おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

    ことしはきうてんさまのおんとし


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★☆★

(σ・∀・)σ
五百年余御目出度
         かしく
    おら三郎
 瀧左


瀧川左近一益との五百年


かしく文書:三郎からたっきーへ…かしくな想いつまって益
https://ameblo.jp/pomow/theme-10120931871.html

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★☆★

なんそうべん・のふの日記にて…、

しつこくやりますよ、ええ…

 

やれやれ

(^_-)-サーチ本ペラ

 

南曹弁(中御門宣教)…藤氏長者を補佐して、

興福寺に関する事務を担当

 

天正四年 六月七日~八日

 

七日、天晴、

一、祇園祭礼也、今日右大将殿へ各可参之由申処、村井

今日ハ四人衆計御談合云々、各無用之由申間、不参也、

一、へ早々ニ行也、

 

七日天晴一、新清トキニ来也、次、暮々ニ従殿下有御使、

大乗院殿御一通、四人衆ニ披露之義被仰下、則各へ持行、

各他行之由申也、則参、有様申入也、次いけ、昼時分餅・酒

在之、四中・同侍従・小倉・カウソン・ア等也、

 

八日、午、天晴、

【山科さんの六月八日はこちら(∩´∀`)∩

一、右大将殿へ参也、先殿下へ早々ニ参之由、御使有之、則参、

四人衆大乗院殿御一通可被遣之由也也(衍〈えん〉)、

三大被参、種々存分共被申也、次当番之間参也、中院祗候也、

※衍…脱字の対義語で、えんじという、らしい

同じ文字で重複したりとかで、余計に書いちゃった字のこと

 

※大大将殿…さぶろう

右よりも大だわさ(゜o゜)

※四人衆…暗唱できるようになろお!(・∀・)

勧修寺晴右、甘露寺経元、中山孝親、庭田重保

五十音順也(・ω・)

※富…富小路種直(1535~1588)

※殿下…二条晴良(1526~1579)関白さまか、

もしかしたら、御子の、

二条昭実(1556~1619)の可能性もあるかも??

まだ二十歳やけどね

権大納言やし、正二位やし…

※大乗院殿…大乗院の尋憲(1541~1585)、二条さんの弟

※三大…三條西実枝(1511~1579)

※四中…四辻中納言、四辻公遠(1540~1595)、少し年上なんね

※同侍従…四辻秀満(1566~1608)、四中の御子、

※小倉…たぶん、小倉季藤かなあ?これも四中の御子という、

38年途絶えていた小倉家の再興のための養子入り、かな?

※いけ、カウソン、あ五、

…ナゾ、お昼を一緒してるみたい

※中院…中院通勝(1556~1610)

※新清…僧侶と思うが何のトキに来たのかわからない

 

本日は、

惟住、瀧川伊與守昨夕上洛

の日!

 

以下山科さん毎度お願いしますです…

(∩´∀`)∩メモ「如例、如常也」

(´・ω・`)山科さん、たいへんだったろなあ…

 

天正四年 六月 廿四日

 

廿四日、

丙戌、天晴、土用、十方暮、五墓日、

辰刻注進、葉室黄門令暁七時に遠行云々、沙汰限

不可説々々々、

竹内武衛來談、就興福寺別當之儀、四人衆笑止之沙汰

有之云々、自江州惟住五郎左衛門

瀧川伊與守此儀に昨夕上洛云々、

大澤左衛門大夫妻やヽ、澤路隼人佑、同妻、小川善太夫

葉室儀驚入、無心元之由申來了、

大典侍殿下女夕霧香薷散令所望之間、一包遣之、

明日公宴北野社御法樂御當座廻文有之、故障申了、

これって、先日(六月八日は瀧川伊與守の日)書いてたけど、

そんときイマイチ気付いてなかった日やん!

自称山科さんふあんで、

通人なおら三郎として情けない…

改めて衝撃的な日と解釈しました…(-_-;)たっきぃ…

 

※辰刻…午前七時~九時

※暁七時…午前四時~五時、かなあ

※土用…この当時の夏の土用は、七月三日までらしいけど、

つちいじり、土木いっさいだめだから、

一週間くらい葉室さん埋めてやれないけど、真夏なのに、

どうなるんやろ…

十方暮、五墓日(元亀二年十二月四日も…)

…そもそも土用だけでもアレなのに、

十方暮で八方ふさがりな気持ちで、さらに五墓日って、

不吉なことって重なるんかな…

…(´・ω・`)はむろさん…

たっきぃ…(>_<)か、関係ない…よね?

