解決のヒントは現場の中にある!
2月14日(土)バレンタインデー。
ただの農民でありながら、農村再建の指導者として、600に及ぶ農村の復興を果たす。「薪を背負って本を読む」像で知られる二宮金次郎の考え方、生き方を分かりやすく紹介したのが、七代目直系の孫、中桐万里子著「二宮金次郎に学ぶ生き方」(致知出版社)。
金次郎が生まれた二宮家は比較的裕福な農家だった。ところが14歳で父親、16歳で母親を亡くし、無一文の孤児になる。それは同時に、どのように生きていくべきかという人生の指針を失うことでもある。その指針を手に入れるため、金次郎は父親が遺した本を読むようになる。両親が自分に教えたいと思っていた道を見いだすためである。
16歳から20歳まで、金次郎は叔父(父の兄)の万兵衛の家で養われる。この叔父について「勉強なんかせずに働け」、「夜は油がもったいないから勉強なんかするな」など、様々の逸話が残され、まるで意地悪爺さんのように描かれているが、それは事実と異なる。
当時、村人はお金がない、困ったことが起きた時には、金次郎の両親に泣きついた。両親は他人の借金のために田畑や家財を売り払い、二宮家は財産を失うことに。弟は学問などをかじったせいで、人助けなど身分不相応なことにまで精を出した。農民は農民らしく、地道に農業をしていればよかった。
金次郎が学問をしたら、弟と同じ運命をたどるのではないか、そんな不安から叔父は金次郎に「勉強ではなく農業をしろ」と訴えていたのは、深い愛情からだったのである。
幼い頃より、金次郎の像――薪を背負って本を読みながら歩くーーについて言われてきたことがある。あの姿は勉強が大事、本を読めということではない。どんな時も行動すること、実践の大切さを忘れてはならない、というメッセージなのだと。家の者がそう語るのは、金次郎の「わたしの名をのこさず、おこないをのこせ」の遺言があるからである。
金次郎は自らの実践について説明している。自分は「水車」みたいに行動しているのだ。くるくる廻る水車として、その下を流れる川を思い浮かべてほしい。水車は自分、川を相手と捉えてみる。相手は自然、人間、社会状況など、「現実」のことだ。
金次郎は、水車と川が互いに無理をせず、自然体で動きながら「活かし合い」をしている点
に注目してほしいと言う。川がなければ水車は廻らない。同時に水車が川を活かしている点も大事に考えた。川は水車との関わりでエネルギーを生み出し、農業を助けるパートナーとして働き始める。そんな共存共栄の関係こそが理想だと考えた。
20歳で独立した金次郎は猛烈に働き、32歳の時には村で2番目の大地主になる。この業績が藩主の目にとまり、農村再建の指導者の任を受ける。35歳で生まれた故郷を離れ、各地の農村の再建に携わることに。北関東一円を中心に600以上の村の再建に関わったとされる。
新しい土地で初めての指導で、大いなる挫折を味わう。猛烈な反対に遭ったのである。指導を依頼された時、彼はこれまでの実績を踏まえ、10年で再建できると藩主に約束した。だが、7年間はほとんど実績をあげられなかった。8年目に入ろうとするある日、金次郎は運命的な出会いをする。
ある村で、村民たちの熱烈な「不動尊信仰」の様子をみかけるのだ。彼はその足で不動尊信仰の大本山である成田新勝寺へ向かい修行を申し入れ、21日間の断食修行に入る。ここで彼は、2つの気づきを得た。1つは自らの「半円の見」である。彼は自分が復興の主役で水車なのだと。しかし、村人の立場になれば、村人こそが水車で、金次郎が川である。
2つ目は、加害者はだれか、復興がうまくいかないのは、反対者が悪いと思っていた。だが、半円の気づきから、相手を責めていたからその責めがはね返ってきたにすぎない。自分は被害者ではなく、加害者だった。自分の心が全て失敗の原因だった。
相手が自然であれ、人間であれ、「わたし」ということにこだわり過ぎると、自分の理想論を手放そうとせず、「自分が自分が」と固執することは、時にみんなを疲れさせる。しかし「現実」はどんな時でも私たちに力をくれる。体験を通じて得たのは、そんな想いだった。
それ以降、困った時ほど、壁にぶつかった時ほど、怖れずに相手を「知る」ことにしよう。相手に飛び込むことを大事にしよう。例えば、苦難に出会い、どうやって前に進めばいいか分からなくなって途方に暮れる時、金次郎は言う。「人間に無力な者は1人もいない!」
無力なのではなく、「無知なのだ」。現実を知らないから、道が見えてこないだけだ。だから困った時ほど現場に戻り、もう一度目の前の現実をよく見よう。その時、自らに生まれてくる感覚や体験や知恵を大事にして判断することである。(「TOPPOINT」から抜粋)