1960年代生まれの人達が自然の動物の
近寄りがたい魅力を知っている最後の世代に近い。
そう思っている。
生まれて一番美しいと思った動物が野生のメダカだった。
野生のなんて言わなければならないのが身が切り裂かれるようにつらい。
近くの田んぼのあぜ道の横にある幅20cm位の水路。
そこに泳ぐメダカの背中がキラキラ光る。銀色に。
あの生命感にドキドキしたことを今でも忘れない。
その田んぼの土手の向こうは用水用の池だった。
その池が一度だけ干上がって砂浜ができた。
沼みたいな池なのに、ヘドロみたいな泥だけではなく
海の砂浜のような砂浜がちゃんとあった。
ここは太宰府天満宮が建つ前からある寺院群の跡地。
この池が干上がった時、手の平に収まらない大きな
カラス貝が大量に見つかった。
もちろん生きていた。
こんな山あいに巨大なカラス貝がいる。
自然には知られていない事があるとその時深い
畏敬の念に囚われた。
それ以来、もしかしたら人間は本当のことを
知らないんじゃないかという気持ちが生まれたと思う。
それらの動物は1970年代の開発であっという間に
消えてしまった。
一番は農薬だったと思う。
その池の脇には巨木が何本も生えていた。
太宰府天満宮の巨大な楠の木より巨大で立派だった。
それらが1990年代頃に切り倒されてしまった。
僕が拠り所にしていた、わずかに残った平和な世界が
終わりを告げたかのようだった。
池と巨木の一段上には僕の幼稚園の先生が住んでいた。
ゲンゾウくんと仲良くしなかったのが悔やまれたことがある。
彼とは学年も多分違い、接点がなかった。
ただ、彼が寂しい思いをしているのをある時知った。
仮面ライダースナックのラッキーカードあげるけん、
遊んでくれん。
そう頼まれて悲しい気持ちになった。
幼稚園の吉冨先生は僕の30代の初めまで折に触れて
サポートしてくれた。
愛犬のポンちゃんを大事にしていた。
ユースホステルのお客さんにも人気だった。
僕が失意の内に茨城から帰ってきた頃、わずか100m先の
幼稚園の先生から胡蝶蘭がお見舞いで届いた。
当時、母の実家はシンビジューム農家で、海外産に押され
苦しい中で、胡蝶蘭の高い値付けにグウの音も出ない頃だった。
幼稚園の先生は竈門神社の宮司さんの奥さんだった。
宮司さんもしょっちゅうお会いした。
だって、たった100mだもの。
今この文章を書いてる部屋の東の窓を開けると最初に
目に飛び込んでくる家が旧太宰府ユースホステルだもの。
英語を話す国で勉強したことがなく、
そういう経験からすると、日常的な
表現は未だにわからないことが多いです。
2000年までの英検は、大学受験で
蓄えた知識で何とか2級までは突破できた。
全力出さないといけなかったけど。
でも、今思い出したけど、僕は2級は
取ってないことを思い出しました。
いきなり準1級に合格しています。
ECCのフリータイムレッスンしか
受けてないのに、いきなり準1級を
受けたので、ECCの職員には驚かれました。
1次試験に合格してから、ECC本校に
置いてあった、南雲堂のECC監修版
英検準1級面接対策本だけを使って
泥縄式に必死で練習しました。
対策本の内容を見て初めて2次面接の
内容を知って後悔したくらいクラクラする
ハードルの高い内容でした。
こんなの出るんだ…
でもしゃーない。
受けるんだから。
本気で一冊仕上げました。
CDのナレーションに合わせた1人での
おしゃべり。
結構辛かった。
で、本番でClientとの何かの商談の話題
か何かについての質問が来て、Clientって
何する人なん???
