丹後からの、W出石神社そして播州への旅(その1:大山崎・石清水八幡宮の秘密編) | かんながら

かんながら

旅の記録です

1月10日の朝、いつものように明治神宮を参拝していたら、「丹後にあがるなら今日」って気持ちがふつふつとわきあがってきた。
 
もともと年末に丹後を旅するはずだったので、そのときにご挨拶かたがた、丹後の先生とわたしが呼んでいる小長谷修聖先生のご神前にお詣りさせていただくはずだったのだ。
でも、なにかの邪魔(という言葉は己の弱さをごまかしているようで好きではないのだが)が入って旅をキャンセルすることになった。
まあ自分だけで行ってもよかったのであるが、予定されていた丹後以外は(当時のわたしには)縁がないと思っていた場所でもあり、また年末年始の繁忙期で、しかも旅費の高い時期にわざわざ旅するのもの違う気がしてキャンセルした。
 
「邪魔」という言葉にふさわしく、というか、もう何年も持っている勾玉が壊れ、しかもその破片が消えた。ポケットに入れていたというのに。もうひとつもっている白山のサルタヒコが手作りしてくれたほうの勾玉は無事だった。
まあ、自分には理解できない不思議なことが起こることもある。
 
 
ということで、思い立ったらその場で電話したいわたしであるが、7時前だと早すぎると思い、とりあえず参拝を終えて自宅にかえってから電話した。
 
(みしま)「今日これから伺いたいんですけど」
 
(先生)「えっ」「今日は、、、予定があるなぁ。今どこにおる?」
 
(みしま)「東京です。だから早くても今日の午後しかいけません。そうですか、明日は。明後日でも」
 
(先生)「うーん。かんながらやからな、満月がくるし、この連休中がよろしいな。今日は3時すぎからやったら。」
 
(みしま)「では3時過ぎに伺います」
 
この時8時。シャワーを浴びて洗濯して、掃除して、荷造りして15時丹後着。
 
いけるだろうと思ったが、このときわたしはどうやっていくか具体的には考えてなかった。
なぜなら今までは全部ダンナがやってくれていたからである。
 
 
どこかでクルマを借りるか、丹後まで列車でいくか。
そういえば京都から道ができたので1時間半で行けると宮津に店を持っているという京都在住の知人から聞いていた。
京都でクルマを借りて行けば、うちからざっと4時間で丹後までいける。
 
ということで京都の地図をみた。クルマはあるが、インターまで渋滞しそうである。
インターから近くて、電車の駅から近くて、タイムズカーシェアさんがあるところ。
 
JR山崎にしよう。この辺からさっと高速に乗れば丹後はすぐそばだ。
行ったことはないけど大丈夫だろう。
 
 

 

とりあえず、エクスプレス予約で京都までの新幹線の切符を予約して目的の新幹線に飛び乗る。

時間に余裕を持ったつもりが、まるで「お試し」のように山手線が遅れる。

10分前までに予約変更すればよいのだが、後の電車にすると、山崎に行く電車の接続が悪くて到着が大幅に遅れる。

もし「呼ばれて」いれば、こういうとき、不思議に間に合うのである。

 

だから迷ったけれども予約そのまま品川駅に到着した。

山手線ホームに到着したのは発車時刻の4分前。

心臓が止まるかと思うくらいに走り(周りには迷惑なことである)、モバイルSuicaはエクスプレス予約のICカードと併用できませんと言われて改札でスタックするも、駅員さんが有能でささっと処理してくださり、新幹線のホームに新幹線はすでに待っていてくれて、乗り込むことができた。

 

そして車内でカーシェアの予約を済ませてしばし休息。

京都で予定していたとおり、阿闍梨餅を買い、余裕をもって乗り換え。

 

予定は未定のままJR山崎駅着。

 

 

 

 

あとでこの駅の下には、元の石清水八幡宮があったということが判明。

 

 

 

 

そしてここ「山崎駅」は、JRで唯一他府県(大阪府と京都府)にまたがる駅なのである。

 

今回ここに来るまでしらなかったが、ここは「天下分けめの戦い:天王山」のある場所なのだそうだ。

天下分けめの舞台の駅が、大阪と京都ふたつの都をまたいでいるというのは意味深である。

 

 

 

 

カーシェアの予約時間までちょうど30分ほどあった。

どうするかは決めていなかったが、通りがかったお店の名前がHIROだったので立ち寄ることにする。

亡くなったダンナの名前であり、わたしなぜかたくさんの「ヒロ」さんに助けられてきて、今もそうである。

 

他の名前も含め、人生に何らかの強い影響を与えてくれる出会いのしるしは何パターンかあるのだが、「ヒロ」さんはわたしの友人の中で優位に多い名前のひとつである。そして「ヒロ」さんはいつもわたしの転機になるようなメッセージを運んできてくれるようだ。

