逆境は生きることの本質である
7月11日(土)真珠記念日。
生きていくことは楽ではない。辛いこと、苦しいことが多い。ではどうして逆境を呪い超えていくのか。禅の多彩な智慧に学ぶのが本書、「禅――壁を破る智慧」(有馬頼底著、朝日新聞出版)です。著者は臨済宗相国寺派七代管長。元京都仏教会理事長、
本能には逆境を乗り越える力がある
人は逆境といえる状況に巻き込まれた時、何を信じればいいのだろうか?自分に自信のある人は、自分を信じて這い上がろうとするだろう。家族や周囲の人たちへの愛を信じている人は、それをよすがに這い上がろうとするだろう。
しかし、何も信じられないという人はどうすればいいのだろう。そういう人は雑草を思い浮かべてみるといいかもしれない。雑草は踏まれても、踏まれても頭をもたげてくる。あのしぶとい強さはどこからくるのだろう。それは生命が本来もつ本能の強さだと思う。
雑草に限らない、いかなる生命もその芯には、ひたすら生きようとする本能の強さを持っていると思う。自然のもの全てには仏性が宿っているという(山川草木悉皆成仏)という言葉があるが、草も木も虫も魚も鳥も獣も全ては、一瞬、一瞬、その生命を完全燃焼させている。自殺を考えるのは人間だけだ。
人は言葉をもって考えることができるゆえに、生き物として致命的な弱さを抱えることになってしまった。だが、本能のレベルでは生命を前へ跳躍させていくしなやかな強さを持っている。つまり、いかなる逆境においても、それを乗り越える力を本能の深いところに持っているのだ。
人は免れ得ない「生老病死」の4つの苦しみがあると仏教は説く。逆境は生きることの本質なのである。では逆境に陥っても、余裕を失いたくないためにどうすればいいのだろう。人生には思わぬ出来事がつきものだ。そのたびに有頂天になったり、落ち込んだりせず。すべては変化していくものだと思えばいいとの教えがある。
健康、成功、お金など、あれも欲しい、これも欲しいと手を出し、得れば得るほど人生には意味があると思い込んでいる。しかし、「得る」ことの裏側で、失っているものも必ずあることを知っておいてほしい。
しかし、得る行為にそれほど強い価値を見出せない人にとっては、何かを失うことはそれほど怖いものではないだろう。ここに逆境を逆境と感じずにすむ大きなヒントがある。すなわち、得ることに価値があるという思い込みが変われば、世間の人が逆境と感じることも逆境とは感じなくなるはずだ。
それは「失う」ことも「得る」ことの逆で、裏側で実は何かを得る行為になっていることに気づくことではないだろうか。例えばリストラされたが、考え方によっては、別の生き方をするチャンスだと思い直し、以前からこだわりの強かった料理人になることを決意し、数年後には自分の店を出した。
一瞬を生き切る心を持って
仕事で行き詰まった時、人間関係で悩んでいる時、なぜそうなってしまったかを冷静に反省するより、ただ悔いてしまうのが人情である。後悔は「過去への執着」である。過去に囚われている限り、今という時間を生きていないことになる。
釈尊は「一夜賢者の教え」の中でこう言う。「過去を想うことなかれ、未来を願うなかれ。それは過ぎ去ったことであり、まだ来ていないものであるから、現在をよく見極め、動じることなく実践せよ。今日一日を精一杯生きよ。今日一日を全力で生き切るものを、一夜賢者という」。
大切なのは過去でも未来でもない。今を精一杯に生きればそれでよい。今日一日を思い残すことなく真剣に生きればそれでいいということだ。明日になればまたその日一日を一生懸命に生きればそれでいい。
逆境に強い人間というのは、大変な状況にあっても、それを大変だとか、逆境と感じない人である。逆に逆境に苦しんでいる人は、その原因を他人のせいにしていることが多い。だが苦境に陥った原因をみると、自分に落ち度があったということが分かってくる。すなわち、逆境という大きな壁は自分がつくりあげている。自分で作ったものなら、自分で壊すことも可能なはずである。
人生に思わぬ出来事はつきものだ。そのたびに有頂天になったり、落ち込んだりせず、全ては変化していくものがと思えばいい。万物が変化していく様を静かに眺めれば、智慧がゆるゆると湧き出し、逆境に立ち向かう勇気が出てくる。(「TOPPOINT」から抜粋)