資源の消費を少なくして経済を発展させるために、モノを購入して消費する構造から、サービスを購入する構造に変革することが必要だとしよう。


リフレクソロジーで安らぎを得て、そのサービスに対価を払うことは資源効率が高いといえる。

他にも労働集約的なサービス業は同じようなことが言える。

美容師だったり、弁護士だったり、キャバクラ嬢だったり、モノをあまり消費せずに付加価値を生み出している。


芸術はどうだろう。

芸術性と言う付加価値がつくことにより、物質的価値の何百倍の価値がつくこともある。

世間から高い価値が認められている絵画や骨董品は資源効率が高いといえる。

ブランドも似たようなものか。そうなるとノーブランドは安かろう資源効率が悪かろうということになる。


心を満足させるものに対して、物質的に実態のないものに金を払う、すなわち、体験に対して金を払うということで資源効率性が高められる一つの要素ではないか。


しかし、手元に物が残らないとしてもその体験を得るまでの過程において、大量の資源を無駄にしていることはないのか?


美術館で体験を得るためには、美術館がなくてはならないが、美術館では空調が必要である。絵画展を開く際の絵画の空輸もかなりのエネルギーを使う。

しかし、例えばその絵を見るために多くの人が、パリに行くとしたら何千倍のエネルギーを使うだろう。CO2も大量に排出される。


世界中を旅行し世界を知ることで何か世界の役に立ちたいと思っている人は、大量のエネルギーを消費し、CO2を大量に排出することにより、実は世界を不幸に陥れているかもしれない。


例えば、日本-アメリカを往復するとCO2は2トン排出される。

日本人全員が年一回アメリカ旅行をすると1.2億×2=2.4億トン。

日本全体のCO2排出量が18%も増えることになる。

では、世界の人々が同じことをしたら・・・。65億×2=130億トン。

世界全体のCO2排出量が57%も増えることになる。


レジャーと言う名の下に年に何回も海外旅行をすることは今後は悪と捉えられるかもしれない。

CO2に価格がつけば、その分を負担する人だけが旅行できるということになるが…

先の例でCO2が1トン1万円となれば、サーチャージ+2万円負担する人は旅行できることになる。

その分、貧しい人たちが旅行しないのでバランスは取れるがそれでいいのかな。


メディアの発達で映像も音声もより高精細となっているのだから、

普段は世界遺産のような番組やインターネットで鑑賞したり文化を知ったりして満足しておいて

新婚旅行とか記念的なときにだけ海外旅行をすればいいのではないのだろうか。

それか、一回の滞在時間を長くして航空を利用する回数を減らすのもいいかも。


多くのプレーヤーが参加する制度がどんな結果を生み出すかはルールが決めるといってよいだろう。

プレーヤーは与えられたルールの中で、有利になるような戦略をとるだろう。


ただ目的を達するだけでなく、皆が自分の利益を求め続けたとき、全体としてよい結果を生み出すルールを作るべきであろう。

皆平等に少しだけプラスで全体で10プラスの結果が良いのか、それともマイナスの人と莫大な利益を得る人がいて、全体が100プラスが良いのか。


誰にどれだけ利益を与えるのか、誰にどれだけチャンスを与えるのか、その配分の問題はルールが決めるのだから、ルールを作る際には有利になりたい者達から色んな圧力がかかるだろう。


先進国と途上国、高齢者と若年者、企業と労働者などの対立構造の中でルールを作っていく政治はどろどろして当たり前なのだろう。そして、全体としてよい結果を生み出すルールはなかなか生み出されない。

楽に生きて人生を謳歌することも一つの生き方


レールから外れて何かを変えたり、何かを残すことも一つの生き方


何かを目指し今のレールから次のレールに乗り換える。

しばらく走り続けるとこのレールの終着地は望むところでないことを知る。

走りながら今後の生き方を考え直すことは案外難しい。

再び別のレールに乗り換えるか、このまま進むか。

また同じことを繰り返しながら生きていくのだろうか。


流れに逆らわず楽な方へと進んでいく方が個人の人生の価値が高いのかもしれないが、

一度流されてしまうと、そのまま流れてもう戻れないかも知れない。

レールを乗り換えることは歳を取れば取る程難しくなってくる。


分岐可能な時期は案外限られている。限界が来る前に再び答えを出す必要があるということ。



自分の利益を最優先にする人と全体の利益を考えようとする人がいる。


全生命の利益、人類の利益、自国の利益、組織の利益、セクションの利益、個人の利益があり、

全部がマルなら話は簡単だが、どこかが×になるとき、判断が必要になる。


ある人は会社の利益になるがセクションの利益にならないことをやりたくはない。それは自分の評価にも繋がらないからだ。

もう一人は自分の利益にもセクションの利益にもならなくても会社の利益になるならとやろうとする。

資本主義経済なんだから、会社間の競争はあって当然だが、会社の利益になることをするのが会社員の努めであろう。

セクショナリズムが全体最適をできなくしている一因であるということ。


たいてい出世する人はそういう意味でずる賢い人らしいが、人間として美しくない人ばかりに管理されるのは虚しさを感じる。

自己評価など気分次第なのだ。


自分より劣るものを見ているときは自信を持ち、

自分より勝るものを見ているときは自信を失う。


貧しい国の映像をテレビで見る心理は果たして同情なのか、それとも豊かな国に生まれた優越感を味わうためなのか。


優越感を味わうために見ているとすると、金持ちを取材する番組は一体!


超金持ちは非現実的なので、むしろ興味津々なのかもしれない。

自分と近い人間が上にいるというのに不快感を覚えるが、はるか上にいる遠い人にはなんとも思わないのか。

テレビ番組で何十億も稼ぐデイトレーダーが意外と虚しい生活を送っていたり、時に大損こいたりするシーンを入れるのもそうした心理に配慮したものだろう。


破天荒なサラリーマンのドラマは会っても、単なる一流サラリーマンのサクセスストーリーがないのは頷ける。


周りに負けないために頑張るところは頑張る。頑張って適わないなら、別の領域で頑張って上位になれば良い。


一つでも満足いくところがあれば、案外幸せなものだ。