僕は登校拒否のせいで、同級生の中で5年の遅れがあった。
大学を卒業するのも5年遅く、就職先を見つけるのに
とてつもなく苦労した。
期待を寄せてくれたリクルーターは住友重機械と日立のみ。
九州で就職したかった僕には苦しい選択になった。
原子炉まで見せてくれたのはうれしかったけど、
結局は電動工具の設計に携わることになった。
2年目に、日立では取り扱っていなかったオイルパルスレンチの
調査をするよう命じられた。
その仕事を完遂してオイルパルスユニットを設計することは
なかった。
無かったのだが、九州の会社に再就職してしばらくして
仰せつかったのが、なんと、オイルパルスユニットの
試作だった。
1/2インチオイルパルスユニットは、すぐにでも
商品化できるレベルまで到達した。
1年かからなかったと思う。
図面も自分で調査して作図した。
その会社ではすでに3/8インチオイルパルスユニットを
作っていた。
その量産品は、ルートは分からないが、最初の就職先に
納められていた。
僕がいた部署の良く存じ上げている過去の会社の上司のもとに
納められていた。
でも、僕が九州の会社でオイルパルスユニットをやっていると
いうことは、ついぞ古巣に知られることはなかった。
オイルパルスレンチをやっていたと、日立の元上司が
知ったら喜んでくれたんではないだろうか。
そう思っています。




