汐留から「ゆりかもめ」に乗って、日の出へ。
新橋から汐留に向かうペデストリアンデッキ。東京はこのような無機質な街並みが特色になってきました。
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日の出駅で降りて少し歩くと、日の出埠頭に到着します。
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「シンフォニー」というレストラン船の乗り場の隣に、ひっそりと隅田川水上バス(東京クルーズ)の乗り場があります。
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対岸の勝どき・晴海の高層ビル群をバックに、お台場行きの船「ジュビリー」が停泊しています。
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私は浅草行きの船「道灌」に乗っていきます。
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ベイブリッジを見ながら、出発です。ついビールも買ってしまいました。
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バブル様式建築の代表例として、とても興味深い(私だけ?)竹芝の再開発ビル群です。手前は「ヴァンテアン」というレストラン船です。また、竹芝埠頭からは、小笠原行き、伊豆諸島行きの船が発着しています。竹芝は埠頭の再開発以来、既に20年以上が経過し、竹芝周辺では、オリンピックの2020年を目指して新たな再開発ビルが建築中です。人は同じことを繰り返すのですね。
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手前は浜離宮庭園、奥は先ほど通ってきた汐留の再開発ビル群です。
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築地市場。
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聖路加ガーデン。新しいビルかと思っているうちに、既に竣工後20年以上が経っています。竹芝の再開発と時期がほぼ同じ1990年代前半です。

永代橋を越した地点の日本橋川との合流点。橋は豊海橋。左側は霊岸島。
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清洲橋を越したところで振り返る。震災復興事業として、1928(昭和3)年に竣工。勝どき橋、永代橋とともに国の重要文化財に指定されています。
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神田川との合流地点。見えている橋は柳橋です。その奥には浅草橋があります。
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浅草まで来て、スカイツリーを望む地点で折り返しです。
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アサヒビールのビルにスカイツリーが映っています。
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浅草で上陸です。
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浅草寺の境内にある「二尊仏」。17世紀後半の貞享年代の造立です。左が「勢至菩薩坐像」。右が「観音菩薩坐像」。この仏像は上野国の高瀬善兵衛という人が、自分の奉公していた米問屋にお世話になったという謝意を表すため、建てられたそうです。仏師は、巣鴨・真性寺の地蔵像も作った太田久衛門です。
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浅草神社。通称「三社様」。三社とは、徳川家康、大国主命、浅草寺を開いた土師中知のことです。
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社殿は徳川家康の寄進で、17世紀中期慶安年代の建立です。国の重要文化財。
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浅草寺の五重塔。浅草寺は本堂、五重塔とも浅草神社社殿と同時期の建立でしたが、東京大空襲で焼失し、いずれも戦後に再建されました。

浅草寺境内にある「鳩ポッポの歌碑」。この碑の「鳩ポッポの歌」とは、「ポッポッポ鳩ポッポ、豆が欲しいかそらやるぞ」という方ではなく、明治33(1900)年に作られた東くめ:作詞、滝廉太郎:作曲の歌の方で、こちらの方が古い歌です(有名な鳩の方は、作詞作曲不明で明治44(1911)年に教科書に採り上げられたようです)。
「鳩ぽっぽ、鳩ぽっぽ。ぽっぽぽっぽと、飛んで来い。お寺の屋根から、下りて来い。豆をやるから、みなたべよ」。この歌を聞いたことがあるのは、川柳川柳師匠の演目「ガーコン(昭和歌謡史)」でだけです。師匠はここまで歌うと、「全部歌うこともないんですけれど」と言って止めてしまうので、それ以上は知りません。
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浅草寺の本堂と夕焼け。
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「明治粋人奇人談」(吉村武夫:著、森まゆみ:編、ちくま文庫、1995年)の中で、浅草の一流料亭といえばという著者吉村武夫氏の言として触れられていて名前を知ったのが、「一直」です。2009年にリニューアルオープンされたそうで、現在はマンションの一階にあります。
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同じく「明治粋人奇人談」で吉村武夫氏の言として、浅草の一流料亭として名前があがっていた「草津亭」ですが、言問通り沿いの店は2015年に閉店し、跡地ではマンション建設工事中でした。「草津亭」は新しく開かれた割烹に名前を引き継いでいます。