2050年の世界――見えない未来の考え方②

 

7月27日(土)

 

「2050年の世界」――見えない未来の考え方(ヘイミシュ・マクレイ著、遠藤真美訳、

日本経済出版)を紹介しています。今回は次の30年に世界はどうなっていくのか。その動向を左右する10項目です。

 

1.  米国の政治体制が崩れる

 

米国は富が平等に行き渡り、公平な機会が与えられるという課題に直面しています。トランプの登場で不満が一気に爆発したのです。中国が世界最大の経済国となり、米国の地位は数十年間にわたり低下します。軍事力では21世紀中は最大の軍事大国であり続けます。

 

2. 中国、インド、米国の関係が悪化する

 

中国と米国の緊張が高まるのは避けられません。中国は高齢化と共に国内情勢が落ち着き、対外政策での攻撃的な姿勢が見直されます。しかし2030年代から2040年代に大きな混乱が生まれることが避けられません。

 

インドは21世紀後半を通して躍進を続けます。発火点は中国による台湾の軍事的併合、インドとの国境紛争、南シナ海情勢です。

 

3. ロシアが強く出過ぎる

 

ロシアが何らかの暴走を起こし、自国と周辺国にダメージを与える可能性があります。同国の人口は高齢化で収縮するため、世界での役割は小さくなります。ロシアの侵攻に対してウクライナ市民が結束した対応をとり、ロシアと世界の関係は大きく変わります。

 

体制が変わるまで、西側はロシアの封じ込めを続け、成果を上げると考えられます。しかし、核保有国の混乱は、世界全体にとって恐怖以外の何物でもありません。その危険は一時的なものとしても、恐ろしい危険であることに変わりはありません。

 

4. サハラ以南アフリカが貧困から抜け出せない

 

アフリカ大陸は内紛、人口の増加、環境悪化の影響を受け続けます。しかし全体としては、

サハラ以南のアフリカ諸国の統治は改善し、国民の福祉は向上する可能性が高いと見られます。ただし何より懸念されることは、世界で最も不安定な地域になることです。

 

人口が世界の4分の1を超えて増え続け、若者の多くが失業しているという状況は、今まで経験したこのないことです。アフリカ大陸が不安定になれば、人類にとって大きな脅威になります。

 

5.宗教戦争が勃発する

 

世界のキリスト教徒は25億人、イスラム教徒は18億人、ヒンドゥー教徒が11億人。異なる宗教が多数派を占める地域の境界は、どうしても発火点になりやすい。インドとパキスタン、サハラ砂漠の南端も然りです。ヨーロッパへの移民が新たな緊張を生み出し、イスラエルと周辺諸国の関係は世界でも特に大きな論争を呼んでいます。

 

歴史的に緊張は強弱を繰り返してきたのですが、今は緊張が高まり紛争に発展していくリスクが大きくなる時期にあるようです。最悪の場合は、緊張が暴挙を招き人類の悲劇が引き起こされかねないのです。

 

6. 環境悪化と気候変動を元に戻せなくなる

 

環境悪化に取り組む世界の能力について前向きに捉え、地球を救うテクノロジーの開発が進み、環境に与えているダメージを元に戻す方法への理解が深まると予測しています。しかし、この楽観的な見通しには2つの誤りがあるかも知れません。

 

その1つは、テクノロジーだけは環境悪化を止められないケース。急速な気候変動のスピードに追いつけず、大規模な移住が避けられないことです。2つは何か大きなものを見落としているケースです。気候変動はあるレベルを超えると変化が一気に進むとされています。

 

7.新型コロナウイルスの影響が尾を引き、そこに別の新たなる脅威が襲いかかる 8.中東がさらに不安定になる 9.情報革命は恩恵をもたらさず、弊害を生み出すかもしれない 10.民主主義の脅威

 

 

 

 

「全一学」を生み出した波瀾の人生

 

7月26日(金)

 

・福島政雄先生から魂に沁み透る講義(24歳)

 

何といっても広島高師時代に最も強い影響を受けたのは、福島政雄先生と西晋一郎先生。福島先生の教育学の講義を受け、初めて魂の底まで沁み透る感に打たれたのです。

 

