「自伝」のすすめ(4)

 

6月29日(月)

 

人間としての絶対的な義務

 

それというのも、自分の娘の嫁ぎ先の孫にまで、「お母さんのお里のおじいちゃんは、こういう一生を送った人だ」とか、「わたしを可愛がってくれた、あのお里のおばさんは、こういう人だった」というふうに、ちゃんと分かるようにして置かねばならん義務があると思うからです。

 

このように考えてきますと、「自伝」を書くということは、人間がこの世に生まれて来た以上、最低の義務といって良かろうと思います。ですから私は、たとえ日雇い稼ぎか何かで、その日を立てているとしても、電灯もともらぬような掘立小屋、カンテラの光で小学生用の十円くらいのノートを買って、鉛筆で自分の一生のあらましだけは書いて、もしわが子どもが三人あったとしたら、同じことを三冊書いて渡すでしょう。

 

どうも運つたなくして、お前たちには気の毒なことをしたが、しかしそれはかくかくの次第でこういうことになったのだーーこれだけのことをお前たちに話す機会がなかったから、どうかこれを読んで貰いたいーーといって渡すことでしょう。

 

この世に「生」を受けて、わが子に「血」を伝えた以上、これはどうしてもしなければならぬ、人間としての絶対的な義務といってよいでしょう。もっとも、それをどの範囲に分けるかということは、

その人が社会的にどういう地位にいたかということによって、それぞれ違うわけです。だが、最後のところとなると、子どもの数だけ書いて渡すというわけで、これは社会的にいちばん影響を持たなかった人の、最後のささやかな責任の取り方でしょう。

 

このような所信を持っているだけに私は、上村先生のご事業の壮大さを、身に沁みて痛感するのであります。人間というものは、同じようなことを自分もやっていないと、相手の人がどれほど偉いかは分からんのです。それというのも、その場合、相手を計るものさしを持っていないからです。

 

ですから皆さん方のうちに、もし一冊でも本をお書きになっている方がおられたら、上村先生のように、毎年誕生日に一冊ずつの書物をお出しになるということが、そしてそれが、十五年の永きにわたって刊行してこられたということが、いかに壮大な事業かということが、お分かりになるはずであります。

 

どんな試練に遭遇しても逃げてはならない!

 

6月27日(土)

 

運命は自ら切り開くものーーー。明治38年、当時の新聞が「堀江6人切り」と報じた事件で、両腕を失いながらも、他を怨まず、運命と向き合って生き抜いた大石順教尼(おおいしじゅんきょうに)の生き方に学ぶのが「無いから出来る」(石川洋著、致知出版社)です。「まさかの坂」に遭遇しても、「逃げてはならない!」ということです。

 

運命を開くことができるかどうかはその人の心

 

人生には3つのさか道があるという。1つは“上り坂”、2つは“下り坂”、3つは“まさかの坂”である。人は時に上り坂の幸せを味わい、時には下り坂の辛さに落ち込む二面性を経験する。したがって、人生の重さを体得した人は、上り坂の時に驕らず、感謝と謙虚を守り、下り坂の時には自分をダメにせず、明日を信じて生きることを知っている。

 

結局、人生の安定は、上り坂でも下り坂でもない、“平常心”を養うことである。問題はまさかの坂との出会いである。人生において想像もしなかった不慮の出来事に遭遇し、なすすべもなく絶望の渦に巻き込まれていく。私たちは、このまさかの坂を乗り越えていかねればならないのである。

 

大石順教尼は、そのまさかの坂を体験し、人生のドン底に生き続けながら、ついには“無手自在”の活路を見だした人である。本名を「よね子」という。明治21年(1888年)3月14日、大阪の道頓堀の「二葉ずし」の長女として生まれる。

 

3歳の時、京舞・山村流の山村きみに師事し、10歳にして名取となる。やがて大阪・堀江の芸妓委員長をしていた山梅楼の主人、中川万次郎の眼にとまり、養女として「妻吉」となり、西川流舞踏を習う。この養父、万次郎の囲い者に、おあいという芸者がいた。おあいは身持ちが悪く、万次郎はそのことに心を悩まし、ついに常軌を逸していく。