 

 

 

 

 

 

カーシェアのパーキングに行く途中で見かけた町の案内。

えごま油をつくっていた場所なのだそうである。

 

 

 

 

 

 

そして、カーシェアのパーキングのとなりは、「大山崎町歴史資料館」であった。

予約時間まで時間がなかったが、そうそう来ることもないだろうし、これも何かの縁と思って、予約時間を変更して少し見てみようと思って立ち寄った。タイムズさんのいいところは、直前まで予約時間の変更ができることである。

 
そして、ちょうどボランティアガイドさんがいらして、案内してくださるというのでお願いした。
館内は撮影禁止なので、写真はないが、銅が採れたということや、ここには都(のようなもの)があり、
そして、ここが「山崎津」と呼ばれるエリアであった時代の模型などが展示されていた。
もちろん、今年大河になるという明智光秀に関わる展示もある。
 
ちなみに明智光秀の娘である「細川ガラシャ」は、わたしの洗礼名(グラチア:めぐみ)と同じである。
そしてこの細川ガラシャは、丹後に幽閉されていた時代もあり、これから丹後に行くこともあって、ふさわしいしるしに満ちていた。
そのほかに興味深い展示としては、信貴山の寅を描いた絵があったので、聞いてみたら、この神社さんには「神人(じにん)」というものが存在して、えごま油でうるおっていたのだが、信貴山で修行した偉いお坊さんが(本当はみなが油を絞ってそのお金でもうけたというのに)さらなるお布施を要求したので、みんなで反対した、でもお坊さんの方の力が強くて従わざるをえなかった、みたいな話であった。
この土地では、かつては嫌なことは嫌と言えるようなそういう空気があったのかもしれぬ。
 
 
展示されていた模型の場所と現在の場所を重ねるべく、位置関係を聞いてみたらなんと、御神域のあったエリアは半分くらい明治時代に鉄道がひかれるときに召し上げられ、その上に駅を作ったということと、今もその神社は存在し、かつてはこの場所こそが「岩清水八幡宮」と呼ばれていた、ということを知ったのである。
 
 
当然そんなことは展示されていない。だから本当かどうかたしかめにその場所にいってみることに。
 

 

 

 

岩清水八幡宮という名前は859年にさかのぼる。平安時代の初め、清和天皇が夢をご覧になったことがきかっけで、宇佐から神さまをお招きした。そのとき、船から光る場所が見え、そこを掘ってみたら清らかな水が湧いたことに由来する。そして「石清水八幡宮」と名付けたそうである。

 
ここを離宮八幡宮というのは、嵯峨天皇の離宮の地だからだそうで、その広大な神領と、立派な社殿(消失)は、「西の日光」と呼ばれていたようだ。

 

 

 

 

 

 

宮司さんの話を聞いていたら、さわやかな風が吹いてきて、青空がみえてきた。

 

そろそろ出ないと先生をお待たせすることになるので、先生にお持ちするえごま油をいただいて、カーシェアのパーキングに向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
クルマを走らせたら虹が出て
この先不思議なくらいすごく美しい虹に何度も遭遇。
自分が運転するようになったので、なかなか写真は撮れない。
そういえば玉置神社の旅も虹だったな。
 
その旅はちょうど溝咋神社にお参りされる方がいらしたので、ご一緒させてもらい(みしまの先祖をたどる旅)、日程が近かったので、大嘗祭の前日に、石上神宮の鎮魂祭にでようと思い、そして近くだから気になっていた龍田神社を訪ねて、そして流れで予定になかった法隆寺を訪問することになった。
そしてその日は、うがくふさんを突然よこして、びっくりなさった日にいただいたのが初めてのお電話で、それ以前もそれ以後も先生からお電話などいただくことはないのに、法隆寺にいるときと鎮魂祭の終わったあとと2度お電話をいただいた。
しかも、「(お手紙を送るための)住所がわからない」という理由で。法隆寺でお返事したが、そのメモをなくされて、また夜にかかってきたのである。
きっとその日、その場所それぞれが、丹後とつながる必要があったのであろう。
まったく不思議な日であった。

 

 

 
 
与謝野に到着。
海の京都。そして伊根町。
伊根には舟屋がある。家に直接船をつける独特な作りだ。
伊勢平氏方のわたしの祖父の家は、舟屋(旅館)をやっていたときく。
だから、どんなものかみてみたくて、伊根にも訪ねたことがある。
 
与謝野と天橋立と伊根って繋がってたんだな。「海の京都」で。
そういえば、(先生のご神前に)わたしを連れてきたのは「伊勢方の祖父」って最初にお会いしたときおっしゃってたな。
 
ということで予定通り、先生のお宅に無事到着したのであった。
つづく