2025年1月2日(木)。天気晴れ。東京は札幌と比べると、やはり暖かいです。新宿駅西口で「小田急百貨店」なき後、孤軍奮闘でがんばる「京王百貨店」。成田空港行きのリムジンバスは、今でも「京王百貨店」前から発車しています。羽田空港行きは、バスタ新宿まで行かなければならないのですが。
昼食は、「京王百貨店」内の「アートスクエア」にある「Cafe AEL」にて。喫茶店の名前を初めて認識しました。ハンバーグカレーとコーヒー。7階のレストラン街は、たいへんな人出だったのですが、こちらは待たずに入れました。それにしても、「京王百貨店」のお客さんの半分は外国人という感じです。
現在、新宿駅西口は大工事中です。ふと思い立って、現在の荒々しい様子を確認することにしました。私にとっての高度経済成長期の傑作「明治安田生命新宿ビル(旧・安田生命本社ビル)」のなくなった後は、依然として空地になっています。その先の「スバルビル」もなくなったままです。
工事中の新宿駅西口地下広場の換気塔が遺跡のようになっています。今の新宿は、ずいぶん荒々しいんだなと再確認しました。荒々しい感じは、新宿の元の姿なので、今の姿が正しいのかも知れません。
「小田急百貨店」が全くなくなって、東口まで完全に見晴るかすことができます。私にとっては、ほぼSFの世界ですね。
現在は「ヨドバシカメラ新宿西口本店」となっている「旧・明治安田生命第2ビル」を望みます。以前は、このビルの1階横から高速バスが発着していました。
こちらは、よく食事に行く「新宿エルタワー」の外観です。
つい最近まで「松岡美術館」があるとばかり思っていた「松岡セントラルビルヂング」(左)と「新宿エルタワー」(右)。
工事中の新宿駅西口全景。
「小田急百貨店」のなくなってしまった跡。この地下広場では、1969年にベトナム戦争反対の「フォークゲリラ(フォーク集会)」が行われました。何となく「戦争を知らない子供たち」を歌ったりしていたのかと思ってしまうのですが、この歌の発表は1970年の大阪万博会場なので、ちょっとだけ時間がずれています。「We Shall Overcome」、「友よ」、「自衛隊に入ろう」、「インターナショナル」などを歌ったそうです。新宿騒乱は、1968年10月21日の国際反戦デー。
「思い出横丁」とJR線路越しに、「新宿プリンスホテル」と「東急歌舞伎町タワー」を望む。
新宿駅西口方面を振り返ります。すごくスカスカしている印象です。
「思い出横丁」の入口。
JR(というか、新宿では未だに国電といった言い方が合っていると思うのですが)の線路を見上げます。
工事の足場を潜って、「京王百貨店」に戻って来ました。
時代がずれちゃってるような気もします。このような荒々しさは、東京でもなかなか見つかりません。
新宿駅西口の京王バス20番乗り場。
私の癒しの場、「京王百貨店」の屋上にて。
「京王百貨店」の「清月堂」で休憩しました。