浮き沈み。
身体が動くというのはやっぱりありがたいことですね。
息がすぐあがってしまい、思うように動かない状態だと、
そのことをすごく感じます。
働けるって、嬉しいことだなあと思って。
PCも、これはありがたいなと思いました。
歌とか、身体が動かないとどうしようも無いですから。
でも、WEBは多少息が上がっていても、書けますからね。
もちろん、ほんとに重度の喘息発作があれば、
書くのも不可能ですが、
多少、座ってられる程度なら、書けるわけです。
これはありがたいなあ、と思いました。
今は表現できる場も増えています。
だけど、表現全体の質があがっているわけでは無いんですね。
こうやって今、手段があるということは両面あって、
いい面もあるけど、悪い面もある。
ここをどうやって生かすか。
もう一度、トライしていこうと思います。
浮いている時間があるのかいまいちわからないですが、
人生浮き沈みですね。
浮いていても沈んでいても、
常に変化する余地があるということだと思います。
息がすぐあがってしまい、思うように動かない状態だと、
そのことをすごく感じます。
働けるって、嬉しいことだなあと思って。
PCも、これはありがたいなと思いました。
歌とか、身体が動かないとどうしようも無いですから。
でも、WEBは多少息が上がっていても、書けますからね。
もちろん、ほんとに重度の喘息発作があれば、
書くのも不可能ですが、
多少、座ってられる程度なら、書けるわけです。
これはありがたいなあ、と思いました。
今は表現できる場も増えています。
だけど、表現全体の質があがっているわけでは無いんですね。
こうやって今、手段があるということは両面あって、
いい面もあるけど、悪い面もある。
ここをどうやって生かすか。
もう一度、トライしていこうと思います。
浮いている時間があるのかいまいちわからないですが、
人生浮き沈みですね。
浮いていても沈んでいても、
常に変化する余地があるということだと思います。
日々
時間をかける、ということの大事さ、大きさを実感しています。
著しく体調を崩し、久々の出勤。
欠勤し、多くの人達に迷惑をかけたはずなのに、皆、とても心配してくれました。
改めて、日頃の行いが大事なんだなあと思います。
いい加減にやっていれば、自分もいい加減に扱われる。
別にそれは、どういう風に扱われようがいいわけです。自分がそれで良ければね。
わがままにやりたければ、わがままにやればいい。
でも、それは自分に跳ね返って来る。
昔の人のかっこいいわがままさというのは、
その跳ね返って来る分を引き受けていたからだと思います。
そういうのがあればね、なんでもいいわけです。
まあでも、きついなあ、しんどいなあと思いながら、やっぱりここはきっちりやっておこうと。
そういうことの積み重ねがあったので、今回みたいな長期のダウンがあっても、
みんなが受け入れてくれる。
それは、やっぱり根詰めてやったからなんだなあと思いました。
時間がかかりましたが、またちょっとずつ、動けるようになっています。
反省しつつ、感謝しつつ、やっぱり思うことは、生きていることがラッキーだということです。
やれることはやっておこう。
面白いと思えることは、やっておこうと思います。
また、ここから、トライ&エラーの繰り返しですね。
著しく体調を崩し、久々の出勤。
欠勤し、多くの人達に迷惑をかけたはずなのに、皆、とても心配してくれました。
改めて、日頃の行いが大事なんだなあと思います。
いい加減にやっていれば、自分もいい加減に扱われる。
別にそれは、どういう風に扱われようがいいわけです。自分がそれで良ければね。
わがままにやりたければ、わがままにやればいい。
でも、それは自分に跳ね返って来る。
昔の人のかっこいいわがままさというのは、
その跳ね返って来る分を引き受けていたからだと思います。
そういうのがあればね、なんでもいいわけです。
まあでも、きついなあ、しんどいなあと思いながら、やっぱりここはきっちりやっておこうと。
そういうことの積み重ねがあったので、今回みたいな長期のダウンがあっても、
みんなが受け入れてくれる。
それは、やっぱり根詰めてやったからなんだなあと思いました。
時間がかかりましたが、またちょっとずつ、動けるようになっています。
反省しつつ、感謝しつつ、やっぱり思うことは、生きていることがラッキーだということです。
やれることはやっておこう。
面白いと思えることは、やっておこうと思います。
また、ここから、トライ&エラーの繰り返しですね。
再生
病気が段々治って来るという感覚は、生きていることを実感させます。ふだん、生きていることが当たり前というか、生死という感覚があまり無いですから、病気で動けなくなると、逆に生きていることを実感します。
失敗は生きている限り、ありだと思っています。失敗して死んでしまったのならダメですが、生きているのなら、ちゃんと糧になると思います。いろいろな失敗がありますが、それは今後に生きていく。
イヤな事もたくさんありますが、こうして回復して来ると、やっぱり生きているだけで相当ラッキーなことだなと思います。五体満足っていいますけど、それって奇跡的なことだなあと。それは恵まれていることだから、あとはなんとかやって、生き残っていきたいです。