学生時代に近角常觀師により導かれた福島先生の講義は、すべて浄土真宗の信仰を根底とした教育論で、今まで常識的な物の考え方しか知らなかった先生にとって、初めて内省的な導きを得られたことは一大驚異でした。

 

なお、福島先生とのご縁を深めることができたのは、柳川、松本の2人の友によるもので、両氏は共に石川師範の出身で、師範時代に真宗学界で一流といえる暁烏敏、藤原鉄乗、高光大船などの方々に接しているだけに、その思想的態度、考え方において格段の違いを感じたのです。

 

*教育とは流水に文字を書くような果ない業(わざ)である。

 だがそれは岸壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。(一日一語 3月2日)

 

福島先生はまさに「開眼の師」といえる方でもあり、深いご縁から高師4年の時、一年間先生のお宅に奇隅させていただく恩恵にも預かります。さらに福島先生を中心としたペスタロッチ研究会が発足し、その世話役を森先生など4人の仲間が担当することになります。

 

後に長田新先生も参加。その主力メンバーの柳川重行氏が呼吸器を病んで退学を余儀なくされましたが、帰郷にあたり福島先生の奨めにより、ペスタロッチの教育精神の発揚を目的とする教育雑誌を発行することになります。これが雑誌「混沌」の誕生です。わが国ペスタロッチ運動の草分けと言えるもので、昭和18年太平洋戦争の苛烈な戦況による廃刊に至るまで、10数年間継続します。

 

*ペスタロッチー

人類の夕暮れを嘆く一人の隠者のこころ 誰か知りけむ

八十路過ぎて帰り来しイノホーフの土は寒けく明け暮れにけむ(一日一語 2月17日)

 

「全一学」を生み出した波瀾の人生

 

7月25日(木)

 

・広島高等師範の同期生は秀才が揃い!

 

同期生には秀才が揃い、同室の大槻正一(後に文理大の教授)をはじめ、土井忠生(国語学の権威、文理大教授)、千代田謙(西洋史学の権威、文理大教授)など。加えて後輩には母校へ帰り教育学の権威となる稲富次郎先生です。

 

師範時代の心境と生活について、幸いにも「日誌」が保存されており、これによって当時の一端に触れることができます。広島講師時代には日誌はなく、ただ交友50年に及ぶ師範時代の親友小久保文一氏への書翰により、若き日の苦悩と焦燥などその片鱗を窺い知るのみです。

 

・文芸より宗教へーー宗教より哲学へーー

 

以下の心境の一断面に、どこか将来への傾向の一端を伺がわせるものがあります。

 

⚪️「キュウヒセイニサイヨウス トリイ」この電報を昨夜深更に受け取った。永い間君の心を苦しめた小生の学資問題も、ようやくこれで、一段落がついたといってよいだろう。あの年老いた養父母の上に重苦しくおいかぶさっていた錘が、これでやっと取れたかと思うと、何ともいえぬ限りない感謝に浸っている。

 

⚪️一本の草を抜けば一本の草は減る。1時間も引けばかなりの土地がきれいになる。それに僕はどうだ。1時間考えて何が生まれるというのだ。どうどう廻りしているに過ぎぬと思うと、たまらなくなる。

 

⚪️休みが近い。あの茅屋で静かに2ヶ月をーー出来たら部落の寺の風通しのよい本堂でも借りて、静かに同書と思索に過ごしたいと思う。

 

⚪️文芸より宗教へーー宗教より哲学へー。この転向がかなり鮮やかに自分の中に感じられる。

 

⚪️人間がどちらか一方へのみ進み得るものなら、その路は決して荊の路ではない。たとえ、非常な重荷を背負っていたとしてもーー。真のいばらの路は、相反する二つの路を、自己において統一して行くところにある。

「全一学」を生み出した波瀾の人生

 

7月24日(水)土用丑の日。大阪天満宮天神祭〜25日。

 

「全一学」の提唱者、森信三先生の波瀾万丈の人生に焦点を当てています。

 

