おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

    ことしはきうてんさまのおんとし


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★☆★

(σ・∀・)σ
五百年余御目出度
         かしく
    おら三郎
 瀧左


瀧川左近一益との五百年


かしく文書:三郎からたっきーへ…かしくな想いつまって益
https://ameblo.jp/pomow/theme-10120931871.html

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★☆★

さてさてさて…

さてさて…

さて…(´・ω・`)はああ…

 

ばか長いんだよね…このらぶれたぁ

 

本日は、

 

じいさんあてらぶれたぁ

もとい

長!

とのかみ

 

以下なり

…おもいだしても(´ぅω・`)ネムイ

 

天正三年八月廿二日

 

 廿日書状、今日廿二、至府中到来、披見候、

一、此表之様子、去十七日申遣之状、則相届之由、

得其意候、

一、木目・鉢状追破、西光寺・下間和泉法橋(頼総)・

若林其外豊原西方院・朝倉三郎以下刎首候後、人数を四手ニわけ、山々谷々無残所捜出、くひをきり候、

十七日到来分二千余、生捕七八十人在之、則くひを切候、

十八日、五百・六百つゝ方々より持来候、一向不知数

候、

十九日原田備中守・瀧川左近進(マヽ)、茶箋(筅)・三七郎・上野介ニ相副遣候、其手より六百余、

氏家(直通)・武藤(舜秀)手にて、一乗可然者共

三百余、

柴田修理亮・惟住五郎左衛門尉、朝倉与三構要害楯籠候を攻崩、左右之者六百余討捕之、生捕百余人、則くひをきり候、

廿日、ひなかたけと申山へ玖右衛門尉(菅屋長頼)・前田又左衛門尉、其外馬廻者共遣之、千余人切捨之、生捕百余人、これも則刎首候、

茶箋(筅)瀧川手にて於大滝・白山籠屋追崩、

六百余、

其外平野土佐(宗久)・あさみ、鉄炮者共五十・六十

つゝ切之、生捕十人・廿人つゝ到来、不知数候、

廿一日佐久間甚九郎(信栄)手にて五百余、生捕十余人、則くひをきり候、

 

もうね、

「進」とか「箋」とか

誤字だろうがテキトーだろうが

どうでもいいくらい

とにかく長いのでね、

とりあえず…

 

瀧左さま御茶筅の御様子はここまでだし、

以下くひきりぢごくと化したおそろしい報告書

見渡す限り、

 

瀧左さま組はお子様が多いし、

さほど派手にやらない

(生け捕りも討ち捕りも

くひきりも重視されない)

社会見学組

(・ω・)あれ?

御茶筅の出陣にあたって、

たっきぃに副えられてたはずの、いちあん

どこいったんやろ…

 

疑問ものこる書状やけど、

あとは、

目次システムでたたんでおこう…

 

見たい人だけ見て…

以下そんみんすいみん大サービス

 

 

〈つづき〉

 

一、朝倉孫三郎風尾要害楯籠、色々雖令懇望候不赦免、

昨日廿一、生害させ候、彼等被官金子兄弟以下首はね候、

一、廿一日、柴田・惟住方より千余切之由注進候、

同日氏家・武藤方より二谷撫切にして候て、不知数

之由申越候、生捕三十六人在之、其内河野代坊主了源、

これも則くひをきり候、

〈さらにつづき〉

 

一、今日廿二、生捕少々到来、其外いまた無注進候、

如此大略打果、隙明候間、我々明日廿三日、一乗谷へ

令陳替、猶々国中悉尋捜、可打果候、

一、下間筑後(頼照)事、先度者川へ追はめ候由申

候き、風尾へ竹杖にすかり、竹笠にて罷通候を、此方へ

忠節之者、くひをきり到来候、誠気を御(さ)んし候、

 

〈まだつづき〉

 

