ハンディホォンに打ち込むと、ちゃんと「小鳥遊」という変換候補がでてきます。いったいなんのことでっしゃろ?と言われそうですが。まだ中学生の頃だったでしょうか。日曜の夜に東芝日曜劇場という、大人のための一話完結のドラマがあって、その珍しい苗字が登場した回の俳優さんがだれだったか、おそらく、それだけ印象に残っているということは、好きなあるいは好感のある俳優さんだったに違いないのですが。たぶん。。。テスト前で、なくなく渡さんの回を見なかった、代わりに母に観て貰ったのは覚えているのですが、昭和60年の9月15日はその前年の朝ドラの主人公をしていた俳優さんだった?のは、覚えているのですが。スマートな俳優さんだったのは確かかと。もっとも、一話完結の主人公をする俳優さん、女優さんは、スマートもしくは美しくあるのは、かなり高い頻度でそうなるのは当然と言えば当然のことのようでありますけれども。

 

民放はひとつだけ、あとはCMのない2局のみ。当時、Vなんとか、コードで言うと丸い方です、平打ちバスタみたいなUなんとかは、父いわく「うちにはアンテナがない」という理由で、ともあれ、コマーシャルの良さを理解しなかった父の考えで、民放はひとつで充分、ということだったようです。もっとも、昭和56年の早春までうちにはカラーテレビさえなかったのですが。それも、3時間以上つけていると、真ん中の半分以上に縦に野太い真っ黒な線が入るので、両サイドの数センチずつしか、絵が動かない、そんなすばらしいテレビしかなかったのです。あれ、紅白はどうしていたのでしょう?3時間というのは私の思い込みか、それとも、これも3時間ではなく、不定期にくろおびは訪れていたのでしょうか。ともあれ。水戸黄門と西部警察と太陽に吠えろが同じチャンネルで、水戸黄門以外は?正規の時間ではないものの、それでも、観られたという奇跡のような時代があったようです。しかし、それも、ある日突然、「女の子はぶったりけったりを観てはいかん」ということで、ある時期かたくきんじられたのでしたが。

 

父が生まれた二年後に、きょうなくなられた方が生まれたのだと、きょうわかりました。いつだったか、自宅でのインタビュー番組で、背景にその方の書棚が映っていて、同じアングルでの長い時間の撮影でしたから、ずっと同じアングルで、背景に何冊もの背表紙が、その文字がくっきりとわかるように映っていて、思わず、面白そうだな、これなら読めるかな、というのを、幾つも、ひっしで、メモしたのですが。。。あれは、どのページに書いたのでせうか。大事なものは、ディリーの備忘ノートではなくって、別の特別ノートにあとで写しておかないといけませんね。どこかにあるのだけは確かなのですが。そうこうするうちに、何を探すのかをわすれてしまいそうです。。。オンタイムでないとできないことってありますね。あとで、は、なかなかやってこないことって。そうか、父がいまいたら103歳なのか~としばし感慨になりました。それでも、日野原さんよりは若いのね、と。吉行淳之介さんが、大正生まれには、それが15年しかなかったからこそなのか、明治とも、昭和とも、ちがう、空気というか、デモクラシーということばにふさわしい、その特長があるという主旨のことを、どこかで書いておられましたが。身近に明治生まれの人を知らないので、ピンと来ない部分も確かにありますが、それでも昭和とは恐らく違う、気風というか心意気のようなものは確かにあるように、思います。父を思い返して。そんなことを、ふと思った霜月みそかに近い霜の降りたこの日でした。

 

すこしまえ、ある方に、ぜひごるふをしにいらしてください。たぶん、きっとご一緒することが叶うと思います。そう書いてお便りをお送りしたのでしたが。。。はて。わたし、肝心の場所を書いていたでせうか。。。と、はたとおもいました。相変わらずのおっちょこちょいです。もういちど、書いて送りしようと思っています。今年は、例年より暖かい日が多くてとても助かっています。そろそろ、しかし、霜月にふさわしい温度になっていくのでしょうか。断然、さむいよりあついほうが得意のはずのわたしですが。ただ。さむいとき、めったに機会はないですが、それでも、外出するとき、お気に入りのコートやダウンに身を包むと、ちょっぴりあったかくて優しい空気をまとえるようで、うれしい気持ちがするのです。とはいえ、つれづれぐさには、たしかに、家は夏向きにすべしと、ありますが、ほんにその通りとは思うのですが。わが年齢と同じ歳のこの家の、すきまだらけの冬の湿り気と、こころをじわじわっとせまくするようなさむさには、いささか、困ったなぁという感じです。少し前にも書きましたが。今、なんでもかんでも、新しいものはよし、古いものは~という風潮には、はてさて、と?をつけたくなってしまいます。年輪の多くある木が無いとゴルフ場がゴルフ場でなくなるのと同じに、時間を経てはじめてあるものをもっと大切にしないと。。。と重ねて思ってしまいます。そのためには、若い人にはない知恵や工夫がある大人が、増えていかないといけないということなのでしょうかねぇ。

 