4年間の師範時代を終え、辞令により三河の横須賀尋常小学校へ赴任。横須賀は作家の尾崎士郎の生地であり、作品「人生劇場」の舞台で、幕末の侠客「吉良の仁吉」が出たところです。最初の担任学級は、高等科1年生で50名近い生徒の内、最も道交の絶えなかったのは児玉裕太郎氏で、師弟の縁は半年に過ぎませんが、交流は氏が亡くなる日まで続きます。 

 

・三浦修吾先生の「学校教師論」(21歳)

 

横須賀へ着任して間もなく、三浦修吾先生の処女作、名著「学校教師論」が刊行されました。かねて師範時代より著者の論文が雑誌に出るたびに愛読しておりましたので、直ちに購入して四畳半の宿直室で読みふけりました。

 

三浦先生の教育思想の特徴は、教育と宗教が溶け合ったもので、回生開眼が全編を貫いて、今なお永遠のいのちを宿す名著です。この教師論は先生にとり、生涯を決定づけたもので、この一冊との出合いの意義は大きかったといえます。

 

*教育とは人生の生き方のタネ蒔きをすることなり。(一日一語 3月1日)

 

・広島高等師範へ(23歳)

 

当時の事情から高等師範などは及びも寄らぬこと。師範時代の友人「五竜」同人からも「われわれが学資を出すから、ぜひ高等師範へ行け」と奨めを受けたものの、踏み切れなかったようです。

 

ところが、母の従兄にあたる阿久村の山口精一氏が「さしあたり二年間の学資を出すから、高等師範を受けるがよかろう」との由、日比の叔母より伝えきき、予想もしなかっただけに感謝もひとしおでした。

 

そこで数ヶ月後に迫る受験に取り組み、広島高師の本科四年制の英語科へ入学。英語科を選んだのは、将来大学へ行くには語学をやる必要があると考えたからです。

 

「全一学」を生み出した波瀾の人生

 

7月23日(火)

 

「全一学」の提唱者、森信三先生の波瀾万丈の人生に焦点を当てています。

 

・八木幸太郎先生推薦の「日本倫理韋編」(全12巻)

 

三浦渡世平先生に次いで思い出深いのは教頭の和田喜八郎先生です。今にして思えば隠者新井奥邃先生に師事した深い同縁をもつ方でしたが、一年足らずで栄転し、その後の教頭になったのが篤学者の八木幸太郎先生。

 

師範の卒業をひかえて、「卒業記念に何か良書をーー」と先生に尋ねたところ、「それは日本倫理韋編(全12巻)を買いたまえ。この本は今すぐは分かるまいが、卒業後10年、15年たてば、君にも分かるだろう」と。早速、先生の仰せに従いました。

 

その後、天王寺師範に勤めて3年目の元旦、「独立学派」編の「翁問答」(中江藤樹著)に着目し、読書初めに拝読感動したもので、実に師範卒業後13年目のことでした。師範時代の友人として特筆すべきは、親しい5人で「五竜会」を結成し、卒業後も回覧誌「五竜」をつくり、永い間継続したことです。

 

・卒業を控えて(21歳)

 

師範時代の読書傾向ですが、当時の師範では文学や小説に傾くのを異端視する傾向がありましたが、その中でも休暇にはドフトエフスキーの「死人の家」、大逆事件を扱った「逆徒」を読んでいたようです。その頃より、ペンネーム「森弦堂」の名で雑誌、新聞に投書していたようです。

 

卒業もほど近い頃、名古屋の「新愛知」新聞の投書欄に「師範教育革命新論」を寄稿して掲載され、八木幸太郎先生(教頭)から「君のような優等生が卒業を前に・・・」と厳しく説諭されたことがありました。

 

こうしたところから察するに、「反骨」の血があったということで、アナーキストに対する一種の同情と共感があり、これが後年中里介山、岡田藩陽など野の思想家への接近となり、反アカディミックな生き方につながっていったようです。

「全一学」を生み出した波瀾の人生

 

7月22日(月)大署。

 

「全一学」の提唱者、森信三先生の波瀾万丈の人生に焦点を当てています。

 

・腰骨を立てる要領

 