そう思った次の瞬間、分からないまま必死で
しゃべっていました。
しゃべった後で、もしかしてClientと
担当者?の立場を逆にしゃべったかもと
思ったけど、そのまま挨拶して退出しました。
合格通知が届いてビックリ。
姿勢というか態度というか、Attitudeの
点数をかなり上に付けてくれていました。
嬉しかった。
ECC本校の校長みたいな人にも、英検を
受ける前から入りませんかと言われたことが
あったけど、日本人英語講師の人以外は
営業職だなと思って即答しませんでした。
あの時即答してたら間違いなかったのは
雰囲気から分かりました。
ECCのフリータイムレッスンに真剣に勉強に
来てる人が珍しかったんでしょう。
校長に入りませんかなんて滅多にないだろうし、
両親には、どうしてそんなチャンス逃したのって
ずいぶん残念がられました。
英語なら英語、バイクならバイク、突っ走って
生きている時の僕は凄まじいパワーなので
営業だろうが何の職だろうができそうに周りに
見えるのは不思議はないと思います。
エンジンかかって無敵の進撃が最大の自身の
売りであり最大の欠点でもあります。
でも、フリータイムレッスンでたまたま同席した
◯◯機械九州支店長に紹介された会社に入社
しました。
英会話学校が、前の関東の会社を退職してから、
両親の勧めもあり、英語力で再出発しようという
気持ちを後押ししてくれました。
でも実際は、英会話に通っている人は会社員が
多くて、フリータイムレッスンで勉強して
就職しましたという話しを、2年間の在籍中に
僕自身は聞いたことはありませんでした。
ましてや、英検準1級を受けるということが
生徒さんたちの中ではビックリされました。
フリータイムレッスンでは英検2級を受ける人は
いましたけど、それ以上はグループレッスンを
受ける場合が多かったんだと思います。
↑
Ichi 寝ている僕に構わず外を見る
初めてパラダイムの用語を聞いたのは
教養課程の社会学の授業。
1988年のことでした。
その先生も社会学とはなんぞやということを
結構話してくれました。
初めて聞く人にはなんの学問なのか分からないことを
きちんと分かっている人で、よく分かっている先生でした。
何らかの学問をしているようなカタイ風貌の先生ではなくて
芸術家風の印象があって、特定の分野の実利を追求するとかではなくて、
でも、何かしらの本質を追求している先生だと感じていました。
だから、何かしらの大きな価値を生む土台の学問なんだなと
思っていました。
結局、社会学の定義は覚えて無くて、その先生の話題や
雰囲気で、社会学はこういうものなんだなという確固たる
イメージが残っており、これはこれで凄いことだと
今でも思います。
そういう先生ってやはり凄いです。
社会学の定義を、それは確かに話してもらったけど、
その先生の存在そのものが、その学問の定義に
なってたのは凄いことだと思います。
社会学のその先生を思い出したのもここ30年で
2~3回目で、そんなに思い出さないけど、
インパクトありました。
今となっては、環境問題とは何かという本質を
たった一冊の本を紹介することで理解させてくれた先生です。
レイチェル・カーソンの沈黙の春
これを読むのは課題でもなんでも無かったのに、
本を読むのが大嫌いだった、そして今でも読むのが
嫌いな自分が本屋に文庫本を買いに行って読破した程です。
親も読んで感激してくれ、それは快挙だったと思います。
この先生の教えてくれたパラダイムという言葉。
社会学では当たり前の言葉だったのでしょうが、
今の時代にいちばん大事な用語の1つだと思います。
科学なのか哲学なのか心理学なのかよく分からない社会学
です。
すべてをいっぺんに学問してみようという時パラダイム
という言葉がすっきりと全部をまとめてくれる。
色んなことを総合的にやってみたい人に社会学が
合うのかも知れません。
人間の世界のすべての要素の関わりを、その時代に
どういう方向性でまとめ上げるかは変化するもので、
今の時代の全体像が1つのパラダイムという風に
その先生の考え方から自分の中にイメージが湧いた
記憶があります。
人間が生まれてごはん食べて寝て起きての繰り返しが