どの小説が一番好きかと問われたら、やはり、「受け月」でしょうか。もちろん、「白い声」、「瑠璃を見たひと」もですが。それから、あづま橋と、星月夜も夢中でよみました。いねむり先生も。お父様の実話を書かれたお話も。羊の目も。印象的なタイトルがこころに残っているのは「ぼくのボールが君に届けば」です。武さんが、OBの回数をものともせず、届くまでワンオンを試みたティーショットのお話しがでてくる、眺めのいいひと、も。とても心に響きました。まだ明けきらぬ早朝、車を降りてなだらかな坂道をあるきながら、ときおりふとこころに浮かぶのは、キャッチボールのこと。嗚呼、できたらなぁって。そして、小学生か中学生の頃、テスト勉強の合間に、庭に出ては、グローブを持ち出し、蔵の壁にボールを当ててバウンドさせ、敢えてショートバウンドをバックハンドで捕る練習!というのをしていたのを思い出して、うまくグローブにボールをタイミング良くおさめられたときの、なんともいえないうれしい感覚を思い描いていたりします。投げるのも好きですが、それ以上に、ボールをうまく捕ることができたときの誇らしさは、あれは、なんとも言えない感じですね。カリブの島はむずかしくても、もういちど、あのときみたいに、夢中で投げたり、打ったり,捕ったりをできる時間をもつことができたらなぁと、ためいきがでるくらいに、ひそかに思ってしまいます。

 

朝、時間があるとき、ときおり、山際淳司さんの「スタジアムで会おう」を、ぱらぱらとめくってその都度開いたページを読んでいますが。野球はもちろん、競馬にしても、ラグビーにしても、いまその試合が目の前に鮮明に浮かぶような筆致の見事さに、改めて感心しながら読んでいます。とりわけ、伝説の早明戦のボールと選手の動きが手に取るように分かる文章に、この前のまったく試合の流れが頭にやってこなかったラジオ中継を思い返してしまうほど、とにかく、野球の話がラグビーにとんでしまって恐縮ですが、そんなスポーツのワンシーンを見事に切り取った一節がたくさんあることに改めてありがたいと感じています。ときに。年賀状の季節がちかづいてきました。35枚限定で、かつての手描きを復活したいなと思っています。4年生の頃から始めた手描きでしたが、中学の頃、小学校で旦那さんに理科、中学校でおくさまに理科をそれぞれ習ったせんせい夫婦に、「10年続いた生徒にしか元旦には出さない」。そう言われたとき、「えええ、10年も~」とこっそりがっかりしながら聞いていたのでしたが。果たしてとりわけうさぎ年のそのデザインと、一枚一枚絵の具で塗ってクレヨンでにんじんを描いた一枚を、滅多に褒めないその先生にものすごく褒められたことが励みとなって。。。以来、大晦日が泊まり勤務だった時までも、その頃は版画にしていましたが、毎年恒例になっていたのでした。果たして。今から思えば、10年なんてあっという間に過ぎていて。元旦にその先生のとりわけの達筆の一枚が今ではものすごく懐かしいです。もうお二人ともおられません。子年のデザインは、相変わらずこれといったものが出来ぬままで。いささか以上に自信がないのですけれど。。。それにしても。この前の。パターの名手と、ドライバーの名手、そしてアプローチの名手が3人そろったその腕前に、あれはどう打ったら

あんな風なきれいなボールになるのでしょうと、ふわりと思い返して、感心しているところです。

 

 

明けの明星が、あさひできれいな境界をきざむ稜線を眺めているように、三日月と一緒にならんでいる早朝。きょうはくもひとつない晴れとわかるその空の下の空気は、とても澄んでいて、吸っていてとても心地よいように思います。海を眺められるだけで、どうしてこんなにほっとうれしいきもちになれるのだろうと、いつもおもいながら眺めています。とおくのちいさな半島の稜線がくっきりと見えるときはなおさらです。ふゆがちかいことを思わせる、やまのいろが日々濃く、深く色づいていきます。秋の日の午後。こんなにも陽光がいとおしく、ときをこのままとめてしまえたら、どんなにいいでせうと、思ってしまう時間はほかにないのではと、いくつの秋を重ねてもそう感じます。芝生の上をあるいていると、なおそうおもう気持ちがつよくなるのでせうか。人生は70から、いつか、100をこえてなおお元気な方がそうおっしゃっていたようにおもいます。べつの本では。黒川いほこさんという方が書いていますが。脳科学では、55歳からが脳がもっとも活動的になるのだそうです。つまり知恵がもっともたくさんはたらくという意味だそうです。たんなる記憶という意味では、10代の半ばがピークだそうですが。それで、合点がいきます。話が面白いのはがぜん、還暦をすぎてなお古希を過ぎてなおの方々だと、いつも思っていたので、その一節を読んだとき、思わずうれしくなりました。

 

休日の朝。あの人に会いたいという番組があります。森繁さんの回と、優作さんの回を観ました。この日の朝は、はしもと治さんという作家の方でした。その前にもなんどか印象深く観た覚えがあります。わずか10分で、その方の人生を実に上手に切り取って、観る人にその人のいきざまがいきかたがとてもよくわかるフレーズとともに語られていきます。そういえば。シャツの店でその方の遺作となったそのドラマに出られていた八千草さんがのセリフを先日耳にしましたが。その方というのは、鶴田さんで、その10年ほど前に、忘れがたい一作がありました。「男たちの旅路」。もちろんオンタイムでは保育園児でしたので。19歳の頃に観たのでしたが。はげしく胸を揺さぶられました。テレビを観てこんなに心が動くことがあるのかと、自分でも、驚きながらそのあと、しばらくそのドラマのことが頭から離れないほど、動揺と感動をしていたように思います。戦中派の司令補と、戦後派と言われる若者世代との葛藤と共感が、ぶつかり合いを通して、互いの気持ちが近づいていく中にあって。「別離」と「流氷」の回を観て。こころが激しく動かされたのでした。戦友への忠義を通し、家族をもつことさえよしとしない司令補と、水谷さん、桃井さん演じる若者世代とのやりとり。何週間か前、深夜のラジオが、このドラマのテーマソングを流していました。半分以上寝ながら、嬉しく聴いていました。