 

明治38年4月中旬頃、おあいは家出をし、行方をくらました。店の芸妓がその行先を隠していると思い込んだ万次郎は、6月21日の明け方、芸妓たちの寝室に踏み込み、6人に凶刀を振るう。5人が絶命、妻吉だけが両手を切り落とされ、血の海の中で一命をとりとめる。当時の新聞は、「堀江六人斬」という見出しでこの事件を報じた。

 

なぜ、妻吉だけが一命をとり止めることができたのか、私は順教尼にお尋ねしてみた。「私は、逃げなかったから。後から思うと、亡くなられた5人の妓は悲鳴をあげて逃げたため、後ろから日本刀で切りおろされたのだと思う。養父さんはそんなことをする人ではない。何かの間違いだ、と信じて逃げなかったからだと思う」、と語って下さった。

 

妻吉は江戸堀の高安病院に運ばれた。手術に当たった高安博士は述懐している。「よう助かったものだ。第一腕を切られてから3時間も4時間もそのままの状態で放置されていたのだから、普通の人なら大量出血で命は失われている」。そして博士はポツンと漏らした。「騒がなかったからだろう」。

 

順教尼が言われる、「逃げなかったから」という心情の吐露と、高安博士の、いき抜くことができたのは「騒がなかったから」という述懐は符合する。人間は時折、想像もできない運命の危機にさらされることがある。その運命を開くことができるか、不運に落ちていくかは、その人の心によって決められることを知らされた。

 

よく、運命にさらされるという。私たちは不慮の出来事にあうと、運命に操られていると思いがちだが、運命を開くためには、運命をどう生きるかという前向きな取り組みが必要なのである。事件後の裁判で検事から「お前は、万次郎に対して、今どんな感情をもっているのか」と問われて、次のように答えている。

 

「私はお養父さんを憎めまへん。重い傷だすよって、いつ死ぬかもしれへん。けど、恨み憎んで死ぬことは嫌だす。(中略)4年間のお養父さんの恩は、私は返してありまへん。今、恩返しをして、死にとうおます」。順教尼を語る上で、最も重要な一事がある。それは加害者、万次郎に対しての受け止め方だ。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが、順教尼の万次郎への姿勢は「罪を憎まず、人も怨まず」の、もっと深い心境を感じさせる。

 

後年、順教尼が建立された仏光院の本堂には、堀江事件の5人の犠牲者と加害者、万次郎の位牌が祀られている。加害者を祀る本堂というのは、おそらくどこにもないであろう。順教尼と生活を共にされた身内の方やお弟子さんに尋ねても、老尼は終生、万次郎に対して憎しみめいた言葉を口にされたことがなかったという。

 

不思議な方であるとしか言えないが、順教尼に学ぶ者として、この一事を、もう少し足元に引き寄せておく必要がある。日頃、私たちは過去に囚われ、許せないものを引きずっていることが多い。それが結果として今を生きる活力を失わせ、正しい判断を妨げ、将来を駄目にする原因になっているのではないか。(つづく)

 

 

「自伝」のすすめ(3)

 

6月26日(金)

 

「自伝」は自分で書かねばならぬ義務

 

ですから人が伝記を書いてくれるだろうと自惚れない以上、どうしても自分で書く義務があるわけです。それに人の書いた伝記では、お世話になった人々のすべてが浮かび上がるとは言えないでしょう。ところが自分で書くとなりますと、無量の人々お世話によって、現在の自分があり得たということが、はっきりするのです。

 

たとえば、小さい頃の友人たちとの人間関係とか、先輩などから、いろいろ啓発を受けたこととかは、有名人の伝記作者はよう探らんのです。それというのも、伝記というものは、結局外側からの見物だからです。

 

ですから本当を言えば、伝記を書いて貰えるような人でも、自己の内面史として「自伝」を書くことによって、伝記に漏れた事柄を補うのがよいとも言えましょう。つまりそれによって、着物に裏をつけるようなものです。

 

