とにかく頭が休まらない。
でもね、わたし、もう御用無理だから。
お札(おふだ)をはずして「わたし」の枠をはずしてしまったから、形にするのが難しい。
メモだけでごめんなさい。
あとよろしく(謎)。
この地に明治神宮は作られた(当然だけど、明治神宮の方が新しい)。
津島神社(愛知県津島市から勧請)には稲荷が一緒に祀られてい「た」(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へその3) 〜 津島神社編)。
(誰なんだろ)と思ったら、それらしき答え。
当時の記事を読み返してみたら、変なことが書いてある。
津島神社のそばに白山神社があったのだが、そこに「御祭神:大穴牟遅神 別名:大国主」ってある。
本社 白山比咩神社って書いてあるから、間違いなく「あの」白山比咩神社と思われる。
白山菊理媛神。
ってことは、津島では、白山菊理媛神は、オオナムチ、すなわち大国主ってことになる。
三輪山の神(=みーさん)。
そこにみえるのは、石川県最古の神社石浦神社の御祭神の白山菊理媛神(白頭山の神)ってところ(琉球から雨降山へ 〜雨降山・大山寺 その2・ヨミガエリの旅 その4 〜 熊野・玉置 川合神社編 夢でみた、あの場所へ)。
津島神社に行った日は、本当は丹後にいくはずだったのがありえないアクシデントでいけなくなり、代わりに白山へ行ったという日だったが、この日に目撃していることから察するに、それは必然だったともいえなくもない。
だって、石浦神社の話はまさにその日に白山比咩神社の裏山で聞いたのだから。
代々木八幡宮、鳩森八幡宮、十二社熊野神社はどうも関係があるらしい(って話しかけられた)。
祭りが順番に行われる、って聞いた。神輿を出す順番とかあるみたい。
どれが先ってちゃんと聞いてないけど、その順番は重要であるようだ。
新しい人たちが祭にはいってきちゃって、本来のいろいろはどんどん継承されなくなってきてる(らしい)。
「型」の中にだけ残っている秘密もあるからね。
大事みたいよ、「型」。
銀世界稲荷の白梅は、日比谷公園に移植されていて、銀世界と書かれた石碑がある。
銀世界稲荷は梅の名所(白梅のみ)。
当時、阿波女の友人から指摘されてよくわかんなかったけど、今はなんとなく
「源氏だから?」って想像できる。しかも、熊野につながる琉球はどうも(現在のところ)「源氏」。
沖縄ではユタを中心にこのところなんか動きがあったみたいで、「平家」が賑やかになってきてるけどね。
そもそも、「平良(たいら)」って地名や人名が多いし、
奄美のうちの島もそうだけど「平家の落人伝説」がどれほど多いことか。
銀世界稲荷のあるあのエリア(西新宿)は、熊野神社のお膝元で、
これ、忘れないうちにとりあえず書いておくけど、
神田明神から送られてきた平将門の慰霊祭に、「千葉の将門神社からの稲穂の奉納があった」って記事があったから、
千葉の将門神社をGoogleMapでチェックしたら、我孫子の日秀(ひびり)ってところに将門神社があった。
伊勢平氏おじさんへ。
本人は読んでないはずけど、なぜか本人に伝わるから書いておくけど、
我孫子には将門神社があるってよ!!しかも日秀!!!
ちなみに日秀は、もとは南相馬。
相馬氏の家祖は、言わずと知れた平将門。
日秀といえば思い出すのは、琉球・熊野関係者ならピンとくる、
補陀洛渡海で琉球に生きて渡って熊野信仰を布教した日秀。
日秀周辺には、鈴木氏も多い模様。鈴木は熊野の名前だし。
古い鈴木の家には、鈴のような実がなる椿の木がある、というのはやんごとなき方からの教え。
もちろん時代がずれてるとか、学術的にはいろいろあるけどさ、
地名とか、神様関係の話は、人間が(あとから)紡いだ「物語」だってわたしは思ってるから。
変化自在。ただ、そこにはいろんな謎を解く鍵が散りばめられている。
赤は平家、白は源氏。
熊野水軍のドンの湛増は、弁慶の父で、義経のいる源氏の方に味方することにしたからね(もちろん、闘鶏神社における神示によってということになっている)。
ここでも「鶏」の陰謀により、「負け」が確定。
美保関の美保神社のえびすさん(ヒルコ)も、鶏に騙されたってことになってるみたいだけど、
鶏のせいで冷や水を浴びせられたのは、平家と同じ。
そういえば、このあいだ行った、川上山若宮八幡宮は、仁徳天皇を祀っていたけど、茅ヶ崎の鶴嶺八幡宮も仁徳天皇を祀ってた(本当の鎌倉は茅ヶ崎にある!? 〜鶴嶺・平塚八幡宮と高来(たかく)神社=高麗(こま)寺)。
茅ヶ崎は「元鎌倉」とも言うべき場所だから、そこで「仁徳天皇」っていうのは、源氏となにかあるってこと?
そして、その神宮寺にあったのは、埼玉の高麗神社とつながる「高麗若光」。
で、このあいだ、伊勢・外宮の勾玉池のほとりの、茜社(茜牛天神)をおまいりしたんだけど(豊川にある豊受さんとカラスの川 〜水星逆行期間の伊勢の旅(その2))、おともだちのりまりまさんが、「茜牛天神って赤べこですね!!」って指摘をくれて、
はっとする。
伊勢唯一の天神社は、赤べこ(=会津)とつながってる?
赤い牛って聖書にも出てくるけどね。
赤べこは、種痘のあとがあるから、かろうじて「傷のない赤い牛」じゃないことになるかな。
明治神宮は、全国からの献木を植えたというだけあって(帝都を守るもの 〜明治神宮の森は、日本の形代)、
木々が話しかけてくるみたい。
木とともに、土も運んできたわけだからね。
ただ日本から木を持ってきたわけじゃないわけ。
だから、明治神宮は、日本のお地場の形代なのである。
「一草一木たりとも持ち出さず」っていうのは、
「誰ものけものにしない」っていう意味があるんだってわたしは思う。
ま、それもアオキやセイタカアワダチソウがはびこってきた様子を眺めていると、
弱い植物が絶滅しちゃうって危惧はもちろんあるけどね。
それでも、この森がこの多様性を維持し続けている意味はとてつもなく大きいって思う。
人も、自然も。
準備はできた?
令和がはじまったとき、宣言されたように、
魑魅魍魎も、共に弥栄するときがくるよ。
籠は、開かれたからね。
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