おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

    ことしはきうてんさまのおんとし


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★☆★

(σ・∀・)σ
五百年余御目出度
         かしく
    おら三郎
 瀧左


瀧川左近一益との五百年


かしく文書:三郎からたっきーへ…かしくな想いつまって益
https://ameblo.jp/pomow/theme-10120931871.html

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(∩´∀`)∩「あの、そろと發たり仕り候て…え?

がうしうごれうのふなき…?

そんな!なんそれ…(>_<)

 

元亀二年十二月十一日

 

十一日、

己亥、天晴、天一・・、

早旦自竹門使宮内卿被來、…、

…、織田弾正忠殿

長橋局迄御暇乞に参之處、江州御料所舟木庄之事、女房奉書

被出之、能々可申之旨也、次御木屋に有之けやきの木、村井

可進上、御しよゑんの御用云々、又油煙墨一包五挺、拝領、

忝者也、次御方御所御乳人に申置了、次竹門へ同参了、女房

奉書如此、

 

仰元亀二十二十

 舟木の御れう所、このころまてまいり候事にて候を、なかた

 きやうふのせう九里はらさゑもんと、又にわの五郎さゑ

 もんなか川八郎さゑもん申かすめ候て、のふなか

 しゆいんとり候て、かつてしん上申候はす候、これは

 さためてのふなかそんし候ましく候ほとに、このやう

 よく〱おほせわけられ候て、まへ〱のことくきと申つけ

 候て、御れう所まいり候やうに申つけ候はヽ、よろこひ

 覺しめし候はんするよし御心え候て、のふなかへおほせ事

 候て、まいり候やうに御とヽのへ候へく候よし、よく〱

 申とて候、返々きとのふなか申つけ、まいり候やうに候はヽ

 よろこひおほしめし候へく候よし、よく〱おほせ事候へく

 候よし申とて候、

 かしく、

    山しなの大なこんとのへ

辰下刻發足、濃州へ下向、供山口又左衛門、與三左衛門

靑門彌二郎、自妙門四郎右衛門賜之、

…つづく(゜o゜)

 

※御木屋…大工の仕事場、材木屋、薪屋

※御しよゑん…御書院、書院床、付け書院

床の間の脇に張り出して設けた窓付きの棚、

棚板は机にもなる……

言葉だけじゃ想像力がおいつかひん(?_?)

要するに

居間兼書斎みたいな空間とな、

 

そのためのけやきなんやね

へえ~じいさん(村民?)が担当なんかなあ

 

※油煙墨一包五挺…筆大納言様の御いのち!(・∀・)

『挺』は、墨、豆腐、コンニャクなどを数える単位

五挺で足りるかなあ…

(∩´∀`)∩「忝者也」

 

 

とにかく…發足しちゃっただよぉ(ToT)/~~~

やまじなさん…暇乞いどころか

野暮用増やされとるし…

野暮ってゆうか明智の件と同じくらいタチ悪そうやし…

 

また女房奉書よみづらいけど…

とりあえず

各々で頑張って~

 

(∩´∀`)∩「ぢん…、ちゃうぢ、気高きにゅうかう、

…霜台どの御気に召されるやろか、

題して『冬眠みくすた』」

ねりねり…ジンジャーブレッドマン

 

(`・ω・´)さすがシャレオツ御公家の御代表さま、

雅な御進物ぅ!

 

元亀二年十二月十一日

 

十一日、

己亥、天晴、天一・・、

早旦自竹門使宮内卿被來、自禁裏信長へ被出候綸旨、同薫物

十貝被渡之、畏存之由返答、綸旨如此、

 

 今度就山門之儀、諸門跡領、明智令押領之由被聞食訖、

 諸門跡領之儀者、爲朝恩天下安全之護持之事候條、

 可混山門之儀更不可有之候、既及退転之間歎思召候、

 諸門跡領悉以無別儀之様被申付者、可悦思召之由、

 天氣所候也、仍執達如件、

  十二月十日      左中辨晴豊

    織田弾正忠殿

※左中辨晴豊…勸修寺晴豊(1544~1603)