皆さん方に「自伝」を書くことをおすすめするには、もう一つの根拠があります。それは何かというと、犬や猫でも純粋種になると「血統書」というものがあって、それは十八代まで遡るということです。犬や猫さえそうなんです。ところが肝心の人間の方はどうかというと、自分の親が何歳ごろに一番苦労したか、またそれは何で苦労したかということの言える人は、十人に一人はないでしょう。

 

いや百人に二、三人しかいないでしょう。いわんや自分の祖父母の略歴の分かっている人が、一体どれほどあるでしょうか。世間的に有名な祖父母を持っている人なら、ないわけでもないでしょう。しかしその場合でも、男の伝記はあっても、お婆さんが人から伝記を書かれているという人は、よほどの人で、社会的な活動をした人でなければ、伝記は書かれないでしょう。

 

このように詰めてきますと、われわれ人間は、一生に唯一冊の「自伝」」だけは、どうしても書かねばならぬ義務があるということになります。特に子孫に「血」を伝えた以上、絶対にその義務があるといってよいでしょう。

 

「自伝」のすすめ(2)

 

6月25日(木)

 

「自伝」と「伝記」の違い

 

私などにしましても、こういうことをしみじみ考え出したのは、お恥ずかしいことながらホンの最近のことです。お勤めをなさっている方々は、失礼ですが、実はお勤めをおやめになって始めて、「自分はどうも月給を貰い過ぎていた。月給だけの仕事はやらなんだーー」ということに気づくのです。

 

つまり人間というものは、水みちを断たれて、はじめて水の有り難さが分かるように、私なんかも、今や棺桶が近づいて、一生が終わりかけて、はじめてこの世に生まれて来たことの尊さが、わかり出したという次第です。このように考えて来ますと、どんな人でも自分の一生を回顧して、「自伝」を書かねばならぬということが分かり出すのです。

 

私も「全集」の最終巻に入れるために「自伝」を書くことにして、すでに下稿はあらかた出来上がっているのです。「自伝」というものは、表から言えば「自己形成史」であって、自分という一人の人間が、どうしても今日あるを得たかという、その足跡を書くわけですが、しかし書き上げてみますと、結局「報恩録」ということになるわけです。

 

つまり、これまで忘れていた多くの方々のお世話によってーーこれまでいっこう失礼してきた、そういう方々に、「若い時代にこういうことでお世話になった」とか、「ああいうことでご厄介をかけた」とかいうふうに、それらの方々の姿が、次々と浮かび上がってくるのであります。

 

ところが、これまでは「自伝」などというものは、社会的にその名の知られているような、知名の人が書くものだと考えられて来たようですが、しかしそういう人々は、人が伝記を書いてくれます。ところが私どものような平々凡々の人間は、人から伝記は書いてもらえませんので、どうしても自分で書かなきゃならぬわけです。

 

ところが「自伝」を書くのは偉い人のすることで、自分みたいなものが「自伝」を書くのは、おこがましいことなどと考えている人も、少なくないようです。しかしそれは自伝と伝記の区別が分からぬ人なのです。偉い人は自分で書かなくても、人が書いてくれて、それが「伝記」というものです。「自伝」の方は、伝記を書いて貰えるほどに偉くないお互いが、自分の義務を果たすために自分で書くものなんです。

 

「生涯に、せめて一冊の書物はどうしてもーー」

 

昭和42年3月5日。

尼崎市労働福祉会館

 

6月24日(水)

 

この世に「生」を享けたということはーー

 

このたび、今日この催しのことをお知らせ頂いた時、あいにく私の勤めております海星女子大学の卒業式と重なりますので、困っていたのですが、しかしせめて顔出しなりと思って参上した次第です。

 

ところで現在私のご縁のあるのは、多くは小・中学の先生方ですから、いつも一生に最低一冊は本を出されるがよいですよと、極力おすすめしているのです。近頃は「出来たら三冊出されるのがいいですよ」と申しております。「生涯に、せめて一冊の書物はどうしてもーー」というのは、学校の先生ばかりではなく、ここにお集まりの皆さん方のどなたにもお勧めしたいのであります。

 

それは何かといえば「自伝」です。人間はこの世に生まれた以上、自分の「自伝」だけはどうしても書かねばならぬと思うのであります。そもそも、われわれがこの世に人間として「生」」を享けたということは、まったく素晴らしいことだと思います。