1.まずお尻をウンとうしろに引き、

2. 次には腰骨の中心をウンと前へ突き出す。

3. 最後に下腹に力を入れて持続すること。

 

すると、肩の気張りがとれ、全身の力が丹田に収まって、上体が楽になります。このような姿勢を続けることによって、集中力と持続力が身につき、さらに判断力も明晰になります。

そればかかりか、いちだんと行動的、実践的な人間になれます。(講話の一節より)

 

・愛知第一師範へ入学(17歳)

 

4年間の寄宿舎生活が始まります。寄宿生活を始めるに際し、養父が肩曳き車に、寝具を始め用度品一切を積み、徒歩で十数里の道を運んでくれたことを、先生は日誌に几帳面な字で書いています。ちなみに師範時代の日誌、学習ノートの数々は、資料として半田市教育委員会で保管されています。

 

師範時代に最も印象深かったのは、校長の三浦渡世平先生です。6尺ゆたかな巨漢であり、仰ぎみるだけで、無限の感化影響をうける沈着にして寡黙で、おそらく西晋一郎、西田幾多郎先生が尊敬された「北条時敬先生」に匹敵されるべき方でした。

 

因みに三浦先生の父上は旧幕臣で、維新の際、慶喜公に従い静岡に移られた方です。先生の教育は気宇壮大にして質実剛健、責任感に富む教育者の養成でした。第一師範の名物であった「徹夜会」、夜を徹して行われた「夜行軍」にも欠席したことなく、冬の「寒稽古」にも終始道場に端座していたほどです。

 

*真の教育は、何よりも先ず教師自身が、自らの「心願」を立てることから始まる。(一日一語 3月4日)

 

2050年の世界――見えない未来の考え方①

 

7月20日(土)

 

「2050年の世界」――見えない未来の考え方(ヘイミシュ・マクレイ著、遠藤真美訳、日本経済出版)を紹介します。2050年へ向け世界に変化をもたらす力は5つあるとしています。1.人口動態――老いる世界と若い世界 2.資源と環境――世界経済の脱炭素化 3.貿易と金融 4.進歩し続けるテクノロジー 5.政府、統治のあり方。

 

かって本ブログで紹介したのが「2052年」―今後40年のグローバル予測(ヨルゲン・ランダース著、野中香方子訳、日経BP社、2013年1月発行)。著者は持続可能な社会を構築するため、いくつかのシステムを根本的に変える必要があると説いていました。

 

具体的には、化石燃料から太陽エネルギーへ移行し、永遠に続く物質的成長というパラダイムから、地球の物理的限界に則した安定性のあるパラダイムへ変える必要がある、ということです。さらに本当の危機は2052年に続く数十年の間にやってくると予想していました。

 

この先40年間は5つの大きな問題をいかに処理するかに影響されるとしています。その5つとは1.資本主義の終焉? 2.経済成長は終わるのか? 3.緩やかな民主主義は終わるのか? 4.世代間の調和は終わるのか 5.安定した気候は終わるのか?

 

最後に著者は述べていました。

 

「最も重要な問題は精神的なものだと考えていることだろう。世界が悲惨な未来に向かっているとわかっていながら、幸福感を維持するのは非常に厳しいことだ。たとえ自分の生活は今後も安全で満足できるものだとしても、人類の未来を破壊する行為が組織的に進められていることを知れば、気落ちせずにはいられないだろう」。

 

数年後の予測は難しいと言われていますが、20年、30年後の予測は当たるとされています。ヨルゲン・ランダースの「2052年」の予測は、10年を経た今日ほぼ当たっているようです。ご本人は「どうか私の予測が当たらないよう、力を貸してほしい」と書いていましたが。

 

それでは2023年7月に発行された「2050年の世界」――見えない未来の考え方(ヘイミシュ・マクレイ著、遠藤真美訳、日経BP・日本経済新聞出版)です。2050年に世界経済を支配する潮流は人口、資源、環境、貿易、金融などで、驚くべき現実を描き出します。

 

・人口動態――老いる世界と若い世界

世界の人口は2050年に100億人弱になる見込みです。世界で高齢化が進み、先進国のみならず中国、ロシア、やがてはインド、アジア大陸へと広がると見込まれています。人口の増加はほとんどが新興国で、インド、南アジア、アフリカがその大半を占めます。

