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日々

時間をかける、ということの大事さ、大きさを実感しています。

著しく体調を崩し、久々の出勤。

欠勤し、多くの人達に迷惑をかけたはずなのに、皆、とても心配してくれました。

改めて、日頃の行いが大事なんだなあと思います。

いい加減にやっていれば、自分もいい加減に扱われる。

別にそれは、どういう風に扱われようがいいわけです。自分がそれで良ければね。

わがままにやりたければ、わがままにやればいい。

でも、それは自分に跳ね返って来る。

昔の人のかっこいいわがままさというのは、

その跳ね返って来る分を引き受けていたからだと思います。

そういうのがあればね、なんでもいいわけです。

まあでも、きついなあ、しんどいなあと思いながら、やっぱりここはきっちりやっておこうと。

そういうことの積み重ねがあったので、今回みたいな長期のダウンがあっても、

みんなが受け入れてくれる。

それは、やっぱり根詰めてやったからなんだなあと思いました。

時間がかかりましたが、またちょっとずつ、動けるようになっています。

反省しつつ、感謝しつつ、やっぱり思うことは、生きていることがラッキーだということです。

やれることはやっておこう。

面白いと思えることは、やっておこうと思います。

また、ここから、トライ&エラーの繰り返しですね。



再生

病気が段々治って来るという感覚は、生きていることを実感させます。ふだん、生きていることが当たり前というか、生死という感覚があまり無いですから、病気で動けなくなると、逆に生きていることを実感します。

失敗は生きている限り、ありだと思っています。失敗して死んでしまったのならダメですが、生きているのなら、ちゃんと糧になると思います。いろいろな失敗がありますが、それは今後に生きていく。

イヤな事もたくさんありますが、こうして回復して来ると、やっぱり生きているだけで相当ラッキーなことだなと思います。五体満足っていいますけど、それって奇跡的なことだなあと。それは恵まれていることだから、あとはなんとかやって、生き残っていきたいです。

根っこのところでは、自分を信じていくことではないでしょうか。信じるということはずいぶん広い範囲が含まれていますけど、どこかで疑っていたら、結局自分の足をすくうことになってしまいます。失敗したら反省して、次があると思って進む。状況ではなく、その「次」を作るのは、自分次第だと思います。

何度目かわからないくらいのやり直しですが、またその「次」に向かって、歩いていこうと思います。

病気について

病気については、ほとんどマイナスの捉え方が一般的だと思います。もちろん、健康であること方が良いことは確かだと思います。

僕の場合、持病として喘息があります。発病したのは2歳と聞いています。物心ついた時には、すでに喘息になっていました。だから、正常に呼吸できるということがどういうことか、まったく知りませんでした。

逆に、健康な人は、喘息患者がどんな風に苦しいか、まったくわからないと思います。その理解し合えないところで、様々な摩擦を経験してきました。

僕が20歳を過ぎた頃に、現在喘息治療の主流となっている、吸入ステロイドの治療に出会いました。まだ、その頃はそれほど普及していない治療だったと思います。僕はその治療を受けてから、飛躍的に良くなり、普段の生活では、健常者にかなり近い呼気流量を維持できるようになりました。その時の感動は、今も忘れません。人って、こんなに楽に息を吸えるものなんだ、と思いました。

それからもずっと、治療は続けていますが、とくに日常生活に支障はないです。ただ、今回のように、風邪の症状の時に、こじらせてしまう時が、たまにあります。

こういう時は、あとから振り返ってみると、人生の流れが良くない時がほとんどです。端から見るとわからないことでも、自分の中だけで我慢をしていたり、うまく行ってないことを先送りにしている、あるいは、無理矢理頑張って凌いでいるような状態。頭の中では良くないとわかっているのですが、改善できていない状態。そういう時に、急ブレーキをかけるように、発作に至ってしまうことがあります。

本当はこういうことになる前に、対処できるようになりたいと思っています。反省はたくさんあります。要は休めってことだと、何人かに言われました。休んでいろいろ考えて、シンプルに今やれることをやろうと思っています。良いとか悪いとかを考えると煮詰まるので、あまり考えないようにしています。ただ、体が動く、生きているってことはありがたいねえ、ということを今更ながら実感しています。

体調不良により

最近、体調を崩してしまい、持病の喘息の発作が起きてしまいました。

今月のライブ終了後、どうも体が怠かったのですが、友人のピアニストのライブを見にジャズ・バーに行った時、そこのマスターが、僕の隣に座って、かなりイヤな咳をしていました。

体調が悪いと言ってゴホゴホしていたのですが、その時はイヤだなと思いながらも、それほど気にはしていませんでした。

その週の真ん中、水曜日に、会社の人達と野球観戦をしました。梅雨空で、雨は大丈夫だったんですが、正直、ちょっと冷えました。そんな感じで、自宅に戻っても体が怠い日が続いて、19日の金曜の午後から、咳が出て来ました。

20日の土曜日に医者に行って、翌日日曜日はドラムのナベも扁桃腺を腫らしたとのことでリハを中止にして休んでいたのですが、結局こじらせることになって、その後今日まで、喘息の発作が起きてしまいました。まだ、今日現在、治っていない状態です。

