ごろごろねこの仕事と結婚

ごろごろねこの仕事と結婚

自分の感性を信じろ

Amebaでブログを始めよう!
コロナで未来が見えなくて
不安になる
旦那もコロナのせいかは知らないけど
鬱っぽくなってる

わたしは長引く自粛で
昼夜逆転してしまい
夜寝れなくなってしまった
夜に不安になるので

祈りと願いをこめて生きよう

今日はセウォル号事件から6年
黙祷した。

一人一人の机に遺影とお花が置かれている
誰もいない空っぽの教室。
あの光景をわたしはこれからも
絶対に忘れないだろう。
事件直後に留学した韓国では 
権力に騙されるな
これを学ばせてもらった

いまの日本はいったい何をしているんだろう?
ただ待ってたって権力は相手にしない
だから言いたいことは言わないと。
怒りや痛みを伴わないと変えられないところまできてしまっているんだから。 

絆なんていう言葉で本来一緒にすることができないほど
この国にすんでいる人々の置かれている立場はちがう
階級、雇用形態、ジェンダー、民族、セクシュアリティなど・・・。 

コロナで影響を受けない仕事もあれば 
フリーランスのように直撃する人がいる。
男性を基準にした世帯主基準の補償方法ではこぼれ落ちてしまう人がいる。
やっと実現しそうな一人当たり10万補償も、
外国籍の方々は該当するのか
不安に思っているだろう。

ひとりひとりが
自分の立場で考えて
意見を言う
こういう普通の民主主義国ならやってること、
もっとやっていかなきゃいけないし
やっていければと思う。







有名私立大→東大院→大手コンサルファーム出世頭の大学生時代友人。。。。

久しぶりにTwitterで発言してるのみた

あくせく働くサラリーマンぶるけど以下の発信内容から余裕をかんじさせられるというか(いや余裕なんだろう)

・海外論文からの要約
・真実的なことの発信 (~から考察すると一般に報じられている~はフェイクだろう。的な)
・文化的生活についての報告
(久しぶりに日本の思想を読んだ。いまの社会でこそ重要な本。 みたいな)

それをみてなんかゾワッとする琴線に触れてしまうんだけど

そのわけが

(自分が思う)完璧な 中産階級ブルジョワエリート男性市民(適当)を体現してる(ようにみえる)からなんだなーって思いついた。

自分とは属性も関心もなにもかも違うようにみえる人の言葉にひきづられないようにしよう。
と、おもった。


ミッドサマーは、ホルガ村があの手この手で、
こちらの世界の(バカなアメリカ人たち)のホモソ空間をぶっこわす話だとおもっていたので、

ダニーを超めんどくさい女、メンヘラ女と評してる感想には共感できなかった。
てか家族全員亡くした親友の彼女を平然と他者化して、もっとセックスできる女と付き合えよ~なんてアドバイスしちゃうの、まじホモソ。キモすぎ!

自分がつらいときに寄り添ってくれないパートナーなんて糞だとおもうし、

むしろ、スウェーデン旅行にいくはなしを一人だけ聞いてないとこを知って彼氏喧嘩するときのダニーには超共感した。
自分でも は?! この状況で? わたしを置いていくのお前?
ってなるよ!!!
ダニーは彼氏に、
ヒスになってごめんねえーんわたしが悪いの😭💦💦
って謝ってたけど、
客観的にみてもダニーは悪くないよ。
めんどくさがってコミュニケーションができない彼氏がおかしいんだょ!!!!ってなった。

ホルガ村着いたところで、
ドラッグ一緒にやらなきゃだめなんだけど?気分悪くてできないなんてばか?空気読めよ?

っていう友人男性たちの態度にも超ホモソを感じた!!