 

アフリカの人口は爆発的で、サハラ以南の人口は2019年の10億5000万人から2050年には21億人の見通しです。北アフリカを加えた人口は13億人から25億人、世界の四分の一を占めるとされています。このような人口動態の変化に世界は対応できるかどうかが問われてきます。

 

・資源と環境――世界経済の脱炭素化」

環境問題の中で気候変動が最大の焦点になっています。環境と天然資源に関連するあらゆる問題に大きな影響を与えるからです。100億人の食べ物と水を確保できるかどうか。中間層の生活様式を支えるエネルギーはあるのか、世界のメガシティは環境を破壊せずに機能できるのかなどです。

 

2050年には化石燃料が急速に縮小していることを描くことができます。しかし、生活水準の向上が環境に負荷をかけていくのは確かです。世界の大半の人が中間層になり、そのためには全く新しいテクノロジーを開発する必要があります。農作物の生産量を増やし、エネルギーを生産・貯蔵する新しい形態などです。

 

・貿易と金融――グローバル化は方向転換する

次の30年に国際貿易の性質は一変します。現地生産に重点がシフトし、世界の貿易量は減速し始めます。その理由は4点。1つ目は中国と先進諸国の賃金格差が小さくなるからです。

 

2つ目は製造業のあり方が変化します。設計とオートメーションを行う人が増え、工場で働く人は減り、モノは現地でつくられるようになります。3つ目は消費者の選択です。4つ目は人々の購買パターンが財からサービスへの流れが強まります。

 

 

 

 

 

 

 

「全一学」を生み出した波瀾の人生

 

7月19日(金)夏の土用入り。

 

・3人兄弟の末っ子なのだが・・・

 

元来男の子3人兄弟の末っ子ですが、中の兄は生まれて間もなく、上の兄は岡崎中学に入学して5年生の時チフスに罹って亡くなります。兄の伝染病が感染するといけないと、兄の死に目にも逢わされなかったのですが、それ以降「日記」の表紙ウラに、「誓って亡兄の分と二人前の仕事をしよう」という言葉を記し、決意を新たにしたのです。

 

・人生で初めての挫折(13歳)

 

高等小学の2年が終われば、中学へ行くつもりでいたところ、「お前は中学に行けるような家ではないから、高等小学校を卒えたら師範学校へ行き、学校の先生になる他はない」と、日々格校長から聞かされ、人生で最初の挫折感を味わうことになります。

 

*わが身にふりかかる事はすべてこれ「天意」――そしてその天意が何であるかは、すぐには分からぬにしても、噛みしめていれば次第に分かってくるものです。(一日一語 6月4日)

 

小学校を首席で卒業しながら中学校を断念し、進学コースとして師範に入るには、年齢が足りなく、一年待たなければなりません。そこで叔父の日比校長のはからいで卒業した小学校の給仕に。教室の掃除など少年時代の辛い体験は後年になり意味のあることに。

 

給仕時代の最も深い印象は「岡田式静座法の創始者」である岡田虎二郎先生に接したことです。それは日比の叔父が中心となり、町の有志者たちが岡田先生を招き、会員制の静坐会が開かれることで岡田先生の威容を望見し、堂々たるその風格の一端に触れ得たのです。

 

その後、自ら静坐法を研究し、最も大事な「腰骨を立てる」ことを身につけたのは、この給仕時代の恩恵によるものです。戦後十年がたち、主体性を確立するキメ手として「腰骨を立てる」教育を提唱するに至ったのは、静坐法の修得があったからです。

 

*人間もつねに腰骨を立てていると、自分の能力の限界がわかるようになる。随って無理な計画はしなくなる。わたくしが今日まで大たい計画の果遂ができたのも、その根本はこの点にある。(一日一語 6月13日)

「全一学」を生み出した波瀾の人生

 

7月18日(木)

 

「全一学」の提唱者、森信三先生の波瀾万丈の人生に焦点を当てています。

 

・半田小学校の高等科へ

 

