないような貢献を目指すのです。

 

私は、どういう人間になりたいと望むか。第一に、一旦決心したら必ずやり抜く人間――。それを自己の生涯を貫いてやり、できたらそれを息子にも継がす。このことは単なるきれいごとではさばけません。自分の体をしばってやらねばならぬでしょう。第二は人に親切な人間になれ。人と協力できる人間になるということです。

 

土曜雑感 「佐藤優の古典攻略法」②

 

7月25日(土)

 

教養なき無知蒙味な「型破り」は

単なる「デタラメ」にすぎない

 

教養を軽んじる社会は危険である。SNSなどでは冷笑主義が蔓延しやすい。真摯に思考することに対し、“笑”で片付けてしまうような風潮である。ポストモダンの時代を生きる私たちは、すべてを包括するような大きな物語は今や必要ないという立場に立っている。

 

とはいえ、誰かと文脈を共有するときには一定の教養が必要となる。誰ともいかなる文脈も共有できないような共同体は、もはや共同体の体をなさないだろう。本来の意味での「教養主義からの脱却」は、「守破離」の原則がその根底にある。

 

茶道や武道などの鍛錬における「守破離」、すなわち「守」で基本的「型」を徹底的に守ることを学んだうえで、「破」で複数の型を知りつつ自分の型を破り、さらに「離」で自分の型から離れて新たな方法論を見出していくーー。

 

松岡正剛さんの編集工学研究所で実践しているのがまさにこれである。「守」コースを経て「破」コースへ進み、最終的に「離」コースへと至る。これこそ本来のしかるべきはずだが、今やただの無知蒙昧を「脱教養」と言ってはばからない。

 

たとえば、ある抽象画があったとして、きちんとデッサンのできる人が描いたものなのか、あるいは基礎もなくデタラメを描いているのかは、パッと見ただけではわからないかもしれない。しかし、プロが見れば一目瞭然なのである。

 

現代詩も同様だ。思いつきのままポエムを書いているのか、きちんとした詩の訓練を受けているのかプロが読めば即座にわかる。デタラメと型破りはまったく異なる。いくら型を破ろうとしても、そもそも型にはめた経験がなければ、破ることはできない。ただのデタラメをやるしかなくなるのだ。

 

教養主義というのは型にはめることであり、ショーペンハウアーが「読書について」で指摘しているように、読書というのは他人の頭で考えることだから、そこで思考が停止してしまう危険性に気をつけなければいけない。

 

つまり教養主義に陥って型の中にはまり込んでしまうことのないよう、そこから脱出していく「破」と「離」が必要になるわけだ。しかし、教養主義を脱却するにも、まず教養という「型」を知っておかなければ脱却のしようがないのである。これらの「型」を身につけるためのテキストが古典だ。

 

できるだけ若いうちに、しかもあまり余計な時間をかけないで「型」を知っておいたほうがいい。その上で自分の「型」を破って教養主義を超えていくのである。

 

思想は教養で“解毒”できるのか

 

「思想は毒薬である」という考え方がある。確かに思想は毒薬となることがある。っでは教養によってそれを解毒できるのか。私は、毒は毒としてそのまま見せるべきだと考える。たとえば、教養を持ってヒトラーの「わが闘争」を果たして解毒できるのか。

 

あるいは村田沙耶香さんの「地球星人」という小説は最後には人肉食にまで至るわけだが、それを文学として解毒できたのかといえば、解毒などしていない。毒は毒として見せる。これは毒だと気づかせることが重要なのである。

 

ジャレド・ダイアモンドは「銃・病原菌・鉄」の中で、野生のアーモンドについて触れている。野生のアーモンドには青酸カリになる物質が含まれているため危険なのだが、突然変異して毒性のないアーモンドが畑で育てられるようになったという。

 

