おらのなにがし

おらのなにがし

    めめんともり



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★☆★

1533年 天文2年 滝川一益 8歳 三郎信秀 22歳(25歳説もある)

やっと久々にパパが出てくるん!

 

天文二年 八月

 

六日、

丙子、天晴、

出家両三人来、歌道門弟に成候、百疋持来、云々、坂井彌助飛へ太刀糸、

にて禮申候了、此方雑掌方請取、沙汰候者也、

織田三郎来、同興三郎、同大膳亮、坂井攝津守、矢野石見守、

毛利十郎、那古野又七等来、赤林對馬守所より鈴物一對、

食籠出候、一盞候了、

今朝小漬矢野振舞候了、

晩天鞠有之、人数飛、予、蔵人、織田大和守、同三郎、速水兵部、

毛利十郎、織田右衛門尉、同大膳亮、同興三郎等也、晩飯用意、

其後音曲有之、飯中より飛、速水所勞、云々、

 

この日が最後の蹴鞠かなあ…?

 

・出家両三人・

出家…簡単に言えば僧侶

両三人…二、三人

ということで、じょろじょろと歌道の門弟に御成り。

 

・坂井彌助・

坂井攝津守と関係あるのかないのか。

雑掌方の取次なんかなあ。

 

・興三郎・

織田興三郎達種…織田右近光清の子、

  蹴鞠門弟子供部門二番目だけど、元服ずみかと。

 

・大膳亮・

織田大膳亮定信…パパの重臣的な。一族かは不明。

  蹴鞠門弟一番目。

 

・坂井攝津守・

織田大和守の家臣かなあ。

 

・矢野石見守・

矢野石見守寛倫…斯波さんの側近、パパの輿力。

  蹴鞠門弟は四番目。

 

・毛利十郎・

毛利敦元…三郎の毛利十郎の父?馬廻り?

 

・那古野又七・

名古屋の字はどれでもいんだろか?

名古野教久…清洲の蹴鞠門弟二番目。

 

・赤林對馬守・

鈴物を一対くれたらしい。

風鈴?

 

・小漬・

湯漬、簡単な食事などのこと。ファーストフード?

 

・蔵人・

山科さんたちの従者

 

・速水兵部・

速水兵部親忠…飛鳥井さんの従者

 

そしてついに晩飯中、飛鳥井さんと、速水さんも体調不良に…

 

七日、

丁丑、天晴、

今日織田三郎、同名藤左衛門(在所之名織田井(於田井?)、

云々、従此方一里有之)所へ罷向、云々、去年取合以後初也、

三郎爲に者伯父、云々、  之沙汰有之、

織田三郎八過時分来候、其後毛利十郎、矢野石見守来候了、

予帷出来候了、

 

・藤左衛門・

織田藤左衛門…織田兵部大輔寛故?

  この場合、パパの母上いぬゐさんの兄弟。

  つまり、パパの伯父さんだという。

  娘さんが七歳で死んじまったあのひと?

 

  去年の取合から初めて会うらしい…パパおくやみ申すのかなあ(´・ω・`) 

 

・取合・

いさかい、けんか

 

・帷・

かたびら?ゆかた的な?とばり、たれまく、裏の無い着物。

山科さんのオーダーメード。出来たって、よかったよかった。

 

八日、

戊寅、曇、夜入小雨下、

三郎来見舞候了、

従矢野石州をもい沙汰候て進候、飛鳥依所勞也、

又毛利十郎白粥進候了、

八時分矢野石見守、同善十郎、赤林對馬守、那古野又七、

坂井攝津守見舞来、飛鳥熱氣甚之間無見參、

赤林者脈取候了、

五時分石見守呼候、薬師之事申候、法花衆同道候了、

一薬進候了、毛利十郎来、暫候了、

 

 

雑掌…中世、本書・領家のもとで荘園に関する訴訟や

年貢・公事の徴収などの任にあたった荘官

 

・矢野善十郎・

矢野勝倫…矢野石見守寛倫の子

  蹴鞠門弟、子供部門四番目。歌道門弟にも御成り。

 

・赤林・

赤林對馬守…脈とってるから何かお医者さん風?

 

ついに飛鳥井さんがお熱。

そりゃ毎日のように蹴鞠やったり、

見知らぬ血気盛んな輩たちの相手してたら倒れるわな。

 

 

1533年 天文2年 滝川一益 8歳 三郎信秀 22歳(25歳説もある)

 

天文二年 八月

三日、

癸酉、天晴、

篠田入道安盛歌道爲門弟、百疋持来、云云、矢野石見守同道候了、

織田丹波守、矢野石見守、坂井攝津守、毛利十郎等来候了、

帷布、鞠上之布(越後)、代八十疋、織田兵部方へ遣了、誂候了、

 

・篠田入道安盛・

入道なので、出家してご隠居してるひとなのかな。

歌道の門弟だしね。

 

・織田丹波守・

たぶん、大和守家のひと。

 

・矢野石見守・

矢野寛倫…斯波義達の側近、パパの輿力

 

