「生き方の研究」(森本哲郎著)から
4月18日(土)
「生き方の研究」(森本哲郎著、PHP文庫)には、三十九人の先人たちが登場します。本日はセネカ(古代ローマの思索家)の2回目で、注目したいのは死に方です。
「セネカが極力、強調しているのは『多忙』から自由になるということである。なぜなら、多忙は自分自身を見失わせ、結局はなにひとつ充分に成就させてくれないからである。
・・・しかし、人間が生きてゆくためには、いやおうなしに多忙にならざるを得ない。雑事というものは人生からけっして消し去ることのできないものだからである。
多くの人びとは多忙な毎日を送りつつ、五十歳になったら悠々自適の生活に入ろう、六十歳になったならば、いっさいの仕事をやめて静かな思索の日々を過ごそう、などと思っている。セネカは問う。きみはその年まで生きられるという保証があるのか。
そこで彼は『毎日毎日を最後の一日』のように思いつつ生きることをすすめる。明日を頼りにして今日を失わないことである。彼のいう『多忙』とは心の多忙さであって、『自分で自分をわずらわす』ことである。そういう多忙さをセネカは「怠惰な多忙」と呼んでいる。
このような考えは、ギリシャの哲人ゼノンを祖とするあのストア派の哲学の忠実な継承である。ゼノンはアテナイの柱廊で心の平安こそ、何ものにも代えがたい人生の至宝であると説いた。ゼノンは欲望に引きずられる情念を魂の病とみなした。その病状は、たとえば不安、憂鬱、狼狽、逡巡、憤激、恐怖、野心、見栄、嫉妬、羨望等などである。
こうしたゼノンのストア派に対して、もうひとりの賢人エピクロスは快楽主義を主張した。人生は短い、だから人間は徹底的に快楽を追求すべきだ、というのである。けれども、彼のいう快楽主義とは、官能の享楽ではない。それどころか、逆に肉体的な欲望を否定した魂の平安こそが『快楽』なのである。
真の快楽とは、わずらわしさの代わりに自由をもたらすものでなければならない。その自由を得るために必要なことは『自足』である。つねに、みずから足れりとすることだ。つまり際限のない欲望から解放されることだ。
生涯をかけて学ぶべきは死ぬこと
ストア派とエピクロス派は、対立するように見えながら、じつはおなじ生き方の知恵を説いている。帰するところ、最も賢い生き方は、心の平安を保ちつづけることである。セネカはこうしたギリシャの英知に学んだのだ。
しかし、セネカの悲劇は、そうした哲学を学び、信条とし、それを説きつづけながら、彼自身の生き方がまるで逆だったということである。・・・たしかに言行不一致を責められても仕方のない生活を送っていたのは事実であろう。何よりも、すさまじい“宮仕え”を長年にわたってつづけたという“実績”がそれを証している。
だが、人々は往々にして、自分で自分にいいきかせるものだ。自分の説くところは、しばしば自分がそうありたいと願う理想なのである。この意味でおのれの抱く思想は理想であり、願望だとさえいえる。だからセネカの生活は、彼の説くところとはまるで反対だったことは充分にあり得るのである。
セネカの実際の生き方がどうだったのかは、今となれば確かめようがないが、すくなくとも死に方においては、立派に自分の思想に殉じたとえるであろう。タキトゥスの「年代記」」が、彼の最期をくわしく描いているからだ。
ネロの使いが『死の宣言』をたずさえてセネカの家にやってきたとき、セネカは泰然自若として遺言を書かせて欲しいと要求した。百卒長がそれを拒絶すると、彼は食事を共にしていた友人たちに向かって、『自分の遺言は、私がこの世に生きた姿だ』と語り、小刀で自分の腕の血管を切った。
が、彼はかなりの年をとっており、摂食のため痩せてもいたので血の出方が悪く、さらに足首と膝の血管も切り開いた。彼の妻も夫に殉じようと、同じように自殺をはかる。が、自分の苦悶している姿を見て妻の意思がくじけるのではないかと思い、妻を別室に連れて行かせる。その苦悶のさなかに語り遺したい思想がつぎつぎと思い浮かんだので、それを写字生に書きとらせ、死をいそぐべく毒薬を飲む。だがそれもきかない。そこで最後に熱湯のふろに入り、発汗室に運ばれて、そこでついに息をひきとった・・・という。
悲惨な死にざまだが、これこそ、彼の生きざまでもあった。セネカは一生をかけて、身をもって生き方を研究しつづけたのだ。彼は書いている。――生きることは生涯をかけて学ぶべきことである。そして、おそらくはそれ以上に不思議に思われるであろうが、生涯をかけて学ぶべきは死ぬことである。