「自伝」のすすめ(4)
6月29日(月)
人間としての絶対的な義務
それというのも、自分の娘の嫁ぎ先の孫にまで、「お母さんのお里のおじいちゃんは、こういう一生を送った人だ」とか、「わたしを可愛がってくれた、あのお里のおばさんは、こういう人だった」というふうに、ちゃんと分かるようにして置かねばならん義務があると思うからです。
このように考えてきますと、「自伝」を書くということは、人間がこの世に生まれて来た以上、最低の義務といって良かろうと思います。ですから私は、たとえ日雇い稼ぎか何かで、その日を立てているとしても、電灯もともらぬような掘立小屋、カンテラの光で小学生用の十円くらいのノートを買って、鉛筆で自分の一生のあらましだけは書いて、もしわが子どもが三人あったとしたら、同じことを三冊書いて渡すでしょう。
どうも運つたなくして、お前たちには気の毒なことをしたが、しかしそれはかくかくの次第でこういうことになったのだーーこれだけのことをお前たちに話す機会がなかったから、どうかこれを読んで貰いたいーーといって渡すことでしょう。
この世に「生」を受けて、わが子に「血」を伝えた以上、これはどうしてもしなければならぬ、人間としての絶対的な義務といってよいでしょう。もっとも、それをどの範囲に分けるかということは、
その人が社会的にどういう地位にいたかということによって、それぞれ違うわけです。だが、最後のところとなると、子どもの数だけ書いて渡すというわけで、これは社会的にいちばん影響を持たなかった人の、最後のささやかな責任の取り方でしょう。
このような所信を持っているだけに私は、上村先生のご事業の壮大さを、身に沁みて痛感するのであります。人間というものは、同じようなことを自分もやっていないと、相手の人がどれほど偉いかは分からんのです。それというのも、その場合、相手を計るものさしを持っていないからです。
ですから皆さん方のうちに、もし一冊でも本をお書きになっている方がおられたら、上村先生のように、毎年誕生日に一冊ずつの書物をお出しになるということが、そしてそれが、十五年の永きにわたって刊行してこられたということが、いかに壮大な事業かということが、お分かりになるはずであります。