 

奇しくもこの日、健康のありがたさをあらためて実感する話を耳にしました。ゴルフに教えられた、いえ、教えられることは、ほんとにほんとに数知れずあると、感謝しています。無駄な動きがないことの美しさ。常につぎの行動を予想して、決断して、立って、構えて、打って。飛んでいく球筋のうつくしさ。ころがっていくボールの美しさ。そして落ち際、止まり際のうつくしいボール。カップへの吸い込まれ方のなんと美しいこと。ゴルフの上手な方は、どうしてこうも、ティーグランドに立って談笑しているだけでも、なにかがちがうのでしょうかと、感心してしまうことばかりです。大は小を兼ねるのだと。大きなクラブでそれより短い距離を打つのは、その逆よりもはるかに簡単なのだと、頭では分かりますが、高さと距離を見事に調整することは、どうして、ナイスショットより何倍もむずかしいのだと分かります。ころがりのいいボールはまるで磁石ですいよせらているかのようにカップの中にきえていきます。どうしたらあんなころがりがいいボールが打てるのでしょうか。と書いていたら、大好きな刑事ドラマの曲がラジオから流れています。もういちど大門団長だったあの方の姿を観たいと願いながら、フェアレディZに乗っておられた姿のとき、今のわたしの年齢よりはるかに若かったのだとおもうと愕然としてしまいますが。その方と尊敬するホームラン王のその方が大の親友だと知ったとき、恐れ多くも、いつかプロアマでまわることができたらと。そんなことを夢見て。いちばんの動機にゴルフを目指したわたしなのでした。

書いているととても落ち着くのです。だれか気の置けない人が目の前に居て、語りかけているような気持ちになれるように感じるからなのかもしれません。そして左利きで、でも筆は右にものごころつくまえに直されたので(感謝しています)、こうしてキーボードで両手を使って、ほぼ話すスピードに近い形で書いて行かれるからかもしれないです。右手で書いているとこうはいかないようにも思います。書ける速さが、頭に浮かぶことばのそれに追いつかないようで。ともあれ。ドイツの友達に久しぶりにメールを送ると、その日のうちに返事が来ました。27年来の友人の親友でもあり、17年来の友であるその友達は、当初、ドイツで暮らす他の友達たちのなかでも、ずば抜けて英語が苦手だった!。それでも誰よりも、これまで会ったなかでいちばんではないかと思われるほど、菩薩さんのようなやさしさをもっていて。それでも。その友達の家を訪ねると今では、高校生になった娘はまだ2歳だったし、15歳になった息子はまだお母さんのお腹の中だったし。そしてその頼みのお母さんだって、これまた同じくらいに英語は余り得意でなかったものだから。それでもふたりとも、ほんとに優しいお父さんとお母さんなのはよくわかって。ところがです。あしたどこそこに行こうね、そう、聴いたとわたしはおもっていても。。。いざ、あしたになると、全く違う様相で1日が始まっていく。。。それはよくても。一事が万事。小さなことが、あれ、あれ、っと、いうことが度重なると。。。さすがにアバウトのわたしでも。。。いらいらっとしてしまうことも確かにありました。

 

もとより。わたしの英語とて。自己流です。文法英語です。ときには、時制もでたらめ、口からなんとかです。たがいに、母国語でない者どうしゆえ、そして、ローマ字発音ゆえに、通じやすかったのだろうと思います。わたしの聞き取りだってかなりのいい加減でしたから。相手が、イエスとノーで訊いているのか、そうでないのか、はたまたただの説明だけなのか、それだけをなんとなく訊いたら、あとはほとんど勘だけで、返事していましたから。ときには、向こうだって、ちんぷんかんぷんだったことでしょう。ただ。おもっていた予定とちがっていることが度重なると。。。おやおやと、いうことしばしばでした。はじめて、家庭教師なるものをしたときに、自分で勉強する方がどんなに楽かということを、だれかに勉強して貰うことがこんなに難しいとはと、そのときはじめて愕然とおもったものでしたが。それとは少し違う形でしたが。ことばが通じない不自由を辛抱するということを、実感しました。ところが、不思議なものです。なんども、そうして、来訪を重ねているうちに、もちろん、お互いの外国語の聞き取りも知らず知らずに上達したのかもしれませんが、それ以上に、互いに、相手がこの言葉を使うと、ああ、こういう意味で言ってるのだろうなというような、ことば遣いのくせのようなのが分かってくるのですね。いらいらがたくさんあったはずの時間が、気がつくと、あれ、大丈夫、となり。それどころか、最初に苦労したぶん、当たり前に通じるだけでも、ものすごく嬉しい気持ちになれて、独特の言い回しがわかって言葉のキャッチボールができていることが、なんだか誇らしいような気持ちにさえなったりするのです。通じるって伝わるって、ほんとにいいことですね。

 