それで物語の進展に伴い
ホモソ男たちが一人ずつ処刑されていったのが面白かった。

ホモソ男って、競争しようとするし、マウンティング半端ないよね。それが、主人公の彼氏とジョシュだったとおもう。

あと無礼だし、俺が中心で世界回ってると思ってるよね。それがマーク

ホルガ村をinsaneとしか捉えられてないのに研究テーマにしちゃうあたり、そしてホルガ村の文化へのリスペクトとしてなにもないまま研究対象として消費しようとする態度、

自分が院生だったこともあって

こいつらまじか。。。研究者倫理的に背く行動をよくもまあ堂々と。。。

ってなった。
てか、訪問してすぐに誰それ構わずインタビューしてたけど、
インタビューできる関係の構築もなくするのはめっちゃ失礼だし、「研究成果」にはならんからwww
映画観客のためのヒントにはなったけどウインク

つづく
わたしは普段本をあまり読まない人間なので 
この読みがあってるか全然自信はありませんが
感想を書きます。

まず、イアン・マキューアンめっちゃ政治的な小説書いたな。って印象。
(彼はその時々の時代状況で社会意識が向けられていることを題材に選ぶところがあるとおもうので、政治的な姿勢を持っているのはあながち間違いではないとおもう)

本小説は、
主人公ブライオニーが自らに都合よいような贖罪物語(ロマン小説)を執筆する動機、その執筆過程、そして執筆の後記を読者に見せるものである。

姉と使用人息子の恋愛と
使用人息子の戦争従事経験
が本作品のメインストーリーとみせかけておいて、
(マキューアンのものすごい技巧によって描かれておりここ読むだけでも価値はあるが)
そこが本作品の重きではない。
ここで感動してると後々マキューアンに騙されます。

筆者が伝えたいのは以下のことだとおもう。

英文学の伝統は世界的名著を生み出してきた。
だが、書き手は意識的にも無意識的にも、また善意でも悪意であろうとも、真実の操作を行ってきたのではないか。真実の操作により感動を生み出しては来なかったか。特に、戦争と、恋愛が主題の作品においては。読者はそれに気づく必要があり、小説家はその危険性を倫理的にとらえ創造を行う必要がある。

最後、晩年のブライオニーに対するマキューアンの一歩引いた、視線が印象的です。
この視線の意味を考えたとこ以上のメッセージを含んだ小説なのだと理解しました。




夏物語を読んで一番衝撃を受けたのは
反出生主義 という立場が現実に、思想的に認められて存在しているものであるという事実だった。

「もし自分が子供を持つことになって、その子供がわたしが経験したような苦しみを味わうのだとしたら、またはその苦しみを味わう可能性があるのだとしたら、それはほんとうに残酷なこと。
そんな経験は何があってもさせてはならない。
他人が産み落とした子供を育てるならまだしも、自分の遺伝子が入った子供を自分の選択で産むなんて、かわいそうすぎてありえない」

と思って生きてきた自分にとって
大衆小説のテーマに反出生主義がとりあげられているのはとても意味を持ったしエンパワーメントされた(主人公はこの考えと決別して子供を産みますが)

だがこの小説には後々のブログで言及するように(いつになるかわからないけど)
トランスジェンダーに対する差別的表現と、見た目差別の描写が2箇所含まれていて
これはかなり問題だと思う。。。。
んだけど、わたしが知る限りでは
誰も言及してないようです。なんでだろう。
(私がしらないだけかも)