変わらなくても根本のフレームというのが変わることが
あるということは30年前は思っていませんでした。
でも、その社会学の先生は、もしかしたら
そういうことをあの時代にもう意識していたのかも知れません。
こんなおとぎ話を書いたことがあったのだと
思い出しました。
月食が1日半続く夜のことは、それが本当にあったと
書きたくない。
その部屋は鍵がかかっていて柵があって月は見えなかった。
でもその晩は確かに皆既月食が起こっていたことを
後になって知りました。
もちろん1日半も続く皆既月食などありません。
その時見たのは、タイムシフトして複数時空の
月食が始まっては終わり、次の月食が始まるという
不思議な夢を見ていました。
ミッションが成功した時、向かいの建物2つの最上階に
丸いネオンサインがあり、花押のような図柄が出た後
それぞれに不老の文字が浮かびました。
当時書いた文章の一部を時間を限って公開してみます。
気が向かなければそのときには削除すると思います。
まず、31~33Dへ旅立つ人々が現れます。
そこを足がかりにして41~43Dへ移行する者が
現れるでしょう。
43Dで51Dからのメッセージを受け取る者がいます。
その使者が、西暦1500年代の巨大船建造文明に
核戦争阻止の伝言をたずさえさかのぼります。
皆既月食が1日半続く夜、柵付きの部屋で
体の中に刻まれた鍵を使って核戦争阻止のプロトコルを
実行する者が居ます。
本人はそこから出ることは出来ません。
成功したサインが柵の外に見えます。不老と表示されています。
巨大船の中の船室(艦長室)から、透明な材質でできている
立方形(正六面体)の部屋を壁沿いに左回りに歩くと5Dの
部屋に出ます。
そこから、世界各地に散らばっていた民間口伝の核起爆の
中から正しい口伝を51Dから受け取っていた使者が起爆予定国に
打電します。
そのことで核戦争は回避されます。
※本当は、そのプロトコルを全て実行できなかったことが
心残りです。でも、パリ万博に出品された肖像を見ると
その永遠性に感じ入るしかありません。
それは、僕がプロトコルを実行するのに失敗した時、
最終プロトコルを代行してくれたのだと思います。
~おとぎ話~
本当のことを言ってくれる人はことごとく
消えていきました。
この世界のあらゆることから抜け出して
自由になりました。
結構。
この世界の枠組みを抜けて自由になりました。
結構なこと。
それで、好きなものを手に入れて自由な世界に
生きています。
結構なこと。
この世界の枠組みから離れて自由に手に入れて
満たされた物質世界を謳歌しています。
結構。
そのお金はこの世界のものでは無くて、高次元の
目的のためにもたらされたもの。
それは結構。
そのお金で手に入れたものが有名店の高価な品。
結構。
本当のことを言ってくれる人ってどんどん
消えていく。
解る人が居ないから書いていました。
そして、
僕以外の本当のことを言っている人も同じような
思いで言っていたと思います。
ものごとを発言する時、
誰かに配慮をしながらするものでは無いと
思っていました。
6歳ぐらいの頃の話しです。
幼児は、誰かの立場をおもんばかって発言内容を
変えるなんてことはしません。
本当の気持ちが他人を傷つけるなんて思って
いないからです。
本当の気持ちが他人を傷つけるとすれば、
それは、他者が事前に、他人に違うよって
指摘されて自分の意見を曲げて他人に合わせたこと。
それを不快に思っているだけです。
それが傷つけられたと思っている理由だと思います。
僕の言っていることは解らない。
解らなくていい。
それでいいです。
このことで50年以上苦しみました。
みんな自分の立場が大切です。
よく解ります。
でもそれは、
この世界の普遍的な原理では無いです。
他人との人間関係とかで相談を受ける人は
多いです。
それはそれでいいのです。
じゃあ、私達の世代がセックスして生まれる
次の世代が同じ人間関係の悩みを持つのが
当たり前だとは僕は思いません。
人間は進歩する動物です。
同じ悩みを次の世代に持ち越すのは人類の恥です。
そう思ったら、
いつの時代も人間の気持ちは変わらないねぇ。
そんなことを言っていることこそ恥です。
恥という概念は日本人しか知りません。
