実家に帰省して母と食事に行った際、以前兄が母に話していたことについて教えられました。
「こどもは褒めてやらなアカンぞ!」
兄はうちの子ども達との関わりは薄いですが、息子が兄の部屋にゲームを求めて押し掛けると、特に拒否するでもなく淡々と相手をしてくれます。
兄は独身、子なし。
一般論としての話かな?と聞いていたところ、母はさらに兄の話を続けました。
「俺はいい点を取ってきても、親父に褒められたことないからな」
と言っていたとのことです。
そうか。
やはりそうなのか。
私から見て兄は甘やかされていて、贔屓されていましたが、それでもそうだったのか。
それにやはり褒められなかったことは、自分の成長期間を振り返って考えると、悪い教育方針だと認識していたのか。
私より成績が低いときや、点数がずっと低いこともしばしばあり、反抗期や我が儘も私より酷かったのに、それでもいつも
「お兄ちゃんの方がちゃんとしている」
と言われていました。
(私は反抗期は特にありませんでした。
なぜなら自分が社会的に独立できる立場と収入を得られるまで親に養われる必要があると思って、歯を食いしばっていたから。
中学生の時の夜、炊飯器の蓋を乱暴に閉めていたという理由で父に叩かれて首根っこ掴まれて裸足で道路に放り出されたとき、
「このまま親と縁を切り帰らなくても、女子だから風俗などで生きる道はある。上手くすればのし上がれる。」
と考えましたが、それは自分の望む生き方ではないし、リスクもかなり高いと計算して、あと8年我慢する方を選びました。
女の低学歴で、独身で独り立ちし、快適で安定した生活を老後までするのは、現実的ではないと考えたからです。
いつも「必要最低限の学歴を付けて就職するまで」と目標を見ていたので、荒れなかったわけです。)
私の方はもちろん、両親に褒められた記憶などありません。
しかし、大事にされていた兄も褒められたことはなかったとは!
それは新たな認識でした。
その上で母は続けました。
「私もお父さん(じぃじ)もずっと成績優秀で点数も良かったから、私達の子どもなら80点や90点が当たり前だと思っていた。
当たり前だから、褒めるなんて思いつきもしなかった。」
「低学年の時は100点が当たり前だったよね。それでも褒められたことないし、成績もほぼ全て二重丸でも褒められたことないよね。」
私が確認すると、母は頷きました。
「30点とか40点なんて見たこともないし、考えてもいないから。
出来るのが当たり前だから、当たり前の点数を取ってきても褒める理由なんてなかった。」
と言いました。
昭和という時代背景もあるとは思います。
それにしても、親から子への要求だけが一方的に高かったのだと、今はわかります。
兄も私も小学生から時を経るに従ってどんどんやる気をなくしていき、学歴や進学に否定的になり、「普通にすれば出来ること」をやらなくなり、家庭・結婚・家族に対して拒否反応が育ちました。
頑張っても意味がない、そもそも愛情って何?という学習をした結果です。
兄は実際、結婚する気はサラサラなくこれまで来ており、私もたまたま結婚してみてもいいか、という気分になった時期があったから今があるだけで、基本的には一生独身でいるつもりでした。
うちの子ども達が
「マジか…
どうしてそうなるんや?」
という点数や成績を連発しているのを知り、どうもばぁばにとっても
「私たちは褒めるのが下手だった」
という気付きが最近になってあったようです。
我が家ではうちの子ども達が色々やらかす日常があって、時々良い結果が出ると私はいっぱい褒め、娘は頭を差し出し
「にゃ~」
と言って甘え、息子も褒めることを期待する子犬のようにやって来て、ニコニコしてハグしますが、この時は親子ともに幸せだと思います。
そして差異があるからこそ褒めやすいというのはあるな、と思います。
兄の発言を教えられて、褒めることに気付ける環境は大切だよな、と改めて思った次第です。