2025年5月10日(土)。天気雨のち曇り。
小田急多摩線の終点「唐木田駅」へ。車両はJR常磐線のE233系2000番台。行き先は「我孫子」です。長距離ランナーですね。
「唐木田駅」の駅舎です。多摩ニュータウンの開発区域内であり、たいへん人工的な佇まいです。一見、フランス・パリ郊外の「Cergy Saint-Christophe駅」みたい、と言うのは大げさですね。
小田急5000形の「もころん号」がやって来ました。「もころん」って、京王における「けい太くん」のようです。
「唐木田駅」から線路沿いにしばらく歩いて行くと、「秋葉神社」があります。この辺りは、旧南多摩郡落合村の区域です。落合村は、1889(明治22)年に、関戸村、連光寺村、貝取村、乞田村、東寺方村、和田村、一ノ宮村などと合併して、多摩村となりました。1964(昭和39)年に多摩町、1971(昭和46)年に多摩市となりました。この間、1965(昭和40)年に多摩ニュータウン開発が始まり、多摩丘陵とそれを刻む谷地の拡がる陸の孤島が、すっかり姿を変えることになりました。
「秋葉神社」は、旧落合村の中の「中組」という地区にあった神社です。
境内には、他にも「稲荷社」、「御嶽社」の祠もあります。
地蔵尊や庚申塔、弘法様も移設されてきています。
小田急多摩線の高架をくぐる「乞田川」の流れ。この辺りでは「唐木田川」とも呼ぶようです。
「唐木田川(右)」と「中沢川(手前)」の合流地点。ここから下流を「乞田川」といいます。
川沿いの桜の樹の緑が映える、「多摩センター駅」近くの「乞田川」。
京王・小田急の「多摩センター駅」に着きました。
「多摩センター駅」から「パルテノン大通り」を望みます。
既に、閉館した「京王プラザホテル多摩」の建物がなくなっていました!
「サンリオ・ピューロランド」が見えます。
「歴史ミュージアム」では、「多摩市百草 恋路稲荷神社の秘密」(会期:2024年11月13日(水)~2025年6月8日(日))という展示が行われていました。こんなマニアックなテーマの展示が成立するのか?と驚きました。
「恋路稲荷神社」に隣接する古墳の立体模型が展示されています。
私が2022年5月に訪れた際は現存していた「恋路稲荷神社」の社殿が、遺跡保存の目的で解体して、縮小の上、隣接地に移転されたとのことでした。
社殿の解体時に、様々な記録が行われたようで、本展示はその成果を発表することも目的のようです。私は興味深く見ましたが、そのような関心を有する人がたくさんいれば良いと思います。
多摩市百草は、日野市百草の飛地という経緯の説明もしっかりされていました。
社殿の中に祀られていた祠など。
「恋路稲荷神社」に伝来していた江戸時代の資料。
「恋路稲荷神社」と関係のあるらしい黄檗宗の寺院「資福院」についての展示。後発の黄檗宗は、江戸時代中期の新田開発と新たに集落が作られる機会を、積極的に活用していたということです。
先週訪問した「一ノ宮」の説明もありました。
「パルテノン多摩」の外に出てみると、ここは池にだったはずなのですが、広場になっていました。
こちら「大池」は健在でした。
でも、新しい施設ができていたりしました。
https://tama-central-park.jp/news/media-download/592/a46374d4b95a8a22/PDF/
旧連光寺村の名主だった「富澤家住宅」。多摩の名家ですので、天然理心流の門下でもあり、幕末の当主富澤松園(政恕)は、京に出て行った新選組に会いに行ったりしています。住宅内では、その節の日記や、富澤政恕が近藤勇から贈られた陣笠、木刀などが展示されています。
「富澤家住宅」の庭にある池の風情。
「パルテノン多摩」の上から「多摩センター駅」方面。