日本は「貧しい国」になった?(1)---バブル期のお話 | 倭の国、聖俗つれづれ

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最近、歴史的な円安で日本が貧しい国になったと言われます。


「日本はなぜ貧しくなったのか」「日本はもう先進国ではない」といった言葉も経済誌や新聞でよく見られます。
 
バブル崩壊後、日本の経済成長はずっと停滞している。
他の先進国ではGDPは毎年約2%ずつ成長してきた一方、日本は1990年以降ほぼ横ばいです。
日本株の価格もずっと低迷。(2024年に一時期、バブル期並みに急騰しましたが)

外国人旅行者が日本に来てばんばんお金を使い、高い食事を楽しんでいるのに、我々は円安で海外旅行に行きづらくなった。
バブル崩壊後、30年以上賃金が上がらない。なのに物価が上がってきて生活が苦しい。
そんな声も聞かれます。

ここ数年、日用品の値段が上昇していっているのに、給料は同水準で上がっているとは言い難い。当然ながら私も含め、多くの国民にとっては生活は少しずつ苦しくなってきています。
スーパーで支払いをする時、「あれ、そんなに買ってないのに??」と金額に驚くことも珍しくありません。

とはいうものの「日本が貧しい国になった」と言われると、それはそれで私としては何となく違和感があるのです。
逆に、それならたとえばバブル期は豊かだったのでしょうか。

私が小学校の終わり〜中学・高校の頃、ちょうどバブル期でした。
そして高校を卒業して間もなく、バブルが崩壊しました。

当時子供だった私なりに記憶をたぐると、日経平均株価は右肩上がりに上がっていき、日本企業による海外の不動産買収の話などもよく聞かれました。貿易の不均衡から日米貿易摩擦が生じ、「ジャパンバッシング」などという言葉までありました。
 

また、まだ若い二十代三十代の社会人がこぞって高級車を買ったり、ブランドものの洋服やバッグを買ったり、少しでも安くブランドバッグを買いたいからと海外旅行に出掛けたり。

クリスマスイブには若いカップルは高級レストランで食事をして、女性は高級ブランドのジュエリーをプレゼントとして貰い、シティホテルに泊まるとかいう話も聞きました。

みんな同じような格好をして、同じようなバッグを持って、同じような行為に及んでいる自分より少し上の「大人たち」。

外側から冷めた目で眺めると、多少奇妙に映ったのも事実ではありますが、ともかくある意味、景気の良い雰囲気ではありました。

 

しかし当時の若者がそんなにお金を持っていた(高い給料をもらっていた)かというと、実はそうでもなかったりするのですよね。

 

勿論、高い給料を得ていた人もいたでしょう。ところが当時「バブル期のOL」であった5歳年上の従姉妹に聞いたところ、現在の初任給とそんなに変わらなかったといいます。高卒や短大卒の普通のOLさんの給料はそんなもんよと。

 

でも何となく時代の流れとか雰囲気とか、要するに「気分」で無理して頑張って、高価な衣服を買ったりブランド物のバッグを買ったりしていたようです。

 

また、当時は安い物がなかった。

ユニクロとかGUなんてなかったし、「リクルートスーツ」なんて言葉ができたのはバブル崩壊後です。

バブル期の学生さんは、就職活動用にスーツ一つ買うのも結構大変だったのではないかと想像します。

 

化粧品だって、現在はドラッグストアに安いものがたくさんありますが、当時は社会人なら百貨店の化粧品売り場に行っていたでしょう。若者はSony Plaza(今のPlaza)等の雑貨屋さん系でしょうか。

シャネルをはじめとした外資系ブランドの口紅なんて5,000~6,000円していたと思いますが、そんなのを買っていたんですよね。

 

実際にお金があるか否かというより、消費行動を促すのは心理的操作だけで良かったというのは面白い。

 

バブル崩壊までは、日本では終身雇用が可能であった時代で、勤続年数を重ねれば給与は上がって行っていたので、「良い大学を出て大企業に就職できれば、一生安泰」。

その為、人生設計もしやすくなりますし、家や車といった高額な買い物も、多くの人が比較的安心してできていました。

 

少子化問題も今ほど深刻ではなかったのは、やはり収入の安定が見込めたことが大きいと思います。

今のように、お金がないから(収入に不安があるから)結婚できない、子供を作れないということは聞いたことがありませんでした。

 

では日本はバブルの頃のような社会に戻れば良いのかというと、それは違いますよね。

でもお金をどんどん回してGDPを…というと、多少毛色は違っても結局そのような方向に進まないと、この資本主義経済では大きな成長は見込めません。

 

さてどうしましょう。(という訳で次回に続く)