だから外人から見ると閉鎖的ですが、日本人を
守ってきたそうじゃないですか。
じゃあ、恥の力を以って日本人自らの恥を知る時です。
2019年から本当に調子が良くないから
滅多に無いことだけど、やはりたまに起こることがある。
誰かに信じてもらうために生きている訳ではないから
そんなことは、自分に起こっていることが事実か
どうかなんて、本来はどうでもいいこと。
2019年には自分の意識していない方向から
光が差すということが日常茶飯事だった。
カーテンを閉めた自分の部屋で、何もない薄暗がりから
光が差す。
そんなことは日常的だった。
医学的に言えば、
それが医学的と言えるかどうか疑っている僕だけど、
やはり、
現代医学の解釈は変ですよ。
新海誠監督のアニメ作品を知らない人は59才の
僕より若い人には少ないでしょう。
だから敢えて説明無しに言いますが、
「君の名は。」は、映像表現が真を突いてると
思いました。
2019年当時、画面上に様々な方向から差す
幻想的な光の差し込みが至る所に描かれていました。
あの表現、
体験した人じゃないと描けない。
観た瞬間思いました。
2019年の僕が見ていた光は、ことごとく
ああいう差し込み方でした。
身の回りの人も、家族もそんな情景は見たことない。
それを実際に聞き取り(ヒアリング)して確信しました。
ただ、家族の一人だけは、人生で2~3回体験したみたいです。
彼も僕が感じていたように、朝起きたらタイムラインが
変わっていたという経験をしていたようです。
当時はまだ
タイムラインという言葉すら一般には知られていませんでした。
ちょっと話がずれますが。
嘘というのは言っちゃいけないものだとしみじみ
感じたことがあります。
小学生の時、現実が嫌で、つい嘘をついてしまい、
その嘘を信じ込むことに、意識的に努力しました。
その結果、大変なことが起こりました。
僕はそれを、自分が作った嘘だと知っているのに、
周りには、そっちが現実だと体の底から信じられるように
なってしまいました。
自分の作った嘘が現実世界で事実となってしまう。
当時はその理屈が分かりませんでした。
それ以来、嘘はいけないと思いました。
嘘ですら現実化するんだという、あの無力感。
あれはまずい。
今となっては何かの詐欺的技術だったと
言わざるを得ません。
人間は過去を忘れるから、誤った情報を周りに
周知させると、それが真実でなくても、事実に
なってしまう。
何が危険なのかはっきりしないまま、危険な
技術があることに、小学生の時に気づいて
しまいました。
だから今の僕は嘘が極端に嫌いなのです。
事実は操作できることを自らの嘘で実証したからです。
ブログタイトルの次に行きます。
最初の、光る、というタイトルはあまり重視して
いませんでした。
だから上のように長くなるとは思っていませんでした。
もう続きを書くのを止めたいとすら思いました。
きっときっと誰も指摘しないから。
でも、真面目な僕は書いてみます。
色のある文字
これは、自分でも嘘じゃないかと思って、
色んなやり方で分析して、僕の目の錯覚じゃないかと
ずいぶん疑って調べました。
パソコンの特定のメールの文字に赤だの緑などの
色が付いて見えることがあります。
メガネが悪いのかな。
調べても悪くないです。
画面の特定の位置の発色が悪くて赤とか緑に
見えるのかな、
試してみたけど、画面のどこに表示させても
色が付いて見える文字は普遍的に色が付いて
見えます。
僕は炭酸リチウム400mgを飲むことを
義務のように科されています。
それ以外の薬は一切飲む必要がありません。
そもそも出ていません。
その状態で見るものが、一般に言われる幻覚だとは
思えないと、同級生の親友女子は息子二人とも
九大医学部を出て医者になっていますが、
私の見たものが幻覚だとは思っていないそうです。
現実にあったことだと僕には言っています。
同級生の彼女も不思議に思っていました。
だから、同級生に蔑まれている僕にすら
聞いてくるんです。
それは実際にあったことなんじゃないかなと
私は思ってるの。
そう言ってくるんですよ。
僕に同調すると言うより、
僕に、特定状況の幻覚が、実際にあったことと
確認したいという切なる思いを感じていました。
