前回は、宇宙の摂理についてお話ししました。
今回は、人のこころの構造について考えてみましょう。
人のこころと宇宙の摂理とは関係ないように思いますが、実はとても関係があります。
なぜなら、人の心の真(芯)の部分は宇宙と繋がっているからです。
この部分を真の我と書いて、真我と呼ばれています。
この真我が宇宙の末端で、宇宙と人の心が繋がる場所です。ですから、この心は宇宙の摂理と一緒で、真・善・美です。
人のこころは、真我だけでなく、真我を核として、その周りを、良心・理性を含めた利他のこころ、と本能・煩悩の利己のこころが別れて包んでおり、さらに、その周りを感情、次に感性、最後に知性で覆いかぶさっている鞠のようなイメージです。
問題は、真我を包む、良心と本能ですが、これは、人により割合が違います。
ある人のこころは、利己的な本能が8割で利他的な良心が2割とか、また、ある方は、本能が3割、良心が7割とかいった感じです。
人の心は本来、良心(積極的、明るく、優しく、親切、謙虚、努力家、人を思いや る気持ち、正直、誠実)を基本としていますが、身体があるがゆえに、本能や煩悩があるがゆえ、悪い心(自己中心、妬み、恨み、嫉み、怒り、うそ、怠け心、根暗、不親切、消極的)が多くなり、真我を覆ってしまいます。
すると、以前にも話した通り、真我の働きが弱まり、宇宙のエネルギーを受け取るのが少なくなり、いわゆる、心が病んでいきます。
宇宙の法則については、お話ししました。
常に積極的で進化・発展。消極的では衰退・消滅。
では、宇宙の摂理とはなんでしょうか?
仏教などでは、宇宙の摂理は真・善・美とあらわされます。
真とは、愛です。
太陽の光は、あなたは美人だから、沢山、光を上げますとか、あいつは、怠け者だから、光線を少なくしてやるとかはありません。
だれにも、どんな生き物にも、公平に注がれます。
空気もそうです。お金を払えば人より、沢山、空気が吸えるわけではありません。
自分以外の、誰にも、隔て無く、与える慈悲の心、利他とも言いますが、これが愛であり、
真の心で、宇宙の摂理の一つです。
善は、誠です。
宇宙な嘘をつきません、太陽が今日疲れたから、休むともいいません。
春夏秋冬、365日、24時間、規則正しく、正確に、誠実で、そこから、絶対的な信頼が生まれるのです。
美は、調和です。
自然の生き物は、自らの役割を自覚しつつ、花は蜜を与えることで蜂を呼び、花粉を雌しべまで運んでもらいます。また、種を遠くに運んでもらうために美味しい果実を実らせ、動物に食べてもらい種を運んでもらいます。
調和しつつ、自然界が調和の心を中心に、進化・発展を繰り返してきました。
しかし、昨今の人は、自分がこの世に生まれてきた理由もわからず、利己的で、自分だけ、今だけ、楽しければいい、という考えが一般的になり、人間自体が、宇宙の摂理から離れてきたことが、心のバランスが悪くなっていることに気づいていない。。。
次回は、人のこころの構造を考えてみましょう。
常に積極的で進化・発展。消極的では衰退・消滅。
では、宇宙の摂理とはなんでしょうか?
