期待以上の好天に恵まれて感謝しています。ほんの一瞬の油断がおもわぬことになったりすることもあるのですね。人の気持ちは、ふとしたことで、歓喜にも寒気にもなるもののようです。。。ともあれ。なんとか、どこまでも、北風ではなくって、たいようのようにあれたらいいなと思っています。ときに、なかなかきびしくくるしいせつなもあるのですけれども。小さな声でつい、ぐちやひなんのひとこともつぶやいてなんとか、こころの叫びを声ではきだして、それいじょうのわるいことばがでないようにと、ひっしで自分に言い聞かせることもありますが。いえ、やっぱり、その都度、なるべくため込まない方がいいのかなと思って、なるたけわからないように、静かに、大きな声で?、いえ小さな声で、きもちをことばでさりげなつぶやいているところでせうか。こうして。。。
この前が、われながらずっと読んでいたいような文達をかくことができたので。次のテーマがなかなかなくて、言葉がでてこない、というより、前回の文の余韻にひたっているだけで、ほっと自分のこころが慰められて、その空気に少しでもひたっていたい、そんな時間のなかにいるようにおもいます。やさしい時間というのは、ひとのきもちをよりやわらかくしてくれるのかもしれませんね。ボールがないとあんなにもしっかりと重心を意識して立ったり、振ったりできるのに。どうして、こうも目の前にボールがあると、あれこれ急いで動いてしまうのでせうね。とくにパターです。なにももたずに、シャドウでかまえると、どんな打ち方もイメージ出来ると思うのに。いざ、目の前にボールを置いて。そして、構えて、視界の隅にカップが見えたりしようものなら、どうしてこうも、うまく打てないのでせうね。ほんの少しのグリーンの傾斜でさえも、重心にしっかり影響をくれたありするものですから。
気がつくと、剣道をしていました。小学校4年生でした。一度もしたいと言ったことはなかったと思うのに。テニスとバレーボールはどれほど懇願しても許してもらえなかったのに。利き手が長くなることや、手のひらが傷だらけになることを、よしとしなかった父のやさしさのせいだと気がついたのはずっとずっと後のことです。それなのに。気がついたら、竹刀が買われていて。日曜朝の道場に通うための自転車も気がつくと買ってもらえていて。(これは高校でも10キロ離れた学校まで通っていました。)3年間通いました。今だからなんとなく思います。父は、作法を。動き方の基本を。いろいろな教訓が、織り込まれている武道を少しでもした方がよいと思ったのかと。中学に入ると、剣道、バレー、そして結局選んだその球技と。3つのクラブから誘いがありました。私の中で、剣道はもうないとそのときは思っていました。バレーはとても評価をしてもらえていたのですが。余りの練習量を聞いて、わたしでは無理と判断しました。結局、個人競技しかしていないように思います。ダブルスはありましたが。ハバナでの9回完投にしても、地元の高校生に守って貰って、2ヤード前からのマウンドで投げさせてもらったおかげです。
それぞれの時代のおりおりに、いろいろな場面で、的確で、道理に合った、アドバイスや教訓をたくさんしてもらえたお陰で、いま、いろいろな局面で、ああ、役に立つって時間がたてばたつほど、かつての教えが響いてくることなのだなぁと、改めて感心することしきりです。ゴルフが上手な人は(スコア以上にマナーの良い方とわたしは感じているのですが)、無駄な動きが少なくて、決断が早くて、準備もできていて。とりあえず3本もっていって、どれも選ばすいつも同じクラブというのではなくて、言い訳もしなくて、きれいなボールが打たれる。。。そう、なんとなく感じているのですが。女の人でゴルフが好きな人は、運動が好きなのでせうか。それとも一緒にまわる方との、ゴルフでの会話を楽しめるかたなのでせうか。自分のスコアだけにしゃかりきにはどうしてもできなくて。わたしのばあいです。いいボールは打ちたいとこころから思います。ただ。困ったことに、失敗してもいい、なんどでも挑戦できる方がたのしい。そんな風に考えてしまうので。にんともかんとも。自分でそう思います。ですので、スコアをど~しても減らさないといけないラウンドはわたしにとって、とてもとてもこころによくない。。。つまりはにがて。そんな風に感じてしまうのです。それでも、ゴルフは素晴らしい。こころからそう思います。