「全一学」を生み出した波瀾の人生

 

7月25日(木)

 

・広島高等師範の同期生は秀才が揃い!

 

同期生には秀才が揃い、同室の大槻正一(後に文理大の教授)をはじめ、土井忠生(国語学の権威、文理大教授)、千代田謙(西洋史学の権威、文理大教授)など。加えて後輩には母校へ帰り教育学の権威となる稲富次郎先生です。

 

師範時代の心境と生活について、幸いにも「日誌」が保存されており、これによって当時の一端に触れることができます。広島講師時代には日誌はなく、ただ交友50年に及ぶ師範時代の親友小久保文一氏への書翰により、若き日の苦悩と焦燥などその片鱗を窺い知るのみです。

 

・文芸より宗教へーー宗教より哲学へーー

 

以下の心境の一断面に、どこか将来への傾向の一端を伺がわせるものがあります。

 

⚪️「キュウヒセイニサイヨウス トリイ」この電報を昨夜深更に受け取った。永い間君の心を苦しめた小生の学資問題も、ようやくこれで、一段落がついたといってよいだろう。あの年老いた養父母の上に重苦しくおいかぶさっていた錘が、これでやっと取れたかと思うと、何ともいえぬ限りない感謝に浸っている。

 

⚪️一本の草を抜けば一本の草は減る。1時間も引けばかなりの土地がきれいになる。それに僕はどうだ。1時間考えて何が生まれるというのだ。どうどう廻りしているに過ぎぬと思うと、たまらなくなる。

 

⚪️休みが近い。あの茅屋で静かに2ヶ月をーー出来たら部落の寺の風通しのよい本堂でも借りて、静かに同書と思索に過ごしたいと思う。

 

⚪️文芸より宗教へーー宗教より哲学へー。この転向がかなり鮮やかに自分の中に感じられる。

 

⚪️人間がどちらか一方へのみ進み得るものなら、その路は決して荊の路ではない。たとえ、非常な重荷を背負っていたとしてもーー。真のいばらの路は、相反する二つの路を、自己において統一して行くところにある。