※薫物…たきもの、

沈、丁子、白檀、などの香木やなんかを粉にして、

蜜や梅果肉などで練って熟成させたりした御香、

 

世々伝来していった代表的なもので、

『六種の薫物(むくさのたきもの)』

という、調合趣向が、

平安時代あたりに生まれたらしい

ただよういにしへのかほり…(^_-)薫薫(くんくん)…

 

※薫物十貝…当時、塗り薬とかを貝に入れてたのは前にも書いたはず…、で今回も、多分おそらく、

「薫物=練り香」なので、貝に入ってるんじゃないかなあ

貝殻たいせつ…

(∩´∀`)∩「見目麗いん選ばなな、御鶴や、いづれがよきか?」

ごろんごろん、ぱかんぱかん(・ω・)

 

(・o・)(゜o゜)

 

というわけで、

あまりにも長い一日なので続きはまた次だよ~

 

 

(∩´∀`)∩卒業証書「…たいてん…へちきなく…いみうむ」

 

やましなさん…(´・ω・`)なして…

 

元亀二年十二月十日のつづき

 

十日、

戊戌、天晴、天一・・、

竹内大典侍殿長橋局等へ参、女房奉書被出之、武家ヘ可参申

之由有之、奉書如此、

 …、

  山しなの大なこんとのへ

 

武家ヘ持参、申次以飯川肥後守申入之處、御返事、此儀于

今遅々、御油斷之至也、雖不被仰出、内々度々被申下了、

只今以御内書可被仰出、但拙者に御談合也、先被成勅書

可被仰出、自然被遅々之時後奏不可有之歟、如何之由有之、

御返事、尤無餘儀候間、此由可披露之由申入之退出了、

長橋局へ参申入了、

日野、陽春院等使有之、夕庵に言傳尊勝院之事、日野

之間、別而馳走頼入之由可演説之由有之、使小四郎、對面了、

葉室暇乞に出京、又山口又左衛門人夫兩人雇之、同來、

靑門彌二郎、自妙門四郎右衛門兩人賜之、供之用也、

 

 

さて、飯川のやろうなにさまだ…(^_-)?

 

※飯川肥後守…「光源院殿御代當参衆幷足軽以下衆覺 

永禄六年五月日」

これにのってる…ようなサーチ

と、こちら、

飯川肥後守(信堅)として起請文にいるよ…!

※日野、陽春院…

 ・日野…日野家二十七代当主・日野晴光(1518~1555)

御子・晴資(1536~1551)も早くに亡くなって、

・日野輝資(1555~1623、広橋兼保)が、

永禄二年(1559年)に日野家を再興したという、

 

 ・陽春院…足利義輝の乳母だか実母にあたるひとだとか!?

え~?!

その御使いは小四郎でございます、(∩´∀`)∩對面了

はて、

日野おとうとの尊勝院てどこの誰…?(?_?)?

どっかの脇門跡みたいなもんかなあ

※本圀寺が幕府の庇護もあつく、

二條に御所構えるときの材料もろとるから、

ここに入った輝資弟・究竟院日禛?※

 

※夕庵…武井夕庵、いつだか二位法印もろたと、

はじめ、斎藤さんとこから三郎んとこに来たらしいけど、

なんなんやら…(-_-)?

 

※葉室…葉室頼房(1527~1576)、山科さんの義理の弟

※山口又左衛門…山口左衛門は出てきましたね

先日(十二月一日)

葉室家の青侍さんたちっぽい

※靑門彌二郎…青蓮院門跡、

たぶん尊朝法親王(1552~1597)さま

彌二郎:山科さんの御供

 

※妙門四郎右衛門…

・妙門…妙法院門跡、常胤法親王(1548~1621)、

伏見宮貞康親王(1547~1568)さまと

尊朝法親王(1552~1597)さまの御兄弟だそうな…

そこの

四郎右衛門さん:山科さんの御供

 

賜之、

(∩´∀`)∩「供之用也…」

 

そんな、、

御供衆、ちと少なすぎぢゃない…??(´・ω・`)