ボーイのゲイ
サンHルーはのちになって、生き写しといってよいほど母の面影をなぞっていく(Ⅳ、二八〇)。 彼もまたシャルリュスのように、涜聖のしるしを容姿にとどめるのである。 生き写しといえば、ヴァントウイユ嬢も父に似る。 彼女の住まいを窓の外から見つめながら、その仕草も物腰も父親そっくりだと話者は感じる(I、一五八)。 彼女が女友達と冒涜的な行為に及んだ一因も、その類似にあった。 「父の写真よりもっと彼女が涜聖したもの、彼女が快楽に役立てたもの、それは(……)彼の顔の類似であり、家伝来の宝石のように、彼の母から彼へ伝えられた青い目であった」(I、一六二)。 プルーストの考えるような、同性愛者における顔立ちによる涜聖の、極端なケースがここにあるといえるだろう。 もっと小規模な事例だけれど、『ソドムとゴモラ』にあるシュルジ夫人とその息子たちのエピソードを、以上の三人に加えてみてはどうだろうか。 ゲルマント大公夫人の夜会でシャルリュスは、アルニュルフ、ヴィクチュルニアンという変わった名前を持った、この女性の二人の息子がいたく気に入る。
ベアなゲイと恋愛中!
あの人の迫力っていうか、とにかく祐司に向かってく感じがさ。 ……そうか、別れちゃったのか」あの日にぼくの恋は始まったのだった。 たった二か月。 目隠しをしたまま疾走した。 瞬は酒を注いでくれた。 ぼくはもう少し酔っていた。 涙腺もゆるみかけている。 「飲もうぜ。 気いつかわない酒ひさびさなのよ俺」「そんなこというと甘えるぞ」ぼくは目をふいた。 「ラブホで夜明かしになるぞ」「いっしょに寝るくらいならいつだってOKだ」瞬は笑った。 「祐司にはときどき頼りにされてるって思うことがあってさ。 その雰囲気が俺は好きだったんだ。 今の率直な気持は、おまえが口のうまいイタリア男に引っかかったらやだなってことだよ。 だから、何かあったらすぐ連絡しろ。 助けに行くから」まだ断ち切れない思い出と、目の前で微笑んでいる大切な友人。
ビデボでゲイとの出会い
「大ホテルや、かつてラッシェルがいたような種類の店では、使用人や女たちのそれまで凍りついていた顔の上に、百フランの、ましてや(……)千フラン札の姿は、あっという間にほほ笑みや好意の数々を作り出すのだ」(m、二二二)。 さらに、ここでは客たちは(おそらくは相手の男たちも)名前を持たない。 彼らはたかだか仮名かあだ名で呼ばれるだけであって、経営者ジュピアンでさえ本当のところで、彼らの身元を知らない。 正式にいえば「ブラバン公爵、モンタルジ貴公子、オレロン、カランシ、ヴィアレッジオ、レーデューヌ各大公」(m、三三三)と、いかにも中世以来の貴族らしく称号のありったけを並べることのできるシャルリュスも、ここではせいぜいで「女蛇使いパメラ」のあだ名を持つのにすぎない。 警察の臨検やもめごとのときにも、ジュピアンは顧客の国会議員をあてにしない。 ここは名前まで含めて、人間から欲望以外の他のすべてが切り捨てられた人々の住まいである。 名を欠き、一切の社会的条件を奪われた男たちが変則的な欲望の限りを尽くすこの世界は、夢幻劇に似てますます『千一夜』に近づく。 小説『失われた時を求めて』がとくに始めのほうで、「名前」にどれほどの重要性を与えていたかを思い出すと、こんな名前の下落にはいささかの感慨を催す。
何か別の形で表現できたらと企ん「この本をキッカケに何かイイことが起こる。 そんなステキな未来を想像しながらペンを置きたいと思う」。 僕は希望を込めて最後にこう書いた。 当時の自分に答えるのなら「碩実に未来は良くなっているよ。 でもあと少し、がんばりが足りないんだ」が適切だろうか? ネット第一世代の僕らが必死になって作った個人ホームページは今や誰でも簡単に自分のページを持てる∃EなどのSNSやブログにとってかわられ、多くの当事者が簡単に交流できるようになった。 タイピングの訓練に役立ったチャットは、音声や画像をやりとりできるりできるSKypeにかわり、よりリアルに相手を感じることができるよそして今や、携帯電話の進化により、パソコンを持たずしてゲイと繋がる若者世代も現れた(定額制のウィルコムに助けられているゲイは多いと聞く)。  恋愛に悩む思春期、それとほぼ同時期に自分と同じ仲間に出会える環境は日々整いつつある。 これは大きな進歩だと思う。  今、現在進行形で悩んでいる、孤立している、という方は本に登場するツールに加え、こうした最新のツールもぜひ活用してほしい。  一方、「自分と同じゲイに出会うのが怖い」「カムアウトしたけれど、両親から否定された」「田舎の閉鎖的な社会なので、自分を表現できず息苦しい」という相談は毎日のように僕のメールアドレスに舞い込んでくる。  「同性を愛すること」に否定的な社会では「同性を愛する自分でいいんだ」という自己肯定ができず孤立してしまう。 「ゲイは女性的だ」「ゲイはみんな、おネエ言葉を話す」といったバラエティー番組の画一的な情報や学校での否定的な扱いもこうした状況に拍車をかけている。
さすがJルボードのトップー00を十年以上全て買い集めている男”なだけはある。  同性愛に関する正確な情報を提供するため、講演、鮎剰、ホームページの運営をする゜すこたんが獣」・これらの活動は非当事者ヽつまりい一つ艇社会に向けてのものが多かった。  『ボク彼』の出版後、同じ年代や十代二十代からのメールや手紙は急増した。 「まるで今までの自分の人生が書いてあるようです」「かつてのタイガ君と同じように、僕もまだ誰にもゲイの人に会っていません」「本を図書館で読みました。 家にインターネットがないのでどうすればいいですか?」こうしたメールは日に日に増えていった。  「僕のところにも同じようなメールがたくさん届いています。 これをこのまま放っておくのはもったいないな、つて思いますね。 今まで孤立してきた人たちの、何か『つながりたい』つていうニーズをすごく感じます」250 「そう、それをね、うまい形でイベントにできないたんですよ」かな1つて、ずっと築瀬と話して初心者が安心して友だちをつくれる”場”づくり、つていうのがそろそろ『すこたん企画』にも必要なんじやないかな、つて伊藤さんとも思ったんです」 連れ添って1 い二人の息はぴったりだ。  「具体的には、区民ホールとか女性センターみたいな、公の施設を使って、友だちづくりのイベントができないかな、つて」 二人の提案に、小学生時代、”集会委員会委員”だった僕が賛成しないワケはない。