人が、つくる未来 〜あすは、どうなる2  | かんながら

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旅の記録です

前にも書いている「あすは、どうなる」

(神も、幻想 〜あすは、どうなる)。

 

このあいだの不調のときになにわの審神者(さにわ)にそれを告げたら、

「六根清浄大祓」を唱えろって言われて、そのとき「境域の守護者」の話題が出たけど

世界が壊れて内なるひかりが輝き出す日 六根清浄大祓 〜旧暦9月満月のころに)、

 

 

前にこの「あすは、どうなる」ってタイトルで記事をかいたときにも、

「境域の守護者」って話題がでてて、わたしには同じことが起きてるみたい。

 

しかも、「神も幻想」だってさ。

このあいだ紹介したけど、リチャード・ドーキンスの「神は妄想である」って

別に、わたし当時は彼の著作を知らなかったので、パクリじゃないから。

 

 

 

 

「神も幻想」って言葉を私に告げてきたのは、ヨギの治療師だけど、

彼もリチャード・ドーキンスを知らなかったみたいだし。

 

 

一体誰よ。わたしにそれを言わせるのは。

それが、神(と呼ばれるもの)なのか。

 

 

 

「令和の世は、地獄の釜のふたがあき、皆で弥栄する」

 

 

って、なにわの審神者(さにわ)は言った。

 

 

それは別に彼が言ったことではなくて、令和最初の紀元節に、ある宮司さんが 

 

「(今までは天皇陛下が上にいらしたが)これからは、陛下とわれわれがともに世の中を作っていく」

 

 

という趣旨のことを言ったらしく、

 

丹後の神人が、

「世が世なら不敬罪になって大変なことになるとこや」

 

とおっしゃっていたのを聞いた。

 

 

わたしは昔から憲法第一条の

 

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、

この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく

 

 

っていうフレーズがとても気になっていたが、

とくに神社に行くようになって、

 

「象徴」という言葉の重みをしかと感じるようになった。

 

 

天皇陛下が「象徴」?

日本の?国民(=わたし含む)の?

 

いや、それは無理でしょ。
 
 
 
それなのに、本当に
「陛下とわれわれがともに世の中を作っていく」

 

なんて(それなりの由緒のある神社の)宮司さんがいいはじめた(らしい)と聞いて、

それは大変なことになるって理解した。

 

 

 

なにわの審神者(さにわ)の

 

「令和の世は、地獄の釜のふたがあき、皆で弥栄する」

 

って言葉がドンピシャすぎる。

本当にそうなると直感した。

 

当時も書いている。

「それは、まだ無理やろ」。

 

 

 

 

それで神様は、猶予をくれたのだ。

それが、「コロナ」。

 

 

人との適切な距離(=ソーシャルディスタンス)

適切な知識と行動(=手洗い・うがい)

 

 

 

コロナ騒動には、格差(隔たり)を埋めるためのヒントが示されていたと思う。

 

 

コロナの騒ぎが起きた時期も見事といえるくらいのタイミングであった。

 

 

 

だからあの当時、コロナについていろいろ書いたけど、

 

 

「陛下とわれわれがともに世の中を作っていく」

「令和の世は、地獄の釜のふたがあき、皆で弥栄する」

 

ためには、どうしたらってことをずっと考えていた。

 

 

コロナはそのための恩寵としか思えなかったから。

 

 

でも、いよいよきたよ。

 

コロナが終わったら、

 

「陛下とわれわれがともに世の中を作っていく」

「地獄の釜のふたがあき、皆で弥栄する」

 

を、しなくちゃならなくなる。

 

 

で、どんな世の中が来るか、わたしは知っている。

 

 

 

「わたしたち(国民)が、願うとおりになる」

陛下が願われるように、ではなくて。

 

 

 

今までは、陛下がのぞまれるようにというか、国を治める人たちの理想を反映して、

世界は創られてきた。

 

上にたつ者たちが、法律を作り、経済を作り、それにみなが従ってきたから秩序があったのである。
 
 
「お金」というものに「信用」を与えているのも、まちがいなく、権威を持つ者だったはずである。

 

 

でも、権威を持つ者がその力を発揮しなくなったら、

今までの秩序はなくなる。

 

 

 

陰謀論で「闇の勢力」っていわれる人たちがいなくなったら、

通貨はただの紙切れになりそうである。

 

 

実際にそれににたことは、戦後、この日本でだって起きた。

 

 

 

離婚も不倫もあたりまえになる。

 

 

 

わたしはたくさんの人たちの相談を聞いてきたから知っている。

 

 

 

人間はもうとっくの昔に、

 

自分が選んだパートナーに責任をもって、そのパートナーに添い遂げようとするより、
あわなくなったら離婚したい、と思っているし、
 
結婚した人を好きになったり、結婚したあと、パートナー以外の人を好きになったときには、
自分の欲求の方おさめていくのではなく、自分の欲求にあわせてパートナーを変えたいと思っているし、
 
 
 
実際にそうしている。
 
 
 