わたしが一年おきに訪ねることがかなわなくなったら、その優しい友達が、一年おきの一月に来てくれるようになりました。とはいえ、彼らは、休みの取りやすい制度でして。さらには、スキーを教えられる彼らの国のスキーチームのボスは、もう30年以上毎年冬になると2ヶ月?リタイアした今ではおそらく3ヶ月しっかりわたしが生まれた県にある北部のスキー場に来ているのです。それも無料のチケットで。滞在中、毎週のように全国からやってくるスキー合宿の児童や生徒たちにスキーをただで教える。その代わり、チケットを含め、宿、ご飯はすべてスキー場持ち。というわけです。だから、彼らは、滞在中のお小遣いとビール代があれば、かなり気楽に来られるのです。そんなわけです。その27年来の友とたまたま知ったのは、受験前(自宅で勉強していましたので)、数回の直前講習に古都まで行ったんです。小論文の集中講義を受けに。そのときたまたまとまったユースホステルに、スキー場のあと2度目の来日を旅の仲間たちと泊まっていたのがその友だった。夕飯後、みんなで古都を散策するというので、ぶらりと歩かないですかとわたしはわたしで同室となった女の子に誘われてついていったのがきっかけです。かたこと英語がわずかでも通じるのが嬉しくて、話していました。景色なんてみていなくてどこをどう歩いたのかさえ覚えてないですね。その後忘れた頃に手紙のやりとりがあって。そしてまた忘れた頃にその友が再びスキー場にやってきて。その冬が1.17の冬でした。あれから、25度目の冬がもうすぐやってきますね。

休みの日。あさ、ココアをたっぷり入れたパンケーキを焼きながら。あ、コーヒー、淹れることができるんだ、そうおもった瞬間、自分でも、いまごろそんなことをはじめて発見したみたいに感じたことに驚きながら、あらためて、嗚呼うれしいな、ふとそんな風に感じました。そして。母がいつも。起きてくると。もう待ちつかれるのにもあきたわよ、というような顔をしながら、しぼりだすような声で。「はよ、こーひーいれて」。あの決まったフレーズを思い返していました。母のつかいふるした鍋がいまも並んでいる台所の、ガス台の前にたちながら。。。お湯を沸かして、特製の、あの出口が細くなっていかにも美味しいのが間違いない珈琲をいれられるに違いないホーローの薬罐ポットは、いまだに手にできてはいないので、おそらく、最初のオリンピックより前から我が家にあるだろうな、とっての部分が金属の骨だけになったミルクパンでお湯を沸かして、2人用のフィルターを陶器の漉し器に丁寧に折ってから敷いて、和みというぶれんどのこーひー粉をひとさじ。そしてお湯をやさしく細くしてゆっくり注ぐ。。。だけなのだが。。。これだけなのに、淹れる人の数だけ味がちがうのは、ほんとにほんとにどうしてなのでせうねぇ。ふしぎです。

 

朝からずっと机の前に座っています。つくえといっても、まだこたつ様式にはしていない私の年齢より古いはずのこたつテーブル(ぱなそにっくではなく、なしょなると書いてありますから)と、さいしょのボーナスで買うことができたお気に入りのソファと間のいつもの場所に座って、という意味なのですが。お休みの日、出かけなかったら、のんびりモードになっていたら、たいていこんな風です。書いたり、書いたり、そのほかいろいろ、ぼおおっと、は、あまりきょうはしていないので、テレビを観ながら、覚え書きを書いたり、いろいろ、つまりは書きながら、なにかをしているのか、なにかをする合間に書いているのか、自分でもさだかでないまま、時の流れの中で、気がつくと時間が経っているのです。美味しいものは、少しでも、いえ、むしろそれにふさわしい少量だからこそ美味しくて、そして胃袋が?こころが?まんぞくするので、多すぎる量はかえって味のよさが減ってしまうような、そんな気がして。そしてたぶん、もしかしたら、おいしいものをたべていたら、そんなにかっとなったり、ひとのことをあれこれきになったり、ひとのよくないことにちゃくもくしたりしたくはならないのではないかと、よくはわからないままに、ふとそんなことを思ってみたりしながら、いやいや、よくないことを想像するのはこのくらいにしないと、せっかくのおいしいものがおいしくなくなってしまうと、思い直して、なるたけいいことを書かなくてはとおもいながら、書いています。

 

おいしいものが食べられるのは、毎晩かかさず2合のお酌をして、おかずは5,6種類はあったでせうか、ともあれ、2回おなじものが続くとだまって箸を付けない大正生まれの父が居てくれて、そして、そのために、(わたしのきおくでは、いっつもでしたが)いろいろぐちらしきものを口にしながらも、せっせと決まった食費の中で、毎晩、季節のものを上手につかって、美味しい食べ方、美味しい調理法で、おかずをあれこれ作ってくれた母がそれぞれいてくれたから。そして。大人になって、折に触れ、美味しいものを御馳走して下さった、さまざまな方に縁をもつことができたおかげで。さらには。ちちがいなくなってからは、帰省の度に、ははがいきたがった外食で、限られた外食なら、ほんとうにおいしいものを。の、機会をいくつももつことができたお陰で。そんなこんなで。食べたことのあるものなら、きっと再現も近い味も想像、創造?できるのかもしれないですねとおもったりもするのです。何より素材がいちばんですが、調味料にも隠し味があるのでせうか。そして、なにより、ガスで調理するあじには、どんなものもかないませんね、と、書いていて、はたとおもいました。そうか、直火なら、焚き火ならきっともっと美味しいのですね。そして火加減がなによりむずかしく味のかぎをにぎるのですねと。鉄の鍋なら、もっと美味しいにちがいないですね。昔の人のつかわれしものは、なるほどどれも味わい深いものばかりなのですね。古いものはどれも味が深くて、滋味深く、価値がある。そんな気がするばかりです。

