かつてヨーロッパに白王と呼ばれた王様がいた。後のハプスブルグ帝国の礎を築いたと言ってもいい中興の祖、マクシミリアン1世だ。何年も前に世界の王室を紹介するドキュメンタリーで観たのだが、なぜか心に響くものがあり、何回も観ている。マリー・アントワネットにもマリア・テレジアにも興味はないのだが、ハプスブルクの本を何冊か読み、マクシミリアンの伝記まで読んでしまった。

 

番組では白馬にまたがり苦境にあるお姫様を助け出し王様デビューを飾り、その後も領地を死守するためにヨーロッパ中を駆け巡る姿を描いていた。ナレーションを担当する三上博史の語り口が秀逸で、数百年前の王が眼前に現れるようだ。番組は旅に明け暮れた末に死の床にあるマクシミリアンの「旅の準備は出来ている」というモノローグで終わる。

 

引越しに向け荷物の選別を続けているが、確たる方針も無いまま始めてしまったので時折これはどうしたものか?と手が止まってしまう。今時レコードやビデオテープ、カセットテープなどアナログ、いやアナクロの権化だが、今回実家に放置するものは運が良ければ数年後に訪れる現役引退後の老後の楽しみになるが、運が悪ければ今生の別れとなる。

 

筆者は音楽や映像に囲まれて育ち、結局それを生業とした。東京に持参したところで、おそらく1回眼や耳を通すかどうかだろう。処分するにしてもお焚き上げでもしたいくらいだ。カッコつけて言えばコンテンツに対して落とし前をつけなければならない。もっと言えば自分が作った宣伝用ポスターなども成仏させたい。ダンボール数箱と再生機器を載せても引越料金は大差無いだろう。旅の準備はもうすぐ出来る。

 

 

 

引越しに向け荷物の選別を続けている。引越あるあるなのだが、ふと昔懐かしい品々が出てきて手が止まってしまった。引っ越した後で取りこぼしがあるのも嫌なので、一応全部の段ボールを開けて中身を確認している。何回もの引越の度に中身を見ることもなく運ばれ続けた古びたダンボール箱も今回は開けてみた。

 

そこには40年以上前の手紙や写真や展覧会のチケット、友人のグループ展の案内、自分で販売したカセットなどがギュッと詰め込まれていた。まるで中学や高校を卒業する時に校庭に埋める将来の自分たちに向けた宝箱のようで、まさにタイムマシンだ。手帳もメモ帳も確かにかつて自分が使っていたものだ。

 

写真に映る自分や友人たちは一様に若々しく、生き生きとしている。全部捨てたはずのガールフレンドの写真も出てくる始末だ。もちろん彼女たちも若く、美しい(ことにしておこう)。そして、なぜか皆ソバージュだ。80年代だなぁ。気に入ってとってあるポストカードやチラシなど1枚1枚見入っていたら夜が明けてしまう。

 

大学の入学記念写真などを眺めていると、ついこの間のような気もするのだが既に40年も前のこととなった。皆どうしているのだろう。早々に不義理を働き疎遠となった自分には知る術も無い。うんうん、よしよし。自分はまだギリギリのところで頑張っているよと、そっとフタを閉めた。

1984年、金は無かったが未来があった。

引越しに向け2年前に倉庫代りの実家に放り込んだままの荷物の選別を始めた。実家の唯一良い点は音が出し放題なところだ。iPhoneの最大音量で作業を進める。BGMは70、80年代のロックだ。それにしてもiPhoneのどこをどうしたらこんな音が出るのだろうか?小型の携帯スピーカーなど足元にも及ばない程良く聞こえる。

 

読者諸賢は配信用に販売される音源とCDで販売される音源が別物であることをご存知だろうか。配信用音源はイヤホンで聞くことを前提に高域と低域を強調し音圧を高め、迫力がある風に改変されている。厳密に言えばアーティストが最終的にマスタリングルームでOKを出した音とは波形の異なる似て非なる音源ということだ。

 

もっとも、もっと細かいことを言えばCDさえ似て非なる音源なのだから許容範囲ということなのだろう。それにしても気楽に聞く分にはこれでいいのではないかと大型スピーカーを荷物に加えるか悩んでしまう。音楽好きを自称する人で口径30センチ以上のスピーカーで聞く人はどれくらいいるのだろうか。おそらく1%にも満たないだろう。

 

手軽にそこそこの音質で再生出来るのだから、もはや大型アンプや大型スピーカーは自己満足でしかないのかもしれない。日本の住宅事情を考えれば当然の帰結である。CDがレコードに取って代ってから久しいが、人類はやがて豊穣な倍音の世界を忘れていくのだろう。