一、加賀事、口二郡悉敗北歟、河北・石川両郡之者共、

十余人以連署種々令懇望、自大阪下置候もの共悉生害

させ、為忠節可罷出之由申候間、申所無相違者、可相

免之由申、遣朱印候間、是又相済候、能登・越中事

不及申、賀州相済候間、是又同前候、

一、当国事、去々年者大(小)谷ニ浅井相残候間、

爰元事急打帰候つる、今度者隙入かたも無之候間、

ゆる〱と令逗留、ふしおきのさせる様ニ可申付候、

然間、いまた五十日も卅日も可逗留行候、

〈やっとつづきおわり〉

一、それニハ此国をいまた見候間敷候、第一木目其外

口々切所候躰、番〱城を構候様子、彼是みせ度候、

其元宿之普請以下、大かた調候者、ふと可罷下候、

くれ〱此国ニハ敵一人も無之候、加賀・能登・越中

同前候間、隙入事無之候へ共、国之成敗其外之儀、

慥為可申付逗留候、東国・西国何之口成共、少も敵

蜂起事も候者、可出馬令分別候、可成其意候、謹言、

   八月廿二日           信長

    村井長門守殿

 

((+_+))

なっが~

 

レポートは、二千字以内に、せなあかん

…春長軒

 

内容がないようだし

途中寝たしね

_( _´ω`)_Zzz

これぞ

ふしおき

 

というわけで、

本日八月廿二日は、

 

じいさんあてらぶれたぁ

もとい

長!

とのかみ

_( _´ω`)_ZzzZz

けんみの日記ってなんか面白くないから

無視してたんけど(´・ω・`)もやもや

ハラビ」とか出てくるし、

さぶろう(`・ω・´)の豊原以前の動き

も、それなりだからメモ程度に見とこか…

( ..)φメモメモ

 

※以下「兼見卿記」より抜き書き、

かなり長いので覚悟!※

 

天正三年八月十四日

けんみ_( _´ω`)_「…のふなか越州出陣也…」

…、今度早速被申附國中也、…、発足了、勸修寺

弁(晴豊)為勅使下向也、可同道之由被申之間相談了、

至坂本錐(惟)任日向守(モト明智)令音信、

鞦(しりがい)一懸持参、面会、今夜高嶋一宿新城了、

八月十五日

未明発足新城、至敦賀下着、申刻、一宿了、

八月十六日

発足敦賀、至越州府中、…、

 

八月十七日

_( _´ω`)_「…やと本陣也…のふなか様、

普請場に通うとるらしいな…

 

(`・ω・´)ゞ「うむうむけっぱれけっぱれ」

 

_( _´ω`)_「!!御菓子忘れてもた…御気色どやろか

…ぁゎゎ…」

早天発足府中、至北之庄、午刻、本陣也、相尋村井専次

陣所、以使者案内申遣之処、後陣所へ可罷向之由返事

間、令同道勸弁罷向村専面会、伺信長気色、村専罷出

本陣、其間相待也、被出信長普請場也、御皈之砌於

路次申御礼可然之由村専諷諫、

 

十七日午後~

_( _´ω`)_「…夕飡御相伴とはこりゃ丁寧なり…

しかも御尊顔を御前におわすとは…しあわせなり…」

(`・ω・´)「ようようわせなすった、くづしゆるめたまへょ」

後刻罷出本陣相待門外、勸弁同前、信長自普請場

皈城也、其時対面、以夕庵弓五張進之、勸弁被申勅使

之旨、私五明二本持参也、以夕庵、勸弁・予可相待之

旨自信長御使之間、入廣間座敷暫相待、後刻於奥間

対面、先勸弁、次細川右京兆(信良)、次申礼了、

即於其座敷之次在夕飡之儀、丁寧也、信長対座、夕飡者

勸弁・細川右京兆・予三人也、此後申礼各退出、

仕合也、…、以夕庵勸弁へ小袖一重・鮭二、持給也、

さらに夕飡のあと…

今夜借町屋一宿了、腹田備中守手縄・腹帶、佐久間

甚九郎同前、柴田修理進・猪子兵介(高就)・村井

作左(右?)衛門各持参同前也、村専ユカケ一具、

菓子九藤新左衛門(深宮)果子、芥川へ果子、

長兵へ各持遣、面会也、

※九藤新左衛門(深宮)…九藤肥前守深宮って名前で、

久太郎とか万見とか側近系にならんで、

法隆寺の文書とかに署名があるらしいよ

(゜o゜)こんな名前、

読めないし、かなり珍しいよね

…なんなん…

 

てゆうか!

最後におまけみたいに

ほそべえもとい「長兵」出てきたよ…

 

これ…なんか違和感あんのはおらだけ?(^_-)

 

八月十八日

為上洛発足越州、至今町一宿、…、

もう御帰り(・o・)!