アイドルが無気力な態度とったり、無表情でいると、とてつもない批判にさらされる件について

金払って応援すれば消費者意識というか、
欲がでるのはわかるけど

アイドルと呼ばれる彼ら彼女の行動を
「アイドル」という言葉の意味のなかに閉じ込める無意味さを感じるというか。

アイドル ならば
いつも笑顔でファンを愛する態度をとらなければいけない
容姿の管理、表情管理、使う言葉の管理をしなければいけない

というのは
男を男らしさに、女を女らしさに
当てはめるのが限界なのとおなじことだとわたしは思う

アイドルならぬ、

アーティスト集団

みたいな消費者側の捉え方、またコンテンツ販売者側の売り出しかたが今後なされていければ

 
アイドル「らしさ」ファシズム
もなくなっていくのではないでしょうか。。。


まずは
ひとりひとりがもっと解放されよう

ってはなしと繋がるとおもう。


妹がパラサイトを見たらしく

すごくよかった。。。。

ってラインが来たから
え、あの妹がパラサイトみた??
映画理解できたんだろうか笑

っておもったので感想聞いてみたら



「落ちたくないなぁと思った。」



だった。


わかるけど、わかるんだけど、
そこなのか………?っていう





そういえば学生時代、韓国に留学したときに
セウォル号でなくなった高校生たちが通ってた
高校を訪問して、父母のかたにお話を聞くという
機会に恵まれたのだけど、

父母の話をきいて、参加者ひとりひとりが感想をいう時間になったとききに


被害者父母のまえで




わたしはたとえ上の人たちに指示を受けても
常に自分の頭で考えて行動していかなきゃいけないんだということを学びました




と言ってた子がいた。



それは、そうなんだけど、
それ父母の前でいう?!って感じだった。。。
父母さんもその事でどれほど自分を責めているか、って話なのに(船が沈没するまでになってるとはしらず、子供からのラインに「先生の指示をよく聞いて帰ってきて」と返してしまったとか、まさかそんな状態になってるとは思わず、なんとしてでも船から脱出しろ!なんて言えなかったと)




ひどすぎる現状を前に
自衛してかなきゃいけないと思うのは当たり前
すぐ個人の能力不足、責任に帰される時代に
賢くいきていこうとしないほうがばかだ


とういう
そういう心性は、
理解できる。

し、自分もそうやっていろいろなことを諦めて
安全に会社員をしているわけだが



それでいいの?



って思う


そうじゃなくてもっと社会を変える方に
動いてかないと
辛いほうに味方して
そのひとたちが生きやすくなるように
そういう方向にしてかないと



もっともっと自分のせいになって
苦しい世界になってしまうと思う




現時点で
パラサイトは現状を
ものすごく皮肉的に、ブラックユーモアで批評して見せてくれたもの

と捉えるだけにとどめておく。





付き合った年に同棲をはじめて
4年目に結婚したわけだったのだが

結婚生活どう??ニコ

ってきかれてもなんもかわらないよねwww
関係てきには。

物理的にはかわったけど!
てか、物理的な変化を求めて結婚した、、というのもある。

ってゆうのも、
結婚しなかったらあのまま1dkでふたりでくらしてたかとおもうと
ほんとーに鳥肌がたつゲローゲロー
1ldkのいまでさえ手狭感感じるときがあるってのに
なんであんな非人間的な暮らししてたんだろうって
つらい。。

結婚して何がよかったニコ??

ってきかれて
なにがよかったかって

もう恋愛しなくていいことだよねwwwwww
いえないけど。。。

恋愛とか面倒くさすぎて
嫌いだから
大学生のうちにさっさっと
適当な相手がみつかってよかった。。。

就活ですらかなりメンタル削られたのに
婚活しなきゃいけないなんてなったら
ほんとーに
ほんとーに
わたし生きられなかったんじゃないかなぁっておもう

ここは同世代の周りの友人知人に比べて
ほんとうに
ほんとうに
恵まれてたなぁっておもう。



きょうが震災の日だなんて
あれからもうすくで10年なんてほんと信じられないなぁ

震災の年に高校卒業して
それから10年たつまえに
自分が結婚するなんてのも
予想もできなかったし

こうしてもうすぐ30になるなんてのももう
ぐさっとくるよね

震災の日わたしはまだ高校生だったんだなぁ。
静岡県からでたこともなかったのに
こうしていま東京9年目かぁ
時間ははやいなぁ。。。。

はあ。。。。
あのときの自分にいってやりたい。

当事者の話を聞いて、心震えて涙流しその痛みがわかるようになるとはいえ

その構造に荷担してたら、わかったことにはならない。

そこを踏まえた上で

どういう行動をとるのか、
発言をしていくのか、

そういうことが問われていたんだと思う。。。

甘かったなーいろいろ、

闘うという姿勢に甘さがあったなぁ

といま振りかえると思う

そのときはいっぱいいっぱいだったけど

むずかしいなぁ