いなさやまで、毎夏、ひろしまの日にながさきで、さださんが、唄っていたころ、いつかきっと。。。と思っていたのを、ふいに思い出しました。やまがきれいに色づいた、トンネルの多い峠みちを走りながら。。。車でですが。きれいに薄いオレンジとグレーの雲とそらが、折り重なった西の空が見通せる、晩秋の道を走りながら。ふいに、学生の頃におもっていた想いが、こころにやってきました。あのころ、ボールパークでボールボーイ?をしたいと思っても居たのでした。そしたら、すきな選手が間近に観られる!そんなことを思っていたのを思い出しました。おまけに、だいすきなベースボールがすぐそばに観られるのですから。

 

それなのに。。。都会に暮らして、動物病院でもはたらくことができて、不意に訪れた友人のアドバイスで、そうか、ドライブしていつでもどこでも行かれるのは、学生の間だけなのかと、おもいたって、急遽、半年間で目標を設定して、もーーれつにアルバイトと倹約生活をスタートさせ、はたして半年後に、期待通り、いえ、期待以上の貯金ができて(家庭教師の生徒さんが、おもいがけず?(失礼)、希望に近い私立中学に滑り込みセーフのかたちとはいえ、みごと合格を果たしてくれたぼーなすがおおきかったのですが、ともあれ)、おまけにバイト先の院長が長年おつきあいをしている車屋さんが、ちょうど年来のお客さんから状態のいいEDを、下取りしたばかりということで。

 

思った以上に、とんとん拍子で、夢だった車に乗ることが実現して。そして、すっかり、ボールパークへのあこがれが、。。。その前のキューバ行き遠征で、野球の夢がひとつ叶ってしまったのも重なって。。。そういうわけで、車のない家に育った、わたしにとって。メタリックグリーンのそのセダンが、とびきりの念願となって。そして、その後、奇しくもきっちりと一年後に、父がいなくなるとは、そのときは、つゆも思わず。。。そのあと、サムと父とのドライブが、帰省する度のわたしと父と、そしてサムとの、ささやかで、でも、とびきりの嬉しい時間となって、やってきてくれたのでした。(渡さんが、平成になったころの刑事ドラマで乗っておられた、VR4のシルバーが念願の車でした。ミッションだし。しかし、その後、社会人となった二年目、ガンメタに決めていたらば、見つかっていたのでしたが。そのときは、どーしても、なぜか。納得できなくて。そのとき、驚くほど、胸が動悸したのでした。後からおもうと、そのときもし、ガンメタに決めていたらば、そのあとの、カワサキゼファーも、そしてゴルフもなかった!かもしれないのですが。ともあれ。そのあと、紺色のヴィエントにしたのでした。そして。バイクとゴルフがやってきたのです。)

 

いつかここに書いたように思いますが。ものごころついたころに、欲しかったのは、鉄道模型。その後まもなく、スーパーカーブームがやってきて。冷蔵庫の消臭剤におまけでついていた、スーパーカーのトランプが嬉しくて。そこに載っている、車を全部覚えていたそうです。いまは、カウンタックとランボルギーニの違いも、全く自信がありませんが。つまり。。。それだけ、車が好きなのですねぇ。自分の意思でどこでも行かれる。。。それが、わたしにとって、ものすごく偉大で、魅力的なことなのだと思います。おそらく今も。。。保育園の5歳のころだったように覚えています。とにかく、ラジコンが欲しくて欲しくて。母の遠縁のひのえ午生まれのおばあさんが、日本一大きなお墓のあるに住んでいて、そこの近所の昔ながらのおもちゃ屋さんにふたりきりで連れて行ってくれて。しきりに上の段の一番高そうなお人形を買ってくれると言ってくださるのだが。。。わたしは、ずううっと、おそらくカウンタックかランボルギーニの黄色いラジコンを、じいいっと観ていたのだが。。。おばあさんは、それには気づくよしもなく。。。なんて遠慮深いのと、たぶん言いながら、ちいさなスポンジボール付き、プラスチックのスカッシュもどきの緑色のラケットを買ってもらったのでした。その後いちにちもしないうちに、そのスポンジボールは、おばあさんの家の古いタンスの向こう側に吸い込まれてしまったのでした。。。

 

おそらく。もし。そのとき、その。黄色のスーパーカーを。夢のラジコンを、あっさり買ってもらえていたならば。こんなに、車が好きで居られただろうかと、すこしおもいます。学生になって、そのメタリックグリーンの車に乗って、寮のあった街の東の端にあった、おもちゃ屋さんに出かけたのでした。そうだ、今なら、ラジコンが買えるのだ!そう思って。。。お店まで行って、思い直したのでした。今買ってしまったら、手に入れてしまったら、ラジコンは、いつもそこにある陳腐なおもちゃで済んでしまうかもしれないと。。。このまま買わずにいたらば、ずっと、夢のおもちゃ、のままでいられるではないか。と。そんなわけで、6歳のおもちゃ屋さんから、うん十年!いまだに、ラジコンは、夢の商品のままでいます。こどもころ、公園や運動場で、だれかが野球をしているのを目にする度に、ああ仲間に入りたいなぁ!!と、こころから思ったのと同じに(いえ、今もですが!)、空き地などで、だれかがラジコンを走らせていると、やっぱり足がとまり、はたまたアクセルを離して、窓からしばし眺めていたくなってしまうのです。野球はいいですね。やっぱり、張本さんが言われるように、ゴルフだけでなく、野球だって、観るより、自分で、自分達で白いボールを追いかけるのが、いちばん、愉しくうれしい時間になるのですねと、こうして書きながら、いますぐにでも、明るい太陽が降り注いでいたらば、そばにあるグローブ持って駆けだしていきたくなる気持ちを思い浮かべて。。。日本シリーズが、秋空の下のディゲームだった頃を、懐かしく想いながら。。。(せんせいに隠れて必死でラジオのチューナーを合わせて聴いていたことを、思い出しながら。。。)書いています。。。