勸弁の勅使がメインやったんやろか…

帰ってから、

 

八月廿一日

勸弁使者、今度上下入魂祝着之礼也、自信長之鮭一、

到来、対面使者、申礼了、

八月廿二日

勧修寺、面会、昨日之申礼、向村民、今度下向越州

仕合様躰相語了、

けんみそんみんの勅使やったんね…(-_-)

 

この頃、

たっきー、御茶筅組は大滝・白山から移動しとるんかなあ…

洪水はいつからやったんかなぁ…

 

で、

九月十三日

信長上洛間、召具満千代…大津路…申礼」

 

九月廿五日には、

さぶろうの御鷹山(一乗寺)に御茶湯菓子を

たんまり持って行ったって

 

焼栗、豆アメ、樒柑、柿、金団、塩引、山芋、焼餅

 

(`・ω・´)「うむ微物甘露けっこうなり、さて帰るがよろし」

_( _´ω`)_「はひ」

 

御じゃま…?

 

とにかくも御苦労なり!

 

※おまけ※

九月廿七日

 

七兵衛尉(信澄)ヘ為礼罷向了、出頭也、直ニ信長ヘ罷出、

暫面(表カ)之廣間ニ在之、七兵衛尉退出之砌申礼、

信長小鼓之徽シラヘ五懸進上之、七兵衛尉披露也、…御礼…雁一賜之也、

なになに~?

こつづみの徽(しるし)=しらへ=調→紐

なにゆえさぶろうに~??(^_-)

これ、さぶろうから

たっき~にあげるに違いない!

 

さてさて

本日は、書状の紹介(`・ω・´)

 

瀧川ニ掃部助相副遣之候

の日

 

なんとまあ、

見てわかるひとにはわかる、

今回の御主賓はたっきーぢゃないのよ(´・ω・`)

 

以下御照覧!

 

天正三年八月廿日

 

大滝・白山之嵩へ一揆等相集之条、瀧川掃部助相副

之候、四五百被討捕之由、先以可然候、殊今日も

逗留候て谷々相捜、被打果候由、簡要候、日数、

行之事者、不苦候、いかにも念を入、一人も不残打果候様

可被申付候、次ニ原田備中守赤谷へ越候由聞届候、

猶追々可有注進候、恐々謹言、

    八月廿日       信長(黒印)

     茶筅殿

 

(・∀・)わあ~、

おだつだ家の幻でゅお、

 

いちますキラキラ(-_-)キラキラいちあん(・_・)

 

だぁ~!

 

いちあんは(掃部助)は

さぶろう的にはいてもいなくてもだけど、

御茶筅が馴れてて、

伊勢の人たちに詳しそぉだから

いちますに相そえて…なんよね

 

たっきぃは、

三郎直近の懇ろだし、

御茶筅はじめ、

おだつだ連枝を御預かり、

教育係の長なのだった、

けど

たっきぃだけだと手厳しすぎるので、

いちあんをそえて…なの(^_-)-☆

 

しかして、

掃部助やハラビは

完全に芸名なのに、

瀧川って、

いつだって

瀧川か、瀧川左近、瀧左…(・ω・)

やっぱり

これ、祐筆がそう書いてるだけで、

実際は「あにじゃ」とか「りゅうせん派」とか、

さぶろうの好き勝手な呼び方で

指示書の原案が作られちゃってるせいなのでわ…

 

…( ..)φあせるさぶろうさまは奇天烈なあだ名多くて

困るんだよなあ…

ハラビハラビバンビは「原田備中」

いちあんは「掃部助」

あにじゃさまは「瀧川」と…

おちゃせんさまは「茶筅」…あり?そのままか、

…メモメモ

 

へえ~

 

そぉ、とにかくこの書状の主役は、

御茶筅さまなのだった!(`・ω・´)いぇい

 

なんか最後の方の、

原田備中守」が

近づいてる、

なお注進するべし

みたいな

くだり、

気になる…よね?

 

一説には

御茶筅さまが

この方面の最高指揮官

であることを示しているらしいよ

 

おらにしてみれば…

「ハラビハラビバンビは手がつけられないワルやから要注意

(だからこそあにじゃにいてもらうんやけど…)」

ってな感じに、内々ではヤバイやつとして有名なのでは…

(゜o゜)アサマシアサマシウソウソ

 

というわけで、

本日八月廿日は、

 

瀧川ニ掃部助相副遣之候

の日!