根っこのところでは、自分を信じていくことではないでしょうか。信じるということはずいぶん広い範囲が含まれていますけど、どこかで疑っていたら、結局自分の足をすくうことになってしまいます。失敗したら反省して、次があると思って進む。状況ではなく、その「次」を作るのは、自分次第だと思います。
何度目かわからないくらいのやり直しですが、またその「次」に向かって、歩いていこうと思います。
失敗は生きている限り、ありだと思っています。失敗して死んでしまったのならダメですが、生きているのなら、ちゃんと糧になると思います。いろいろな失敗がありますが、それは今後に生きていく。
イヤな事もたくさんありますが、こうして回復して来ると、やっぱり生きているだけで相当ラッキーなことだなと思います。五体満足っていいますけど、それって奇跡的なことだなあと。それは恵まれていることだから、あとはなんとかやって、生き残っていきたいです。
根っこのところでは、自分を信じていくことではないでしょうか。信じるということはずいぶん広い範囲が含まれていますけど、どこかで疑っていたら、結局自分の足をすくうことになってしまいます。失敗したら反省して、次があると思って進む。状況ではなく、その「次」を作るのは、自分次第だと思います。
何度目かわからないくらいのやり直しですが、またその「次」に向かって、歩いていこうと思います。
病気について
病気については、ほとんどマイナスの捉え方が一般的だと思います。もちろん、健康であること方が良いことは確かだと思います。
僕の場合、持病として喘息があります。発病したのは2歳と聞いています。物心ついた時には、すでに喘息になっていました。だから、正常に呼吸できるということがどういうことか、まったく知りませんでした。
逆に、健康な人は、喘息患者がどんな風に苦しいか、まったくわからないと思います。その理解し合えないところで、様々な摩擦を経験してきました。
僕が20歳を過ぎた頃に、現在喘息治療の主流となっている、吸入ステロイドの治療に出会いました。まだ、その頃はそれほど普及していない治療だったと思います。僕はその治療を受けてから、飛躍的に良くなり、普段の生活では、健常者にかなり近い呼気流量を維持できるようになりました。その時の感動は、今も忘れません。人って、こんなに楽に息を吸えるものなんだ、と思いました。
それからもずっと、治療は続けていますが、とくに日常生活に支障はないです。ただ、今回のように、風邪の症状の時に、こじらせてしまう時が、たまにあります。
こういう時は、あとから振り返ってみると、人生の流れが良くない時がほとんどです。端から見るとわからないことでも、自分の中だけで我慢をしていたり、うまく行ってないことを先送りにしている、あるいは、無理矢理頑張って凌いでいるような状態。頭の中では良くないとわかっているのですが、改善できていない状態。そういう時に、急ブレーキをかけるように、発作に至ってしまうことがあります。
本当はこういうことになる前に、対処できるようになりたいと思っています。反省はたくさんあります。要は休めってことだと、何人かに言われました。休んでいろいろ考えて、シンプルに今やれることをやろうと思っています。良いとか悪いとかを考えると煮詰まるので、あまり考えないようにしています。ただ、体が動く、生きているってことはありがたいねえ、ということを今更ながら実感しています。
僕の場合、持病として喘息があります。発病したのは2歳と聞いています。物心ついた時には、すでに喘息になっていました。だから、正常に呼吸できるということがどういうことか、まったく知りませんでした。
逆に、健康な人は、喘息患者がどんな風に苦しいか、まったくわからないと思います。その理解し合えないところで、様々な摩擦を経験してきました。
僕が20歳を過ぎた頃に、現在喘息治療の主流となっている、吸入ステロイドの治療に出会いました。まだ、その頃はそれほど普及していない治療だったと思います。僕はその治療を受けてから、飛躍的に良くなり、普段の生活では、健常者にかなり近い呼気流量を維持できるようになりました。その時の感動は、今も忘れません。人って、こんなに楽に息を吸えるものなんだ、と思いました。
それからもずっと、治療は続けていますが、とくに日常生活に支障はないです。ただ、今回のように、風邪の症状の時に、こじらせてしまう時が、たまにあります。
こういう時は、あとから振り返ってみると、人生の流れが良くない時がほとんどです。端から見るとわからないことでも、自分の中だけで我慢をしていたり、うまく行ってないことを先送りにしている、あるいは、無理矢理頑張って凌いでいるような状態。頭の中では良くないとわかっているのですが、改善できていない状態。そういう時に、急ブレーキをかけるように、発作に至ってしまうことがあります。
本当はこういうことになる前に、対処できるようになりたいと思っています。反省はたくさんあります。要は休めってことだと、何人かに言われました。休んでいろいろ考えて、シンプルに今やれることをやろうと思っています。良いとか悪いとかを考えると煮詰まるので、あまり考えないようにしています。ただ、体が動く、生きているってことはありがたいねえ、ということを今更ながら実感しています。