2年前に職を得て東京に戻った際には、倉庫代わりの実家に家財を半分残して引越をした。40年の間に溜まりに溜まった家財をそっくりそのまま移動させなくとも生活は成立するだろうと思ったのだ。確かにあれが無い、これが無いの事態は生じたが根本的に生活に困ることは無かった。荷物の多い筆者としては比較的ミニマルな生活を送ったが、随分と寂しい想いをしたのも事実だ。そしてまた東京への引越だ。

 

19、20歳の頃、青山にあるバーがあった。当時は金も無く何回も通った覚えは無いが、内装や雰囲気が気に入っていた。広めの店内は薄暗くでーんと大きな3人掛けのソファが置かれており、ゆったりと酒を飲むことが出来た。6畳1間のアパートに暮らしていた筆者は、いったいいつになったらこんなソファを置く生活が出来るようになるのだろうかと思っていた。

 

筆者が偏愛するソファと出会ったのは、家具の通販カタログの1ページだった。ソファ単体の広告では無く部屋全体の提案的な内容だった。ヨーロッパ風のクラシカルな雰囲気の中に本棚やチェストに混じってそのソファが置かれていた。一目惚れだった。革張りの3人掛けで変な装飾やカーブのないダークブラウンのボックス型のソファだ。

 

値段を見ると30万円だ。到底買えない。それ以来ことあるごとにそのカタログを眺めていて、カタログの製本がバラけてボロボロになった。数年後そのソファがリニューアルされ、デザインはほとんど変わらずに20万円に値下げされた。それがセールで2割引きなった時に意を決して買いに行った。あれは40歳の頃だったろうか。

 

座り心地は抜群で足を曲げずに昼寝も出来る。以来そのソファがリビングの中心になりそこで本を読み、音楽を聴き、映画を観た。なんとも居心地の良い場所となった。そんなソファを人生最後の冒険に置いてきぼりにしていけるだろうか。最終的にはまた実家に戻るにしても、おそらく今回は最後の引越となる可能性が高い。厳選するにしても人生の苦楽を共にしてきた品々には同行してもらおう。

筆者の本棚にはバートン版とマルドリュス版とガラン版の千一夜物語が並んでいる、と言えばわかる人はわかるだろうが、筆者は千一夜物語についてはまあかなりマニアな方である。いったいどこにそれ程の魅力があるのかと言われても上手く説明できないが、なぜか惹かれるものがある。

 

その延長で69年に虫プロが作った大人向けのアニメ、千夜一夜物語も筆者の心を捉えて離さない。作品はかなり翻案/脚色され、大冒険の末に主人公のアラジンは命からがら「小いせぇ、小いせぇ」とひとりごちて飄々と歩き去る。初期のルパン三世のような作りだ。

 

今回もなんとか、どうやら経済的苦境から脱することが出来そうだ。前回もそうだったが脱してみると「小いせぇ、小いせぇ」と構えられるが、まだ渦中にある内は精神的に追い詰められ、眠りも浅く何も手をつけられない。神経が焼き切れるかという程の焦燥感だ。

 

TVや映画が観れなくなり、本が読めなくなる。おそらく脳が情報を処理仕切れなくなるのだろう。今回は漫画の情報量が辛うじて処理できるボーダーライン上にあることを発見しオノ・ナツメのコミックに耽溺した。

 

そして今回も多くの友に支えられ、助けられた。経済的苦境にあることが発覚してから2ヶ月で仕事に復帰できそうだ。この歳で短期間の内に結構な待遇の職に就くなど超絶難易度ウルトラCの所業だ。もちろん凄いのは筆者ではなく、そんな会社に押し込んでくれた知人の剛腕だ。

 

毎日のようにいただいたブロ友さんのメッセージも大きな心の支えとなった。そして今回は「書く」という行為でなんとか心の平衡を保つことが出来た。ほとんど誰も読んでいない気安さから毎日のように駄文を書き連ね、自分と向き合うことを続けられた。

 

筆者も人並みに挫折や苦境を繰り返し、そろそろ七転びくらいしている。肉体的にもそろそろ無理の効かないお年頃だ。いい加減平穏な暮らしをしたい。が、そんな想いとは裏腹に性懲りも無くまた広い部屋を借り、ボーダー上の暮らしを始めようとしている。脳内には「小いせぇ、小いせぇ」と呟くアラジンのサントラの歪んだギターが響いている。

 

 

 

筆者は毎晩のように酒を飲む。と言っても最近は薄ーい焼酎の水割りだ。それ飲む意味あるのか?と言う程、ほんの少量の焼酎に大量の氷と炭酸水を注ぎ込む。ほとんど水を飲んでるようなものだ。おかげでトイレが近くなるのには閉口するがそれでも多少ほろ酔い気分になるので、最近はこれが続いてる。

 

5月の連休に税理士の友人を呼び出して酒を飲んだ。経済的な苦境を脱するための作戦会議だ。山海のつまみを出す居酒屋でつい調子にのり飲みすぎた。実情を吐露できる気安さのためか、「濃い目のハイボール」の通常濃度を上回るアルコール量のためか久しぶりに酩酊した。(筆者の悪いところは酩酊してもほとんど様子が変わらないところだ)

 

案の定、フラフラと自転車で帰り何度も派手に転倒した。自宅から1キロも離れていないのだが、転倒する度に辺りを見渡しても見慣れぬ風景だ。引越したばかりで文字通りここはどこ?私は誰?状態だ。いったいどうやって帰宅したのだろう?ところどころで口を開けている側溝の穴によく嵌らなかったものだ。自転車乗りに生傷は絶えないとはいえ危険なことこの上ない。

 

翌朝仔細に身体を検分してみると、膝から下は傷だらけだし、向こう脛の真ん中あたりがたんこぶのようにぷっくり腫れている、やや、これはどうしたことか。つま先の小指の先にヒビが入っただけでも痛くて歩けないというから骨に異常はないだろう。それにしても、このぷっくり加減は何なんだ?よほど強く押しでもしない限り痛くもない。盛大な内出血だろうか?倒れ込んだ際に無意識に受け身をとったせいだろう、左半身の全体が打身のように痛い。

 

あまり日の経たないうちに形成外科で診てもらった方が良いなと思っていたが、痛くもなく日常に支障がないのでつい先送りしているうちに色々と立て込んできてしまい、ついにそのままになってしまった。あれから2ヶ月、税理士はあまり役に立たなかったが、仕事も決まり経済的な苦境から脱出出来る見込みもたった。向こう脛の腫れは何事も無かったかのようにひいている。