太陽が沈むとき、地上の星が輝きだす 〜 新しい時代のゆくえ | かんながら

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旅の記録です

 

 

 

2週連続でひたちの国へ 〜御岩神社・大洗磯前神社からのつづき。

 

朝の3時すぎに、目覚めた。

しばらくしたら地震がきた。茨城だった。

 

このところよく地震が起きる。

このあいだは、自分は揺れてないのに、冷蔵庫や机が揺れてて不思議な感じだったが、今回は寝転んでたので、床が揺れてるなってわかった。

大騒ぎになった最初の地震は、気づかず眠ってたっけ。

 

 

昨日の朝、いつも通り参拝に行ったら、クルマが突っ込んでた。

神宮橋の灯籠が壊れるほどの大事故。

 

 

 

クルマの具合から、絶対生きてないな、って思ったけど、軽いケガって報道されてて驚いた。

 

 

通り魔とか、オウムの事件とかと一緒で。

ちょっとした隙にその人以外の意識かなにかが入り込んで、思いがけないことをする。

依存心のあるよき羊たちは、主体性を放棄しているから、簡単にその隙間に自分以外の想念が入り込む。

 

 

わたしも、もう隔たり無くす気なくなったからね、

これからいろいろ起きると思う。

 

 

今まで、みんなの幸せのためにみんなの罪穢れを

 

「みんながしあわせなら、わたしはいいの」

 

 

とただただひきうけてくれていた瀬織津姫たちは、

この世のひどさにウンザリしてどんどんその役を降りている。

 

 

瀬織津姫たちがみんなのしあわせのため、と思ってしてきたことは、
人をしあわせにするどころか、思いやりのない人たちをのさばらせて、ひどい社会を作っただけだった。

 

 

今まで、自然にこの豊かさと秩序が維持できていた、と思うなら間違いだ。

そして、今手にしている豊かさが、自分の実力だけで得たものだと思うのも大間違いだ。

また、今苦境に陥っている人たちが、自分の努力が足りないことが全ての原因で、そうなっている、と思うのも違う。

 

 

今の世は、神代の国譲り物語だけではなく、古代から現代に至るまで、数々の人の思いがあり、それを慰める人たちがいて成り立ってきた。

ノロというのは、そういう仕事だったのである。

自然の声を聞き、人だけじゃない、木々も、動物も、海も、空も、等しく平かに安らかであるようにと意識をむける。

 

 

そうして、島の祭祀は行われてきた。

そして、もうずいぶん昔にその役割を終えた。

 

 

今もうわずかに残っているそれも、まもなく終わりを迎える。

自然と平かでいられる人は、我が身に構わない。

そういうエゴのない人というのも世の中には存在したのである。

 

 

ノロは、自分のことを考えられないから、王府が保護してきたのである。

 

生活がかかっているユタにはそれは復活できない。

 

だって、人間って養わなければならない身体があるんだもの。

だから「主婦」という職業が存在したのだよ。

 

 

国における「主婦」がノロだったのだとわたしは思う。

 

 

エゴがないのは、障がいをもってうまれてきた人とか、病気の人とか、特殊な血を持って生まれた人だけ。

だから、鎮めなければならないお地場に施設や病院をつくったんだな、ってあるときはっきりと気づいた。

昔はそれを分かってる人がいて、しくみとしてそうしてた。

 

 

水分神(みくまりしん)という神さまがいて、水を皆が困らないように分けたように、

本来、政(まつりごと)というのは、皆が困らないように分配するものだった。

 

 

もう、そんな志もった王(おおきみ)にふさわしい人いないじゃない。

もし、そんな王があらわれたら、全面的に協力するよ。

全世界の瀬織津姫もきっと、そうするだろう。

 

 

でも、きっともう、あらわれないと思う。

その座を奪おうと思う人ばっかりで。

 

 

それでも、希望はある。

ちいさな世界の王(おおきみ)は、きっと小さな世界のすべてのものを大事にしていくことはできるだろう。

 

 

自分の家族、

自分の家、

自分の庭、

自分の職場、

 

そんな小さな国のことを治めていくような王は。

 

そして、そんな魅力的な王に、瀬織津姫は、協力すると思う。

 

そうしてみなが、それぞれの天国を作っていけばいいと思う。

それが、地上の星なんだとわたしは、思う。

 

 

皆が自分の小さな幸せを考える。
エゴかもしれないけど、家族という自分の小さな社会のことなら、大事に考えられるだろうから(恋に落ちて 〜感情はどこからくるのか)。

 

この記事もたまたま野菜を包もうと古新聞を取り出したら目についたから貼っておこう。

 

 

ほぼ同じ世代でありながら、恵まれた社会人生活をやってきた人は、本当に実力勝負で生きてきたわたしたちとは隔たった考えなんだと驚いた。

親の世代の伊勢平氏おじさんが自分の手にしている豊かさが「自分の実力」と思うのは、ある意味当たり前なのかもね。

 

人は、自分の置かれた場所によってどれほどの境遇の差があるのか。

運(といっても我々の時代には「コネ」入社がまかり通っていて、ある意味生まれが全てを決めていた)も実力のうち、といえばそのとおりだ。

 

でも、わたしたちは、ひとつの地球をシェアしていきているのだから、やはり平かに安らけく運営していかねばなるまい。

そうしないと、安全も安心も得られなくなる。

 

今の日本で今までの治安が維持されてきたのは、ある意味奇跡である。

 

 

そろそろ気づいた方が良いと思う。

 

 

 

東京の明治神宮の入り口にかかる「神宮橋」に車が突っ込む事故があり、酒気帯び運転で、男が現行犯逮捕された。 7日午前5時半前、渋谷区神宮前の「神宮橋」に乗用車が突っ込み、車を運転していた28歳の男が軽いけがをした。 男はその後、酒気帯び運転の現行犯で逮捕され、警視庁は、男から話を聴き、事故の原因について調べている。

 

 

 

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