秋の午後は、陽ざしがなんともいとおしいほどに、あっという間に暮れどきが進んでいきます。いそがしく白波がうごききらきら光る海辺と空と、その上にたたずむ、まるで絵に描いたような雲たちのシルエットを、フロントガラス越しに眺めながら、車を走らせるたびに思います。観るたびにちがう、この奇跡の造形美のような、色いろと海と雲と空の佇まい。2度として同じもの、同じ色の組み合わせがないこの風景を、届けることができたらどんなにいいでせうと。こうしてどんなに言葉を重ねても、一見の価値、直に観ることのありがたさ、は、とても言い尽くせないとわかっていても、どうしてもなんとかお届けできないものかと、思ってしまう、かなしさとせつなさがないまぜになって、それでもなお、なんとかもっと上手に描けたらいいのになぁと、思ってしまうほどの自然の色いろの、美しさについて、つくづくと思う。秋の午後なのです。

 

寒暖差がより大きいだろう、山間部のやまそのものが、いくつもの深い色たちに、彩られていて、これまたどれひとつして同じ色合いにそまったやまはなく、黄色と赤と橙と、緑と茶色、それぞれの絵の具を複雑に、微妙な配合で混ぜたような、色といろが、重なっていて。。。時折、目が釘付けになるかのような、グラデーションの美しい葉に飾られた一本の木が目の前の風景に突然現れては、また、次の光景が目に映り。。。動き続けている窓から見える風景の、きれいであればあるほど、その一瞬のいとおしさとはかなしさが、これまた、時間のありがたさ、きびしさと一緒に、こころに印象深く刻まれていくように感じる、秋のドライブなのかもしれませんね。子どもの頃は、同じ風景をみても、こころに映るもの、感じこと、過ぎゆく時間のいとおしさなどは、やはり少し以上にちがっているのかもしれないと、おもいます。

 

人生の秋と、生きてきた時間が、ときおり重なって見えるからでせうかね。ふとした瞬間や、季節の色合いも、はっとするほど、こころに響いてきたりするのも。。。朝方しぐれて、夜明けと共に、朝日がさして、西の空に、おおきな虹がくっきりと、海から空にのびていく、大きな架け橋のように渡っているのをみていると、吸い込まれるように時を忘れて見つめてしまうのも。。。うれしいと感じる、時間と空間。あったかくて気持ちがいいと感じる、時間と空間。には、お金にはかえられないほどの貴重な価値があるものだから。。。ささやかでも、少しの時間でも大事にしたいなとおもうのですけれども。いちにちのなかで、ほんのささやかでも、そんな時間や空間に恵まれると言うことのありがたさをおもいます。美味しいものを食することができると、それだけでしあわせと感じることが増えるのと同じに、目や鼻や耳で感じる、自然の美しさ、貴重さも、じんわりあったかいきもちを増やしてくれそうで。当たり前のように広がるいつもの風景を眺めながら、ふと、そんなことを思ったりする秋の午後ですねぇ。(季節の色、いろは、ほんにありがたく滋味深くって、懐炉いじょうにこころにあったかい!、のかもしれませんねぇ)。

期待以上の好天に恵まれて感謝しています。ほんの一瞬の油断がおもわぬことになったりすることもあるのですね。人の気持ちは、ふとしたことで、歓喜にも寒気にもなるもののようです。。。ともあれ。なんとか、どこまでも、北風ではなくって、たいようのようにあれたらいいなと思っています。ときに、なかなかきびしくくるしいせつなもあるのですけれども。小さな声でつい、ぐちやひなんのひとこともつぶやいてなんとか、こころの叫びを声ではきだして、それいじょうのわるいことばがでないようにと、ひっしで自分に言い聞かせることもありますが。いえ、やっぱり、その都度、なるべくため込まない方がいいのかなと思って、なるたけわからないように、静かに、大きな声で?、いえ小さな声で、きもちをことばでさりげなつぶやいているところでせうか。こうして。。。

 

この前が、われながらずっと読んでいたいような文達をかくことができたので。次のテーマがなかなかなくて、言葉がでてこない、というより、前回の文の余韻にひたっているだけで、ほっと自分のこころが慰められて、その空気に少しでもひたっていたい、そんな時間のなかにいるようにおもいます。やさしい時間というのは、ひとのきもちをよりやわらかくしてくれるのかもしれませんね。ボールがないとあんなにもしっかりと重心を意識して立ったり、振ったりできるのに。どうして、こうも目の前にボールがあると、あれこれ急いで動いてしまうのでせうね。とくにパターです。なにももたずに、シャドウでかまえると、どんな打ち方もイメージ出来ると思うのに。いざ、目の前にボールを置いて。そして、構えて、視界の隅にカップが見えたりしようものなら、どうしてこうも、うまく打てないのでせうね。ほんの少しのグリーンの傾斜でさえも、重心にしっかり影響をくれたありするものですから。

 

