昨日、テレビ見て勉強になったのはエルニーニョ現象とラニーニャ現象の違い。


エルニーニョが日本の冷夏をもたらし、ラニーニャが猛暑をもたらすという原理がわかったのもよかったのだが、エルニーニョが「男の子」で、ラニーニャが「女の子」という意味だということを知って満足。難しい名前だなと思っていたけど、ちゃんんと対になっていたんだな。


やはり物事は意味を関連付けると理解や記憶しやすいんだな。

粋がっている人を見ると叩きたくなる。

痛めつけられている人を見ると救いたくなる。

と思って行動しているのだが、この思想は人の感情として本来備わっているものなのだろうか。


でも、この世の中で資本主義的な成功と言うものを望むのなら、

自分をコントロールするものへつらい、自分より弱いものを虐げることが正解なのかもしれない


南北格差だったり、格差社会だったり、いじめだったりもそんなところから起こっているのかな。


でも、それは皆が他者を思いやらずに同じ戦略を取ったときの正解であって、

協調した場合は別の戦略があって、別の正解があるのかもしれない。


人格の多様性を認めること、チーム全体での成功のために時には厳しさを時には寛容性を持って接すること、

チームメンバーの成功を自分の幸せとして捉えることができること。


なんてことができたらいいな。難しいことだけど。

リスクをとる人間は大きな成功を手に入れるかも知れないが、どん底に落ちるかもしれない。

リスクをとらない人間はたいした成功を得ることはできない。

これは投資とかギャンブルとかの金銭的な成功の話。


成功って何だと考えたとき、金銭的な成功もあれば、社会的な成功、恋愛における成功、ささやかな成功、大げさな成功と色々あるが、名誉を手に入れたり、恋愛で成功することにリスクを冒すことが必須かといえばそうではないし、努力をすれば良いと言う問題もあれば、努力したって才能がなくて叶わないこともある。


例えば、転職は今までの環境を捨てて新しい環境へと移るが、次の環境が合うか合わないかというリスクがある。


リスクを冒す目的が良い満足を求めるためと定義する。


そのとき取れるレベルのリスクを冒して満足を追い求める。

良い満足が得られることもあれば、失敗して欲求不満になることもある。


リスクを全く冒さなければ、満足は得られないが、欲求不満になることもない。


ということで、人生においてとても重要な満足を得ることは、リスクを冒してもやるべきで、

あってもなくても良いような満足は欲求不満になるくらいならリスクを冒すべきではない。


例えば、個人によるが

重要な満足:結婚し家庭を築き子孫を残す。自分の人生でなしたことが社会に貢献する。

ちょっとした満足:名声を得る。裕福な生活を送る。勝負に勝つ。

としたら、結婚するまでは恋愛に積極的になり、転職してでも自分の目的に合った仕事を選ぶ。結婚後は家庭に配慮し仕事をレベルアップし社会貢献をするのが理想なのか。

意図していなかった行動がなぜだか、いい結果をもたらすことがある。

はっきりいって偶然なのだが、人はそれを幸運と呼ぶ。

偶然だから、幸運もその反対の不運も起こるだろう。


でも、幸運を待つだけで幸福を手に入れられるとは到底思えない。

努力をすれば幸運が訪れる可能性が増すこともあるだろう。

情報を集めたり、仕込んだりと。

周りからは幸運に恵まれているように見えても、必然の結果であったりする。


テストで高得点を取ったとき、実力通りの当然の結果であっても山がたまたま当たってんだと謙遜するように。


待つだけでは何も始まらない。

運命とは、何だろうか。
偶然に期待して妄想を続けても成功はなかなか訪れないだろう。
目標へ向けて地道な努力を続けつつ、突然訪れるチャンスを掴み取る準備をしているとき、偶然は運命に変わる。
準備を怠れば、偶然のチャンスはそのまま通り過ぎていくことだろう。なるべくしてなるから運命なのだ。