はいはい、どえりゃあおまたせしました
みなさま大好き
なかよし大和検地!
☆
(・∀・)
さくっといきますか、
宗榮さんの記録より…
★
天正八年九月
一 十七日ヨリ當國諸城悉以破切畢、
一 廿五日瀧川左近丞・惟任日向守自
安土上使ニ而今日未剋至奈良被相付畢、自寺門
妙徳院于時別會、供目代摩尼珠院雲井坂迄参向畢、
両人モ下馬ニテ礼在之、今日ニ両所へ寺門ヨリ以
使節シヽラ板十宛、妙徳院・惣珠院被出了、
惟日ハ吉祥院、瀧左ハ成身院宿坊ニ被居畢、
※未剋…午後一時~三時、いい時間やね
※于時…このとき、その折、いま現在みたいな意味
※別會…別当は門跡系から一人、
別會は一般の院主などから五人=別會五師、といって、
任期は一年(・ω・)たぶん
で、興福寺大衆の代表として
外部と接触する役割なんだそうな
※別會の集まり場所=別會所※
※供目代…寺の外交担当役のひとつ、
法会や祭礼などの大きなイベントの幹事衆
※「目代」=地方のお代官、って意味合いだけど
それとは違うものってこったね
( ..)φメモメモ
※雲井坂…今はゆるい坂と石碑だけになったけど、
当時は急だったといううわさの坂
みとりい(見取、見鳥居など)池が近い?
※シヽラ板…板状にたたまれた、シジラの布、
ちょと季節外れやけど、ね
やべ…
廿五日はこの記録の記念日やんけ…
まあ、九月中に書いただけ、
ましや(゜o゜)ましや
さてさて…すごいこと書いてるの見ましたね?
!「両人モ下馬ニテ礼在之」!
しかもこれ急坂だったという噂の雲井坂で
下馬したの!?

「ひん!」
おうまにやさしい瀧左様…(`・ω・´)
以下、当時の様子を再現いたしましょう…
(^_-)-☆
☆☆★
(∩´∀`)∩たきささま~!と、これひさま、
いらはいいらはい
なんとへいらはい(∩´∀`)∩
(∩´∀`)∩
なんかいいにおい~



(-_-)

「いにしえよりここは、
日本国御中枢処、神鹿もおびえよる…
じうべえ、我々はあまりにも無礼な躰である、
まかりたまへ」
~


「ぶひ!」
(´ρ`)ゞ「はっ!あにきさま御同心にあります!」
~
「ぶぶぶ…」
★
御上使衆が、
お馬で来られたというのが、
はっきりわかる現場でございました…
…(・∀・)なんと…!
んで、関係ないけど、
たっきぃお馬乗れるのに…
なんで御馬揃え出ないのよっ、ちゅう話よ…



というわけで、
おまけに裏話も再現しとこか
(-_-)
「じうべえや、まだ御内緒じゃろが、
明年(天正九年)の馬なんたらは絶対出んぞ、
さぶろうにも最前ゆうてある、
いわずも事情はわかっておろう…」
(´ρ`)「今そんなこと…はぁ
…
はっ!、そか、あにき…ついに!!
かならず式日にはよせてくださいね…!」
きっとこの大和内で
こんな重大な会話もあったことでしょう
(^_-)-☆
なかよしなかよし!