神の島 Day? 〜 次のタームへ? | かんながら

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旅の記録です

神「の」島へ〜Day 2 からの続き。
 
 
台風の夜、久しぶりにまるで現実を生きているようなリアルな夢をみた。
起きたらなんか今まで走ってたみたいにぐったり疲れていた。
 
私が見た夢はこんな夢。
 
わたしは山にいて、「赤いひとつ目の狐」が追いかけてきて、
わたしは九字を切って仲間を守っていて、閉じ込められていた山から降りる。

地底に眠らされている龍が動き始める。
 
そして、膝が痛くて歩けない男性がいて、
閉じ込められている龍はその人なんだなって思う。
 
だって、膝が痛い印は
 
「踏み出すことへの恐れ」
っていうからね。
 
 
 
 
島の朝は遅い。
 
それは、みなが起きるのが遅い、というだけでなくて。
夏にいつも起きる時間に起きたら真っ暗だった。だから、二度寝。

 

 

 

 

とりあえず高いところに登ってみる。

遠見台。

 

 

「 んなぱず」
さざえを捌いて捨てたところ、って書かれてる。
貝塚?
サザエって二重らせんのサザエ堂(会津若松)を思い出すし(西の守りは東にあった!?赤べこと白虎隊の街・会津 〜夏越大祓の前に その2)、
磐座っぽい岩の下。お供えっぽく見えるんですけど?
 

 

ころんと岩が転がっている感じ。

秋吉台とかと同じ?

石灰岩が転がっている地形。

 

 

前日(旧盆)は台風だった。だから滝ができていた。

 

 

 

朝食の支度にあらわれたニーニーは足を引きずっていた。

 

「どうしたの?」

「膝が痛い」

「!!夢でみたよ。まさかあなたとは。」

 

たしかに

「ニーニー、ここにいていいの?」

ってわたしも思う。

 

 

で、それはわたし自身の投影だって知っている。

 

「働いたら?」って思うのは。

 

でも、しろくまさんみたく、純粋で正直な島の人が、お金のために働いていくって大変だと思うもん。

 

 

私の島もそうだけど、この島もお金がなくても暮らしていける場所である。

 

お金が欲しい、って思えば不本意な仕事でも働こうって思えるんだろうけど、

お金が欲しい、って思えなければ、我慢して働くって拷問。

 

そう考えればよくできている。


 

物欲を刺激するようなテレビCM、

「家族のため」っていう幸福の押し売りのスローガン、

「成功すること」

「解脱すること」

あらゆる欲を掻き立てるこの世界の仕組み。

 

なにかをするには、お金がいる世界。

 

誰かと瞑想するにもお金が必要。


 

だからこそ、働けるし、

働かなくちゃって思わされているようにも思う。

で、なんにでも値段がついてしまう。

 

 

でも、島にはそれがない。

お金で買えるものもごくわずか。

 

 

その中で自分なりの幸せを見つけて生きていくには、なかなかの精神力が必要そうである。

 

それでも、ガス、水道、電気、電話、税金や年金、保険料。

自給自足が可能なこの島ででも、自分以外の誰かから、お金を必要とされるのは理不尽にも思える。

 

 

しかも、東京で稼ぐ1000円と、この島で稼ぐ1000円はぜんぜん重みが違う気がする。

 

 

午後は海岸線を散歩。

 

 

この写真を古い知人に送ったら、

 

 

見た瞬間、海のなかから海面を見た写真のように感じました。不思議な写真ですね。
大切にします。
空とか、海とか、光とか、そういった区別を超えたものを感じます。

 

 

 

って感想がきて嬉しかった。

 

普通に社会で活躍してる人だけど、心の目が開いている人にはわかるみたい。

 

ここにある清らな世界が。

 

 

 

 

 

なんなんだろ?これは。

 

 

 
 
こういう景色いろんなところでみたような。
ひとつは大石林山?
安須森の神様。
 
希望峰もこんな感じだったかな。
ニュージーランドとかも?
なんか、今まで何度もこんな場所ばっかり行った、というデジャブ。
 
 
 
 
誰かいました?
 