・坂井攝津守・

きっと織田大和守の家臣

 

・毛利十郎・

毛利敦元…これも織田大和守の家臣なんかな。

 パパの輿力系のたぐいなんかもね。

 

・鞠上之布(越後)・

帷布とあわせて、お支払。織田兵部さんへ。

このあとお誂えられたり、お染になられる。

 

・織田兵部・

織田兵部大輔寛故(とおまさ)…織田藤左衛門、

 この人なら於田井城主二代目。

廿八日、娘さんが七歳で死んじまった

同日、飛鳥井さんの雑色さんも死んじまった。

 

四日、

甲戌、天晴、晩天雨下、

織田監物尉(大和守弟)、同子、同勘解由右衛門尉等、

飛へ太刀糸、にて禮申候了、

勧進舞太夫女房夕霧、両三人同道にて罷向、大和守以下各来候了、

其後大和守所にて鞠有之、人数飛、予、蔵人、大和守、

速水、矢野石見、織田右衛門尉、毛利十郎等也、右近来、

乍(急に)去依所勞早歸候了、鞠以後行水、切麺にて一盞候了、

 

・織田監物尉・

織田大和守弟…織田達勝の弟?いるの?

 

・同子・

織田監物尉の子?

 

・同勘解由右衛門尉・

織田勘解由右衛門…

織田勘解由左衛門(広良、信益!この益はやはり…)なら、

織田信康の次男(養子説もある)だけど、

年頃的に生まれてるかどうかなのでありえない。

養子説をひろった場合、その実親かもしれないね…

 

・勧進舞・

勧進帳なら、むかぁ~~し鑑賞さしていただいたなあ…と。

猿楽、能の演目でしょうかねえ。どこでやったのやら。

たっきーも観たかなあ。まだ早いかなぁ。

上記三人同道にて御鑑賞なり。

 

・織田右衛門尉・

織田達順…やっぱり斯波さん家臣系かな?

勝幡にて蹴鞠門弟六番目でした。

 

・右近・

織田光清…お子に、織田興三郎達種ってのがおる。

   すなわち、大和守・斯波さんからの偏諱ということで、

   そちら側の方でいらしったみたいな。

   でも勝幡にも清洲にもずっといるあたり、

   今回のツーリスト?ガイド?みたいな?

こないだも蟲気で帰ってたけど、また所勞で帰ってるよ。

 

五日、

丁亥、天晴、

帷布来、同本遣裁事由遣了、

名古野又七、蹴鞠門弟に成候了、太刀、糸、二百疋持参、

云云、同坂井攝津守太刀、糸、百疋持来候了、

蔵人、又次郎(武衛一家)所へ朝飯罷向、云々、七時分歸宅候了、

織田大和守饅頭一鉢(百計)、持来、同右衛門尉、矢野石見守等来候了、

切麺候了、右衛門尉、石見守、津守(攝津守?)、名古屋等相伴候了、

夕方風呂候了、

毛利十郎、矢野石見守、同善十郎来、夜に入歸候了、

 

・名古野又七・

名古野教久というらしい。

名古野氏が今川那古野氏と関係あるのかも謎。

官位名とかでなく、又七だし、

清洲で蹴鞠門弟二番目。

 

・坂井攝津守・

今、蹴鞠門弟なった?ビギナー仕様の百疋どまりだけど。

なったなら、清洲で蹴鞠門弟三番目。

 

・又次郎(武衛一家)・

斯波(武衛)又次郎?…しばまたじろう…

武衛家にしては、品位の足りない通称のような…

まあ、お気に入りの家臣を一家扱いしているのかも?

 花井又次郎元信とは同じでない?関係ある??

 

・善十郎・

矢野善十郎勝倫…矢野石見守寛倫のお子

 勝幡の蹴鞠門弟子供部門四番目

 歌道門弟にも御成り。大人気味。

 

饅頭一鉢、百個!

当時の饅頭は珍味(甘くもあるし塩辛くもある)だったに違いないので、

これを聞きつけたらパパはさらなるもてなしの手を打ちたくなったんやないかな。

もしくは饅頭なんて子供だましじゃ、くらいの気構えなんやろか。

 

たまには斯波さんはっとこか。武衛。

 

 

 

1541年 天文10年

 

     滝川一益 16歳

 

たっきーはもうほぼ大人。

吉法師は那古野城、寺に通ったり、手習いが始まったかな?

やはりたっきーにも色々教わってることでしょう。大人の中で一番好きだしね。

 

んで、ちびっこ軍団で印字撃ちしては褒美をつかわしてたらしい…

ちょっといくらなんでも将軍っぷりが早すぎんでない( `ー´)ノ⌒о

なまいきなとしごろだこと。

 

パパは古渡城。

たっきーは所属どっちだったんかなあ。

それとも、勝幡で津島の治安維持組かな?

まだ若いからフリーな感じだったんかな。

 

はたまたいったん尾張から出て、伊勢とか、

京都とかで出家だの遊学だのしてたりして!?

