モヤモヤは晴れない。 ボクはもしやと思い、中学時代の「た。 名前がハンドルネームじゃなくて本名かもしれない。 そかるはずだ。  「次郎、次郎、次郎:::」 もちろん、ボクの学年にはいない。  「ひとつ上の学年かなあ」そう思って調べてみてもやっぱり見つからない。 そして今度は下の学年を探した。 ドキドキしながら名簿を上から見ていくボク。 次の瞬間、「あ、あった」「次郎だ。 たしかに次郎だ」 ボクは次郎くんの苗字を見て、すぐに顔を思い出した。  「そうか、彼の名前って『次郎』だったんだ」 彼とは部活が一緒ではなかったものの、確か、中学時代、「委員会」で一緒になったことがあるような気がする。 いずれにしても彼とは中学時代、会えば話すほうだった。  「おおおおお、次郎かあI。 次郎がねえI」 ボクは早速、小学校時代や中学校時代の思い出とともに「次郎くん」にメールを出した。 凱からは冪逮「ビンゴH‥」というタイトルのメールが来た。  〈ホームページを見てピンときたんだ。  タイガつて名前。  それに体育着姿の写真。 あれ、朝日小のだもんね。  中学の頃に戻ったつもりで話をしよう!・ 酒でも飲みながらさ!〉
異性愛の人々が、日々の生活の中で何気なく浴びている「自己肯定のシャワー」。  それはテレビの恋愛ドラマだったり、友だちとのアイドル話だったり、はたまた「○○くん、彼女いないの?」とせっつく近所のおばちゃんからの一言だったりする。 そのシャワーのおかげで「自分の恋する気持ちは間違っていない」と自分を肯定することができるのだ。  ボクが今まで全く経験していなかったこのシャワー。 今回の旅で想いを同じにする仲間と出会い、話をすることでこのシャワーを浴びることができた。  「自分の気持ちは間違っていない」 「同じ仲間がいる」 それは、自分への大きな自信へとつなかった。  自分は存在してもいいんだと思えるようになった。  そしてまた、この旅は好きなアイドルの話や男のコの話で盛りあがるという「思春期」を取り戻すキッカケを得る旅でもあった。 本来なら中学生や高校生の間に訪れる思春期。 しかし、ボクは「思春期よ、早く終われ1・」と思い過ごしてきた。  そんなボクが、今、やっと自分に素直に生きていいんだと思えるようになった。
ボクのホームページは三月一日にオープンした。  名前は「Can we hold hands??(手、つなごっか?)」 インターネットを通じて知り合うことのできる多くの人と手をつないで歩んでいきたい、そしてまた、同性同士のカップルが気軽に「手、つなごっか?」と言って、自然に散歩できる世の中にしたい、そうした願いが込められていた。 癒されていく一人の子どもが道で足を踏まれたとする。 「痛いよI。 エーン」 そこで親は、「痛かったねI、よしよし。 もう大丈夫だよ」「もう、痛くないからね1」 と声をかける。  子どもは安心して泣きやむ。  ボクがその後、何度となく「すこたん企画」の講演に足を運んだのは、そんな安堵感を求めていたのかもしれない。  自分が辛い思いをした思春期。  「思春期の同性愛者は自分を『演じながら』生活せざるを得ないのです」 「テレビや雑誌ではお笑いのネタにされ、日々、同性愛者は孤立しています」 ボクは、「すこたん企画」の講演を聞くたび、不思議と自分の気持ちが癒されていくのを感じた。  どうしてだろう? 自分にとって苦しかったはずの過去。 扮れられたくないはずの過去。  ボクは自分が同性に惹かれるとわかり、「これは誰にも言えない」と考えたその日から、ぼやっと、「このままボクは一人で年をとり、死んでいくのだなあ」と思っていた。
メール、掲示板、そして深夜のチャット。  ホームページに毎日といっていいほど登場して、「裏管理人」の異名を持つ彼とボクは次第に仲良くなっていった。  初めのうちはハンドルネームでのメールの交換。 しかし、だんだんと信頼関係が増すにつれて、お互い本名でメールのやり取りをするようになった。 これは相手が自分を信頼してくれている証拠。 ぐっと親近感が増す。  学校のこと、家庭のこと、初恋の思い出など、誰にもできないような相談。 心から「共感」してくれる「仲間」に出会えた。  当たり前の話だけれど、「ぷりん」の後ろにある名前は、大学の友だちと何ら変わらない。 それがさらに「仲間がいるんだ」という実感をボクに与えてくれた。 やっと出会えた喜び。  この感動を適切に説明するのは難しい。  ゲイやレズビアンの当事者に話をすると、「うん、うん。 わかる」となるのだが、この世の大多数を占める異性愛の人に話しても「?」となることがたまにある。  例えて言うならば、こんな状況と同じだと思う。  二〇XX年。  宇宙には無数の知的生命体が生息していることがわかった。 一家に一台の宇宙船は当たり前になり、休日にちょっと火星まで、というのも珍しくはなくなった。 無数の星の間には国交ならぬ。 星交”が樹立され、人々は自由に星と星の間を行き来していた。
自分の部屋でイマムラくんと電話をする。 大学のこと、友だちのこと、バイトのこと、それに今度みんなで行くスキー旅行の^JAJ °つていたに久しぶりの長電話でボクはかなり上機嫌。 おそらく顔も「デヘデヘ」にな違いない。 そんなハイテンションで電話は終わり、「あ~、幸せ」と「恋するモード」になっていた。 そこに、 「タイガ、夕飯よお~」 という母親の声。  勢いよく階段を駆け下りた。 下で待ちうける母親がボクの顔を見て一言。  「アンタ、そんな嬉しそうな顔して、何かイイことあったの?」 とっさに顔を引き締めた。  「そ’つ? そんなことないけど……」 悟られてはまずい。 ボクはソツとした。 これからは無意識のうちに「幸せ」がこぼれないように気をつけなければ、と思うようになった。 に  すべての場面で自分の素直な気持ちを隠さなければならない苦しみ。 それはすべての感情を否定しなければならないことも意味した。   あれは、バイトにもやっと慣れたある日のこと。