筆者の部屋のベランダから薄紫の夜が明けていくのを何回眺めただろうか。筆者は10Fの部屋に居住しており、朝、街が動き出すのを手に取るように眺めることが出来る。空が明るくなり、自動車の交通量が徐々に増え始める。前後して徒歩や自転車に乗る人々の数も動きも時間の経過とともに活発になる。まるでまばらなブラウン運動を見ているようだ。
それは活動を開始する朝の動きであり、毎日繰り返される人々の営みに他ならない。唯ひとつ難点があるとすれば、その動きに筆者自身が加わっていないことである。まるで傍観者のように眼下の動きを眺めるばかりだ。仕事もせず自ら望んでそんな場所にいるわけだから、文句の言いようもないのだが、そこはかとない疎外感を感じ、ああ、自分は社会参加していないのだよなと思う。
出来ればこのモラトリアムを続けていたいのだが、諸事情あってそうも言っていられなくなった。さして興味の持てる仕事でもないが職に就かなければならない。そうなれば筆者もあっちでゴツン、こっちでゴツンと程度の良くないピンボールのように、またあのブラウン運動に否が応もなく飛び込まなければならない。
生きていくためには金が要る。稼がなくてはならない。この年齢になり雇ってくれる会社があるだけでもありがたい。ではこのアンビバレンスはいったい何だ?年齢のせいか?体調のせいか?おそらく、筆者は偶然に恵まれ過ぎ仕事があることのありがたさにピンときていないのだろう。街を見下ろすベランダではまだろくに葉もつけないうちに真紅のハイビスカスが咲いた。