 

仮に自然科学的に考えましても、何百億年もの昔、地球の出来上がった最初といったら、科学でも正確な計算はできなくて、大よその推定に過ぎないでしょう。歴史の場合でも、どうも推定が甘過ぎるようであります。

 

自然科学の方でも甘過ぎて、人類のはじめの推定は、最近だんだん遠くなってきたようです。歴史の方でもそうなんで、最近の考古学の発展によって、日本人の起源というものも、以前より古いということになって来たようです。

 

自然科学が発達するにつれ、人類の起源の長さとうものも、仏教などで言っていることに、近づいて来るようであります。仏教というものは、一種の英知ですからねー。ですからわれわれ人間が、この世に「生」を享けたということは、如何なることに勝って、有り難くもまた尊いことであって、とうてい言葉などでは表現できないことなんです。しかるに平生はお互いにとかくウカツに過ごしているわけです。

 

大学の門――神戸大学入学生の諸君に――(14)

 

6月23日(火)

 

フト心に思い浮かぶ、それが現実の思索の端緒

 

思索はフト心に思い浮かぶ、それが現実の思索の端緒である。そこで思索をしようとする人は、そうしたときどきに浮かぶ自分の「思索の芽」――平たく言えば思いつきを一々克明にノートにしておかねばならぬということである。

 

というのは、そうした「思索の芽」は、フッと現われたその瞬間に書き留めておかねば、次の瞬間にはもう忘れてしまうものだからである。このようにときどき書き留めておいた「思索の芽」が、ある程度たまったら、それを整理し配列してみるのである。

 

するとそこに或るまとまった思索の領域が展開すると共に、「思索の方向」とも言うべきものが決まってくるかと思う。そこで一つ一つの断片語の間の論理のギャップを埋める努力をすれば、どんな初心の人でも、自分の思索をまとめて一つの文章にすることができるわけである。これこそその人自身が築いた思索であって借り物ではない。

 

随ってその外形が如何に見すぼらしくとも、その人にとっては一つの力というべきであろう。ここに一々その名は挙げないが、今日わが国において、特色ある思索を展開している人々は、大なり小なり、このような行き方をされている人々のようである。それゆえ諸君も、いわゆる思想家などにはならなくとも、とにかく自分の考え方というものだけは、しっかりと持つ人間になって貰いたいのであり、それには、先きに述べたような努力をなされることをお勧めしたい。

 

最後に足もとの問題について、一、二述べてこの話を終わることにしたい。そもそも人間のしまりという問題は結局、女と金と酒の三つを見たら大体の見当がつくと言ってよい。どんなに卓れた才能をもっていても、この三つに対してダラシのない人間は、頼むに足らぬといってよい。この三つのものが、人間を確立せしめる土台を形成する三角形の頂点をなしていると言ってもよいからである。

 

女と金と酒の三つのうち、どれか一つの角が欠けると、それだけで人間としてはどちらかへ傾くことになり、その傾斜の度がひどければ、一つの角の欠けだけでも倒れる場合が少なくない。酒については第一に呑まれぬこと。第二にただ酒、ふるまい酒というような、さもしい酒を呑みたがらぬこと。以上に二か条は、卒業後実社会に出てからこの世の生を終えるまで、忘れてはならぬ注意と言ってよいが、現在学生としての諸君の注意としては、卒業するまではなるべく酒を呑まぬようにするということであって、この一か条を守るだけでも、諸君の学生生活には、ある種の緊張が支配することであろう。

 

次に女についてはなるべく接近せぬこと、仮に接近する場合には、決して深入りしないこと。男性の側から見て、結婚の好配偶は、年齢的に見て、大体六つか七つ位年下の女性であって、このことが常に意識の底流にあれば、如何に男女共学の今日でも、踏み外すことはメッタにあるまいと思う。

 

最後に金について、今日の学生諸君は、気の毒なほど金の鍛錬を受けているから、金の注意など全く不用とも言えそうであるが、しかし立ち入って諸君の実情を観察してみると、今日は今日なりに、やはり金の注意は必要なことが分かってくる。

