「全一学」を生み出した波瀾の人生

 

7月22日(月)大署。

 

「全一学」の提唱者、森信三先生の波瀾万丈の人生に焦点を当てています。

 

・腰骨を立てる要領

 

1.まずお尻をウンとうしろに引き、

2. 次には腰骨の中心をウンと前へ突き出す。

3. 最後に下腹に力を入れて持続すること。

 

すると、肩の気張りがとれ、全身の力が丹田に収まって、上体が楽になります。このような姿勢を続けることによって、集中力と持続力が身につき、さらに判断力も明晰になります。

そればかかりか、いちだんと行動的、実践的な人間になれます。(講話の一節より)

 

・愛知第一師範へ入学(17歳)

 

4年間の寄宿舎生活が始まります。寄宿生活を始めるに際し、養父が肩曳き車に、寝具を始め用度品一切を積み、徒歩で十数里の道を運んでくれたことを、先生は日誌に几帳面な字で書いています。ちなみに師範時代の日誌、学習ノートの数々は、資料として半田市教育委員会で保管されています。

 

師範時代に最も印象深かったのは、校長の三浦渡世平先生です。6尺ゆたかな巨漢であり、仰ぎみるだけで、無限の感化影響をうける沈着にして寡黙で、おそらく西晋一郎、西田幾多郎先生が尊敬された「北条時敬先生」に匹敵されるべき方でした。

 

因みに三浦先生の父上は旧幕臣で、維新の際、慶喜公に従い静岡に移られた方です。先生の教育は気宇壮大にして質実剛健、責任感に富む教育者の養成でした。第一師範の名物であった「徹夜会」、夜を徹して行われた「夜行軍」にも欠席したことなく、冬の「寒稽古」にも終始道場に端座していたほどです。

 

*真の教育は、何よりも先ず教師自身が、自らの「心願」を立てることから始まる。(一日一語 3月4日)