 
海の上のストーンサークル。
 

 

 

 
 
ゆり登場。

 

 
島で一匹しかいない犬の名は「ゆり」。
 
前回きたとき、
「ゆり、お前ものむか?」
 
と優しい声がきこえて振り返ったら、ビールを,手にしたニーニーの視線の先には、わたしと同じ名のワンコがいた、という次第。
 
 
 
送っておいたビールは、七夕が描かれてる東北限定のものだった。
 
 
 
ずっと気づかなかった拝所。龍宮の神様が降りる磐座。
諸事情あって、この場所に。
 
私を呼んだのはここだった。
 
 
だってこれ、、、。
伊勢神宮滝祭宮の磐座そっくり。
 
天照大御神の荒御魂。
五十鈴姫できっと三島の神(みーさん)である。
三輪明神。伊勢の神と同じらしいし。
 
 
 
 
「予約入ったから帰って」って言われて仕方なく荷物をまとめてフェリーにのって宮古島へ。
でもやっぱり帰る気にならず売店から「なにかいるものありませんか」って電話した。
 
「ない」って言われたけど、とりあえず島に帰ることに。
「どこに泊まるの」って呆れ顔のニーニー。
 
わたし、帰るモードでないからどこか泊まれるって思った(宿は1つしかなく、キャンプも禁止なんだけど)。
 
「入ってた予約はキャンセルになったよ」
「そーでしょ(私が泊まると決めてるんだから)」
 
「知ってたんでしょ」
「!?しらん!!知ってて返したの?フェリー代と3時間を私に返して頂戴!!バチ当たるよ!!!!」
 



バチは神様が当てるのではなく、自分自身が起こすのである。


 
台風翌日から偽痛風らしいニーニーは膝が痛くて真っすぐ歩けない。
気の毒に思って湿布もあげたのに、バカモノめ!!
 
 自分が放ったものが自分にかえる、
「波動の法則」を知らないのか。
 
 
大きなニーニーが宮古に船で買い物にいくというから連れていってもらった。
昔懐かしの渡船。
池間島一周コースにも連れて行ってくれた。
ナイチャー(内地の人)が海辺は全部買ってしまったという話。
 
いいのかな、海汚れるよ。
だってナイチャーは、飲み水も下水も、キャパがあるってこと知らないのに。
 
 
 
大神島って、三輪山にちょっと似てるよね。
 
 
こうして島に戻ったが、結局このままでは帰れなくなるのは間違いないって思った。
だから、ニーニーが病院に行くついでに町まで送ってもらえないか交渉した。
 
いいよ、と言ってくれたので、翌日帰ることにした。
 

本当に動機がないと帰りたくなくなる。
すべてのストレスがリセットされてしまうこの島。

で、ストレスな生活に戻りたくなくなる。
 


前回も、伊勢平氏おじさんとヨギの治療師しか待つ人のいない東京に帰るのが嫌になって、最終の船を降りたのだ。
そして、無理矢理デートの予定を入れて楽しく過ごした翌日、ヨギの治療師は一方的にキレて、絶交になったのである(そして、東京 〜過越の祭の時期に)。
 
 
ニーニーは同じ船だったおばあも車で送っていった。
 


おばあは、「人生はいろいろある」って話をなぜかしてくれて、
おばあの孫は、お父さんもきょうだいも今はいないけど、「友達がきょうだい」っていっている、って話をしてくれた。
 

わたしもそう思うな。
わたしも血の繋がったきょうだいいないけど、地球家族って思ってるし。
 

その方が自由で楽しい。
義務もしがらみもない。
 
 
ニーニーとは空港で握手して別れた。
 


「バチが当たるよ!!!!」って言ったけど、
「コーヒーいれて」って言ったらいれてくれて、
「膝よくなりますよ」って言った。


翌日、「湿布きいてよくなった」ってニーニーは言った。
 
 
双方謝らなかったけど、仲直りできた、ように思う。
 
 
わたしの、仲間がいる場所。
そこが、わたしの家。
世界中にいる、わたしの家族。
 

 

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