 

「各人その能力に従って働き、欲望に応じてとる」ことのできる楽園的社会がくればいざ知らず、然らざる限り、乃至は人類の歴史がかような理想の段階に達する迄は、金に対するしまりの必要のない社会というものはない。今日学生諸君のうちには、ほとんど講義を聴講しないで、働いたアルバイトの金を、ムダ使いしている人も少なくないようである。

 

今日のような経済状態では、「なるべくアルバイトをしないように」と言うことはムリであろうが、できるだけムダを節してアルバイトを少なくする。もしせずにすめば、しないですむように経済を引き締める。そうして生涯に二度とない学生時代を、できるだけ本質的に充実したものとして送っていただきたいと思う。(了) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学の門――神戸大学入学生の諸君に――(13)

 

6月22日(月)

 

思索はどこまでも現実について

 

多読精読も私には一向に型というべきものはない。即ち軽いものは一夜に読み飛ばし、どっしりしたものは、一週間、二週間とかかることも少なくない。しかもその間感動の持続がこれを貫くのでなければ身につかない。真摯に人生を生きんとする者にとっては、一冊一冊の読破、読了が、まるで一人ずつ敵を斬り伏せてゆくような真剣勝負である。

 

最後に読書に関して一つ申しておきたいことは、人間は一生のうちに、一人か二人、その人の全著作を読み抜く人をもつが良いということである。その一人は誰でもよいが、その人の生命の波長が、自分に最も近い人が良いと思う。内村鑑三でも夏目漱石でもよいし、またトルストイでも良ければドストエフスキーでもよい。

 

近くは現在の日本の思想家だって、決して悪くはないと思う。現に私の知っている人の中にも、小林秀雄を読み抜くことによって、文筆家として一人立ちしかけた人もあるくらいだからである。否、現存の卓れた一人の思想家を読み抜くということは、その人の到りうるスケールは別として、最もムダのない手近かな、しかも手堅い途といって良いと思う。

 

とにかく一人の人を、その主著ばかりでなく、初期の時代から晩年に到るまでの全著作、否、著述のみでなく、出来ればその人の日記や書簡、さらには語録等に至るまで、一切を漏らさずその全容を知ることによって、初めて自己というものが立つということを、ぜひ忘れないで頂きたい。

 

ところで思索という問題について詳しく述べたいと思っていたが、時間がもうなくなったので、ごくあらましのことだけ申し上げることにしたい。思索についてまず第一に大事なことは、思索とは、物の見方考え方であって、換言すれば現実に対するその人の考えをいうのだと言うことである。

 

私どもの学生時代には、思索というと、何か西洋の哲学書に描いてあることを、もちゃもちゃいじくることのように考えている者が多かったが、そう言うものではないと思う。思索はどこまでも現実についてなさるべきであり、分かり易くいえば現実に対するその人の意見なり考えなりを言うのである。思索をこのように考えてくるとき、大事な事柄は、思索の端緒はいわゆる「思いつき」とも言うべきものだということである。

 

「生き方の研究」(森本哲郎著)③

 

6月20日(土)

 

「生き方の研究」(森本哲郎著)の五人目は、「より美しい世界」を求める与謝蕪村の3回目で、芭蕉と対比しながら、蕪村の句を味わい、著者が蕪村のように「第三の道」を逍遥したいという意味を味わいたいと思います。

 

食うための苦労と、真に生きるための努力の乖離

 

蕪村は芭蕉のようにはいかない。妻子を残して求道の旅に出るような無責任な真似はできなかったのだ。浮世にがんじがらめになっている蕪村はそこでこう詠む。

・「壁隣(かべとなり)ものごとつかす夜さむ哉」

 

隣と薄い壁一重を隔てただけの侘しいわが家である。その壁をつたって、隣の人が何かごとごとと音を立てる立居振舞いが手にとるように響いてくる。それは悩み多き俗世の音だ。しかも、その隣人は自分を厭(いと)っているようにさえ思える。

 