気がつくと、剣道をしていました。小学校4年生でした。一度もしたいと言ったことはなかったと思うのに。テニスとバレーボールはどれほど懇願しても許してもらえなかったのに。利き手が長くなることや、手のひらが傷だらけになることを、よしとしなかった父のやさしさのせいだと気がついたのはずっとずっと後のことです。それなのに。気がついたら、竹刀が買われていて。日曜朝の道場に通うための自転車も気がつくと買ってもらえていて。(これは高校でも10キロ離れた学校まで通っていました。)3年間通いました。今だからなんとなく思います。父は、作法を。動き方の基本を。いろいろな教訓が、織り込まれている武道を少しでもした方がよいと思ったのかと。中学に入ると、剣道、バレー、そして結局選んだその球技と。3つのクラブから誘いがありました。私の中で、剣道はもうないとそのときは思っていました。バレーはとても評価をしてもらえていたのですが。余りの練習量を聞いて、わたしでは無理と判断しました。結局、個人競技しかしていないように思います。ダブルスはありましたが。ハバナでの9回完投にしても、地元の高校生に守って貰って、2ヤード前からのマウンドで投げさせてもらったおかげです。

 

それぞれの時代のおりおりに、いろいろな場面で、的確で、道理に合った、アドバイスや教訓をたくさんしてもらえたお陰で、いま、いろいろな局面で、ああ、役に立つって時間がたてばたつほど、かつての教えが響いてくることなのだなぁと、改めて感心することしきりです。ゴルフが上手な人は(スコア以上にマナーの良い方とわたしは感じているのですが)、無駄な動きが少なくて、決断が早くて、準備もできていて。とりあえず3本もっていって、どれも選ばすいつも同じクラブというのではなくて、言い訳もしなくて、きれいなボールが打たれる。。。そう、なんとなく感じているのですが。女の人でゴルフが好きな人は、運動が好きなのでせうか。それとも一緒にまわる方との、ゴルフでの会話を楽しめるかたなのでせうか。自分のスコアだけにしゃかりきにはどうしてもできなくて。わたしのばあいです。いいボールは打ちたいとこころから思います。ただ。困ったことに、失敗してもいい、なんどでも挑戦できる方がたのしい。そんな風に考えてしまうので。にんともかんとも。自分でそう思います。ですので、スコアをど~しても減らさないといけないラウンドはわたしにとって、とてもとてもこころによくない。。。つまりはにがて。そんな風に感じてしまうのです。それでも、ゴルフは素晴らしい。こころからそう思います。

サムのことをかいていると、きっとおそらくたぶん、ひとばんじゅうでも書いていられることでしょう、と、思います。さむくんはね、さむちんていううんだ、ほんとはね、だけどちっちゃくないから、ひとまえ~では、さむちんとは言わないんだよ、かわいいね、きっと。nanntene。ともあれ。さむは、とにかく、わたしのことがすきですきでたまらないのだと、いうことだけは、とてもとてもよくわかって。。。それが、かなしくていとおしくてどうしようもないくらいに、せつないかんじがこみあげてくるのだ。ところが、ははがそばにいると、さむはちゃんと、こころえていて、つまり、ははのきもちをさっと察して、ははのそばに寄っていくのだ。ぼくはあなたのことをたいせつにおもっているのですよと。そう、いわんばかりのように。。。それはそれで、ははにとって、きっと、なんとなく、居心地があれで。。。それでまた、ははは、わたしがさむと一緒に座っていると。離れたところで、ひそかに焼き餅をやいているのだ。たぶん。。。

 

さむというなまえは、おそらくたぶんきっと、6年生の頃から決めていたのだ。その方のファーストアルバム、加山さんが弾さんの名前で曲をつくられていて、「ありふれたラブソング」が1曲目でした。その3曲目におさめられていたのが、さむという名前のボクサー種をテーマに描いた曲でした。それで。まったく同じではあれかなと、思ったので。小さい夢とかいて、さむ。字画16画。一緒に居るひとを幸せにする字画だと読みました。とにかく怖がりなんです。そのおおきなふとい足をもって、どうしてそんなにこわいのか。そう思案したくなるほどに。怖がりで、優しくて、ひと想いで。散歩の途中。向こうから、誰かがやってくると、もうこわくてこわくて。匍匐前進のような、警戒ぶりが、余りに慎重で。。。情けないやら、可笑しいやらで。彼は、必死なんです。こわい相手だったらどうしようと、気が気でないのがこちらにも伝わってくる。。。ひしひしと。ところが、ははとさんぽにでかけると。まるでははを、まもるのは僕しかいない。まるで、そう言うかのように、ははの歩調にあわせて、そっと、静かにあるくのが、また、泣きたくなるほど、哀しくなるんだな。これが。

 

そんな立派な体格をして、雪はあんなに大好きなのに、水となると、これ。数センチの水でももうダメで。いちど、海まで歩いていったとき。目の前にとんできた、鳥に夢中で追いかけたらば、気がついたら、海の中に突進していて。。。その後の、彼のおどろきようといったら。まるで。おかしいやら、笑えるやらで。もう、なかばパニックで。きれいな夕日の、元旦の夕暮れでした。別のある日、冬だったそうです。ははと出かけて、これまた、同じように、何かを追いかけ、コンクリートの大地だと思って、駆け上がったら、どうやら、そこは用水池だったらしく。。。文字通りの、犬かきを必死でしていて。さすがのははも、おおわらいにわらったそうです。わたしがいるのに、わたしが散歩に同行しないと、もう、まるで話しているように真剣な顔して、おこっていました。どうして、わたしでなくて、ははなのかと。よりにもよって、大雪がくるという、その前日に。ははは、もう、げんかいだったのでせうか。それとも、さむがははのきもちをくんだのでせうか。あと1日と数時間するとわたしが帰ってくるという、その1月の末。羽田からの飛行機がぎりぎりやっと飛んだ日の前日でした。ははは、さむをゆかせてしまいました。そのあと、わたしがどんなにかなしくて、つらくて、ははをひどくせめてしまいました。