これを読んでふと思ったのが、あらゆるものが解毒されてしまったら、人間は毒に気づくことができなくなり、うっかり野生のアーモンドを無防備に口にしてしまうだろうということだ。毒は毒として知っておけば、「これを食べると死んでしまう」ということが認識できる。毒としての古典というものも、実は非常に重要なのである。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

講演 「性根のある人間に」(3)

 

7月24日(金)京都祇園祭山鉾巡行(後祭巡行)

 

六十歳て初老、七十歳で中老、八十歳で大老

 

今日のような講演会などでも、もし入り口が乱れていたら、はき物を二、三足直してから壇に立つことにします。それでは皆さんに共通する問題、すなわち人間の一生ということについてお話しいたしましょう。人間の一生において第一に大切なことは、人生とはただ一回のマラソン競争で、やり直しがきかぬということです。

 

スタートは自分には分からぬが、ゴールインはどこかということは、自分で見当をつけていなければなりません。マラソンだったら、どこがゴールか知らずに走っている人間はいないでしょう。どれ位に時間で走れるか、どこでラストヘビーを出すか等々、誰でも大体の見当をつけて走るでしょう。ところが「人生のマラソン」となると、相当の人でも案外のんきでいる人が多いようです。

 

皆さんは大体どころ辺りでラストヘビーをかけるおつもりですか?普通の人ならまず六十歳から七十歳までの十年間、そして七十歳が一応のゴールインと考えます。ところがサラリーマンは五十五歳で首が落ちてしまいますから、一生を生き抜いたとは言えないわけです。そこで七十歳まで生き抜いた人なら有名無名を問わず、一かどの人物と言えましょう。

 

私は六十歳を以って初老、七十歳をもって中老、八十歳で大老と称すべきであると考えます。人間も八十歳を越えたら無理をしないことです。七十歳から八十歳にかけ、なお経済と仕事とを掌握している人は一種の英傑と言ってよいでしょう。一級の人物は七十歳までは握っています。

 

ところが、ここに困ったことがあります。それは日本の家族問題、世嗣ぎの問題であります。とくに農村では、このことが深刻です。農業の人に「自分の息子に農業をつがすべきかどうかを何を基準に決められますか」と質問しても、誰一人として即答した人がありません。そこで私は一案を出して、「不動産が部落で上から三分の一以上のうちに入るならば、農業を息子に継がせても、息子の一代だけは確かでしょう」と言っています。

 

男の子を三人、農業で立たせるには東大へやる十倍の金がかかります。息子を東大へやれば年に二十四万円。しかるに農家ですと、果樹園一反百万円として一町で一千万円、それに設備等五百万円で、計一千五百万円はかかります。つまり農家には、これだけの根があるわけです。

 

講演 「性根のある人間に」(2)

 

7月23日(木)

 

全国行脚の旅は武者修行

 

それでは何故「成人の日」の話が苦手かと申しますと、それはあらゆる階級に属するすべての職業の若い人たち、おまけに人生経験の少ない青年全員に「なるほど」と納得させるような手持ちの札がないからです。ところが今日の聴衆の皆さんのように、各階層の一かどの人物のお集まりの場合はさらにむずかしく、私の方からお教えをいただかねばならないのです。

 

さて、私は神戸大学に勤めている間、七年間ずっと廊下の紙屑拾いをいたしました。大学教授は講義だけしていていれば済むというものではありません。紙屑というものは、そこを自分の持ち場と思うようにならなくては拾えません。学校がわが家と思えない限り、紙屑は拾えないものであります。

 

ですから紙屑の拾えないような校長は、降格に値すると考えます。私は現在、年間260日くらい全国各地の学校を見せていただいています。全国のいかなる僻地でも、時間の都合のつく限り、ご縁があったら参上しえt、自分の足でその土地を踏んでみます。

 

国土を踏まえて立つのでなければ、生きた学問にはならぬからです。学問というものは、国土に根を下ろしていなければなりません。こういうわけで私は武者修行のようなつもりで全国を歩いています。先般も扁桃腺周囲炎で三十九度の熱を冒しつつ、牛乳と生卵を飲みながら、四国の講演行脚をいたしました。