「我を厭ふ隣家寒夜に鍋を鳴らす」という句もある。「冬こだち月に隣をわすれたり」と言う吟もある。すっかり葉が落ちた冬木立に寒月が煌々と照っている。思わず隣のことなど忘れてしまう。「隣」とは実際の隣家というより、浮世、俗世と解すべきであろう。

 

隣家同様、不風流な俗世間に身を置かざるをえない蕪村は、破れた炬燵ぶとんにくるまりながら、風雅な世界をひたすら夢みるのだ。「冬ごもり壁をこゝろの山に倚(よ)る」という句が、そのような彼の心境をそのまま描きだしている。

 

そうすれば、笠着て草鞋をはかずとも、居ながらにして風雅の道を歩むことができるではないか。俗世にあっても、想像力、すなわち夢みる力によって、芭蕉のような境涯に心をゆだねることもできよう。そして「しぐるゝや我も古人の夜に似たる」という状況をつくり出せる、というのである。

 

蕪村はある意味ではたいへん不幸な芸術家である。彼は画人であり、同時に俳人であったのだが、画業については同時代の大雅(たいが)と比較されて一歩譲るとみなされ、俳諧においては先達の芭蕉にとうてい及ばないと思われているからである。

 

芭蕉とくらべて蕪村がそれほど評価されないのは、彼の芸術が芭蕉とちがって求道的な情熱を欠き、高踏的な遊びごとのように受けとられるからである。芭蕉は野ざらしを覚悟で生涯を笠と杖に託し、ただ一筋の道を歩んだ旅人だった。それにくらべ、蕪村は京都で家庭人となり、いわば小市民的な生涯を終えている。

 

だが、いささか逆説のようにきこえるが、私は蕪村のような生活のほうが芭蕉の人生行路よりも、むしろ茨の道だったのではないかと思う。たしかに芭蕉のように身を極限の状況に置くことは勇気を必要とする。「故郷を去り六親(りくしん)を離れて」ひとり放浪の日々を重ねることは凡人のよくするところではない。

 

そうした求道の生き方を希求しながら「家にあって浮世のわざに苦しむ」場合のほうが、その希求が強ければ強いほど、余計に苛酷といえないであろうか。浮世の絆にかたく結ばれてしまった詩人は、最も恐るべき敵、「日常性への埋没」と不断に戦わねばならぬ。

 

食うための苦労と、真に生きるための努力、この二者の乖離こそ、人の心をこの上なくさいなむのである。さまざまな浮世の絆にしばられつつ、しかも美しく生きようとし、醜い現実の世界を、わが心で美しく仕立て直そうとするには苦行僧に似た強い意志と、みがきあげた才能を必要とするのだ。

 

だから第三の道を行こうとする者は、すなわち「生活のかたちを芸術のかたちに作り変え、生活そのものを、美をもって高めようとする」人には、「個人の生活技術が最高度に要求され」、「その要求にこたえることのできるのは、ひとにぎりの選ばれたるものたちのみであろう」とホイジンガーはいう。蕪村はまさしく、その「選ばれた者」のひとりだった。

 

人生はむかしから茨の道である。その茨の道を傷つきながら、ただ真実を求めてひたすら歩む旅人は確かに敬するに値する。けれども、茨の野にも比すべき浮世を、わが心のなかで夢の園に仕立てあげ、俗世を美の国につくり変えようとこころざす人は、もっときびしい戦いを強いられるのだ。芸術家の苦悩はそこにある。

 

この意味で、蕪村という詩人の生きざまは、つぎの句にじっくりとにじんでいるように思えてならない。「茨野や夜はうつくしき虫の声」。茨の生い茂った野が夜になると、まるで虫籠になったように、美しい虫の音をひびかせている、というのである。昼間は何の興もおこさぬ茨野が、ひとたび夜になると、美しい虫の声にみちた世界になるという情景は、ホイジンガーのいう「第三の道」を、なんと巧みに描き切っていまいか。

 

大学の門――神戸大学入学生の諸君に――(12)

 

6月19日(金)

 

読書は自分の心の欲求を充たすこと

 