普段はもう、まったく発作は起きなくなったのですが、風邪をこじらせるとダメみたいです。

原因はそれだけじゃなくて、仕事のストレスとか、音楽関係でもちょっといくらか摩擦があったので、そういう精神的なことも大きいのだと思います。

今まったくストレスが無いのはこのバンドくらいですかね。これは非常にありがたいことです。今は、ギター弾いて歌うだけでとても楽しいですから。楽しいというか、嬉しい。やれることが嬉しいという状態が、昨年から続いています。

それ以外のことで蓄積したものが、大きくなってしまったのでしょう。体はちゃんと、正直に出てきますね。警告というか、それ以上危ないぞという時は、何か症状になって、止めてくれる。

そこまで行く前に、自分で対処することが一番肝心な事ですが。反省することはたくさんです。

最近は色々、僕も少し関係のある有名な人が亡くなったりして、書くべき事がたくさんあるのですが、時期的には遅れつつも、徐々に書いて行こうと思っています。

魂はちゃんと伝わる


普段、普通に歩いているとあまり意識しないけれど、もし自分が車椅子で移動するとなると、街の作りはかなり不便であることに気付く。段差が多いし、あっちもこっちも、普通に歩けることを前提にして、というか、ほとんど何も考えられていないかのような街作りになっている。

彼がいつから歩けなくなったのか、僕は知らない。とくにそういう話をする機会が今まで無かった。物心ついた時にはすでに歩けなかったのか、途中から歩けなくなったのか。心に与える影響はどっちも同じとは言えないと思う。

そんなことをふと思ったのは、彼の音楽を聴いたからだ。僕がステージは怖いところだな、と思ったのは、あの場所はどんなに取り繕っても、本当のことが丸見えになってしまうという点だった。音楽は、ごまかしが効かない。だから、普段から真摯に取り組んでいかないと、それが全部ステージに出てしまう。

肉体が心に与える影響は大きい。太っている人と痩せている人では思考が違うし、背が高いと低い人でも、変わるはずである。歩けないとか、手が使えないとか、そういうものも僕は一緒だと思っている。僕で言えば、十代の頃は喘息でまるっきり走れなかったから、丈夫でたくさん走れる人と僕との考え方はかなり違う。そういうことだと思う。

便宜上は障害者とか言われているけれど、そういうものは全部個性だと僕は思っている。ただ太っていたり痩せていたりしても不便なことはあるし、その延長線上で歩けないとか手が使えないとかがあって、それはより不便なことがあるということだと思う。それ以上特別なことはないという風に僕は思う。

ただそれが表現に向かえば、自然に身体と心、すべてが反映される。Toshiさんは歩けなかった分、より前向きに、心が強くなったのだと思うし、歌からそういう力強さが十分伝わって来た。彼自身の元々の資質と、体の不便さみたいなものがそれをより強くしたのだろうと思う。そういう土台があって、ああいう歌が生まれたように思う。

繰り返すが、それが個性なのだと僕は思っている。個性に良いも悪いもないから、僕はただそれを見て、面白いか面白くないか判断するだけだ。Toshiさんの取り組み方というか、あの突っ込み方は僕には面白いし、それはやはり、車椅子での生活という要素から生まれた精神面での表現も含まれていると思う。僕には偏見も何も無いから、普通にそう思うだけで、もちろん、それがすべてでも無い。僕が見た感じでは、自分の中にある要素はすべて歌に叩き込んでいるように思えた。

Toshi igさんと会ったのはひななっちゃん☆のワークショップの時で、それ以降、彼はよく、僕のバンドのライブに足を運んでくれるようになった。そんなわけで、今日は逆に、彼のソロライブということで、僕は仕事が終わると東京を縦断して(笑)、千葉まで出向いて行った。

到着すると、Miifyが居た。Toshiさんがゲストして呼んだそうである。そういう人のつながりも面白いなと思う。Miifyはまさか僕に会うとは思っていなくて、びっくりしていた。

ToshiさんもMiifyyも、まっすぐで強い人だと思う。いろいろな事を思った、濃い時間だった。その場にいる二人のことだけでなく、ひななっちゃん☆とかとっととか、いろいろな人のことを思った。

みんな軸がぶれなくてまっすぐで、素晴らしいなと思う。僕はずっと、軸がぶれっぱなしで、どうしようも無いのだけど、この人達がみんな、自分に一目置いてくれている現状を見ると、自分にも何かあるのだろうと思う。なにかあるのなら、もうひと仕事しなきゃあいけないなと、帰りの電車の中で思った。

演奏後、Toshiさんは額に汗をかいて、充実感に溢れた顔をしながら、ビールを飲んでいた。やれることはやりきった、満足感がにじみ出ていた。それで、いいと思う。音楽にそういう風に向かえるなら、それでいいじゃないか。

Miifyは、帰りの挨拶で「それじゃ」と言って手を出したら、両手で僕の手を上下に挟んで来た。握手するつもりも無かったのだけど、バン!って挟んで来たのだった。ダンサーの人も来ていて、紹介されてお喋りをして、それじゃ帰るよと言って手を出したら、今度はハイタッチして来た。うん、わかるよ。Miifyの気持ちは伝わった。今夜はそういう夜だった。ToshiさんもMiifyも、そういう夜だったね。僕も、そういう気分だったよ。

思いは伝わる。魂は、ちゃんと込めれば、ちゃんと届く。これは僕の実感だ。そして、ToshiさんやMiifyもまた、そのことを知っている人達なのだと思う。