この状況は、間接的にはスティグマが作用しているということになる。 こうした枠組みでは、HIV感染の引き金になるものは、セックスがおこなわれる場や同性愛者を取り巻く社会的・文化的要因なのだ。  エイズを取り巻く状況はこのように変化してきているが、たとえば、同性間性的接触における若年層の感染が増えているという事実は、これまでのエイズ予防啓発実践がまだ不十分であることを示している。 そして、増加する感染者や患者は、多様になっており、そうした人たちのニーズを満たし支援していくには、これまでとは異なる制度やアクティビズムの方向性、さらにはサポート体制が必要となるだろう。  お手紙ありがとう。 Jさんは、差別的だから使うべきではないと思っていたのに、自分のことを「オカマ」「ホモ」と呼んでいる人に出会って、どういう言葉を使ったらよいかわからなくなったのですね。 ふだん生活をしていて、「ホモ」「レズ」「ゲイ」「オカマ」といった言葉を耳にすることは少なくないと思います。 「ゲイ」とか「オカマ」と自称する芸能人も活躍しています。 「ホモ」は、「ホモセクシュアリティ」を短縮したものです。 「ホモセクシュアリティ」という言葉は、一八六九年にハンガリー人のベンケルトによってつくられました。 当時のプロシアにあった男どうしの性行為を犯罪とする法律に反対するときに、ベンケルトは、同性愛は先天的なものだから、異性愛者に脅威を及ぼさないと主張したのでした。  
『週刊朝日』(二○○○年三月三日号)の記事は、「現場は、男性の同性愛者が集う公園で、少年たちが同性愛者を「ホモ狩り」と称して襲う事件が頻発していたことも明らかになった」というリードに続き、本文は「あっ、ホモだ/・」「ホモは俺たちの姿を見ると、逃げるんすよ」から始まる。 この中学生たちも、同性愛者を探し出すために公園に来ては、怯えさせることを楽しんでいたようだ。 そして「二人とも、根はシャイでいいやつ。 カツアゲしてたのは知ってたけど、殺人なんてとてもできるタイプじゃない。 カネさえ取れればよかったはずなのに……」という逮捕された少年たちをよく知る中学生の言葉で、記事は終わっている。  「カネされ取れればよかったはずなのに……」のあとに省略されているのは、「どうして殺人まで犯してしまったのか」であろう。 「カツアゲ」するのはわからなくはないにしても、殺人まで犯してしまったのはなぜかとの疑問形で記事が終えられていることは、少年たちに加えて、記者もまたその動機を理解できないでいることを示していよう。  ヘイトクライムであることを触れた報道がそれ以外の報道と異なるのは、「襲っても警察に届けない」という少年たちの証言を取り上げている点である。 この発言を単純に解釈すれば、まず金品を奪取しやすい条件が語られていると理解できるだろう。
このジャンルでは、若い男性どうしの性愛が表現されるのが特徴です。 かつてはサブカルチャー的な扱いを受けてきたこれらのジャンルも、近年では多くの読者に広まり、ポピュラー文化のひとつと言ってもよいかもしれません。  そうなってくると、「やおい」や「BL」で描き出されている同性愛の関係が、実際の男性同性愛の関係であると考える人も増えてくるかもしれません。 そこで一般的に描かれるのは、「若く美しい」男性キャラクターどうしの恋愛や性愛関係です。 また「タチ」「ウケ」(あるいは「セメ」「ウケ」)というパターン化された役割分担の表現でしょう。 「タチ」とは性関係での能動的な役割であり、「ウケ」とは受け身の役割で、ジェンダー的にはそれぞれ「男役」「女役」とみなされる場合もあります。  たしかに、現実の男性同性愛者のなかでも、「若いほうがいい」というある種の年齢規範のようなものが存在するせいか、「若い人が好み」という人も一定程度います。 また、実際のセックスでは、「タチ」や「ウケ」という役割で相手を選んだり、そのような役割のもとで性行為をおこなうということもあります。
同性愛グループは異性愛グループに比べ、最年長のキョウダイにあげるお金が少ない。 平均で、 男性異性愛者一140ドルに対し、男性同性愛者」59ドル。  最も年下のキョウダイ、つまり末っ子にあげるお金も少ない。 平均で、 男性異性愛者一165ドルに対し、男性同性愛者一57ドル。  ただし両グループには、キョウダイからもらうお金については差がなかった。 男性同性愛者はキョウダイからもらうだけもらっておきながら、あげる方はしぶっている。 ちょっとケチなのだ。  そして鱒の心の距離。  一 (とても近い)から七(とても離れている)までの七段階の自己評価によると、二つのグループは、父と最年長のキョウダイとで差が現れた。  父とは平均で、 男性異性愛者一3・2に対し、男性同性愛者一4・O。  最年長のキョウダイとは平均で、 男性異性愛者一2・9に対し、男性同性愛者一3・8. 同性愛グループの方が心の距離がある。  男性同性愛者は、自分に対して抑圧的な存在と考えられる、父と最年長のキョウダイとの間に心の距離がよりあるようである。  結局のところ、男性同性愛者は男性異性愛者と比べ、家族との交流が少なく、お金もあまりあげず、心も離れている傾向にあると言えそうだ。  ただし両グループには、キョウダイからもらうお金については差がなかった。 男性同性愛者はキョウダイからもらうだけもらっておきながら、あげる方はしぶっている。 ちょっとケチなのだ。
同性愛者の団体であることは、昨日のリーダー会以外では明らかにしていなかったため、青年の家側に対処してもらうよう求めることができると考えたのである。  翌朝にも、朝食の順番待ちのため食堂で並んでいた高校生のメンバーに対して、「また、オカマがいた」と声をあげてサッカークラブの子どもたちが笑い、同じテーブルに座っていた大人もいっしよに笑うということがあった。  朝食後事務室に出向いた私たちに、青年の家側は臨時のリーダー会開催の要請を受け入れ、その時点ですでに退所していたサッカークラブを除くキリスト教系の団体と合唱サークルに職員から出席をお願いすることになった。 こうして臨時のリーダー会が、青年の家の職員立会いのもと、三団体が参加して開かれることになった。  合唱サークルの人たちからの嫌がらせは確認されていなかったが、つぎのような返答があった。 同性愛者の団体がきているということを、給湯室で二人のメンバーに話したさい、そのうちの一人が偏見をもっているような感じだったこと、もし同性愛者団体のメンバーがそのときの会話を聞いていたら、不愉快な思いをしたかもしれないので、嫌がらせを受けたメンバーの話を聞きたい、という真摯なものだった。  他方、キリスト教系の団体の反応はつぎのようなものであった。