「昭和に挑んだ作家たち」(佐高信著)⑥
9月26日(土)
「昭和に挑んだ作家たち」(佐高信著)から、もう一人、山崎豊子(1924年〜2013年)を紹介します。1953年「花のれん」で直木賞。毎日新聞社を退社して作家生活へ。「ぼんち」「女の勲章」「白い巨塔」「不毛地帯」「二つの祖国」「沈まぬ太陽」など。代表作は話題を呼び、社会現象を起こした。菊池寛賞。毎日出版文化賞などを受賞。
「トップとしての衝撃、責任の大きさを聞きに来たのです!」
その鼻っ柱の強さは相当のものだった。「大地の子」は当時の中国共産党総書記の胡耀邦や新日本製鉄会長の稲山嘉寛と山崎の幸福な出会いによって生まれたが、稲山の後継者の斉藤英四郎には堪忍袋の緒が切れかかった。
新日鉄の最新鋭技術を供与する形で進められていた日中友好プロジェクトの上海宝山製鉄所の建設は、ある日、中国からの一片の電報によって工事中止が通告された。その理由を尋ねるために山崎は経団連会長となっていた斉藤に取材を申し込み、経団連の会長室で会った。
ところが、斉藤はまともには答えず、「一片の電報?そんなものは小説家の空想ですよ。私の元には中国から刻々と情報が入っており、驚くわけありませんよ」と素っ気ない。「それならどうして宝山の現場に伝わっていなかったのですか」と食い下がっても、「女性のあなたにそんなことを話しても、どうせ解らないでしょう」とまで言う。
その無礼さに山崎は遂に怒りを爆発させた。「私をそこらの作家と一緒にしないでください!」。一喝した上で、「そんな上っ面のことを聞くために、大阪から来たんじゃありません、トップとしての衝撃、責任の大きさを聞きに来たのです!もう結構です!」と続け、席を立った。
怒鳴られることのない斉藤は驚き、あわてて、「ちょ、ちょっと、誤解がーー」と取り寛ぎ、改めて時間を取ることを約束して仲直りの握手を求めた。「私はその手をぱしっと、どんなに払いのけたかったか!」と山崎は書いている。しかし、これからも取材しなければならないことを考え、ハンカチを握りしめていた手の小指一本だけで斉藤と握手した。
恥も外聞もなく取材対象に肉薄
そんな山崎が結婚相手に選んだのは「毎日新聞」の同僚で美術担当記者の杉本亀久雄だった。地味で、おとなしい性格ながら、長身の美男子である杉本に、大阪のバーの女性が惚れて、マフラーをプレゼントすると、翌日、山崎はそれを巻いて、そのバーに現れ、「どう、このマフラー、素敵でしょ」と言ったとか。
私も「華麗なる一族」を経済小説として取り上げたいと電話したら、「私は経済小説を書いてるつもりはありませんから」と、目の前で戸を立てるような断り方をされた。・・・しかし、いっそアッパレと声をかけたくなるような拒否だったのを憶えている。
山崎によれば「小説の場面というものは、調査が丁寧であればあるほど精彩を放つもの」だが、たとえば「不毛地帯」を書くに当たって、山崎は取材のために377人の人間に会った。この小説は、前半が主人公の壱岐正(モデルは瀬島龍三)の11年間のシベリア抑留生活と、帰還後、商社に入って防衛庁への次期主力戦闘機売り込み合戦に巻き込まれていく“白い不毛地帯”。
後半が、アメリカのビックスリーの一つである自動車メーカーとの資本提携と中東の石油開発に取り組む“赤い不毛地帯”となっている。5年間にわたって「サンデー毎日」に連載された5000枚のこの長編は、「恥も外聞もなく対象に肉薄する」山崎の徹底取材に支えられている。
ある時は「たった6行のために、何でそんなにしつこく聞くのか」と叱られたというが、「華麗なる一族」の時には、阪神銀行頭取の満俵大介と、福田赳夫を思わせる永田大蔵大臣との料亭でのやりとりの場面のためだけに上京している。一応、想像で書いた原稿が気にいらなかったのである。
それで、ベテランの新聞記者に、「この辺で本当に血のしたたるような一声を入れたいんですが、いままでの政治家取材の体験上、何か考えられませんか」と尋ね、「これでいいじゃないですか。一国の大臣の別荘として富士の見える箱根を設定し、万俵の贈った鞍馬石まであるし」と言われながら、
「いえいえ、どうしてもここが弱いと思います。もう一声・・」と押し返して、「それだけですか、今日は」と呆れた相手が、「それだけでわざわざ大阪から来られたんなら。実を言えば、このやりとりはお上品ですね。政治家と銀行の頭取が化かし合いをやっているのに、そんなお上品ムードではいけませんよ。」(つづく)