 

不幸にして外遊の機会の得られなかった私は、その代わりに全国行脚をしようと考え、そう言う覚悟でやっております。私が全国の学校へ伺う時は、次の三原則を守っています。1.自動車で玄関に横づけしないこと。2.汽車の中で極力飲食をしないこと。3.汽車は二等以外には乗らぬ。

 

何故か。それは人間というものはある種の禁欲をしない限り、心の緊張が出来ないからです。つまり自分の欲望を全部充実させたら、内面は空になります。さきほど公民館長さんから「お昼は、おすみになりましたか」と尋ねられました。私は「先ほど近くのお店できつねうどんを食べました」と申しました。

 

私は一人の場合は、きつねうどん以上のものは食べません。人々より一段きり下げたものを食べていないと、人間が上ずってしまうからです。

感情ですべてを判断する日本人の傾向

 

7月22日(水)大暑。

 

昭和46年3月13日

福井県吉田郡松岡町公民館

 

ありのままが目に映るような修養を

 

(先生登壇されるや、演壇の位置を直されて)

自分の立つ所が、一分一厘も狂わないところに立たなければ、確信をもって語ることはできません。

 

さきほど下の応接室で当町の佐藤公民館長とお話をしたのであります。佐藤さんが「私のような若輩は館長の重責に耐えません」と申されましたので、私は「そのように重責を感じる人こそ、真に長たる所以ですよ」と申しあげました。

 

私がこの講演会場に一歩入ると、数こそ少ないが、ご熱心なご婦人の方々が会場の後ろの方にいらっしゃったので、私は特に前の方の最もよい席へご案内いたしました。みなさん、講演を聴きに来られたならば、どこに座るのが最もよいかという自らの位置をはっきり自分で決定すべきではないでしょうか。(先生ニッコリ笑われて)

 

私の一番苦手な講演は成人式の話であります。話すということは生きた人間に聞いていただくのであって、原稿用紙に書くのとは違います。理論というものは紙に書くべきであります。だが話は単なる理論ではありません。一体、演説というものは西洋的なものであり、社会党系の人々には演説のうまい人が多く、保守系の人々には坐談のうまい人が党内でも力を持っているようです。ここに演説だけで票が得られないという妙な日本的特徴があります。

 

日本の進歩主義者は感情を理論の形で表現する傾向があります。しかも感情の根底が好悪の情だということに気づいていない場合が多いようです。そこでどこか気に入らぬ処があると、すべて抹殺してしまいます。これは、われわれ日本人に共通の傾向といってもよいでしょう。

 

すべてを善玉・悪玉で判断してしまうので、これは感情的判断であります。一人の人についても、善い所と悪い所を冷静に見なくてはなりません。ありのままが目に映るような修養をせねばなりません。

 

講演「私の好きな三人の日本人」(12)

 

7月21日(火)

 

尊徳の心中に「一円融合」の大境地が開けた

 

ところがその満願の日に、忽然としてこれまでの自分は、随分村民にも尽くし可愛がったつもりでいたが、いまだに真に「一円融合」の境地には到っていなかったということが分かったのです。今までの自分はいまだ半円觀にすぎなかったというとで、これが尊徳翁の成田山における開眼といわれるものです。

 

この成田山参籠断食行を伝え聞いた村民は、大勢(記録によれば百二十五名)筑波山麓までお迎えに出たということですが、二十一日の断食の身にも拘らず、尊徳翁は千葉の東北方にある成田不動から、栃木県下の桜町まで百キロほど道を、下駄ばきで一気に突っ走ったと「報徳記」にあります。

 

後世偉人という呼ばれるほどの人物は、実にこのように超凡なものかと、感慨深いものがあります。

こうして、成田における二十一日間の断食祈願から帰るや、これまでのあらゆる難関は、まるで氷の溶けるように次々と解決して、最初に予定した十年にして、桜町の復興は一応成就したのです。

