水星逆行とClubhouse | かんながら

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旅の記録です

水星逆行中の
 
2月2日 節分
2月3日 立春&初午
 
 
立春の朝明治神宮ですごく久しぶりの人に会った。
世捨て人のキャリアが長いので基本的には会社員とかビジネスマンとかっていう知人はいない。
彼は某お役所仕事の外郭団体のボランティアの縁である。
 
とにかく彼はわたしの想像を遥かに超えた遊び人である。自分の子どもより若い彼女をもち、趣味を全力で楽しんでいる。
 
 
わたしが遊び人のオトコの考え方をインストールできたのは彼のおかげである。
美志摩かなは「清濁併呑む」ことができるようになり、天使と呼ばれていたYurielより確実に進化したが、その理由のひとつは間違いなく彼の影響による。
 
 
 
 
彼はわたしにふたつのことを教えてくれた。
 
 
ひとつは白山のサルタヒコには何度もオブラートに包んだ表現で言われていた「オトコの気持ち」。
これは衝撃の一言で、目が覚めた、と思った。
 
もうひとつは、Clubhouse 。
 
 
「招待してよ」
 
「自分のシマで頼むんだよ」
 
たしかに。
隔たりすぎるシマ。
 
 
そう言って、彼が頼んだときの告知記事をみせてくれた。
 
 
その旨投稿したら、ほんの僅かな時間でグリーの時代に知り合った高校の同級生が見つけてくれ、入ることができた。
(@gypsyrico )
 
 
日記猿人時代からの友人のちぇりさんはすでにいたし、疎遠になってる知人もけっこういた。
遠のいてたな、この世界から。
 
 
水星逆行のせいか。
 
 
思いがけずたくさんの人が「招待しようか?」とコンタクトしてくれて、気にかけてもらえてるのが嬉しかった。
 
 

 

立春あけ。4日。
起きたら善光寺の鐘がなっていた。
 
ふと思った。
牛にひかれて善光寺参り。
 
牛、か。
牛は牛頭天王。
丑年。
 
赤い牛。
赤は閼伽(あか)。
丹生(にゅう)。
 
 
 
スサノヲが出た、と思った。
ツクヨミから、スサノヲへ。
 
大きくなにかが、転換した、と思った。
 

 

 

 

明治神宮の本殿の裏には「北鳥居」と呼ばれる神様しか通れない鳥居があるらしい(明治神宮の秘密 〜御用を終えたごほうびに)。

その奥は、「森」。

きっとスサノヲがいるはずだ。

 

スサノヲは、「子孫が困らないように」自分の毛を抜いて、木々を植え森を作ったのだから。

 

 

 

11月。明治神宮鎮座100周年を終えてから、特に風は強く吹くようになった。

 

そして、立春。

流れが変わった、と感じる。 

 

 

 

今日は明治神宮の森を抜けて帰ろうと思っていたのに、なぜ?

 

 

 

この桜の木が待っていた。

 

スーチーさんが拘束されたニュースはなんとなく知っていたがしらなかった。

でも今朝わたしは「ビルマの竪琴」ってきて、映画の結末を知ったのだった。

 

 

 

ビルマの竪琴は

太平洋戦争でのビルマ(現ミャンマー)を舞台とし、日本兵をモデルとした作品である。

 

 

 

なにわの審神者(さにわ)はスーチーさんが「オワリの女カモ」って言ってたな。

 

 

 

再会した頃、ヨギの治療師が桜の木の下に先輩特攻兵の死体を埋める夢をみたというから、この木にはヨギの治療師に「同期の櫻」を奉納してもらった。

 

 

 
伊勢平氏おじさんは、またいつかね、といっていたが予測した通りのタイミングで電話してきて、一緒に歩いた。
夏の山で体験したように、穏やかな楽しい思い出がひとつでも増えたらいいな、って思った(そして、七夕 〜旧暦七夕の1週間(旧盆)に起きたこと)。
 
つい最近、ようやく、「わたしは、生まれていなかった」とわかったが(みんな、ありがとう)、山でのいろんな思い出は、わたしにとってたしかに「生きていた」体験だったと思った。
 
 
母と暮らしていたとき、わたしはわたしがわたしの人生の選択は母があらかじめ用意した選択肢の中でしか選ぶことができなかった。だから、わたしは「自分」がなかった。
 
 
初めての離婚をしてからはずっと自由に生きてきたが、それは「自由でいられる」場所を選んでいただけだ。
母とは他人と同じ距離感で、お中元お歳暮を送り、他人に対するのと同じ一般的な敬意を持って接した。
結婚したパートナーには甘えさせてもらったが、彼らは、「受け入れてくれる人」だから結婚したわけで、「どんな人にでも受け入れてもらえる体験」をわたしはしたことがなかったのだ。
 

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白山のサルタヒコからは、「もうあなたに私はいらないと思う、次のタームに行け」と連絡がきた。
 
ありがたかったが、やさしさのオブラートに包まれていても、拒絶を感じた。
愛がないとは思っていない。
 
母は、「あなたには手はかけなかったがお金はかけた」と愛していたと主張されたし、実際その通りだと思ったが、わたしは切なかった。
 
サルタヒコのそれも母のそれも、「立場の違い」や「考え方の違い」なのだと思った。
 
 
 
伊勢平氏おじさんのほうは、少しゆっくり話せる機会があった。
おじさんとの時間は水星逆行のせいかおだやかだった。
 
そして、おじさんもわたしがおもってたのと同じことを口にした。
「立春から、世界が変わった」。