実際にやらなくても、みんなそんな感情を抑圧しているから、
芸能人の離婚や不倫のゴシップであれほど盛り上がれるのである。
 
 
 

そもそも、人間は欲望に正直なものみたいだから。

 

 

人間の欲望は容赦なく残酷で、人を傷つける。

 

 

傷つく心も、エゴだから、傷つく心の方をおさめていけばいいとわたしは思うけど、

上に立つ人は、人間の弱さをみて、「できないだろう」って思って、

「傷つかないためのルール」を上に立つ人たちが決めてきた(ようだ)。

 

 

 

神の名を語って、「こうすべき」という「教え」もたくさん示された。

 

 

 

だけど、もはや、神の声でも、法律でも、おさめられないぐらい、人間の欲望は暴走している。

 

そのことは、東日本大震災で、暴走する原発を見せられたとき、わたしは思い知った。

 

 
人が欲望のとおり生きたらどうなるか。
 
 
わたし、コロナのあいだ、ずっと観察してきた。
 
 
はじめは地獄絵図みたいだってぞっとしたけど、
だんだんそれはそれで面白いかもって思うようになった。
 
 
みんな自分勝手に生きる。
ま、わたしはずっと自分勝手に生きてきたからわかる。
 
 
 
人は自分に課していることがあると、他人にも求めて人に厳しくなるけど、
自分がしたことって、最終的には、人のことも許せるからやさしくなれる。
 
 
 
芸能人の不倫や、政治と金との問題があれほどの騒ぎになるのは、
「みんな本当はやりたいという願望があるから」だと思う。
 
 
政治と金の問題だって、
もともと正義の味方みたいな人が「転んだ」ときの方がタチが悪い。
 
 
 
 
コロナのときの「マスク警察」にもうんざりしたが、
 
 
「わたしもしているんだから、あなたもするべきだ」
 
っていうより、
「わたしはしないから、あなたも好きにしたら」って、ソーシャルディスタンスを取る
 
ってあり方が平和でいいように思う。
 
 
それに、前にも書いたけど、
 
 
「パートナーが○○してくれない」って不満をもつより、
 
 
「○○してくれる相手を別に見つける」方が、お互いにストレスなくてよくない?
 
 

自分の持つすべての欲望に対応してくれる理想のパートナーはみつからないかもしれないが、

願望別にパートナーを用意すれば、理想のパートナーを得たのと同じ幸福感を得られそうである。

 

 

実際、わたしは目撃してきた。

欲望に負けて、それをしてしまい、そして罪悪感に打ちひしがれている人たちを。

 

 

でも、逆に考えたら、もうそんな罪悪感の方から自由になればいいんじゃない?

そうすれば、しあわせじゃん。

 

 

 

で、わたしは、すでに起きている現実の方を祝福して、罪悪感から解放されるように寄り添った。

 

 

 

そうしたら、彼らは罪悪感から解放されてしあわせになり、

他人にもやさしくなっていった。

 

 

罪悪感など、人の自然な欲望の前に、何の役にも立たなかったのである。

 

 

残される方のパートナーは?

 

 

大丈夫。

傷つく心の方(エゴ)を捨て去ればよいのだ。

捨てる神あれば、拾う神あり。

 

 

 

本当に望むものは簡単に手に入るようになっている。

なによりエゴを捨て去って身軽になれたとき、自分の身の上に起きたすべてを受け入れられるようになる。

 

 

 

 

それを教えてくれたのは、私に「人間とは」を教えてくれたクライアントと、

人としてまったく尊敬できない、やりたい放題の悪い男である。

 

 

彼を観察していると、人間の欲望の凄さに圧倒される。

でもその欲望に正直に、自由気ままに生きている。

 

 

しかも、離婚して子どもより若い彼女ができて、あんなにとんがっていたのが、

しあわせだからか、少しまるくなってきたようだからおもしろい。

 

 

しかも、女は欲望を満たす道具としか思ってないんじゃないかと思っていたが、

彼女には「やさしさ」を発揮するようになったのだから驚く。

 

 

やっぱり人間はそっちを目指した方がいいような気がする。

 

 

もう、戦時中そうであったように

 

「オレも(不本意なことを)したんだから、お前もやれ」

というのは、苦しみの連鎖をうみだすだけだ。

 

 

 

「あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい」

 

 

それは、きっと今まで考えているような、小綺麗なものではなく、

この恐ろしき利己的な遺伝子が生み出す欲望すら超えていく教えなのではないか。

 

 

そんな欲望にまみれた恐ろしい自分を受け入れることができたとき、

人は、自分を裁く神を超えていけるのかもしれない。

 

 

 

天国は、神さまはつくることはできない。

だって、神さまがいたとしたら、人間の感情には共感しないから。

 

 

でも、人の手で天国をつくることはできると思うよ。

 

 

 

これからの世の中を、わたしたちの手で。

 

クレーターレイク国立公園(アメリカ)

山の中の大神島(三輪山)。

 

 

 

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