 

その根本は、ひとえに尊徳翁の心中に「一円融合」の大境地が開けたからであります。この開眼が契機となりまして、その三年後に、先ほど申し上げた「金毛録」をはじめ、もろもろの原理が一大円相として書きとめられているのであります。

 

尊徳翁については、武蔵と違って、将来研究しようとせられるならば、いくらでも参考資料はありますが、とりあえず、翁の娘婿になった富田高慶の「報徳記」と、門弟福住正兄の書きとめた翁の語録「二宮尊徳翁夜話」を読めば、一応それで充分だと思います。

 

ところで尊徳翁の思想・信念の基本骨骼をなすものは何かといえば、至誠、勤労、分度、推譲という四つの根本原理といってよく、これらの原理の意味が、この二書によって、大変興味深い事例によって、だれにも分かるように説かれているのです。

 

とにかく、この尊徳翁という巨人は、日本民族の生んだ最大の思想家にして実践者であります。また道徳と経済という普通には全く異質的と考えられる二大領域を、広大な哲学觀の下に、一元的に統一して説いたという点で、世界的にみて類例がない「巨人」と言えるのであります。

 

なお尊徳翁には、その深遠な哲理を誰にもよく分かるように、道歌といって和歌の形で詠んだものが沢山あります。最後に一句だけ申しあげてわたくしの話を終わることにいたします。

 

・山寺の鐘つく僧の起き伏しは知らでしりなむ四方の里人

 

この歌の意味はあえて申しあげませんが、本日申し述べました話のすべてはお忘れになって結構ですゆえ、この一首だけは憶えて帰っていただきたく思います。ではこれでーー。(筆録 寺田清一)

 

講演「私の好きな三人の日本人」(11)

 

7月20日(月)海の日。

 

人の気持ちの察しがつかねば

 

ここで誤解なきように申しますと、もちろん「忠勤ヲ尽ス」ことを尊徳翁は否定しているのではないということです。ここでは忠勤を尽くさないものについては論外で申すまでもない事です。ただそこで、「忠勤ヲ尽ス」ことが最高善だと思っているようではまだダメで、そんな考えでは、そこにもやはり影がさし、一短を免れぬということです。

 

たとえて言えば、人の嫉妬を買うことにもなりましょうし、人をおしのけることになるという事です。人の気持ちの察しがつかねば本当ではないということです。

 

宮沢賢治の遺されたノートに、「栄誉ノアル所必ズ苦禍アリト知レ」と記帳されていたようですが、一陽あれば必ず一陰ありという天地の理を一円相におさめて、天地・陰陽より万物発生・文化創造・治乱興亡のすべてについて明らかにされたのが、この「金毛録」です。

 

このように、尊徳翁の無比なる実践と仕法の原理には、天地・人生を大観透徹した一大哲学があることを申しあげたいのです。ここで尊徳翁の生い立ちについては今申し述べませんが、すでにご承知の通り少年時代の貧乏のドン底時代を身をもって経験しておられるだけに、一家の復興には全力を尽くし、三十才の半ば頃には、すでに村でも指折りの農家になっていたのです。

 

それが小田原の大久保候の認めるところとなり、候の分家に当たる栃木県の桜町にあった宇津家の財政の立て直しを命じられたのであります。しかるに尊徳翁は、このような難事業に当たるには、一切を捨ててかからねばならぬとの一大決心のもと、わが家屋資材のすべてを売り払って、素裸になり、桜町へ乗り込んだのであります。

 

その時尊徳翁は三十六才という男盛りでした。ところが、桜町というところは、戸数としてはわずか二百戸にも足りない一寒村でしたが、永い間の荒廃のために民心は極度に疲弊して、さすがに絶世の大人物だった尊徳翁の努力を以ってしても、まるでザルに水を注ぐようなもので、どうにもならなかったのです。