エロ本も徹して読めば必ずやそこには得る処があるはずである。何となれば性は食と共に、人間の二大根本本能の一つであって、ご承知のように森鴎外にも「ヴィタ、セクスアリス」という性的自叙伝があるが、その背後には世人は余り知らないが「性欲雑説」その他の性欲研究の諸論文があるのである。

 

とにかく読書について最も大切なことは、自分の心の欲求を充たすことだということを徹底して知ることが大切である。わたくしが最も有効な読書法として、「一冊の書物を一気に読み抜け」というのは、それが最も捗る読書法だからであるが、単にそれだけではない。その他にもそれに劣らぬ大事な面がある。と言うのは、それによって我々は自己の意思力を最も本質的に鍛錬することができるという点である。

 

西田博士などのように、常に独創的な自己表現をしている人の場合には、「続思索と体験」の中にもあるように諸書を拾い読みするという読書法でも良かろうと思うが、普通の人の場合には、やはり一冊の書物を読み切る習慣をつけねばならぬと思う。

 

否、西田博士のような方でも、拾い読み的な読書法を始められたのは人生の後半からで、学問の基礎時代には、やはり難解な古典的な書物をコツコツと読まれたもののようである。

 

読書については際限がない。たとえば書き抜きを作るかどうか、一冊の良書を何度も読むかどうかとか、精読多読の可否とか限りがないが、それらの問題については、各自が自分の好みに従ったらよいと思う。私自身はこれらの問題に関してどうしているかと言うと、大の不精者であるから、書き抜きというようなことは、大学の卒業論文以外にはしたことがない。

 

つまり読書はどんなに理論的な書物でもわが心の楽しみ、愉悦のために読むのだから書き抜きなどはしない。一々書き抜きなどしていたら、丁度うどんやとろろをくちゃくちゃと噛んで食べるようなもので、妙味はケシ飛んでしまう。ご承知のようにうどんやとろろは一切噛まずに、スルスルと飲み込む、あの触覚を無視しては、真の味は分からない。(一同爆笑)

 

大学の門ーー神戸大学入学生の諸君に――(11)

 

6月18日(木)

 

読書の要訣は書物の選択が第一義

 

人間の生命力の強さは、何としても一事を貫くところにあると考えるからである。だが読書は、読書をしない人々が、わきから眺めて考えるほどに悠長なものでもなければ、単なる遊びごとでもない。もちろん読書も、それが没頭三昧の境に入れば、他の仕事と同じく遊戯三昧というべき趣がないとは言わぬ。

 

しかしそれを以って読書が何ら生命力を要しないだらけの遊びごとと考えたら大いに違う。このことは、からだが疲れているとき、軽い肉体的作業ならば平気でやってのけられても、読書はできないという一事によっても明らかである。即ちそれだけ読書は生命力のコンセントレーションを必要とするのである。

 

読書についての要訣は、さきにも述べた感動に値する書物を、全生命力を集中して一気呵成的に読み抜くことかと思う。それには、それだけわが心を惹き、わが心を吸引する力を持った書物でなくてはでき難い。となると、結局読書の要訣は、書物の選択ということが第一義となる。

 

そこで読書の選択についてであるが、注意を要する点は、世評に動かされたり、操られたりしないで、自分の舌で嘗め、その味を確かめてかからないとダメだということである。何より大事なことは、自分の生命がその時最も欲している書物を、むさぼるように一気に読み抜くということである。

 

如何に古典的な名著でも、自分にその消化力がなくてはどうにもならない。随って何よりも大事なことは、自分の生命がその時最も欲している書物を、ぶさぼるように一気に読み抜くということである。それは丁度肉体の食物であれば、誰でも「今日は何を食べたか」とか、「今日は何にしよう」と言うのと同じで、何ら不思議なことではないのである。

 

要するに読書は、自分にとって最も本質的な問題であるから、何人に対しても遠慮気がねは一切無用であって、自分が真に心から読みたい思うものを、思い切りむさぼり読むがよいと思う。だからもしエロ本が読みたい時にはエロ本を読む外はあるまい。その時は全生命力をあげてエロ本を読むのである。(一同笑)どうも厳粛なる真理を語ってこんなに笑われては叶わんですなあ。(一同さらに笑う)