「全一学」提唱の「創造の形而上学」
5月6日(水)振替休日。
森信三先生の晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」を紹介しています。本書は心情的な日本人にふさわしい哲学(全一学)の提唱です。本日は第10章「宇宙における人間の位置」の第1節「いのちの自証の立場と人類の原罪」の3回目で、ひとたび水爆戦が開始されれば、一瞬にして全人類の大多数は絶滅する他ないと警告しています。
「世界創造」の秘奥につき普通の常識見としては、絶対に不可能事という他ないにも拘らず、そこには“いのち”の呼応の作用らきにより、たとえ極微というに足りない程度とはいえ、かかる“いのち”の内面的消息の一端に触れうるわけである。
「世界創造」というような極大無限なる“いのち”の創造の大用は、もともと超時・空的な永遠の“いのち”の大用だということである。即ち絶対的全一生命の超時・空的な大用ゆえ、一面からは悠久無限なる過去の出来事といえると同時に、その時その内面において作用らいていた“いのち”は実に、この現在即今直下においても作用らいているわけで、そこには絶対無限に悠久なる“いのち”が、そのまま直下の一瞬において燃焼し発光するにも似た趣があると言えるであろう。
かくして神の世界創造は、これを外側から考えれば悠遠無窮なる過去に属し、時間の系列上にその時点を刻むことの許されないと同時に、ひるがえって“いのち”の内的自証に即しては、直ちにこれ即今直下なる“いのち”の現実だというべきであろう。
以上を前提とすることによって、一応は安んじて本章の主題の考察に入りうるかに思うのである。即ちこの大宇宙のおける人間の位置は、まことに微妙かつ霊妙限りなきものと言えようが、それはあくまで内面よりということで、単に外側から見るとしたら、この地球上に棲息する無数の生物中の一種に過ぎぬといわねばなるまい。
特に現在のように、人間に賦与された知性の一面的行使が、ほとんどその極限に達しようとするに到っては、人間はある意味で最も恐るべき生物というべきであろう。その最大なるものは原爆、水爆の発明と、その巨大なる蓄積というべきである。周知のように、ひと度地球上でかような水爆戦が開始されたとすれば、一瞬にして全人類の大多数は絶滅する他ない運命の下に置かれているが故である。