 

92年の4月2日。わたしが、2浪目の春を、どんよりした気分で迎えた、梅のほころぶ午後でした。ころころの、お人形のような愛嬌たっぷりの体型で我が家にやってきた、さむでした。まだ、その日に名前で呼んではいませんでしたが。早く名前で呼ばないと、自分の名前を覚えないよと、両親にせかされるように。一応、両親の意見を求めはしたものの。わたしのなかで、さむというのは、もう、ずっとずっとまえのまえから決まっていたのでした。あわてて、漢字をさがしたのは、たしかですけれど。さださんの佐に、夢というのも、候補にあがったのではあったのですけれど。ともあれ、そこから17年目の冬でした。もうおそらく、耳も遠く、目も見えているかもさだかではなく。たぶんきっと、声で呼んでも聞こえないかもしれないと、さすがにどこかでてれくさくて、かなしいかな、大きな声を出すことできないわたしでした。それで、鼻だけは。得意の鼻だけは、きっと生きているに違いないと。そこらじゅうの雪の中に、わたしのにおいを残しておけばと。ひとばんじゅう。なんどもなんども、ぬれて冷えに冷えた靴下を替えに戻って。武道館の裏山まで。わたしの足跡を残さんと。においをかいで、なんとか息を吹き返して。遅れてでもいいから、生きる気力をよみがえらせてくれないものかと。あんなにせつなくて、かなしくて、息していても、息しているここちのしないひとばんはなかったのでした。あれから、もうすぐ、9回目の冬がきます。我が家のおとこたちは、どうしてあんなに美形なのかと、ため息したくなるほど顔立ちが整っているのです。わたしはどうしてこうも。。。と、こっそりため息の、そんな気がしないでもなく。おとこのこというのは、どうしてこんなに、純粋で、無垢で、きれいなこころをもっているのせうね。ホッとするのは、そのやさしさに、ふれるたび、ああ、いいなぁと。ため息と、このうえないホッとするひとときに感謝のつきない、秋のそらなのです。

とても素敵な葉書をいただきました。とてもうれしい一葉です。5行に、おきもちとやさしさのつまったメッセージ。なんども読み返してうれしく読んでいます。ゴルフのすばらしさ、縁のすばらしさに、あらためて、敬服。そして、感謝の気持ちです。これも、ゴルフの恩師のおかげですね。ずっと書いてみたかったことを、少し書いてみようかとおもいます。いま、年齢と同じ年数のたった家にすんでいます。あちこち、いたんでいないといったらうそになります。ただ。居心地はいいのです。年齢と同じ家に暮らすということのありがたさをかみしめます。古いもの、1000年以上たっていたら、これせかいいさんとか、こくほうなどといわれるのに、わずか80年、90年、いえ、しかしされどです。80年、90年いきるということの、すばらしさについて。新しいものは、たしかに価値があります。時間もあります。ただ。あたらしいものと同じくらい、古いもの、長年の風雪を経て、なお元気で居るというすばらしさをもっているもの、かたへの、敬意がいささか少ないようなきがするのは、きのせいでせうか。

 

おかねにかえられない価値について、のんびり論じる時間がないのでせうか。いえ。ひとはへっているいまだからこそ。 のんびり語ることのできる時間があってもいいのではないでしょうか、と、思ってしまいます。インクリボンを買い換えるより、プリンターを新しく買った方が安い!、ため息ですね。エコだといいながら、値段が値段でないような現象がそこここにあって。ちょっぴりかなしい気分になります。なんでもかんでも、古いものがいいというのではないかもしれませんが、どうしても、古いもの、味のあるものに、ひかれてしまいます。年輪をかさねるということ、ものの、ありがたさ、貴重さをおもってしまいます。たとえば、ファミリーヒストリーをみて感動できるのは、きっと、心の中に、ルーツをさぐって、あらためて、この年齢で知る、ということの感動なのではないのかなと、おもいます。ともすると、新しいもの、べんりなもの(手間がかからないもの)、バリアフリーなものが、ベストと思われがちですが、バリアフリーの空間でくらすと、あっというまに、脳が思考をやめてしまうときいたことがあります、なるほどです。

 

人柄がにじみでる風貌というものについて、これがあじのあるひとのことを、うつくしいというのでないかしらと、おもってしまいます。なにも、これまでのことをきゅうにかえようとおもっても、そうはなかなかいきませんし、ことばをどんなにつくしても、それぞれの方からにじみでている、空気や風貌で、ほかのどんな言葉もふようになってしまうことだって、あるのかな、ともおもいます。あらためて、時間のつかいかた、ときに、おそいはまったく意味の無いこともあるし、はたまた、時間を掛けないとどうにもならないこともあるし、ですね。たくさんはたらいてこられたかた、どりょくをされてこられたかたの、背中は、はやり、かっこいいなとおもいます。いつか、ずっとまえ、なまいきにも、ここで、3歩歩いたら、(ゴルフが)すてきかどうかが、わかる、などということを書いてしまいましたが。。。ともあれ。とおからず、せなかが、顔より、顔らしい。。。ところは、たしかにあるのかもしれませんね。あれ。せなかにじしんのないひとほど、じぶんよりよわいものの、せなかに(ぶれいにも)だまってはりつきたがる?ものなのでせうか。(すこし、いえ、すこしいじょうに、なまいきなことばかり書いてしまっています。お許し下さい。いつかラウンドしたいものですね。すてきなコースで。)ともあれ。柔らかな、日差しが、うれしい窓辺で書いています。