 

桜町へ赴任して以来、八年近い歳月が経過したにも拘わらず、どうにもならなくなった尊徳翁は、一大決意をもって、ついに成田の不動に二十一日間の断食祈願をすることになります。

不確実な社会を生き抜くとき、「古典」は力強い道標になる 

 

7月18日(土)

 

「知の巨人が選んだ世界の名著200」(監修 佐藤優、宝島社新書)は、三年前(2023年)の4月1日の「土曜雑感」で紹介しました。同氏は「不確実な社会を生き抜くとき、古典は力強い道標になる」と述べ、「気になったものを5冊ほど読んでほしい、生き抜く力になるはずだ」と述べています。

 

学生時代には「古典を読め」と教えられましたが、正直なところ古典を読むのは楽なことではなく、生涯を通して「読みたい」チャンスに恵まれるのは、決して多いとは言えなのが実情ではないかと。そこで「知の巨人」と呼ばれる佐藤優が、同書のコラムで書いている「古典攻略法=古典を読む前の心構えについて」を紹介したいと思います。

 

読む前に本の概要を知っておくべきか、

一切の知識なくテキストを読むべきか

 

やや難解な古典を手に取ろうとするとき、読む前にある程度の前提知識として、あらすじなどの情報を調べたり、解説書のようなものを読んでおきたくなるものである。しかし、実際にはそうすべき本と、事前にあまり情報を入れるべきではない本がある。

 

例えばヒットラーの「わが闘争」のように偏見が非常に強く持たれているような本に関しては、いきなりテキストを読んでしまうほうがいいだろう。マルクスとエンゲルス共著「共産党宣言」も同様である。事前にあれこれと余計な情報を入れることなく、読んでみるとそれぞれのテキストが新鮮な発見とともに頭に入ってくる。

 

たとえば、マルクスは一夫多妻制に対して実は寛大だったのではないか、といった発見をすることができる。ブルジョワジーは一夫多妻制であるにもかかわらず、プロレタリアートに対して文句をつけるのは偽善的ではないのか、とマルクスは述べている。

 

あるいは、マルクスが説く「反動的社会主義」はナチズムに近いことがわかる。マルクスはあらゆる社会主義に対して肯定的ではなかった、ということが見えてくるのである。こうしたことは、解説書などを事前に読んでいないほうがストンと腹に落ちてくるだろう。

 

しかし、事前に解説書を手に取っていなかったとしても、必ずそこには何らかの前提知識や偏見があるものである。たとえ、事前学習などしなくても「ヒットラー」「共産主義」などの言葉に対して、何かしらのイメージをすでに抱いている人がほとんどだろう。肝心なのは、自分の中にはすでに何らかの偏見があるということを認識しながらテキストに向き合うことである。

 

人が人生で読める本の数は限られている

 

とはいえ、人が人生で読める本の数は限られている。本書で紹介している200冊すべてをオリジナルから読むとなったら、本来の仕事が何もできなくなるだろう。だからこそ、オリジナルを読み込んだ人間が「この本にはこういう部分に機微に触れる箇所があるのだ」とまとめた本書のようなものを道案内として活用することは有益である。

 

自分にフィットしていそうだ、あるいはちょっと嫌いな考え方ではあるが知っておかねばいけない、と感じる作品をそこから選ぶ。茫洋とした書籍の海の中から損をしない本と出合うための賢い選択肢のひとつといえよう。

 

また、古典としてのラインアップは日々アップデートされているということも忘れてはいけない。本書では春秋戦国時代の古典として「三国志」ではなく、漫画の「キングダム」を挙げている。春秋戦国時代を「キングダム」で学ぶことは、なんら不思議なことではない。秀逸な漫画は古典となりうるのである。

 