尋常科4年を了えると、半田第一尋常小学校の高等科へ入ります。学校は郡内第一で、その校長は実家の叔母の夫である日比格先生で学徳兼備の人。岡田式静坐法の岡田虎二郎先生を尊敬し、毎年町の有志たちと静坐研究会を開き、また半田仏教界を興して高名な僧侶を招いて講演会を開いていました。

 

高等科1年の受け持ちは、石川唯一先生で漢文の素養があり、国語や歴史の時間にときどき漢詩を教えられ、それがまた楽しみで暗記したものです。これも後年、東洋思想に関心をもつ一つの機縁となったといえます。

 

・祖父の教訓は「立志の詩」(13歳)

 

高等小学校の2年で数え年13歳の正月、例年の如く養父に連れられ年頭の挨拶に行きます。挨拶が終わると祖父は、「お前はことし幾つになった」と聞かれたので、「ハイ、13になりました」と答えると、「そうか、13という齢は大切な齢だ」と、傍の硯を引き寄せ筆をとり、巻紙に書いたかと思うと、「これが読めるか」と。

 

頼山陽という詩人が、13歳の正月に詠んで詩として示されたのが「立志の詩」。「十有三春秋。逝くものは水の如し。天地始終なく、人生生死あり。いずくんぞ古人に類して、千載青史に列するを得んや」。

 

(訳)もう13歳になった。天地は始めも終わりもないが、月日は水のように流れてとどまらず、人は生きて、たちまち死んでいく。ああ、生きているうちに昔の優れた人に負けない仕事をし、永く歴史に名を残したい。

 

以来、信三少年の胸中からこの詩が消えることはなかったのです。

*「天地始終なく人生生死あり」―これ頼山陽の13歳元旦の「立志の詩」の一句ですが、

これをいかに実感をもってわが身に刻み込むかが我われの問題です。(一日一語 1月9日)

「全一学」を生み出した波瀾の人生

 

7月17日(水)京都祇園祭山鉾巡行。

 

「全一学」の提唱者、森信三先生の波瀾万丈の人生に焦点を当てています。

 

・小学校時代の松井立身先生から感化

 

数え年8歳で岩滑(やなべ)尋常小学校へ入学。当時の小学校は4年制。最も印象的で感化を受けたのは松井立身先生。先生は旧刈谷藩の武士で、藩主の学友に選ばれただけあって、実に気品があり優しい人柄で、森先生の人生に一つの大事な種が蒔かれたようです。

 

松井先生は「修身」の授業のおわりに、楠公父子の訣れの櫻井の役の話をするたびに、いつも落涙され、白皙のお顔が少し紅くなったかと思うと、やがて一筋の光るものが先生の頬を伝わって流れました。それを真っ白なハンカチで拭われ、「昔は二本差したもので、他人事とは思われんで・・・」と。

 

松井先生から信三少年の作文はよく褒められたようで、少年の頃から作文は楽しかったようです。遊びとして、懐かしく興味深かったのは凧揚げで、悠々と大空に舞い上がる凧が、十幾つ数えられたというのですから、まさに壮観で少年の夢をふくらませたことでしょう。

 

歌集「国あらたまる」に次の一首が記されています。「幼き日われに凧揚げさせまししたらちねの父の今はまさなくに」。次いで「庭づくり」。隣村のお祭りに行くと、お土産に菓子などではなく、植木を買ってもらったというほどです。これは実家の「血」に根ざすもののようで、たいへん花を好み、庭木について幼少時から関心を寄せていたようです。

 

また「魚釣り」も好きで、清流に恵まれない知多の農村ですから、川や溜池での「フナ釣り」。次は秋のキノコ取りが上手で、よく勘の働く子だったのです。今一つは「餅拾い」です。家の棟上げの時、必ず「餅まき」の行事が行われます。上手に拾うコツは、最初から地面にかがみ込み、飛んでくる餅をすばやく拾うだけです。

 

*わたしには、何度聞いても飽きぬ話が三つある。一つは(地蜂の)子とりの話。次はやまめ(ヒラメ)釣りの話。そして最後は富山の薬屋の新規開拓の苦心談。(一日一語 6月15日)