脳の中で作られた異常な映像、聴覚、感覚。
そうでない場合が確実にあると思っている人が
同級生にいるんですよね。
彼女、知能で言えば同級生450人の中で
多分トップです。
僕は2~3番でしょうね。
僕だってMENSAの模試で測れる上限まで
いきましたから、福岡県有数だと思います。
心と知能は別物という解釈は正しいです。
同じ心的能力を持っていたら、この3次元世界で
より多くを探求できる有力な道具がそれだと
思います。
長くなったのでどうしようかと思いましたが
新種の動物。
今年のアゲハチョウは例年のものの約半分の
大きさです。
同じくクロアゲハも例年のものの約半分の
大きさです。
この福岡県の一部の地域では。
去年の9月頃、多くのツバメが来ました。
この福岡県の一部の地域では。
両親も何度も何度も確認しています。
ツバメよね。
でも茶色いわね。
ツバメじゃないんじゃないかしら。
翼も少し幅広いし。
僕は言いました。
でもあれツバメだよね。
そうねえ。
でもなんか違うみたい。
もう引退してしまったので書いてもいいかなと思う。
機械メーカーの技術力は性能(パフォーマンス)だけでは
測れない部分がある。
同じ馬力やトルクなどはどこのメーカーでも今は
出せる時代。
必要以上の性能が出る時代になって久しい。
現代技術は同じ動力源で改良してきて、今のままでは
これ以上の進歩が無いところまできている。
30年前の設計で一番重視されたのは性能二の次で
「安全な壊れ方」だった。
他社との違いはそこだった。
今はどうなっているかは知らない。
恐らく安全な壊れ方という部分は変わっていないと思う。
もし加工の不具合で壊れた時、または製品寿命で壊れた時、
部品の破片が飛び散ったり、加熱したり、操作している人に
危害が及ばないこと。それを最重要視していた。
それには、一般の常識と違った鋼材も使っていた。
大体において少し高価になることが多いと思う。
安全策の鋼材が安くつくこともあると思う。
戦中の物資製造でも「安全な壊れ方」が重視された結果
歴史の長いメーカーはそういう作り方の重要性を
設計の歴史に刻んだのだと思う。
戦争には一切反対だけど、安全なものを作るという思想は
その中で生まれ、今でも続いていると思う。
安全には関係ない鋼材の話だけど、もうJIS規格から
廃盤になった鉄鋼材料なので書いていいと思う。
旧JIS規格のSUP7という「バネ鋼材」があった。
今はもう無い。各社、バネ鋼材は鋼材メーカーと
独自開発する時代になって長く、JIS規格品は
使わないことが多いせいで廃盤になったのかも知れない。
このSUP7というバネ鋼材は繰り返し金属同士をぶつけても
破損しない、または破損するまで長時間長持ちするという
性質があった。
この性質はJIS規格のどこにも書いてないが、実際そうだった。
そういう用途に何十年も使っていた。
ただ、熱処理しないとそういう性能は出なかった。
ところが、SUP7は熱処理用途に供する鋼材では
無かった。
資材からSUP7が日本では手に入らなくなると聞いて
納入先に納得してもらうのも大変だったし、
長い実績のある材料の代わりを探すのは大変だった。
結局は平凡な機械用鋼材SNCM435に表面硬化処理をして
実際の機械数台を用意して部品を組み替えて
長時間の寿命試験をして1台も壊れないことを確認して
納入先の合格となって採用することになった。
それぞれのメーカーで材料の使い方は違って
特殊な使い方はきっとあると思う。
歴史の長いメーカーは様々な面で、たとえば
官僚主義的な面やふはいなど言われることも多い。
でも、技術的な面で一般メーカーと違うとすれば
技術的なわずかな蓄積の違いだと思う。
大メーカーはほとんどの分野を中小メーカーに
発注しているので、身近な中小メーカーも
技術のかなりの部分を知っているはず。
中小メーカーも使わせてもらっている部分は多いと
思う。
退職した会社でも、使わせてもらえる材料もあり
そうじゃないものもあった。
大メーカーは一回の購入数量が大きいので
中小メーカーの消費量では買えない場合もある。
様々です。
身近な企業にも大企業の設計者が設計に入る。
そんな時代になってずいぶん経ちます。