今後、鬼について知りたいと思った場合、古典的名著である馬場あき子さんの「鬼の研究」もいいが、「鬼滅の刃」や「約束のネバーランド」などが挙げられるようになる可能性は大いにある。「鬼」というのはそもそも「隠」(おん)という語から来ている。目には見えないけれど確かに存在し、災いを招くものーー。

 

学術論文であろうが漫画であろうが、そこに現れてくるものは同じだ。今後、「鬼滅の刃」論なるものは必ず出てくるであろうし、そのなかには、災いをもたらす見えざる存在や、兄妹の物語としての家族の問題などが必ず取り上げられることになるだろう。(つづく)

 

 

 

講演「私の好きな三人の日本人」(10)

 

7月17日(金)京都祇園祭山鉾巡行。

 

「真理は現実の唯中にあり」

 

三人目として、どうしても二宮尊徳のことをお話せねばなりません。尊徳について単に好きだという以上に、わたくしの開眼の師ともいうべきお方です。いつも申し上げるように、天王寺師範時代にご縁のあった八尾の山本正雄君が、夏休みに尊徳翁の遺跡巡りをしてのお土産として頂いたのが、「二宮尊徳夜話」でした。

 

この書の開巻劈頭に「夫れ我が教えは書籍を尊ばず、故に天地を以て経文とす。」云々とありますが、この一語に接し、天地が真っ二つになるほどの衝撃を受けたのです。この一語によって、今までアカデミックな学問のあり方についていささか疑問に思っておった事が、一挙に解決されたのです。まさに晴天の霹靂ともいうべきものでした。

 

尊徳翁の歌に「音もなく香もなく常に天地は書かざる経をくりかえしつつ」とありますが、これは天地不書の経文を読むべしという意味であり、「真理は現実の唯中にあり」というわたしの表現は、この一語によって導かれたのであります。

 

二宮尊徳といえば、ふつうには偉大なる実践者として知られていますが、しかしそのような偉大な実践力・行動力の根源には、それに勝るとも劣らない偉大な思想・信念があったのです。それを今日のことばで申せば、偉大なる世界観・人生観を持っていたというわけです。随って、また尊徳翁は哲人ないし哲人的思想家として、実に卓越した巨人なのであります。

 

ご承知の通り、尊徳全集は、膨大三十六巻に及んでおり、わが「実践人の家」でも先年同志の寄金によって購入し備えておりますが、この類稀な「全集」において、いわゆる「原理論」と称されるものは、唯の一巻に過ぎず、他に今一巻「門人論」と合わせて、この二巻を除いた他の三十四巻は、すべて済世救民に尽くされた仕法計画を中心とする書類なのです。

 

ところで、その「原理篇」の中に、「三才報徳金毛録」と題して、一大円融の哲学の真髄を、披瀝した一書があります。その中に一例をあげますと、こういう一句があります。

 

「忠勤ヲ尽シテ其ノ弊ヲ知ラザレバ忠信ニ至ラズ 忠勤ヲ尽シテ其ノ弊アルヲ知レバ忠信ニ至ル」。

 

講演「私の好きな三人の日本人」(9)

 

7月16日(木)盆送り火。

 

なお「独行道」というものは、先ほども申しましたように、一番手っとり早く武蔵という人物を知る手掛かりといってよいものですから、ついでに紹介いたしましよう。

 

独行道(十九ヶ条)

 

1. 世々の道に背くことなし

1.よろずに依怙の心なし

1.身に楽みをたくまず

1.物事に数奇好みなし

1.居宅に望みなし

1.身一つに美食を好まず

1.一生の間欲心なし

1.我事において後悔せず

1.善悪につき他を妬まず

1.何れの道にも別れを悲しまず

1.恋慕の思ひなし

1.わが身にとり物を忌むことなし

1.兵具は格別、途の道具たしなまず

1.道にあたって死を厭まず

1.老後財宝所領に心なし

1.神仏を尊び神仏を頼まず

1.心常に兵法の道を離れず