 

・織田弾正忠家・および周囲・

 

1540年 尾張勢が三河安祥城を攻撃

     以後三年間ほどパパの支配下

     岡崎の松平広忠に反する西三河勢が味方だったらしい

 

1541年 喜六郎秀孝 生まれる 

     備後守信秀 30歳 吉法師7歳

     信勝の実弟すなわち土田さんのお子だとか。

 

     備後守信秀 伊勢神宮へ外宮仮殿の造替費、七百貫文を寄進

 これこれ…たっきー…きっとこの時、

 代表団のひとりとして御伊勢参りしたでしょ?(`・ω・´)

 信心深いたっきーだもの。ひょっとしたらたっきーママとかも同伴したかも?

 

 

     松平広忠と水野妙茂(忠政、水野信元の父)の娘が婚姻

   

  

  …あの精力の弾丸みたいなパパに、

  信勝36年から、秀孝41年までの間にお子がいないのって、

  かなり不自然だよね?

  いっぱい死んじゃったり、養子に出したり娘ばっかりとかだったのかなあ。

 

・他、日本のあれこれ・

1541年 3月 仏教声楽の楽譜集『声明集』刊行

 

     5月 今川義元 領内の一部で自治を承認

 

        北条氏綱 遺訓五箇条制定

 

     6月 武田晴信 武田信虎を今川のもとに追放

 

     7月 北条氏綱 死去 55歳

 

       ポルトガル船 豊後国神宮司浦(大分県大分市)に漂着

 

     11月 足利義晴 近江坂本に

      

 

ポルトガル船…

てつはうくらい、持ってんやないのこれ??!

1540年 天文9年

 

     滝川一益 15歳

 

たっきーはもう立派に大人してるよね(´・ω・`)何故か切ない。

吉法師の相手もあんまりしてられない忙しさが始まってるかもね。

吉法師は那古野城、パパは古渡城。

たっきーはどっちだったんかな。

それとも、勝幡で津島の治安維持組かな?

 

そろそろ彦七郎信興~→70没、が生まれてないかなあ。

信興…きっといちばんなついた弟やったんやないかなあ…って。

 

喜六郎信時~33→56没? 喜六郎秀孝41→55没、三十郎信包43→1614没、

九郎信治44→70没、彦七郎信成~→74没、織田中根信照46→1610没、

源五長益47→1622没、又三郎・又十郎長利48~50→1582没?

 

なんか通称がかぶってるのは、

喜六郎と彦七郎が死んじゃったからかまわん感じ…?そんなもん??

 

 

・織田弾正忠家・および周囲・

 

1539年 3月 織田備後守信秀 28歳 吉法師 5歳

     熱田を支配。加藤延隆に商売上の特権を与える

 

1540年 尾張勢が三河安祥城を攻撃

     以後三年間ほどパパの支配下

     岡崎の松平広忠に反する西三河勢が味方だったらしい

 

・他、日本のあれこれ・

1540年 3月 能役者・観世宗節が京で猿楽を披露

 

     5月 幕府が仏教儀式の大施餓鬼を実施

 

     6月 宮中で『天下大疫御祈祷』実施

        後奈良天皇 悪疫流行平癒のため般若心経を書写して

              諸国一宮に納める

 

     8月 武田信虎 信濃に伝馬制を拡張

    

        諸国大風雨

 

     9月 越前守護・朝倉孝景 御所修理費を朝廷に

 

     10月 不動院金堂 完成

 

        荒木田守武『守武千句』

 

       

 

1539年 天文8年

 

     滝川一益 14歳

 

たっきーはもう大人よね…(´・ω・`)ちょとさびしい

 

・織田弾正忠家・および周囲・

 

1538年 9月 織田備後守信秀 27歳 吉法師 4歳

     謀略にて、今川氏豊から名古屋城を奪う

     パパすごい!

     きっとたっきーにもお手本になったよね。

     氏豊は京都に行ったとかなんとか。

 

     この後、熱田を掌握するにあたってか、

     パパは南3kmに古渡城を新造して、引っ越し

     きっとたっきーも手伝ったよね?

 

1539年 3月 織田備後守信秀 28歳 吉法師 5歳

     熱田を支配。加藤延隆に商売上の特権を与える

     憑衆(たのみしゅう)として、

     東加藤家、豪商・西加藤、熱田神宮宮司・千秋さんとかが、

     軍にも出陣したりして、もちつもたれつ、

     パパの人望と、経済力が発揮されたとな

 

・他、日本のあれこれ・

1539年 1月 三好範長(長慶)入京

 

    3月 大内義隆 韻引き辞書『聚分韻略』出版

 

    5月 大内義隆 尼子詮久(晴久)の石見大森銀山を攻略

 

       北条家 鶴岡八幡宮に雨乞いを依頼

 

    6月 足利義晴、細川晴元・三好政長と対立する三好長慶に合戦延引を諭す

 

    7月 細川晴元 山城西岡での徳政を幕府に求める

 

       幕府 土倉の求めにより徳政停止

 

    8月 諸国で大雨、洪水

 

またしても雨乞いの効果が絶大?

まあ、今も昔も大雨が身近な災難の代表だったのね。