仏教などでは、宇宙の摂理は真・善・美とあらわされます。
真とは、愛です。
太陽の光は、あなたは美人だから、沢山、光を上げますとか、あいつは、怠け者だから、光線を少なくしてやるとかはありません。
だれにも、どんな生き物にも、公平に注がれます。
空気もそうです。お金を払えば人より、沢山、空気が吸えるわけではありません。
自分以外の、誰にも、隔て無く、与える慈悲の心、利他とも言いますが、これが愛であり、
真の心で、宇宙の摂理の一つです。
善は、誠です。
宇宙な嘘をつきません、太陽が今日疲れたから、休むともいいません。
春夏秋冬、365日、24時間、規則正しく、正確に、誠実で、そこから、絶対的な信頼が生まれるのです。
美は、調和です。
自然の生き物は、自らの役割を自覚しつつ、花は蜜を与えることで蜂を呼び、花粉を雌しべまで運んでもらいます。また、種を遠くに運んでもらうために美味しい果実を実らせ、動物に食べてもらい種を運んでもらいます。
調和しつつ、自然界が調和の心を中心に、進化・発展を繰り返してきました。
しかし、昨今の人は、自分がこの世に生まれてきた理由もわからず、利己的で、自分だけ、今だけ、楽しければいい、という考えが一般的になり、人間自体が、宇宙の摂理から離れてきたことが、心のバランスが悪くなっていることに気づいていない。。。
次回は、人のこころの構造を考えてみましょう。
本当にあなたはこころ? 身体?というお話し、身体だけでなく、心だけでなく、合わせてその人と言えるのでは?と言いました。
けれども、心には、本能や理性に覆いかぶされた真我という、宇宙と結びつく、宇宙の一部があり、
私が思うには、それが真の自分ではないかと思っています。
このこころの場所を、真我と呼ばれていますが、魂や霊魂と言えば分かりやすのではないでしょうか?
先日、無くなったインドのサイババさんは、自分には神が宿っていると言われていましたが、
神=宇宙は、誰の心の中にもあり、その存在に気づいていないだけでないないのでしょうか?
さらに、地球にあるものはすべて宇宙の一部で、宇宙からできたのですから、そのすべてに神が宿ると言って過言ではないように感じます。
真我は、宇宙エネルギーを燃やするエンジンのようなもので、身体はボディーから駆動系のシャフトや車輪です。
そして、エンジンからのパワーを駆動系に伝えるギアのような役割をこころが行なっているのではないでしょうか?
積極的な心でエネルギーを伝えれば前進し、消極的な心ではギアは反対になり、身体は後退する。
本当に大切なものは、人の五感では感じられないようにできていると言われます。
生き物に必要な宇宙のエネルギーに、空気があげれれますが、空気は目に見えませんし、無味無臭です。
人の身体も同じで、宇宙の力を心が変換して、身体を動かしているのです。
そう、つまり、心も身体も真のあなたではなく、あなたや私が生きるための道具なのです。
本当のあなたは、魂の部分で、身体が無くなっても、宇宙へ戻るだけなのです。
そして、また別の身体を得て、この世に生まれてくるかもしれません。
けれども、心には、本能や理性に覆いかぶされた真我という、宇宙と結びつく、宇宙の一部があり、
私が思うには、それが真の自分ではないかと思っています。
このこころの場所を、真我と呼ばれていますが、魂や霊魂と言えば分かりやすのではないでしょうか?
先日、無くなったインドのサイババさんは、自分には神が宿っていると言われていましたが、
神=宇宙は、誰の心の中にもあり、その存在に気づいていないだけでないないのでしょうか?
さらに、地球にあるものはすべて宇宙の一部で、宇宙からできたのですから、そのすべてに神が宿ると言って過言ではないように感じます。
真我は、宇宙エネルギーを燃やするエンジンのようなもので、身体はボディーから駆動系のシャフトや車輪です。
そして、エンジンからのパワーを駆動系に伝えるギアのような役割をこころが行なっているのではないでしょうか?
積極的な心でエネルギーを伝えれば前進し、消極的な心ではギアは反対になり、身体は後退する。
本当に大切なものは、人の五感では感じられないようにできていると言われます。
生き物に必要な宇宙のエネルギーに、空気があげれれますが、空気は目に見えませんし、無味無臭です。
人の身体も同じで、宇宙の力を心が変換して、身体を動かしているのです。
そう、つまり、心も身体も真のあなたではなく、あなたや私が生きるための道具なのです。
本当のあなたは、魂の部分で、身体が無くなっても、宇宙へ戻るだけなのです。
そして、また別の身体を得て、この世に生まれてくるかもしれません。