「全一学」を生み出した波瀾の人生

 

7月18日(木)

 

「全一学」の提唱者、森信三先生の波瀾万丈の人生に焦点を当てています。

 

・半田小学校の高等科へ

 

尋常科4年を了えると、半田第一尋常小学校の高等科へ入ります。学校は郡内第一で、その校長は実家の叔母の夫である日比格先生で学徳兼備の人。岡田式静坐法の岡田虎二郎先生を尊敬し、毎年町の有志たちと静坐研究会を開き、また半田仏教界を興して高名な僧侶を招いて講演会を開いていました。

 

高等科1年の受け持ちは、石川唯一先生で漢文の素養があり、国語や歴史の時間にときどき漢詩を教えられ、それがまた楽しみで暗記したものです。これも後年、東洋思想に関心をもつ一つの機縁となったといえます。

 

・祖父の教訓は「立志の詩」(13歳)

 

高等小学校の2年で数え年13歳の正月、例年の如く養父に連れられ年頭の挨拶に行きます。挨拶が終わると祖父は、「お前はことし幾つになった」と聞かれたので、「ハイ、13になりました」と答えると、「そうか、13という齢は大切な齢だ」と、傍の硯を引き寄せ筆をとり、巻紙に書いたかと思うと、「これが読めるか」と。

 

頼山陽という詩人が、13歳の正月に詠んで詩として示されたのが「立志の詩」。「十有三春秋。逝くものは水の如し。天地始終なく、人生生死あり。いずくんぞ古人に類して、千載青史に列するを得んや」。

 

(訳)もう13歳になった。天地は始めも終わりもないが、月日は水のように流れてとどまらず、人は生きて、たちまち死んでいく。ああ、生きているうちに昔の優れた人に負けない仕事をし、永く歴史に名を残したい。

 

以来、信三少年の胸中からこの詩が消えることはなかったのです。

*「天地始終なく人生生死あり」―これ頼山陽の13歳元旦の「立志の詩」の一句ですが、

これをいかに実感をもってわが身に刻み込むかが我われの問題です。(一日一語 1月9日)