ボーイのゲイ
サンHルーはのちになって、生き写しといってよいほど母の面影をなぞっていく(Ⅳ、二八〇)。 彼もまたシャルリュスのように、涜聖のしるしを容姿にとどめるのである。 生き写しといえば、ヴァントウイユ嬢も父に似る。 彼女の住まいを窓の外から見つめながら、その仕草も物腰も父親そっくりだと話者は感じる(I、一五八)。 彼女が女友達と冒涜的な行為に及んだ一因も、その類似にあった。 「父の写真よりもっと彼女が涜聖したもの、彼女が快楽に役立てたもの、それは(……)彼の顔の類似であり、家伝来の宝石のように、彼の母から彼へ伝えられた青い目であった」(I、一六二)。 プルーストの考えるような、同性愛者における顔立ちによる涜聖の、極端なケースがここにあるといえるだろう。 もっと小規模な事例だけれど、『ソドムとゴモラ』にあるシュルジ夫人とその息子たちのエピソードを、以上の三人に加えてみてはどうだろうか。 ゲルマント大公夫人の夜会でシャルリュスは、アルニュルフ、ヴィクチュルニアンという変わった名前を持った、この女性の二人の息子がいたく気に入る。
サンHルーはのちになって、生き写しといってよいほど母の面影をなぞっていく(Ⅳ、二八〇)。 彼もまたシャルリュスのように、涜聖のしるしを容姿にとどめるのである。 生き写しといえば、ヴァントウイユ嬢も父に似る。 彼女の住まいを窓の外から見つめながら、その仕草も物腰も父親そっくりだと話者は感じる(I、一五八)。 彼女が女友達と冒涜的な行為に及んだ一因も、その類似にあった。 「父の写真よりもっと彼女が涜聖したもの、彼女が快楽に役立てたもの、それは(……)彼の顔の類似であり、家伝来の宝石のように、彼の母から彼へ伝えられた青い目であった」(I、一六二)。 プルーストの考えるような、同性愛者における顔立ちによる涜聖の、極端なケースがここにあるといえるだろう。 もっと小規模な事例だけれど、『ソドムとゴモラ』にあるシュルジ夫人とその息子たちのエピソードを、以上の三人に加えてみてはどうだろうか。 ゲルマント大公夫人の夜会でシャルリュスは、アルニュルフ、ヴィクチュルニアンという変わった名前を持った、この女性の二人の息子がいたく気に入る。