 

※葉室黄門…葉室頼房(1527~1576)

黄門:このとき権中納言だから、中納言の唐名やね

 

※竹内武衛…竹内長治(1536~1586)だとしたら、

竹内兵、竹内兵衛督、竹内左兵衛、としてちらほら頻出、

 

竹内三位入道真滴季治(1518~1571)が親って噂なんだけど…

前記事にてさまざま…

 

※惟住五郎左衛門…これごろさ、こめごろさ、

※大澤さん~小川さん等…

山科さんちの雑掌さん(青侍さん)たち

(・∀・)山科さんを「殿!」と呼ぶ間柄、かな?

 

※無心元…気がせいてならない感じ、

心配ですぅ~ってところヵ

勘の鋭い青侍たちには

感じるところがあるのでせうか…(^_-)

 

※大典侍殿…だいすけどの、

万里小路房子(誠仁親王の母)??かなあ?

※香薷散…こうじゅさん、

夏の気温変化などでの体調不良に、夏風邪、健胃って感じかなぁ

 

※公宴北野社御法樂…連歌や管弦などなんやさまざまやってたみたいな、當座廻文は多分和歌や連歌の御題のことかな?

そらまあ、今は無理無理、故障申了やね…

 

何やら不穏な空気の中だけど、

 

めげずに…今年も、

本日六月二十四日は、

 

惟住、瀧川伊與守昨夕上洛

の日!

 

…ううむ、うむう

 

当たり前のはずだけど、

のふの御日記にもかろうじて

書かれてますよ…(´・ω・`)

 

ということで、

本日六月廿四日は、

 

のふの御日記にても、

 

爲御使

瀧川

惟住両人被指上也

の日!

 

以下、なんと南都の伝奏職という、

南曹辨!

でも…日記を見れば見るほど、

つとまっているとは思えん…(>_<)

 

天正四年六月廿四日

 

廿四日、

戌、天晴、

信長右大将殿大乗院、東北院両人御公事ニ付而、大乗院殿

御理運之由被申、朱印二条殿へ進上也、又従十二日四人衆

従 禁裏為勅使右大将殿へ被罷下也、右大将殿御気色以外ニテ、

四人衆ヘノ新地取(被)返也、早々大乗院殿へ宣下被成

候への由、○爲(為御)使瀧川・惟住両人被指上也、則宣下、

予書、禁裏へ進上スル也、飛鳥井大納言使也、宣下殿下

進上也、

※信長右大将…さぶろう、のふからものふながと呼ばれる…

織田の名では通じないんやね…(´・ω・`)

※大乗院…まずは、

・尋円(1520~1583

大乗院門主:尋憲(1541~1585)、

これ、二条晴良(1526~1579)の弟ね、覚えたね

※二条殿二条晴良=殿下↑、たぶん

 

※飛鳥井大納言…飛鳥井雅教(1520~1594)

何故か天正十年、雅春に改名

 

※御気色以外…大将さぶろうの御機嫌が、

もってのほかアレみたいよ(´・ω・`)

だってさ、

こんときのさぶろうって、

ねえ?(ほとんど村長の天正四年六月の記事へ)

チ(゜o゜)チョベ~

※四人衆…きました!(^_-)-サーチ本えっと…

勧修寺晴右

(1523~1577)

 晴豊

(1544~1603)

庭田重保

(1525~1595)

 重通

(1547~1598)

・中山孝親

(1513~1578)

 親綱

(1544~1598)

・甘露寺経元

(1535~1585)

なにげに太字にした人は、

たっきーと同世代★(・∀・)ってゆうだけ、なはは☆彡

あ、二条さんもやね↑↑

 

 

さて、この二年さまざま学び得たおかげで、

解説が無駄に長くなっちったけど、

 

本日六月廿四日は、

 

南曹辨・中御門のふの御日記にて、

 

爲御使

瀧川

惟住両人被指上也

の日!